訳あり社長と訳あり同居で子育て頑張ります!

何事もなかったかのようにリビングでテレビを見始める柴原さん。動揺してるのは私だけのようだ。

未だバクバクしている心臓を落ち着かせるため、私は明日の準備を始めた。お米を研ぎながら、柴原さんの後ろ姿を盗み見る。

柴原さんは姉に恋愛感情はないと言った。
情だと言った。
だけどすずは紛れもなく二人の子で、責任のためかもしれないけれど結婚もしている。
だからそこにはやっぱり情以外にちゃんと愛情もあると思う。

そんな柴原さんを私はいつの間にか好きになってしまったようだ。

一緒に住んで一緒にすずを育てている。

私も柴原さんに情がわいただけじゃないの?
好きだという気持ちは勘違いじゃない?
そう、いわゆる吊り橋効果ってやつ。

でも柴原さんは私を好きだと言った。
柴原さんこそ吊り橋効果にやられてるんじゃない?それこそ情がわいたと思うんだけど。

それに、その想いに応えてしまったら私は罪悪感に苛まれる気がする。
ていうか、不倫だ。

それはやっぱり、ダメでしょう?
私が一人自問自答していると、ふいに柴原さんが振り向く。

「美咲もおいでよ。たまには映画でも見る?」

「明日も仕事なのに、そんなの見てる余裕ないでしょ」

「ははっ。そうだよね」

でも呼ばれたので私はおずおずと隣に座った。
見ていたのは録画していた子育ての番組だった。

「こんなの録画していたんだ」

「今度子供用のアプリでも開発しようかな?」

「もうアプリよりAIとかIoTの時代じゃないの?」

「美咲は先見の明があるね。うちの会社で働く?」

言われて、あの綺麗なオフィスを思い出す。
と同時に、あの美人さんたちに囲まれている柴原さんを想像してモヤっとなった。

「柴原さんの会社、綺麗な人が多いよね。柴原さんって面食いなの?あんなとこで働くには勇気がいるよ」

嫌味ったらしく言ってやったのに、柴原さんは私の髪を撫でながら、

「美咲が一番可愛いよ」

と爽やかに言い放った。

「……この番組、なんか、勉強になるね」

「ああ、無視された」

私のツンツンした態度にも楽しそうに柔らかく笑う。ウズウズと嬉しさが込み上げてしまい、私はごまかすようにテレビの画面を見つめた。

「美咲はツンデレだね」

「~~~っっっ!」

言い返す間もなくそっと手が重ねられる。
温かくて心がほわほわして、しばらくそのまま手を繋いでテレビを見た。
何だかずっと、この生活が続いて行くんじゃないかと錯覚を覚えた頃だった。

いよいよ姉が上手くしゃべれないどころかほとんど寝たきり状態になったのだ。といっても意思はあるようで、何かしら伝えようとしてくる。手も動かすがその動きはとても心もとない。少し震えていて、見ているこちらの胸が痛む。
滑舌が上手くいかなくてあうあう言ってて何だかわからないけど、美咲と呼んでいるのはわかった。

「なあに?どうしたの?」

私は姉の口元に耳を近づけた。

「……あ、い、あ、お」

小さくて消えてしまいそうで、すずの言葉よりも聞き取りが難しかったけれど、確実にそれは「ありがとう」と言っていた。

「……私のお姉ちゃんなんだから、あたりまえのことしてるだけでしょ。気にしないで」

そうは言っても私の胸はぎゅうぎゅうと締めつけられる。同時に目頭が熱くなったけど、必死に堪えた。泣くところではない。姉はこんなにも頑張っているのだから。

すずは一人とりとめのない話をして、ママが相槌を打たなくてもまったくめげない。
姉は、私とすずのやり取りをぼんやりと見ているようなそうでもないような、そんな不思議な時間を過ごしていた。

柴原さんが顔を出し、院内に蛍の光も流れ出した。面会時間の終わりだ。

「さあ、もう寝なよー。また明日来るからね」

「ママ、おやちゅみー。バイバイ、たーっち!」

姉は私たちをぼーっと見ているだけ。
いつものように私たちは病室を後にした。

それが最後になるとは思ってもみなかった。
翌朝、出勤しようと玄関で靴を履いていると、リビングから柴原さんが慌てて出てきた。

「待って美咲、病院から電話だ。もう危ないからすぐに来てくれって」

ちょうどすずも保育園に行く準備はできていたので、そのまま三人、すぐに柴原さんの車で病院へ向かった。

病室の扉を開けると、昨日まではなかった酸素マスクと心電図を付けた姉がベッドに横たわっていて、ずいぶんと物々しい雰囲気になっていた。

「ぜひ声をかけてあげてください」

看護師さんが私たちに気づくと、すっとベッドの横を空けてくれる。

「お姉ちゃん!」

「有紗」

呼び掛けに、まったく反応はない。

「すず、ママって言ってあげて」

「ねえね、だっこして。だっこ、だっこ」

すずは理解していないのか、しきりに抱っこを要求してくる。だけど視線はママの方に向けている。
理解していないわけじゃない。
きっとすずなりに、何か考えているのだろう。


心電図がピーと一直線になった。


三人でお姉ちゃんを看取った瞬間だ。
ようやくすずがママと小さい声を発した。
私はすずを抱っこしたまま、きつく抱きしめた。

人の命は儚い。
儚いのだ。
姉の顔はとても綺麗だった。

「有紗お疲れ様。よく頑張ったね」

柴原さんが小さく声をかける。
とても優しい声だった。

私は姉に声をかけることもできず、それをぼんやりと眺めていた。

覚悟はしていたから大丈夫だと思った。
時間はあったから、ちゃんといろいろ伝えられたと思っていた。
だけどいざこの瞬間を迎えると、これでよかったのだろうかと後悔の念がわきでてくる。

もっと仲良くできたかもしれないのに。
もっと優しくできたかもしれないのに。

だけど、満足する答えは出ないのかもしれない。心にぽっかり空いてしまった穴は、私を別世界へ引きずり込むかのようだった。

呆然と立ち尽くす私の肩を、柴原さんはしっかりと抱き抱えてくれた。すずごと引き寄せる。何も言わないけれど、ただしっかりと。

それがどれほど頼もしくて仕方がないか。
どれほど心の支えになったか。

病室には穏やかな風が流れ、この時ばかりは時間の流れがとてもゆっくりに感じた。
***

すずはママが死んでしまったことを分かっているのかどうなのか、お通夜もお葬式もただただお利口さんにしていた。
もうすぐ三歳。
一時また夜泣きが酷くなった。
それなりに何かを感じ取っているのだろうか。
対応するこちらの気が滅入りそうだったけど、きっとすずはすずで頑張っているに違いない。

それに、子供ってすごい。
もう今は大笑いしながらパパと遊んでいるのだから。

「すず、りんごは英語で何て言う?」

「んーとねぇ、あっぽろ!」

「おお、すごい!じゃあレモンは?」

「ぴーちっ!」

「それは桃だよ。レモンはレモンだよ」

「えー?なんでー?あっぽろ?」

おままごと用のりんごとレモンを手に取りながら、すずが首を傾げる。

「すずねー、たまごすきー。たまごぱっかんしたい。ねえねもいっしょにやろー」

「はいはい」

すずの小さくて可愛い手が私の指を掴む。

いつか柴原さんが言っていた。

───すず可愛いなぁ。すずがいると癒される。

本当にそうだと思う。
私もすずの笑顔を見て癒されている。

「ねえねー」

呼んでくる声も可愛くてたまらない。
私たちは変わらず三人で暮らしている。

毎日のどたばたも変わらず、仕事をしてお迎えに行ってご飯を作って食べさせて、お風呂に入れて。
本当にやることがたくさんで大変だ。

それに語彙も増えて主張もしっかりしてくるようになったすずに、時にはむかついたり怒ったりケンカしたりと一丁前に女同士のバトルを繰り返している。そしてその度に柴原さんに諌められたりと、本当に怒涛の日々を送っている。

ていうか、柴原さんが優男すぎて私だけが怒っていることに若干苛立ちを覚えたけど、柴原さん曰くそれでいいらしい。

「美咲、叱る時はちゃんと逃げ道を作っておくべきだよ。美咲が叱るなら俺は逃げ道になるから」

なんて優しく諭されてしまっておずおずと引き下がった自分がいる。優男なんだけどちゃんと考えているのかな、私が怒りすぎてるだけかなと反省もしたりするけど、どうなんだろう。

「美咲ってもう立派なママだよね」

「それは褒め言葉として受け取っていいの?」

「もちろん」

柴原さんは笑うけど、私の心は複雑だ。
だってやっぱりすずの中でママはママでしかありえないだろうし、私はねえねだし。
それになんといっても結婚も出産もしてないのに“立派なママ”って、いろいろ飛び越えすぎてため息が出てしまう。
今日は珍しくすずがお風呂の前にリビングでゴロゴロしながらそのまま寝てしまった。
保育園でいっぱい遊んで疲れたのだろうか。
それともお腹がいっぱいになって寝てしまったのだろうか。

「すずー、お風呂入ろうよー」

ほっぺをツンツンしても全然起きる気配がない。
よだれを垂らした無防備な寝顔に思わず笑みがこぼれる。

ぷっくりとしたほっぺ。
細くて柔らかな髪の毛。

子供って可愛いものだったんだな。
すずを育てていなかったら知らなかったことだ。

思えばなしくずし的に育てることになったすず。
何で私がと思いながらも、気づけばこんなに大切な存在になるなんて思ってもみなかった。
愛しくてたまらない。

それに、柴原さんのことも。

こんな風に分かり合えるなんて、誰が想像しただろう。
あの冷徹非情な柴原さんが、だよ。

私は出会った時の頃を思い出してひとりクスクスと笑った。
「ねえすず、ねえねじゃなくてママになってもいい?」

寝ているすずにそっと聞いてみるが、返事をすることはない。
私は「なんてね」と笑った。

直後に背後からゴフッという咳き込んだ音が聞こえて、私は慌てて振り返る。
そこには口元に手をあてて真っ赤になっている柴原さんが立っていた。

「え、ちょっ、えっ、いつ帰ってきたの?!」

「いや、ちょうど今だけど。それより美咲、今の言葉は……」

「き、聞いてた?!」

「俺と結婚してくれるって思っていいんだよね?」

「い、いや、そういう意味で言った訳じゃなくて。だってねぇ、そんないきなり結婚とかはないでしょ?うん、ないよ。すずだってびっくりよ」

しどろもどろになりながら必死に弁解する。

「段階踏んだらいいってこと?」

「段階?」

柴原さんは突然私の前に膝まづくと、手を取って言った。

「美咲が好きだ。付き合ってください」

そして手の甲にキスをする。
とたんに私の頬は熱を帯び、頭から湯気が出そうになった。

どこの王子様だよ。
破壊力半端ないんですけど。

私は卒倒しそうになるのを必死で堪え、小さく頷くので精一杯だった。