白き月と黒き花は永久を知る

(宴楽しかったなぁ。)
 雪月は宴の余韻に浸りながら、黒蓮と並んで屋敷に向かっていた。叢雲や長庚の他にもたくさんの妖怪から祝い品を貰ったので、何かお返しに美味しいものを振る舞えないかと考えているうちに、古ぼけた鳥居が見えてきた。
 鳥居を潜ろうとすると、足元に黄色い何かが落ちているのが見えた。屈んで拾い上げると、太短い茎に黄色の花弁が付いている。しかし枯れていた。
「これって…福告(ふくつ)(そう)ですよね。」
「ああ、なぜこんなところに…。」
 福告ぐ草は屋敷の庭にも生えているが、毒性が強いため観賞用になっている。と言っても、この時期には山野に自生するので特段珍しいものではない。福告ぐ草は元日草(がんじつそう)ともいい、おめでたい花だ。花言葉は「祝福」。そこまで考えが至ったところで、雪月は自然と笑みが溢れた。落ちていたのではなく、故意的に置かれたものだと気づいたからだ。そしてそれは黒蓮も気づいたらしい。不器用な彼らしいやり方に。
「皆さんに祝福してもらえるって嬉しいですね。」
「そうだな。」

            *

 牙鋭はいつものように月を見上げながら酒を仰いでいた。
「…これで良かったのですか? 結界は張られていませんでしたよ。」
「オレが行ったら宴どころじゃなくなるだろうよ。」
「……。」
 牙鋭は、否定する言葉が見つからず困っている颪を横目にフッと笑った。黙って空いた徳利を片付けていた颪だったが、思い出したように手を止めると、牙鋭の方を向いた。
「牙鋭様。一つお聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「人間の自分が倒れているのを見つけた時、なぜ喰べなかったのですか?」
 それは颪がずっと気になっていたことだった。見逃すどころか、死にかけていたところを助けた牙鋭の心理は、仕えていても全く理解できなかったのである。話し相手が欲しいなら、わざわざ死にかけの人間でなくともいいはずだ。気まぐれで他者を助けるようなことをしないのはよく知っているからこその疑問だった。
「最初からあんなグチャグチャの人間。喰う気になれなかったからだよ。」
 牙鋭は顔を顰めたままそう言った。なんとも牙鋭らしい回答だ。しかし牙鋭は「ただ…。」と言って顰めっ面をやわらかい表情に変えると、白く輝く月を見上げた。
「あんな誰もが全てを諦めるような状態で、お前は生きることに執着しただろ。それが愚かで……美しいと思ったんだよ。」
黄耆(おうぎ)桂皮(けいひ)地黄(じおう)芍薬(しゃくやく)蒼朮(そうじゅつ)川芎(せんきゅう)人参(にんじん)甘草(かんぞう)……あと二つなんでしたっけ。」
当帰(とうき)茯苓(ぶくりょう)じゃないですか?」
 李花が唱えていたのは十全大補湯(じゅうぜんたいほとう)の配合生薬だ。十全大補湯には、「気」や「血」を補う補剤の代表的なもので、その名の通り十の生薬からなる。
 李花はあれから屋敷に通いつめ、薬学などを学んでいる。戸口の周りを掃除しながら、よくこうして二人で暗唱しているのだった。
「流石ですね雪月さんは。あたし全然覚えられません。」
「そんなことないですよ。私もまだまだですから。…そろそろ日も沈んできましたし、中に入りましょうか。」
「はい! 今日は何を作るのですか?」
「そうですね…あ、白菜の漬物を出しましょう。そろそろ美味しくなっていると思うので。」
 夕餉の献立を二人で話し合いながら厨へと向かう。李花は生薬などを覚えるのはあまり得意ではなかったが、炊事は得意なようでいつも雪月の手伝いをしていた。そしてその後は黒蓮を含め三人で食事をしている。

            *

「なんだかいつもあたしの分まですみません。」
 李花は出来上がった料理を器に盛り付けながら謝った。
「気にしないでください。皆で食べたほうが美味しいですから。さ、食べましょうか。」
 雪月は筍や茸の炊き込み飯が入った釜を御膳に置きながらそう言った。実際、一緒に炊事ができて楽しい上、とても助かっていたのだ。

 しばらくは三人でたわいもない会話をしていたが、途中で雪月はなんとなく気になっていたことを口にした。
「最近、ここに訪れる方が全然いないのはどうしてでしょうか。皆さんが元気ならいいんですけど…。」
 以前は特に怪我などをしていなくても、屋敷に訪れる妖怪も少なくなかった。そのため雪月は、最近はやけに静かだと思っていたのだ。
「あーたぶん皆さん気を使って…」
「……。」
 単純に疑問を抱いていた雪月の言葉に李花は言葉を濁し、黒蓮は黙り込んでしまった。
(あれ、私なんかいけないこと言ってしまったかな…。)
「…やっぱりあたし邪魔ですよね。」
 一瞬視線を落とした後、李花は物凄い勢いで炊き込み飯を掻き込み、「ごちそうさまでした!」と言って立ち上がった。
「え、いきなりどうしたんですか⁉︎」
 雪月と黒蓮の制止も聞かず、李花は戸口へと向かった。勢いよく戸を開けると、目の前には氷織が立っていた。
「きゃあ!」
「あら、ごめんなさい。驚かせてしまったようで…」
「大丈夫ですか?」
 雪月は驚いて尻餅をついた李花を助け起こした。氷織はというと大きな荷物を抱えたまま心配そうに李花を見つめている。
「氷織か。」
 後から来た黒蓮も氷織の持っている大荷物を不思議そうに眺めた。
「氷織さん、すごい荷物ですけどお持ちしましょうか?」
「これ、雪月さんに作ったものなので。少し重いですけど…」
「え、またこんなに頂いて…」
 受け取った荷物の中身は見えないが、どうやら感触的に衣類のようだ。中身は何かと尋ねようとすると、氷織は何やら李花に耳打ちをしている。二人は宴の際に知り合ったばかりだが、すぐに打ち解けたらしく仲良く話をしていた。話を聞き終わった李花は顔を輝かせながら雪月を見た。
「では私はこれで。」
 微笑みながらそういうと、氷織は会釈して帰っていこうとする。
「あ、待って…」
 呼び止めようとしたが、冷たい風とともに氷織の姿は消えていった。
「さあ、行きましょう雪月さん。」
「え、行くってどこに」
 李花は雪月の持っていた荷物をひょいと取り上げ、ついでに雪月の手を引いていく。そして振り返りながら黒蓮に声を掛けた。
「黒蓮さまは別の場所で待っていてください!」
「あ、ああ。わかった。」
 怪訝そうな顔をしながらも、黒蓮は縁側の方へ向かった。

            *

「え、これって…」
 雪月は目の前に広げられたものに驚きを隠せなかった。大荷物の正体は白無垢だったのだ。よく見ると桜の文様が施されている。白い生地上でも春を最高に彩る花は、美しく映えていた。
 李花は、驚愕して固まっている雪月の着物を脱がせ、手際よく白無垢を着せていく。どこで教わったのかと疑問が浮かぶが、李花は満足そうな笑顔で雪月を見上げた。
「とてもお似合いですよ、雪月さん。」
「え、あ、でも…」
「黒蓮さまに見せてあげてください。きっと驚きますよ。」
 そう言うと李花は「じゃああたしもこれで。」と帰ろうとする。
「え、帰るのですか?」
「黒蓮さまがどんな反応だったか今度聞かせてくださいね!」
「あ、ちょっと…」
 相変わらず素早い李花は戸口の方へと駆けていった。流石に白無垢を着た状態で追いかけられないので、仕方なくその場で見送った。
(どうしよう、せっかく着させてもらったけど…)
 しかし、いつまでも恥ずかしさで固まっているわけにもいかない。ずっとこうしていても、黒蓮のほうが心配して見に来るだろう。
 庭を照らしている月は、今にも雲が隠してしまいそうだった。

            *

 黒蓮は興奮気味の李花と困惑している雪月を見送り、縁側へと腰掛けた。心地よい風が肌を撫でていくのを感じながら庭を眺める。ここから見える景色はほとんど変わることなく、そしてそれはこれからも続くものだと思っていた。時を共にしてくれる人がいることの楽しさを、いつから忘れてしまったのだろうか、と過去を振り返るが思い出せる気がしなかった。
 雪月と共に過ごすうち、感情の変化に気が付かなかったと言えば嘘になる。だが黒蓮からは何も言わなかった。言えるはずがなかった。己が雪月に与える言葉の重みは、きっと想像以上だと知っていたからだ。好きなだけここにいることを許可する言葉しかかけてやれなかった。牙鋭が言っていた小心者という黒蓮に向けられた言葉は、そういった意味では当てはまっていたのかもしれない。雪月に気持ちを告げられたとき、驚きと嬉しさで何も言葉が思いつかなかった。
「あ……。」
 黒蓮はどうするべきだったのかと一人思案していると、焔に叱られていたことを思い出した。
『雪月殿にばかり言わせてどうするんじゃ。お主が炊事より何より先に雪月殿から学ぶことは、そういうとこだと思うがのう。』
「……。」
 いざ言葉にしようとすると、どうしたら良いのかわからなくなる。雪月はあの時どれだけ勇気を出してくれたのだろうと今になって考えた。黒蓮は、改めて己の不甲斐なさに呆れたが、それでも雪月は笑って隣にいてくれるだろうと、心のどこかで安心しているのもまた事実だった。もちろん、そういうところに甘えてしまっていることもわかっている。
 だが、その笑顔を守り続けていかなければならない。それは黒蓮に与えられた最高の試練なのだから。
「俺は幸せ者だな。」
 黒蓮は苦笑しながら一人ぼやいた。

            *

 雪月が縁側に向かうと、黒蓮が外を眺めて座っていた。
「あの、黒蓮様…。」
 黒蓮がゆっくりとこちらを振り返る。
「……。」
「…。」
「な、なんか喋ってください…!」
 沈黙に耐えられなくなり、雪月がそう言うと黒蓮はハッとしたように謝った。
「すまない。その、あまりによく似合っているから…。」
「~~っ。」
 顔も体も熱くて堪らないのに、その言葉で余計に火照りが増した。恥ずかしさで俯いていると黒蓮がそばに寄り、大切なものを包み込むように柔らかな頰に触れて微笑んだ。
「耳まで赤いな。」
 雪月は潤んだ瞳で黒蓮を見つめ返すことしかできなかったが、黒蓮も微かに?が紅潮している。もういっそ黒蓮の胸に顔を(うず)めてしまおうかと思っていると、黒蓮は「まだ言っていなかったな。」と呟いた。何のことかと聞く前に名前を呼ばれ口を噤む。
「雪月。」
 黒蓮は、雪月の首の後ろに手を回すと優しく引き寄せた。艶やかな髪が頰を擽る。そして耳元に唇を寄せた。
「愛している。」
『草の辞典』森乃おと(雷電社)
『花のことば辞典』倉嶋厚 宇田川眞人(講談社)
『ミドリ薬品漢方堂のまいにち漢方食材帖』櫻井大典(ナツメ社)
『図解 世界一やさしい東洋医学』頼建守(エクスナレッジ)

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