訛りがきつい。しかし聞き取れないことはない。一応は同じ県内なのだから。
そして、自分はともかく、この兄弟を高校生に仕立てるには無理がある。乃里は咄嗟に吉野に言葉をかける。
「わたしは高校生ですが、ここふたりは、その、兄たちです」
ね、と言うと萩と牡丹が驚いた顔をしている。当たり前か。
「ちょっと乃里ちゃん」
「あ、だって、そのほうが話をしやすいと思って」
旅館の主人たちとアルバイトよりもややこしくないと思ったのだ。
「そうなんですよ。僕たち、妹の夏休みにつきあって……ところで。カワオヌ神社はこの道を真っ直ぐでしたよね?」
こそこそと話をする乃里と牡丹から吉野の気を逸らすべく、萩が助太刀した。
さすが萩。
「んだ、んだ。ここまーっすぐ行くと山さぶつかっから。そうすっと鳥居と長い石段があっから。それもずーっとあがっていくと、開けて境内にはいる。階段はけっこうきついから気をつけて」
「ありがとうございます。吉野さん。ところで、ここの畑はなにを作っているのですか?」
「ああ、このあたりは枝豆だよ。この村は茶豆が名産で一番多いかな」
「おお、茶豆を作ってらっしゃるのですか」
「あっちのほうは大根もあるよ。あとはちょこっと、ピーマンだの茄子だのあるんだよ」
「いろいろ作ってらっしゃるんですね。あ、僕は佐々野 萩といいます。吉野さん、ご迷惑でなければちょっと僕、あのへんを見たいのですが」
「ん? んで、一緒に見に行くかい」
吉野は萩の話に耳を傾けて、ふたりは畑のほうへ歩き出した。
「え、萩さん、ちょっと……」
「始まった。萩の料理オタク」
牡丹が苦笑している。
「料理オタク、ですか」
「食材を見ると気になるんだろうね。畑とかスーパーとか行くとああなる。どんな料理にしていこうとか想像して止まらなくなるみたい。食に対して貪欲なんだな」
いつものことだと牡丹は言った。
「料理人として素晴らしいことじゃないですか。ちょっとびっくりしましたけれど」
「好きにさせるよ。萩も楽しそうだし」
流れるように吉野を畑に誘い出すあたりはコミュニケーション能力抜群ではないか。
興味のあることにあんなに没頭できるのは、凄いし、うらやましくもある。
視界に広がる田畑をぐるりと眺めた。乃里は、なぜ料理人になりたいのかと聞かれたら、料理が好きだからと答える。なぜ料理が好きなのかと聞かれたら、答えがない。
好きだという気持ちに嘘はない。きちんとした答えがあるような、ないような。
いや、答えがないわけではない。あるのに、胸に押し込んでいるだけだ。
隣で「お、バッタだ」としゃがみ込んだ牡丹。
彼も料理人だ。経営もしながら大変だろうけれど。
「牡丹さんは、なぜ旅館を継ごうと思ったんですか? 料理も手掛けて」
乃里が話しかけると、目線が下の牡丹は太陽の眩しさに瞳孔が縦に細くなった。
「調理師免許もお持ちですよね? どうして料理人になろうと思ったんですか?」
「おいおい、いっぺんに質問しないでよ」
「すみません……」
頭を下げると、萩が立ち上がる。
「旅館を継いだことに関しては、居場所が欲しかったから。ふたりで暮らしていく場所。どうしても必要だからね」
「ここへ来る途中、萩さんにおふたりのことを少し聞きました。あの旅館を継いだときのこと、猫又になったこととか」
「ふうん。そっか。萩がそんなこと話すなんて珍しいね」
「あの頃は牡丹さんに心配をかけましたと言っていました」
「心配ね、そうだね。まぁ、旅館を継いだのは本当に居場所の確保。奪ったわけでなく、騙したわけでもない。自分たちで旅館しろがねを住処にしたの。体と魂の在処として、ね」
牡丹は萩の姿を目で追いながら。「ずっと昔のことだよ」と話し始めた。
「俺たち、ちゃんと母猫から生まれたんだよ。色は違うけれどね。生まれてすぐに箱ごと捨てられたみたいで」
両手で物をぽいっと投げ捨てる動作をした萩。
「ああ、最低ですね。人間って」
「本当。人間って。でもね、捨てる神あれば拾う神ありとでもいうのかな。とある人間に拾われたんだ。そしてその一緒に生活するようになった。とても楽しい日々だったよ」
拾ってくれた人間は、男性だったそうだ。その飼い主の男性との日々が愛おしく愛情を抱いていたことは、牡丹の表情を見ればわかった。
「何年一緒にいただろうね。俺たちの猫としての寿命は後半のほうだったのだと思う。若いころのように追いかけっこで走り回ることが少なくなった。飼い主に見せたくて、花を摘みにいったり、ねずみや鳥を捕まえに行ったりすることも減った。俺と萩は、庭が見える場所で、一日中くっついて寝ることが多くなっていた」
牡丹の瞳に影が落ちる。
ある日、牡丹がふと目を覚ますと、萩の姿が見当たらなかった。当時住んでいた家の中を見て回ったが、いない。飼い主は仕事に出かけており不在だった。いつも玄関や窓を閉めていくので外には出られないはずだ。ということは、萩は家の中にいるに違いないのだが。
台所、寝室。ソファの上と下。牡丹は重く感じる体を動かして探した。萩の名を呼んだけれど、返事がない。そのうち牡丹は探すのを諦めて、クッションの上に体を横たえた。
そして、自分はともかく、この兄弟を高校生に仕立てるには無理がある。乃里は咄嗟に吉野に言葉をかける。
「わたしは高校生ですが、ここふたりは、その、兄たちです」
ね、と言うと萩と牡丹が驚いた顔をしている。当たり前か。
「ちょっと乃里ちゃん」
「あ、だって、そのほうが話をしやすいと思って」
旅館の主人たちとアルバイトよりもややこしくないと思ったのだ。
「そうなんですよ。僕たち、妹の夏休みにつきあって……ところで。カワオヌ神社はこの道を真っ直ぐでしたよね?」
こそこそと話をする乃里と牡丹から吉野の気を逸らすべく、萩が助太刀した。
さすが萩。
「んだ、んだ。ここまーっすぐ行くと山さぶつかっから。そうすっと鳥居と長い石段があっから。それもずーっとあがっていくと、開けて境内にはいる。階段はけっこうきついから気をつけて」
「ありがとうございます。吉野さん。ところで、ここの畑はなにを作っているのですか?」
「ああ、このあたりは枝豆だよ。この村は茶豆が名産で一番多いかな」
「おお、茶豆を作ってらっしゃるのですか」
「あっちのほうは大根もあるよ。あとはちょこっと、ピーマンだの茄子だのあるんだよ」
「いろいろ作ってらっしゃるんですね。あ、僕は佐々野 萩といいます。吉野さん、ご迷惑でなければちょっと僕、あのへんを見たいのですが」
「ん? んで、一緒に見に行くかい」
吉野は萩の話に耳を傾けて、ふたりは畑のほうへ歩き出した。
「え、萩さん、ちょっと……」
「始まった。萩の料理オタク」
牡丹が苦笑している。
「料理オタク、ですか」
「食材を見ると気になるんだろうね。畑とかスーパーとか行くとああなる。どんな料理にしていこうとか想像して止まらなくなるみたい。食に対して貪欲なんだな」
いつものことだと牡丹は言った。
「料理人として素晴らしいことじゃないですか。ちょっとびっくりしましたけれど」
「好きにさせるよ。萩も楽しそうだし」
流れるように吉野を畑に誘い出すあたりはコミュニケーション能力抜群ではないか。
興味のあることにあんなに没頭できるのは、凄いし、うらやましくもある。
視界に広がる田畑をぐるりと眺めた。乃里は、なぜ料理人になりたいのかと聞かれたら、料理が好きだからと答える。なぜ料理が好きなのかと聞かれたら、答えがない。
好きだという気持ちに嘘はない。きちんとした答えがあるような、ないような。
いや、答えがないわけではない。あるのに、胸に押し込んでいるだけだ。
隣で「お、バッタだ」としゃがみ込んだ牡丹。
彼も料理人だ。経営もしながら大変だろうけれど。
「牡丹さんは、なぜ旅館を継ごうと思ったんですか? 料理も手掛けて」
乃里が話しかけると、目線が下の牡丹は太陽の眩しさに瞳孔が縦に細くなった。
「調理師免許もお持ちですよね? どうして料理人になろうと思ったんですか?」
「おいおい、いっぺんに質問しないでよ」
「すみません……」
頭を下げると、萩が立ち上がる。
「旅館を継いだことに関しては、居場所が欲しかったから。ふたりで暮らしていく場所。どうしても必要だからね」
「ここへ来る途中、萩さんにおふたりのことを少し聞きました。あの旅館を継いだときのこと、猫又になったこととか」
「ふうん。そっか。萩がそんなこと話すなんて珍しいね」
「あの頃は牡丹さんに心配をかけましたと言っていました」
「心配ね、そうだね。まぁ、旅館を継いだのは本当に居場所の確保。奪ったわけでなく、騙したわけでもない。自分たちで旅館しろがねを住処にしたの。体と魂の在処として、ね」
牡丹は萩の姿を目で追いながら。「ずっと昔のことだよ」と話し始めた。
「俺たち、ちゃんと母猫から生まれたんだよ。色は違うけれどね。生まれてすぐに箱ごと捨てられたみたいで」
両手で物をぽいっと投げ捨てる動作をした萩。
「ああ、最低ですね。人間って」
「本当。人間って。でもね、捨てる神あれば拾う神ありとでもいうのかな。とある人間に拾われたんだ。そしてその一緒に生活するようになった。とても楽しい日々だったよ」
拾ってくれた人間は、男性だったそうだ。その飼い主の男性との日々が愛おしく愛情を抱いていたことは、牡丹の表情を見ればわかった。
「何年一緒にいただろうね。俺たちの猫としての寿命は後半のほうだったのだと思う。若いころのように追いかけっこで走り回ることが少なくなった。飼い主に見せたくて、花を摘みにいったり、ねずみや鳥を捕まえに行ったりすることも減った。俺と萩は、庭が見える場所で、一日中くっついて寝ることが多くなっていた」
牡丹の瞳に影が落ちる。
ある日、牡丹がふと目を覚ますと、萩の姿が見当たらなかった。当時住んでいた家の中を見て回ったが、いない。飼い主は仕事に出かけており不在だった。いつも玄関や窓を閉めていくので外には出られないはずだ。ということは、萩は家の中にいるに違いないのだが。
台所、寝室。ソファの上と下。牡丹は重く感じる体を動かして探した。萩の名を呼んだけれど、返事がない。そのうち牡丹は探すのを諦めて、クッションの上に体を横たえた。