「うるせぇヤツだ。ま、李花(りか)はこれでお役御免だからな。」
 李花と呼ばれた猫又は起きる気配がない。完全に気絶してしまったようだ。
「ん~~っ。」
 雪月は必死で拘束から逃れようともがく。
(おろし)、そいつ縛っとけよ。」
「はい。」
 拘束が緩んだかと思うと、次の瞬間には手首と足首を縛られていた。それは長庚や釁隙のすぐ外にある木に引っかかっていたものと同じだ。蜘蛛の糸のようだが粘着質ではなく、強靭で引き千切ることもできない。振り返ると、そこには半人半蜘蛛がいた。下半身は巨大な黒褐色の蜘蛛の脚だが、上半身は人間の男の体をしている。目元以外はさらしでぐるぐる巻きになっており、その表情は窺えなかった。
 雪月は口元は塞がれなかったので、半人半蜘蛛に命令していた男――牙鋭に向かって力一杯叫んだ。
「あなたは牙鋭さんですね。こんな事をして、何が目的なんですか⁉︎」
 己が危機的状況に陥っているのは理解していたが、李花をごみのように扱うのを見て、黙っていることはできなかった。
「オレの目的はただ一つ。あの鬼神を堕とすこと。あいつのせいでオレは好きなようにできない。あんたはその為の人質だ。随分気に入られているようだしな。」
 雪月は以前叢雲が言っていたことを思い出した。人を喰らう妖怪を集めて神である黒蓮を堕とそうとしていたと。
(どうしよう…私のせいで黒蓮様が…)
 血の気が引いて固まる雪月を、牙鋭は楽しそうに眺めた。
「あの鬼神はどっちを選ぶだろうなぁ? あんた一人のためにオレに屈するか。あんたを見殺しにするか。」
「……!」
 自分にされていることよりも黒蓮を侮辱したことに、今まで感じたことがないほどの怒りが込み上げてきた雪月は、睨みながら言い返す。
「黒蓮様はこの地を治めるお方です。私の為だけにそんな選択をするわけがありません。何よりあなたみたいな強引なやり方しかできない人に、黒蓮様が屈するわけがありません!」
「へぇ~、言ってくれるな、人間。人質だからって手出されないと思ったか? 別に殺さなければいい話だ。」
 そう言うと牙鋭は、雪月の首を締め始めた。しかし、雪月を睨みつける牙鋭に赤い瞳の奥には、怒りの他に悲しみが見えた気がした。
「う、ぐ、あ、あぁ…!」
(嫌、苦しい。)
 雪月の目からは自然にいくつもの雫がつたう。逃れようとするが、力は強くなるばかりだ。意識が飛びそうになるのを何とかこらえて声を発した。
「ゃ、めて…」
「…まぁいい。颪、頼んだぞ」
「御意。」
 何を思ったか、牙鋭は手の力を緩めると踵を返して洞窟の出口の方へ向かった。
「詰めが甘いんだよ。あんたも、黒蓮も。」

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