真っ赤なシャワーを浴びたように、全身赤く染まった緑沢が、さっきまで人間だっただろう肉塊(にくかい)を持って、話している。
「ド派手におでましだなぁ。この国だと人殺しは罪になるって知らねぇのか? ゴミ野郎が」
「知ってることとやらねぇことは別だ。やれるから、やった。てめぇも同じようになる覚悟ができたか?」
 手の関節を鳴らしながら近づいてくる。覚悟か、それはお互い様だぜ。こいつは、魔力を使えるだけだ。ただ、暴力的なほど純粋な魔力は、コントロールできていないことがメリットになっている。限界を知らないからこそ、許容量を大幅に超えた、百二十パーセントくらいの魔力を(まと)わせている。肉体の強靭(きょうじん)さで無理やり保ってんだろうが、そう長くは続かねぇはずだ。逃げ回って……。
「鉄!! 勝って!!」
河川敷の上から、聞きなれた声がする。結城……。わざわざ授業を抜け出してまで、応援に来てくれたのか。少しにやけてしまうな。こんな状況、笑える場面じゃないはずなのに、負ける気がしねぇ。
「任せとけ、こんなやつに負けるくらいなら、『喧嘩屋・鉄』名乗ってねぇよ!!」
 思考回路をリセット、逃げ回るなんて(おとこ)らしくない選択、切り捨てろ。喧嘩はターン制バトルだ。一撃貰って、一撃返す。先に倒れた方の負け。シンプルイズベストで、漢は何十年、何百年前からこのルールに縛られ続けてきた。俺は漢だ。女に、好きな人に、結城に、ダサいところは見せられねぇな!
「『壊し屋・雅』、俺の名前だ、覚えとけ」
 自己紹介と同時に、拳が飛んでくる。相手の力量を測るために、一発目は躱さない。両腕を顔の前に壁のように構えて、気合いを入れる。肌に触れた感覚と同時に、車に()かれたような衝撃が襲ってくる。地面から足が離れて、一気に吹き飛ぶ。腕がビリビリしびれて、動かない。なすすべなく、背中から地面に着地する。肺にあった空気が絞り出されて、声にならない声だけが口から抜けていく。
「ぐぇ……、やるな、つえぇよお前」
 立ち上がりながら、見栄をはる。こいつは強いなんてもんじゃない。ただ、攻撃だけなら俺も負けてない。拳を強く握りこんで、血液の流れを操作するような感覚で、右腕に集中させる。緑沢は、堂々と仁王立ちをしている。こいつも漢だ。原始のルールを本能的に覚えてやがる。
 走って、緑沢に近づく。こいつ、本当に防御しないつもりか? がら空きの腹に、完璧な速度とタイミングで、全力の一撃を叩きこむ。肉にめり込む感覚、夢魔とばっかり戦っていたから、久しく味わうことのなかった感覚。だが、緑沢は地面に根を張ったように動かない。
「ふぅぅぅううう、良い、拳だな」
「……そりゃどうも、だったら倒れな」
「そうはいかねぇ。俺は達磨(だるま)じゃないんでな、一度倒れたらおしまいだ。だから、倒れるより先に、お前を地面にめり込ませる」
 強い信念にあてられて、すくんでしまう。女のために戦っている俺はこいつに勝てるほどの強さがあるんだろうか。ただ、俺は達磨だ。何度殴られて、泥臭くても立ち上がる。それが、「喧嘩屋・鉄」の戦い方だ。
 両手を組んで、上から下に力任せに叩きつけてくる。ブロックはしたものの、ダメージをすべて逃がすことはできない。腰、ひざ、足首と、少しずつ曲げてバネの要領で緩和(かんわ)するが、それでも地面がへこむくらいの衝撃が、全身にのしかかってくる。めり込ませる、って言って、本当にめり込むような攻撃してくるとは思わねぇだろ。何とか魔力のおかげで立っていられるが、生身で受けた他の不良どものことを考えると、かわいそうになってくるな。
 次は俺の番だ。叩きつけられた衝撃を緩和しようと曲げた関節を伸ばす勢いで、アッパーカットを決める。こんな大技、普通の喧嘩じゃ使えない。だが、これは普通じゃないんだよな。こっちの攻撃を正面から受けて立ってくれる相手だと、敬意を表しての一撃だ。(あご)の骨にぶち当たる感触、硬い。食いしばる歯の力が感じられる。それでも不動。一応、急所のはずなんだけどなぁ。
 結城は、不安そうな面持ちでこっちを見ている。(はた)から見れば俺はボロ負けだから、不安になる気持ちも分かる。でもな、きれいなだけで喧嘩には勝てねぇんだよ。ボコボコにされても、最後に立ってた方の勝ち。漢の価値はそこにしかない。
「鉄……! 頑張れ!」
 結城の応援は、魔力よりもよっぽど力をくれる。踏ん張って、次の攻撃に備える。ただ、もう食らえない。さすがに腕が持たない。緑沢には悪いが、受け流して、カウンターだ。狙うは眉間。拳は、握りしめた状態から中指の第二関節を出す「竜頭拳(りゅうとうけん)」にして、急所に力を集中させる。脳の筋トレなんてできないはずだ、気合いで耐えられるか、緑沢よ。
 目に魔力を集中させれば、相手の力の流れが見える。筋肉の収縮から動きが読める。右フック、からの回し蹴り。フェイントまで読めた、完璧だ。
 右フック、頭を引いて躱すと、目の前の空間を削り取るような勢いで、肌色の物体が通り過ぎる。躱されるのは読んでいたと言うように、にやりと笑う。それすら読んでいる俺は、にやりと笑い返す。魔力訓練の成果だぜ、ありがとよ、結城。右フックの勢いを殺さず、腰の(ひね)りを利用して、左足のかかとで回し蹴りを繰り出してくる。しゃがんで、頭の上を通り過ぎる足をやり過ごす。全部食らった上で勝つっていうなら、やってみろ。緑沢、お前の気合いを見せてもらうぞ。正面に戻ってくる顔面だけをロックオンする。眉間に風穴を開けてやる。
 立てた中指にすべてを注ぐ。体勢が元に戻るよりも先に、眉間を打ち抜く。なぜ読まれた? とでも言いたげな間抜けな顔だな、似合ってるぜ、緑沢。黒目が上に回って、空いた口が塞がらないまま、地面に倒れ伏す。眉間の骨が砕けるほどの威力、自分の中指を見ると、そこからも血が垂れている。指の骨を砕かれたか。頭突きで相殺(そうさい)しようとしたみたいだが、魔力の操作を覚えていなかったのが敗因だな。眉間に防御用魔力を集中させていれば、まだチャンスがあっただろうよ。最後まで漢らしいやつだった。
「結城、勝ったぞ、俺の勝ちだ、最後に立ってるのは、俺だ!!!」
 砕けた中指と人差し指で、勝利のVサインを見せる。口からも血が出ていて、あばらも折れているかもしれない。ひざの皿にもヒビが入っているかもな、かなり動きにくい。アドレナリンが切れたときの痛みを覚悟しておかなければならないな。
「お疲れ、骨は治せないけど、口の中くらいは治してあげる。でも、私がついてきた理由はそれじゃないの。ここからが一番大きな仕事だよ」
「悪ぃな、もう倒れこみてぇくらいだ。こっからが一番大きな仕事ってのはどういうことだ? まさか、こいつを殺すとか言わねぇだろうな? それだけはさせねぇぞ、喧嘩した相手の命まで奪うのは俺のポリシーに反する」
「安心して、そうじゃないから。この人、どうやら夢魔に寄生されてるみたいなの。だから、今から夢の中にいる夢魔のところに行くよ」
 おいおい、ついに夢の中に入るのかよ。話だけだと、夢の中にいる夢魔の方が弱いらしいから、俺が行く必要はないんじゃないか? それに、男が行く方が危険だとか言われたが……。
「俺が行って大丈夫か? 何か、俺が行かなければいけない理由があるのか?」
「今回の夢魔は特殊で、狡猾。現実に出てこられるくらいの力をつけているのに、出てこずに、宿主に魔力を与えて操作している。新種の寄生型夢魔ってところね」
 なるほどな。夢の中にいるにも関わらず、力は現実にいる夢魔と同じかそれ以上ってことか。どんな見た目をしているか分からないが、一人では厳しそうだ。俺が頑張るべきは、夢魔の魅了の呪いにかからないようにしなければいけないってところだな。そして、もう一つ問題がある。
「どうやって夢の中に入るんだ? そんな方法、教えてもらってないぞ」
「当然、意識をなくすしかないでしょ」
 やけに良い笑顔を浮かべながら、どこから出したのか、金色の杖を持っている。そういうことだよなぁ。
「痛くは、しないでくれよな」
 結城が(うなず)いたのが見えたような気がした、次の瞬間には世界が高速で回転して、意識が暗転した。