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アンバーの話しを聞く鳥使い達の意識に、樹海と彼らが西の山脈と呼ぶ山々との間にある丘陵が、浮かんで来た。イナはその丘陵を覆う広葉樹の林の中にあった。ひっそりとした小さな村で、隣り合う村の無く、この世界にある他の町や村からは孤立していた。樹海の鳥使いと村人との交流が途絶えてからは……。
「彼らとの交流が途絶えた後、私達はイナの村の記憶を全て封印してしまったらしいわ。それが一番良い方法だと思ったのね。でも、封印もこれで終わりになるかも。これを機会に、再びイナの村との繋がりが出来るかも知れないから」
「繋がりって……あの娘のこと?」
カーネリアには、アンバーが何を言おうとしているのかがすぐに解かった。
「あの娘、モリオンが私達とのことで、何が重要な役割を果たすと言うのね」
アンバーは、カーネリアにゆっくりと頷く。
「上手くいったら、そのようになるでしょう。だがその前に、盗まれた卵を取り返さないと。でも、卵を取り返しジェイドを探し出すためには、こちらからイナの村を訪ねて、あの娘に会う必要があると思うわ」
確かに、そうだった。アンバーの言うとおりだ。でも鳥使いの存在が封印された村を訪ねるのは、難しそうだ。考え込んだカーネリアを無視して、アンバーは自分の考えを話し続けた。
「カーネリア、イナへの道は、光の川のバイーシーが知っているわ。彼らとベヌゥを通して意識を通じ合わせられれば、もっと多くの情報がえられるかもしれない。まずはバイーシーと接触することね。イナの人々との事は、バイーシーから得られた情報を元に考えたらいいわ」
そう、あの川の生き物と会ってみるのが必要なのだ。
「行ってみましょう。ジェイドの行方がわかるなら」
アンバーの言葉を静かに聴いていたカーネリアは、これから光の川のバイーシーに会いに行くことに心を決めた。何故だかわからないが、兄であるジェイドを探す為には、姉妹の自分が行かなければと思ったのだ。
「いいわ、カーネリア。バイーシーに会ってきなさい。でも行きたがっているのは、彼方だけではないようね」
アンバーに言われて、カーネリアは四、五人の鳥使いが傍に寄ってくるのに気付いた。その中には、オリビンもいる。
「カーネリア、今まで散々飛び回っていたのに、まだ飛び続けるのかい?」
彼らはカーネリアの事を心配しながら、自分達もバイーシーに会いに行くのを志願していた。
「ありがとう、みんな……。私、そんなに疲れてはいないの。それに……」
自分を見詰める鳥使い達を一人ひとり確かめながら、カーネリアは小声で呟いていた。
「バイーシーに会いに行きたいという気持ちは解かります。でも今回は、私一人で行かしてほしいの」
「何故?」
一人で行くと宣言したカーネリアに、鳥使い達から一斉に不満の声が上がった。
「気持ちは解かります。でも、バイーシーは人間に慣れていません。何人かで行くのは好ましくはないわ。それにジェイドは私の兄弟だから。ジェイドと良く似た顔があったほうが、ジェイドを探しやすいでしょ?」
鳥使いたちを説得しようとするカーネリアに向かって、アンバーが大きく頷いて見せた。
そして鳥使い達も、アンバーに合わせて一斉に頷く。そして彼らのパートナーの巨鳥たちも、人間に合わせて低く唸り声を上げる。
これで決まりだ。
カーネリアはさっそく帽子を被って騎乗服のボタンを締め、自分のパートナーを呼ぶ。
「ブルージョン!」
自分の名前を呼ばれるとベヌゥは、ひときわ大きな鳴き声を上げて立ち上がり、カーネリアの傍にやって来た。
「よーし、よし」
カーネリアがベヌゥに声を掛けると、ブルージョンと呼ばれた雌のベヌゥは足を屈め、人を乗せる姿勢をとった。飛び立つ用意はこれで全て整った。
「じゃあ、行って来ます!」
ベヌゥの背中に騎乗具を取り付け飛び乗ったカーネリアは、仲間に軽く挨拶し、相棒に出発の合図を送る。それと同時にベヌゥは屈めていた足を伸ばし、洞窟の出入り口めがけて一目散に走り出す。
[さぁ、出発だ]
カーネリアとブルージョンは洞窟の出入り口を通り抜け、岩場の離着陸場に出る。ブルージョンは離着陸場の縁まで走っていくとやおら翼を広げ、離着陸場から本格的に空へと飛び立った。
もう既に雨は止み、晴れ渡った空を夜明けの太陽が昇ろうとしている。薄い水色と濃い青に白が交り、縞模様を描くこの世界独特の空に朝日が昇り、その朝日の反対側には、今まさに沈もうとするピティスの姿があった。そして……。
「あぁ、なんて綺麗な景色なの」
ピティスと一緒に美しい虹が現れたのを見て、カーネリアは思わず息を呑んだ。完全な半円形になっていないその虹は、見方によってはピティスに向かって橋を掛けているように見える。カーネリアが今まで見たことの無い、美しい景色がそこにはあった。カーネリアは、その虹に向かってブルージョンを飛ばし、巨樹の立ち並ぶ深緑を抜けて行く。巨樹の枝の間をすり抜けるようにして飛んで行くと、金色の毛に長い尻尾を持った獣が、巨樹の枝を群れ成して走って行く。巨樹の枝に住み、一生涯地上に降りずに過ごす獣達だ。獣達が走り去って行くと、カーネリアは巨樹の枝のあいだから、空を見上げた。
 村を発つときに見た虹は、いつの間にか消えていた。こうして深緑を飛び続けると、深緑の巨樹よりは小さいか、それでも背の高い木々が生い茂る森にたどり着く。ここは樹海周辺部だ。人間は鳥使いしかいない深緑と違い、ここ樹海周辺部は鳥使い以外の人間も入って来る。樹海周辺部と接するように、いくつかの町や村があり、そこから樹海に入る人達がいるのだ。光の川は、この樹海周辺部を貫くように流れている。やがて木々の間から、光の川が見えてきた。
「ああ、美しい」
朝の光の中で光の川の川面が、その名のとおりに光り輝いている。カーネリアは暫くその川面を見詰める。
(あれは? バイーシー……)
カーネリアの目は、何かが光の川で水飛沫を上げたのを見逃さなかった。ニ、三回水飛沫があがるのを確認すると、カーネリアはブルージョンを光の川に近付くように指図する。ブルージョンはカーネリアの指示に従い、高度を下げ、光の川のすぐ上を飛ぶ。輝く川面がカーネリアの目の前に広がり、水の中に白い生き物の姿が見える。そしてどこからが歌のような鳴き声が、カーネリアの耳に聞えてくる。バイーシーの鳴き声なのだろう。バイーシーが、確かにそこにいる。大河を下るバイーシーが川面に姿を現し、美しい声で鳴いている。
 なんて言う生き物なのだろう。こんな生き物がいるなんて。
 カーネリアは川を下っていくバイーシーと出会い,暫し心を奪われた。目の前で見る意識の中に入ってきた光景より、何倍も美しい。しかし今は見とれている場合ではない。カーネリアはさっそく自分の意識をバイーシーに向ける。しかしバイーシーの意識は捉えられない。その代わりに、バイーシーがベヌゥに意識を通じて伝えた事が、ベヌゥを通して伝わって来る。イナの村の様子と共に。
[私に付いてきなさい]
なんとバイーシーはブルージョンに、イナへ導いてくれると伝えているのだ。この奇妙な生き物には驚かされてしまったが、とにかく着いて行くしかないだろう。カーネリアは意識を元に戻すとバイーシーの後を追い始める。すると背後から別のベヌゥの羽ばたく音が聞こえて来た。
「オリビン」
後ろを振り向くとパートナーのベヌゥ、クロサイトに乗ったオリビンがいた。
「何しに来たの?」
自分達を追ってきたオリビンに驚きながら、カーネリアは鳥使いがイドと呼んでいる意識の力でオリビンに問い掛ける。
「一組より二組で探した方が良いだろう? あの川を泳いでいる生き物が、イナへの道を教えてくれるのかい」
「そう、バイーシーがブルージョンに道を教えてくれるの」
「じぁあ、付いていくよ」
会話を終えると、オリビンはクロサイトをブルージョンの後に付け、飛び続ける。オリビンの言う通りだった。鳥使いは、なるべく複数で行動するものなのだ。特に今の飛行は、得に重要な飛行だ。二組で行く方が良いに決まっている。盗まれた卵を探し出す事が何よりも重要なんのだから。 その後、二組の鳥使いベヌゥは、黙ってバイーシーの後を追う。バイーシーを追い、光の川の流れに沿って進んでいくと、やがて二組の鳥使いとベヌゥ達は、樹海周辺部よりもさらに背の低い木々の森に入った。もう樹海周辺部を抜けて、樹海の外の、樹海と隣り合う森にやってきたのだ。鳥使い達を導いたバイーシーは、ここで光の川からその支流の川へと入り、姿を消した。これから先は、姿を見せてはならないとでも言うように。しかしバイーシーと分かれた鳥使い達は、そのまま支流の流れに沿って飛んで行く。
「おい、あれを見ろ」
突然、オリビンが川の流れの先を指差す。森を抜けたところに、人が丁寧に手入れをした果樹の林があった。人の住む村にが、近くにあるのだ。
「まずい! ここの人間に姿を見られたら大変だ」
オリビンは大声でカーネリアに注意を促し、ベヌゥを森に着地させようとした。そう、この果樹の林が在る村は、鳥使いを知らないイナの村なのだ。騒動を避ける為には、今はベヌゥの姿を隠すのが一番だ。鳥使いを乗せた二羽のベヌゥは、何度か森の上を旋回して着地場所をさがす。そして森の裂け目の様な谷間を見つけると、その谷底に着地した。
「此処で、暫く大人しくしていてね」
カーネリアとオリビンはベヌゥの背中から降りると、それぞれのパートナーに言い聞かせる。するとベヌゥ達は、判りましたという様に低い声で鳴くと、所々草が生えている地面に蹲る。
「さぁ、行きましょう」
二人の鳥使いはベヌゥ達を森に残し、果樹の林へと歩いて行く。もう日は傾き、夕暮れが迫ってきていた。
 カーネリアとモリオンは森を抜け、果樹の林にたどり着くと、まずは果樹の陰に隠れて周囲の様子を伺った。林の中にはしつかりとした道が作られ、道の先を目で追うと、小高い丘に幾つもの家が立ち並んでいるのが確認出来た。これがイナの村なのだろう。おそらく盗まれたベヌゥの卵は、この村の何処かにあるはずだ。急いで村に入って卵を探したかったが、それは無理な話だ。なにしろこの村は、鳥使いを知らない村なのだから。
 果樹の陰に身を隠しながら、少しずつ進むしかないだろう。鳥使い達は果樹の林に誰いないのを確かめ、なるべく樹の陰に姿が隠れるようにしながら村を目指す。都合の良い事に、果樹の林には人っ子一人いない。今は果実のなる季節ではないのだ。ゆっくりと果樹の林を進んでいくと、突然何かがこちらに向かってくるのが見えた。
「あっ、あれは……」
慌てて大きな果樹の陰に蹲った鳥使い達の目に、奇妙な鳥が走って来るのが飛び込んできた。人間よりも少し大きく、ずんぐりとした身体は茶色い斑模様の羽毛に覆われている。そして何よりも特徴的なのは、嘴の先に附いた鼻だ。足は太く逞しく、走るのに適している。飛べない鳥だ。奇妙な鳥は鳥使い達が隠れているのに気が付かず、鳥使いが隠れている樹の前を通り過ぎていった。
「あれはこの村で飼われている家禽ね。首に袋の付いた帯をつけている」
「そうらしいな」
オリビンに説明しながら、カーネリアは別のことを考えていた。ある思わぬ考えが、頭に浮かんだのだ。
「あの家禽の跡を追いましょう」
「えっ?」
カーネリアの言い出した事に、オリビンはただきょとんとするだけ。そんなオリビンにカーネリアは自分の考えを話して聞かせる。
「家禽がいる場所には、当然家禽の卵があってもいいはすね。卵を隠すには、卵のある場所が一番じゃない」
「そうか!」
カーネリアの考え解かると、オリビンは早速あの家禽を追い始める。カーネリアもすぐその後から、家禽が走り去った方向に向かって走り始めた。
 家禽を追って鳥使い達が辿りついたのは、村の人家から離れた場所にある小屋の前だった。多分、家禽の小屋なのだろう。小屋の前までやってきた家禽は、足を止めると小屋に向かって一声大きく鳴き、小屋の前に置かれた桶から水を飲む。そしてその泣き声に合わせて、小屋の中から別の鳥の声が聞えた。中にもう一羽、家禽がいるのだ。鳥使い達が追ってきた家禽は水を飲み終わると、小屋を離れて再び走り出す。家禽の姿が見えなくなると、カーネリアは小屋の窓をそっと覗く。
「あぁ……中に卵を抱いた鳥が、一羽だけいる……」
カーネリアは中の様子をオリビンに伝へ、オリビンも小屋の窓を覗いてみる。
「確かに。他の鳥はどうしたのだろう?」
小屋の中は柵で仕切られていて、小屋の中の家禽はその仕切りの一つ入り蹲っている。
「昼間は外に連れ出さているのでしょうね。卵を抱いた鳥以外は。もし、ここで卵を隠すとしたら……」
カーネリアは、ふと家禽が抱いている卵に目を留めた。蹲る家禽の下に、銀色の卵の一部が覗いている。
「まさか!」
カーネリアとオリビンは二人同時に声を上げ、顔を見合わせた。二人とも同じ考えが、頭に浮かんだのだ。
[お願い。立ち上がって]
カーネリアはベヌゥと同じように、家禽に意識で呼びかける。すると卵を抱いた家禽はすぐさま立ち上がった。
「ああ、やっぱり」
家禽が抱いていたのは、紛れも無いベヌゥの卵だ。しかも孵化寸前だ。殻の表面に、ひびが入り始めている。カーネリアは家禽が抱いていた卵がベヌゥの物であるのを確認すると再び家禽を卵の上に座らせ、家禽の柵の前に自分も座った。
「此処で待ちましょう。あのバイーシーが教えてくれた、モリオンと言う娘を」
カーネリアの言葉に、オリビンは頷き、カーネリアの隣に座る。ベヌゥの卵をこんな形で懸命にも隠したのは、あの少女に間違いないだろう。二人はその賢い少女をこの小屋で待つことにしたのだ。だが少女が現れるのを増すのに、時間はかからなかった。二人が小屋の中に座ってから暫くすると小屋の扉が開き、慌ててカーネリア達が立ち上がった時に、彼らが捜していた少女が、家禽の群れと共に姿を見せた。
 少女は小屋の中に入ると小屋で蹲っている家禽に声を掛け、扉の外にいた家禽の群れを小屋に入れると扉を閉め、家禽達を柵にいれようとして、カーネリア達に気付く。
「貴方達は……鳥使い……」
驚いて大声を上げそうになった少女にカーネリアは手を口に当てて静かにするように指図し、意識を通して卵を抱いている家禽を立ち上がらせた。そしてさらに、少女が連れて来た家禽達の意識にも働きかけ、家禽達をそれぞれ自分の囲いに入って座るようにさせた。
「驚かせてごめんなさい。でも私達にとっては、貴方が他の家禽も私達の鳥も同じなの。私達を空へと連れて行ってくれる鳥ベヌゥと交流する事が出来たら、他の鳥と交流することも出来るの」
カーネリアが小声で話し掛けると、少女はただ黙って聞いているばかりだった。どうやら鳥使い達を前に、ひどく戸惑っているようだ。
「まずはあなたにお礼を言わなければならないわね。ほら、見て」
話し掛けながらカーネリアは、少女に孵化の迫った卵を指し示す。途端に、少女の顔が困惑の表情になった。孵化が始まった事にとまどっているらしい。
「心配しないで、モリオン。無事雛が生まれそうね。卵を守ってくれて、本当に有難う」
まだ自分の名前を言ってないのに名前を呼ばれて少女はさらに困惑したようだ。しかしカーネリアは、困惑する少女に話し続ける。
「私達はね。樹海から盗まれた卵を探して、樹海の周辺をベヌゥと飛び回っていたのです。そしてその途中で貴方が私達の意識に現れた。もっとも、貴方の名前を知るのには時間がかかったけど」
話し終わるとカーネリアは、卵を抱いていた家禽に声を掛け、卵の上に座らせた。その様子を少女は食い入るように見詰める。どうやら鳥使い達の意識に、自分の姿が現れたた事にひどく興味を持ったらしい。
「私も同じです。方達の事を夢で見ていました。これから何故此処に卵があるのかをお話しします」
困惑の表情が消えた少女は鳥使い達に、盗まれベヌゥの卵をジェイドから託されたいきさつやその卵をどのようにして家禽の小屋に持って来たのかを、静かに話し始めた。