「今までで一番驚いたのは、川へ魚を捕りに行った時です。てっきり釣りをするのかと思ってたら、黒蓮様が手掴みで魚を捕られてて…。」
「ははははは。」
 叢雲は笑い転げ始めた。
「笑い過ぎだ。」
「けほっ。ごほっ。だって…想像したら面白いんですもん。ふはは。」
 以前、屋敷の周りの案内も兼ねて川に魚を取りに行ったことがあった。その時、黒蓮は魚を入れるのであろう籠しか持って行かなかった。どうやって捕るのかと疑問に思いなが付いて行くと、黒蓮は着物の裾を捲り上げザブザブと川の中心まで入っていき、そのまま水に手を突っ込み、魚を捕ったのだ。
「道具を使って待っているより、その方が早いと判断したんだ。」
「黒蓮さまからしたらそうかもしれないですけど…、普通の人間はそんなことしないから驚きますよ。」
 どうやら黒蓮には水の中にいる魚が見えていたようで、そのまま捕りに行ったとのことだった。視力においても身体能力においても、常識の範囲を超えていた。そんなことがよく起こるので、雪月は黒蓮と共に過ごすうちに常識とはただの推測で現実の話ではないのだと思い始めていた。
「はー笑った、笑った。」
 叢雲は呼吸を整えながら座り直した。
「いやー。平和でいいですね。近頃は牙鋭(がえい)さんもおとなしいようですし。」
「牙鋭さん…?」
「おや、黒蓮さまから聞いていませんか? 人を喰べる妖怪ですよ。」
「詳しくは…」
 雪月は疑問を浮かべた表情のまま黒蓮の方を見た。
「牙鋭は牛鬼という人を喰べる妖怪だ。少し前は、俺によく突っかかってきていて、その度に闘っていた。」
「黒蓮さまは人を喰べるのを禁止していますから、そりが合わずに反抗しているんですよ。そこそこ力の強い方でして、人を喰らう妖怪を集めて神である黒蓮さまを堕とそうと計画していたこともありましたからね。」
「そんな恐ろしいことが…」
「正直、おとなしい方が怪しい。いつも何かと反発してくる奴だったからな。」
「黒蓮さまのおかげで概ね平和が保たれているというのに…。」
 人の世でも、そうでなくてもある程度の争いは起きてしまうらしい。
「まぁ、牛鬼とはそういう妖怪だ。いきなり考えを変えるほうが難しいだろう。」
 悲しそうな顔には、諦めの感情が混じっていた。
「そうですね…。雪月さまも気をつけてくださいね。黒蓮さまと一緒なら大丈夫だと思いますが。」