蜂蜜自体は屋敷にも少量あるが、貴重なので薬用としてしか用いたことはない。生薬の粉末を蜂蜜で練って丸薬を作る程度だ。
「今食べるなら生姜と合わせてもいい。すりおろした生姜と合わせて青魚の煮付けなどに添えるのもいいが、薄切りにして蜂蜜に漬けても美味いぞ。」
「ではすぐに用意してきますね!」
 雪月は急ぎ足で厨へと向かった。
「…笑った顔なんて特にそっくりじゃ。」
 小さく呟いた焔の声は、もちろん雪月には届かなかった。

 雪月は二人から、蜂蜜を食用とした時の効果や食べ方について学びながら、初めての濃厚な甘みを楽しんでいた。薬用としてなら使うので存在はもちろん知っていたが、口にしたことはなかったのだ。
 雪月は会話しているうちに知ったことだが、焔も薬学に詳しかった。薬師と共に過ごしていたことがあるらしい。
「実は薬膳について黒蓮殿に教えたのはわしなんじゃよ。」
「そうだったんですか⁉︎」
「覚えるのは早いんじゃが料理の腕前のほうは…。雪月殿ももう知っておるとは思うが厨が酷い有様になる。」
「今は雪月が炊事が得意だからいいんだ。」
「あはは…。」
 若干むきになっている黒蓮だが、炊事が苦手なことを否定しないあたりに、雪月は思わず笑みがこぼれた。

「今日は長居して悪かったの。」
「いえ、たくさんお話できて楽しかったです。」
「飲むのはほどほどにしろよ。」
「そうは言ってものう。宴の席はどうも…」
「でも飲み過ぎは体に良いとは言えませんし…。」
 そう言っている途中で雪月はある疑問が浮かんだ。
「そういえば黒蓮様は宴には行かれないのですか?」
雪月は黒蓮が酒を飲んでいるところを見たことがなかった。
(もしかして私がいるから我慢してるんじゃ…。)
「俺はどんなに酒を飲んでも酔わないんだ。それに俺が宴に出ると皆に気を使わせてしまうだろうからな。」
「皆黒蓮殿にも来て欲しいと言うておったぞ。」
「…考えておく。」
 自分のせいではなかったことに雪月は安心したが、この地を治める鬼神という黒蓮の立場は、とても複雑なものなのだと悟った。
「それじゃあの。また会おう、お二人さん。」
 焔は振り返ると、二人にしわくちゃの笑顔を向けた。

『雪月殿。お主が黒蓮殿を支えてやってくれ。上に立つ者はいつも孤独だからのう。』

 頭に直接響くような声で、そう言葉を残した。
「えっ」
 雪月が聞き返そうとした時には、焔はすでに強い光の中に溶け込んでいた。
(今、直接…。それに焔さんの口は動いていなかったような。)
 人には理解できない力が、神や妖怪にはまだまだあるらしい。黒蓮の方を窺うが、黒蓮には何も聞こえていなかったようだった。

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