『硝子館 ヴェトロ・フェリーチェ』。レンガの外壁に埋め込まれた銀色のプレートに、洒落た黒色の斜体文字で、そう店名が刻まれている。
「今日はついに、入ってみようかな」
 私はそのドアを見上げながら、ごくりと唾を飲み込んだ。なんだか落ち着かなくて、高校の制服から着替えてきたばかりの春物のグレーのニットワンピースの袖をぐっと握り、周りをそろりと見回してみる。
 大丈夫、周りには人通りがない。
 前々からこの個人的に気になるお店を見つけて気になっていたものの、何となく敷居が高そうなアンティーク調のドアに気が引けて。
 今日こそはと気合を入れて、この前バイトのお金で買った五千円の新品のワンピースを下ろしてきたのだ。五千円は、高校二年生にとっては立派に高い。使い捨てコンタクト一ヶ月分と同じくらいの値段だ。
「うん、この後も買い物しなきゃだし。迷ってないで早く入る!」
 自分に言い聞かせながら、ダークチョコレート色のアンティーク調のドアを思い切って開ける。
「うわあ、綺麗……!」
 思わず小さく声を漏らし、きらきらとしたガラス細工の虹色の光の中に、私はしばし佇んだ。
「……あれ?」
 店の奥で声がして、私は顔を上げる。
 見たことのある男の子が、びっくりした顔でカウンターの中からまっすぐにこちらを見つめていた。
「あ、蒼井くん⁉ なんで?」
 なんで彼がここに。私は混乱する頭で意味もなく店内を見回す。
 この綺麗な店内と、学年の女子の中にも根強いファンがいる蒼井くんの取り合わせはあまりにもよすぎる。
「なんでって言われても、この店は僕の家の家業だし。僕のほうこそ、聞きたいかな」
 蒼井くんがパタンと手元の本を閉じ、立ち上がる。彼も私同様、制服ではなく私服姿だった。
 ネイビーのシンプルなYシャツを、第一ボタンを開けてさらりと着こなし、細身の黒いズボンが彼の足の長さを際立たせている。
 彼はそのまま不思議そうに首をひねった。
 私たちはお互いを戸惑って見遣りながら、その場に固まる。
 かくして、私と『彼』は出会ったのだった。