「カワオヌさん、隠れて」
「誰か来たようです」
 兄弟が揃って言うが、乃里の耳には何も聞こえない。
さすが猫だ。
 カワオヌは体に似合わぬ速さで身をひるがえすと、社の後ろに移動していった。それから数分して、階段を上ってきたのは吉野夫妻と、数人の老人だった。
「吉野さん!」
「どうもね~。準備手伝おうと思って。もうちょっとしたら皆来ると思うから」
「ありがとうございます」
 聞けば村長と重役の人達だという。
 村の最後の日まで、見守るのはカワオヌさんだけじゃないんだ。
 その土地に根付き生活してきた、生きてきた人たちの思いは、どこへいくのだろう。カワオヌも。乃里にはわからなかった。
 砂利を避け、芝生の上にブルーシートを敷く。長机をこの字に並べ、ペットボトルのお茶も準備する。来るのは二十人ほどだという話なので、これぐらいのスペースがあればじゅうぶんだろう。
 乃里が立ち上がったとき、どこからか音楽が聞こえてくる。
「おや、演歌ですね」
 萩も音がする方向を見る。誰かが音楽プレイヤーを持ってきているらしい。
「CDあっからよ。無音だと寂しいべ」
 いいぞいいぞと声が上がる。お祭りにはお囃子だと思うのだが、村の人が演歌でいいならいいのだろう。
 音楽が流れる中、準備を続ける。そして気付けば人も多くなっている。しろがねで準備したのはお茶だが、ビールを持ち込んでいる人もいて、すでに飲み始めていた。
「村長さん。そろそろ、始めましょうか。皆さまお腹も空いていらっしゃるみたいですし」
「そうですな……」
 こほん、とひとつ咳ばらいをした吉野の夫である吉野村長が「皆さん」と声をかけた。マイクもないし演壇もない、アットホームで手作りの収穫祭だ。
「今日は、縁がありましてしろがねという料亭の料理人さんたちが協力してくださいまして、紅首村の食材を使った収穫祭を開催することになりました!」
 集まった人たちは、テーブルについたり立ったままビールを飲んだりしながら、村長の話を聞いている。しろがねは料亭ではないのだけれど、乃里は思ったけれど笑顔で拍手をした。
「料理の説明など兼ねて、料理人の佐々野さんから少しお話を」
「あ、僕ですか?」
 吉野村長に視線を向けられた萩。料理の説明はしろがねメンバーの中で一番適任である。萩は簡単な自己紹介のあと、話し始めた。
「ダム建設計画で村がなくなると聞きまして、この収穫祭を思いつきました。ここはカワオヌという鬼の伝承も残り、カワオヌ神社のお祭りとして開催したらどうかと、吉野村長に相談しました」
 強行開催にも関わらず、人が集まってくれてよかったと思う。弁当も間に合って、天気もいい。最高だ。
「ひとつの、いい思い出として皆様の心に残れば、幸いです」
 萩はそう締めくくった。
「皆さまのところにございます、お弁当、どうぞ、召し上がってください。食べながらいただけると嬉しいです。右上から説明しますと」
 すっと入ってきた牡丹がよく通る声で続けた。人懐こい笑顔は老人たちも笑顔にするようだ。
「これ、うちの茶豆だか」
「そうです。混ぜご飯にし、握り飯としました」
「このさつま揚げ、まずうめぇな! ビールに合うぞ」
「この大根、うちのだ」
「ずんだあえの味付け教えてけろな」
 次々に声が上がる。美味しい、これはいい、作り方を教えてほしいと、あちこちから萩と牡丹に声がかかる。
 美味しいという声を笑い声。境内に響く演歌。笑顔があちこちにポンポンと咲いていく。
「お姉ちゃん、このずんだ餅、美味しいわねぇ」
 乃里がお茶を注ぎに行くと、白髪の婦人に声をかけられた。吉野と同じくらいの歳だろうか。ふくよかで細い目の笑顔がとても優しそう。
「よかったです! 味が濃くてとても美味しい茶豆ですよね」
「プリンも美味しい。こんなに美味しいもの、おら食べたの初めてだよ」
「お口に合って良かったです」
「カワオヌ様のお陰で、こんなうまいもん食べられるんだからな」
 そうだなと同意の声が隣や向かいからあがる。
「こんな風に、笑顔が溢れていたらカワオヌ様も楽しいでしょうね」
 カワオヌには、聞こえているかな。みんなの笑顔、見えているかな。
「村は無くなるけど、カワオヌ様に感謝しながら生きていくよ、みんな」
 ずんだ餅を食べ終わると、白髪の婦人は弁当を開けて感嘆の声を上げた。甘いものを先に食べるタイプだったらしい。
 乃里は、お茶を持って吉野のところへいった。
「吉野さん、お疲れ様でした」
 隣の吉野村長はビールを飲んで男性陣でワイワイと話している。
「乃里ちゃん。本当に美味しいわぁ。皆も喜んでるし」
「ほっとしました。わたしが言い出しっぺだったので。準備も萩さんと牡丹さん大変だったと思います」
「乃里ちゃんが言ってくれなかったから、このお祭りはなかったんだから。ありがとうね」
 ありがとうね、の言葉が嬉しい。吉野の笑顔を見ていて、本当にこのお祭りをやって良かったなと思えた。