気分転換と言えばいいのだろうか。
スタジオから出たい気持ちはあったけど、迂闊には行動できないのが現状だった。

春茶先生は目が見えない。
あまり慣れない場所だと、誰が側にいないと正直何も出来ないというのが現状だ。

だから栗原先生がスタジオに来たときには、私は出ようと決めていた。
少し一人になりたい気分だったし。

春茶先生と出会って六年近く経つが、春茶先生は未だに私の顔なんて知らない。

そう考えたら、それが少しだけ辛い。
春茶先生と一生こんな関係なのかって思ったら、死ぬほど辛い。

でも多分それは、栗原先生も同じなんじゃないのかな?
二人は幼馴染みだって言っているし。

長い時間を共に過ごしてきたみたいだけど、春茶先生は『栗原先生の顔を知らない』って言っていたし。

でもやっぱり一番辛いのは春茶先生だよね。
一生目が見えないとか、私だったら耐えられないのに。

そんな春茶先生はいきなり世間から姿を眩まし、自身の地元でピアノ教室を開いた。

『茜ちゃんにピアノを教えたかった』って私に言っていたが、それが本心だと私は思わない。

だから、なんで私の指導をしてくれているのかも正直分からないまま。
私が一番尊敬している人物でもあるが、謎の多い人物でもある。

実は私がピアノ始めて間もない中一の時、春茶先生のピアノ教室で生徒である私は全く上達出来なかった。

鍵盤に触れても何がどの音なのか全く分からなかった。

理由としては春茶先生に楽譜を見せても、春茶先生は楽譜を読む事がが出来ないから。

『ここが分からない』と言っても、春茶先生は手本が分からない。

だから教えてくれたとしても、帰ってくるのは先生のアレンジ。
当然私は納得が出来ない。

その時私は思った。『これが春茶先生のやりたかったことなのかな?』って。
何て言うか、例えば『無理矢理誰かにピアニストを引退させられて、無理矢理ピアノ教室の先生を任せられたみたい』だと私は思った。

春茶先生自身も最初はかなり戸惑っていたし。

こんなこと言ったら絶対にダメだと思うけど、『目が見えないのにピアノ指導が出来るのか?』って最初は疑問に思っていたし。

でもそのモヤモヤした気持ちの時に現れたのは、栗原先生という嫌な男の先生だ。

幼い頃、春茶先生と同じ厳しいピアノ教室に通っていたこと。
そして自身も作曲家として活躍しているだけあってか、栗原先生のピアノの実力はかなり凄い。

だから栗原先生が春茶先生と私の中間に入ることによって、生徒である私と先生である春茶先生との問題はすぐに解決した。