「はあ、はあっ。」
 雪月はこの辺りで一番高い山を急いで登っていた。獣道を休まずにただ進み続けるのは苦行でしかなかったが、それでも足を止めることはなかった。
「きゃあっ。」
 木の根に足を捕らわれ転倒するがすぐに立ち上がる。出血しているのがわかるがそんなことをかまっている暇はない。もうすぐ夜が明ける。
 なぜこんなに急いでいるのかといえば、村長を先頭に村人たちが雪月の住む小屋に訪れてくることに気づいたからだ。少し小高くなっている小屋から、炎を掲げ、列をなしてやって来る村人たちを見た雪月は、すぐに逃げなければと思い裏の山へと入ったのだ。
 この山は獣も多いが、それ以上に妖怪が多い。村に陰陽師がいないことや、神社仏閣が少ないことが理由なのかもしれない。
 妖怪は村に降りて来ることはほとんどないが、存在は誰もが認めている。妖怪という不可解な存在が、天地を操る神がいることを信じる理由になったのだろう。
 普段人が立ち入ることはない山だが、雪月が逃げ込んだと知れれば追って来る可能性は十分にある。
(夜が明ける前にできるだけ遠くへ行かなければ…。でも逃げたところでどうすればいいの?)
 身一つで飛び出して来たため、逃げ切れたところでこのままではいずれ餓死するだろう。
 そう思った瞬間、雪月を突き動かしていたものはなくなり、足取りは重くなっていった。
 唯一持っているものといえば、母が大切にしていた鏡くらいだ。桔梗の花の模様が施されているその鏡だけは、しっかりと懐にしまっているのだった。
 
 もう空は白みを帯びてきている。
 俯いたまま歩いていると、視界に赤いものが映った。
 顔を上げると、そこには古ぼけた鳥居が鎮座している。鳥居の先にはこれまた古ぼけたお社が見える。
 こんな所にお社があるとは聞いたことがなかった。とても人がいるようには見えないが、最後にお参りするのも悪くないと思い、鳥居を抜ける。

 そこには、先ほどまで見ていた光景とはとても似つかない世界が広がっていた。
 
多種多様の花々が咲き乱れ、この辺りでは見ないような樹木まで存在した。先ほどまで古ぼけた社に見えていたものは、壮麗な佇まいの建物に変わっていた。決して豪華というわけではないが、周りの草花がよく映えていた。
「わあ…。」
 あまりの美しさに思わず感嘆の声を発した。
 旭日(きょくじつ)の輝くその空間はとてもこの世のものとは思えない。