「――――わかった。すぐに向かう。」
 湯殿から雪月が出てくると、黒蓮は何やら縁側で話をしていた。
「何かあったのですか?」
「妖怪が高いところから足を滑らして怪我を負っているらしい。鴉が伝えに来た。」
 そう、黒蓮が話をしていた相手は鴉である。これも雪月が驚かされたことの一つだが、黒蓮は天耳(てんに)という動物の声が分かる力を持っていた。明らかに黒蓮一人しかいないのに誰かと会話をしている姿を見て、雪月は狐にでも化かされたのかと疑ったことがあった。
 しかし、今回のようにこの屋敷に来ることができない状態の時や、緊急の時に山を素早く移動できる動物たちの力を借りることも多い。黒蓮は普段から動物たちとも触れ合っており、動物たちもよく黒蓮に懐いていた。
「大丈夫でしょうか…。」
「そこまで傷は深くないらしいが、少し距離があるから戻るのは何時頃になるかわからない。もう遅いから、お前は先に休んでいろ。」
「わかりました。お気をつけて。」
「ああ、行ってくる。」
(怪我をした妖怪は心配だけど、私がついて行くほうが邪魔になってしまうからおとなしく寝てよう。)
 夜の山だということに加え、急ぎの用だ。雪月は黒蓮と違って夜目も効かず、如意の力も持っていない。そんな自分が付いて行っても足手纏いになるだけなのは目に見えているので、翌日の朝餉の仕込みを簡単に済ませてから床に就いた。

―――カタカタ。
「…ん。黒蓮様?」
(調合でもしてるのかな。)
 しかし黒蓮が屋敷を出て行ってから、まだそれほど時間が経っていないことに気づき、雪月は寝ぼけ眼を擦りながら体を起こした。
(気のせい?)
 周りを見回すが誰もいない。
――カタ。
「⁉︎」
 何か、いる。
 それもかなり近くに。
(どうしよう。怖い…。)
 しかし、屋敷を出て彷徨(うろつ)くのも危ないことは分かっている。どうすることもできないので雪月は布団に深く潜り直した。
(どうか早く帰ってきてください、黒蓮様…!)
 雪月が目をきつく閉じ、身を固くしていると首筋に冷たいものが当たった。
「きゃあっ!」
 ついに恐怖が限界を超え、大声を出して飛び起きる。
(何、何、何⁉︎)
 雪月は慌てて自分が寝ている和室から廊下に出た。雪月が寝ている部屋の隣は黒蓮がいつも寝ている部屋だが、当然ながら今は誰もいない。
 カタカタ。