両親とも医者だったために、中学生に入ったころから家の食事の準備は度々秋帆が担当するようになっていた。春奈がいなくなった今では、秋帆が家で父の岳彦の帰りを夕食を作って待つということがほとんどになった。

「ただいま」

 玄関から岳彦の声が聞こえる。

「おかえりなさい」

 病院勤務だったころに比べると、自分の医院を開業してからは夜勤がなくなったこともあり家族の時間が増えた。以前はそのことをもっと喜んでいた秋帆だが、今は春奈がいないことによる心の中の空間のほうが気になってしまう。

「おー、今日はカレーか」

 カレーは岳彦の好物だ。

 秋帆は二つの皿にカレーを盛りつけ、テーブルに並べる。

「たくさん食べて。少なめに作ったつもりなんだけど、二人にはやっぱりちょっと多かったみたい」

 秋帆はそう言って笑う。取り繕うのがうまくなるのと、寂しさを忘れるの、どちらが先になるだろうかと、ふと思う。

 食事をしながら今日あったことなどを話すのがいつもの夕食だったが、二人になってからは会話の間に入ってくる沈黙が変に気まずくて、テレビをつけて食事をするようになった。岳彦はそのことについて特に触れず、黙って受け入れた。

 そして今日は、特に会話が少ない。テレビで陽気にやり取りをする芸人と司会者の声がリビングからやけに浮いていた。

 秋帆は今日あったことを岳彦に相談しようか悩む。自分と同じ眼を持つ二人組。魔眼という名称とその取扱いについて。岳彦は秋帆が生まれる前から春奈が特殊な眼を持っていることを知っていた。秋帆が春奈の眼を受け継ぐことになる時も相談をした。

 岳彦は普通のサラリーマンの家庭の出身だ。医師という職業に誇りを持ち、同じ医師である春奈がその瞳を患者のために使うということにも理解を示していたが、娘の秋帆が春奈の眼を継ぐことには内心反対していた。親心というものだろう、できることなら危険など冒さずに平凡に幸せを手に入れてほしいという気持ちがあったのだ。それでも、自分も医師になって母の眼と意志を受け継いでいきたいと娘に言われると、岳彦は反対できなかった。

 口数が少ない分、いつもより早めに食事が終わる。だが、秋帆の皿はまだ半分ほどしか減っていなかった。

「何か、あったか?」

 岳彦が聞く。秋帆は、ちょっとね、と言って胡麻化そうとしたがが、自分でも不自然だと思ったのだろう、すぐに困ったように笑う。

「隠し事するの、下手だね、私。こんなんで大丈夫なのかな?」

 その言葉を聞いて、岳彦はなんとなく眼のことだと察しがついたようだった。

「眼のことでなにか、あったのか」

 秋帆はスプーンを置いて考え込む。話したくはない。話すつもりはない。今日会って分かった。二人は自分と同じように、いや自分以上に自身の眼のことを他人に知られたくないと思っている。だが、目の前の父の姿に、少しだけその決意が揺らいでしまう。

母がいなくなって悲しいのは自分よりも父のほうかもしれない。だが、父はほとんどそういった様子を見せたことがない。そんな父なのに、今はいつになく自信なさげで頼りない。やっぱり自分じゃ母のように娘から信頼してもらえないんじゃないか、などと考えているのだとしたら、あまりにも申し訳ない気分になる。

「大丈夫だよ。お母さんとだってずっと秘密を守ってきたんだ。口は固い自信がある。だから、教えてほしい。その眼のことじゃないならいいんだ。でも、眼のことについては、お父さんにまで秘密はやめてほしい」

 言うつもりはなかった。言うつもりはなかったのに、いつの間にか呟いてしまっていた。

「会ったの……」

「会った?誰とだ」

 一言口に出してしまうと、もう自分の心の中に留めておくことは難しかった。どうしてこうなのだろう。最近目の前のことばかり優先しているような気がする。自分で自分が嫌になる。

 せめて二人に関する情報は口に出すまいと思い、出会った二人がどこのどんな人間で、どんな能力の眼を持っているのかといったことは口にしなかった。最初はそのことを不安そうにしていた岳彦も、二人も平穏を望んでいる人間だから、ということを説明すると、渋々と納得したようだった。

 ただ、一つだけ父に確認しておきたいこと、父に肯定してほしいことがあった。あの時は自分が正しいと思ったけれど、否定されて揺らいでいたこと。

「実はね、その人たちは私たちの眼のこと魔眼って呼ぶの。悪魔の眼って書いて魔眼。持ち主にも、周囲の人にも不幸が訪れるから、魔眼。だからその二人は自分たちの魔眼のことを他人に知られないようにしているし、私にも絶対にバレないようにしろって言うの。ねえお父さん。確かに悪戯に使うのは私も反対だけど、私の眼って本当に自分や周囲の人を不幸にしてしまうのかな?」

 その言葉に対する岳彦の反応は、秋帆の期待していたとおりのものだった。岳彦は首を振った。

「いいや。確かに使い方を間違えれば人を不幸にするとは思うけれど、必ず不幸になるとは思わないな。刃物やダイナマイトと同じ、大事なのは使い方だ。お母さんは秋帆と同じ眼を持っていたけれど、周囲の人を不幸にさせたりはしなかった。患者さんだってお母さんの治療を受けたら痛みが楽になったって言って喜んでくれたし、何より僕と秋帆はお母さんと一緒にいた幸せだった。そうだろう?」

 秋帆はほっとした。自分の考えに岳彦が賛同してくれたことが嬉しかったし、岳彦の言葉は自分の眼についての不安を和らげるのに十分な説得力を持っていた。そう、秋帆は春奈といて幸せだった。そのことは揺るがない事実だ。

「でも、眼のことは他人に知られないようにしたほうがいいっていうのはお父さんもそう思う。お母さんは医者だったから怪しまれることなく使えたけど、今の秋帆が使うと今回のように不思議に思う人がでるだろう。眼の力は、秋帆が医者になって患者さんに治療ができるようになるまでは使わないほうがいいな」

 その言葉に秋帆は素直に頷く。岳彦は優しく微笑んだ。娘のことを心から思う、まさに父親の眼だった。