(これ…蜘蛛の糸? 引っかかってしまったのかな。)
 それにしてもその蜘蛛の糸は強靭で、なかなか取ることができない。
「この傷はどうされたのですか?」
「え? あぁ、この傷は昨日の夜山の中を走ってたら、転んだんだよ。夜目は効く筈なんだが、何かに引っかかっちまったらしい。」
「そうだったんですか。」
 会話をしつつ、雪月は手際よく手当てを進めていく。
「っ、痛た…。なぁ、お前さんはあの鬼神サマと一緒に住んでて苦労する事とか無いのか?」
「うーん、特には無いですね。驚くようなこともたくさんありますけど、食べ物はこうしてたくさん育てていますし、薬学も教えてくださっていて、充実しています。」
 雪月は嘘偽りなく答えた。
「ふーん。まぁ庭の植物は圧倒的に増えたな。」
「そうなんですか?」
「俺もそこそこ長い付き合いだが、ここに来る度なんか増えてるぞ。美味い花を見つけたとかなんとか言って。」
「長庚さんは、お花は食べないのですか?」
「食べねぇよ。何が美味いんだか。」
「食べたことはあるんですね。」
「あの鬼神サマが「お前も神になったから食えるんじゃないか?」とか言って押しつけてきたから食べただけだ。不味かったけどな。」
「そういえば変わり者扱いされてると言っていたような…。」
「あれは舌がどうかしてる。」
 二人は顔を見合わせて笑った。長庚は黒蓮とはあまり仲が良くないようだが、雪月からするととても話しやすい相手だと思った。
「食事の時は自分で全部作ってるのか?」
「はい。炊事は全て任されています。」
「だろうな。」
(黒蓮様が料理下手…お得意ではないのは皆知ってるんだな…。)
「よろしければお持ちしましょうか? 朝餉の残りですが、七草粥を作ったんです。」
「おっ、良いな。俺は〝人間が″食べるものは好きなんだ。」
「では、準備してきますね。」
 雪月は長庚が、なぜか強調して言った部分には気づかなかったことにして、桶や使った道具を持ち縁側を後にした。診察室の横を通ると、黒蓮ともう一人誰かの話し声がする。まだ診療中のようだ。
 厨に入り、粥を温め直しながら薬湯の準備も始めた。長庚を見つけた時は獣の姿だったので用意しなかったが、人形になったので作ろうと思っていたのだ。
 梔子の実を煎じて作った消炎排膿薬。雪月が初めて黒蓮に出会った時に貰った化膿止めの薬湯だ。
(なんか懐かしいな。)
 まだ屋敷に来てから四季を越えてはいないが、ひどく昔のことのように感じる。それだけここでの暮らしが平和で充実しているという証拠だろう。そんな物思いにふけっていると、ちょうど良い感じに粥が温まっている。薬湯の方も良い具合にできたので、雪月は再び縁側へと向かった。