牙鋭はいつものように月を見上げながら酒を仰いでいた。
「…これで良かったのですか? 結界は張られていませんでしたよ。」
「オレが行ったら宴どころじゃなくなるだろうよ。」
「……。」
 牙鋭は、否定する言葉が見つからず困っている颪を横目にフッと笑った。黙って空いた徳利を片付けていた颪だったが、思い出したように手を止めると、牙鋭の方を向いた。
「牙鋭様。一つお聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「人間の自分が倒れているのを見つけた時、なぜ喰べなかったのですか?」
 それは颪がずっと気になっていたことだった。見逃すどころか、死にかけていたところを助けた牙鋭の心理は、仕えていても全く理解できなかったのである。話し相手が欲しいなら、わざわざ死にかけの人間でなくともいいはずだ。気まぐれで他者を助けるようなことをしないのはよく知っているからこその疑問だった。
「最初からあんなグチャグチャの人間。喰う気になれなかったからだよ。」
 牙鋭は顔を顰めたままそう言った。なんとも牙鋭らしい回答だ。しかし牙鋭は「ただ…。」と言って顰めっ面をやわらかい表情に変えると、白く輝く月を見上げた。