「あの男の名は、雪兎(ゆきと)という。山伏である父親と、山麓の寺院にいた女との間に生まれたと言っていた。有力な宗派の山伏との領地争いに巻き込まれて怪我をしているところを俺が見つけたんだ。」
 雪兎という男は、自分の父親である山伏の宗派とはまた別の有力な宗派の人間に追われていたそうだ。帯刀している山伏が殆どで、まだ少年であった雪兎は抵抗する術がなくただ山の中を逃げ回っていたらしい。自分の祖先である男も何かから逃げて怪我をした挙句、黒蓮に助けられたと聞いて、雪月は複雑な気持ちになった。もはやこういう運命だったのかとさえ思えてくる。
「しばらくここで共に過ごした後、もともと持っていた薬学の知識や、ここで新たに学んだことを、苦しんでいる人々の為に役立てたいと言って都へ向かった。俺はそれから会っていないが、妻子にも恵まれ充実した人生を送っていたと聞いている。」
 黒蓮は漆黒の瞳で雪月を見据える。
「雪兎は、人として、薬師として生涯を終えた。人のために最後まで生きたんだ。本当に誇らしい。だから俺は、薄情者などと一切思っていない。」
「…はい。ありがとうございます。」
 雪月は微笑みながら礼を言った。直接自分のことではないが、とても嬉しかったのだ。黒蓮にここまで思われて、雪兎こそ誇りに思っていたことだろう。しかし黒蓮は「だが…。」と言葉を続けた。
「眷属のことも、妖怪たちがどう思っていたのかも、全て雪兎の話だ。雪月は自分がどうあるべきかではなく、どうしていきたいのかを考えるんだ。」
「はい…。」
(黒蓮様は私が優しいと言うけれど、本当に優しいのは黒蓮様の方なのに…。)
 今の平和な暮らしが幸せで、ずっとこうなら良いと思っていた雪月は、真剣に将来を考えたことがなかった。しかし、このままでは自分のせいで周りの妖怪たちから黒蓮が悪く思われる可能性があるのだ。神として信仰されるべき黒蓮の立場を脅かすような状況を作るわけにはいかない。正解が一つではない問題の答えほど、今の雪月にとって難しいことはなかった。

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