「落ち着いて聞いてくれ」
きょとんとする私に、彼は短い付き合いの今までで見たことの無い形相で告げた。
「娘さんが、いなくなった」
【交錯勇者 - 4.時系列変】
「……ぅ、あ……」
ケライノォが気が付くと、いろんな顔が揃っていた。
「ぇ……」
「起きたぞー! 意識が戻った!」
一人として欠けていない、仲の良かった者たちの安堵の表情に、うれしさより先に驚愕が浮かぶ。
「何で! 何でお前らが生きているんだっ?」
寝台の上、丁寧に寝かされていたケライノォは上体を起こして叫ぶ。囲む仲間たちは顔を見合わせた。
「そりゃ、こっちの科白だ。お前、何で生きていたのに帰って来なかったんだ?」
「……は……?」
「それ、どう言うこと……?」
灯子は埜途の発言に驚いていた。話自体、妄言にしか思えないのに、だ。向こうで自分は埜途にプライベートを明かしていて、尚“結婚から五年経っている”と教えたと言う。今の灯子が四年であると言うのに。
苦し紛れに並行世界の灯子なのかと訊けば、埜途は真剣に答えた。
“そうかもしれない。あるいは────”
同意と。
“これから、か”
否定を。問う灯子に埜途は重い口を開いた。
「……たとえば、現在から一年後、あんたは向こうの世界へ呼ばれるのかもしれない」
「何で、おかしいでしょ! だって、冴紀くんは終わって帰って来たんでしょ? だったら向こうではもう終わってるんだから、私が呼ばれることなんて……」
詰め寄る灯子の両腕を掴み埜途は灯子を覗き込んで目線を合わせた。
「俺は、向こうで二年しか過ごしていなかった」
ともすれば、抱き寄せているような至近距離で、埜途が喋る。
「なのに、帰って来たら四年も経っていた。殺したあんたはぴんぴんしていて、けど、あんたは俺のことも、仲間だったケライノォのことも憶えていなかった。隠している訳でも、惚けている訳でもなかった。あんたは、俺たちを、知らなかったんだ」
コレが、何を意味していると思う────息が掛かりそうな近さで埜途の視線が灯子を射抜いて質す。
「時間の流れはおろか、何一つ、時間軸が合っていない。つまり、あの歪みは過去の戦争中に繋がることも在るってことだ」
「……」
埜途は唖然とした灯子の腕を放す。灯子から離れ、距離を取った。
「……向こうのあんたは何も彼も知っているみたいだった。俺が捕虜になったときも、……俺に斬られるときも」
“良いよ”
「あんたは」
“わかってたことだから”
「笑ってたんだ」
“だから、良いよ”
「わかってたから、良いよって、抵抗もせず斬られた」
「そんな……」
埜途の言葉に、再度灯子は項垂れた。埜途も、灯子の様子をしばらく静観して俯いた。
元の世界に戻されたケライノォは、混乱していた。
以前の戦いで死んだはずの仲間と再会し、更に仲間はケライノォのわからないことばかり話すのだ。
「……今は、だって、中心街にまでヤツらが迫っているんだろっ? だったら“勇者様”と捕らえてた『ディオス』の『異人』がいただろっ!」
ケライノォたちにとっての侵略国家『ディオス』。そのシンボルたる『異人』の埜途を捕縛したことで、交渉するつもりだったがヤツらに攻め入る口実を与えてしまった。
コレが、灯子が死に、ケライノォたちマルム────ケライノォたちは自らを『ハエレシス』と呼んだ────の国が滅んだ切っ掛けだった。
だが。
「違うよ、何言ってんだ。ヤツら、召喚した『異人』を攫われ掛けたことを理由に勢い付いて、ここまで攻めて来たんだ」
「第一、ウチは“勇者様”を喚べなかったじゃないか」
ケライノォは頭がおかしくなりそうだった。
“勇者様”がいない? どうして?
少なくとも一年前には寝食を共にし、いっしょに戦った。
「……何で、嘘だ……」
容量オーバーした思考回路に呆然とするケライノォ。仲間たちも目配せして困惑を隠し切れない。
「て、言うかな、ケライノォ。お前が生きていることも俺たち信じられないんだぜ?」
「……ぇ……」
「お前、俺たちの目の前で『ディオス』の『異人』の落雷で打ち落とされたんだ」
「他のハルピィーヤの姉妹と『異人』へ特攻掛けてさ。……ちゃんと、埋葬だってしたんだ……お前も」
「……」
口々にケライノォが倒されたときのことを説明して来る。ケライノォは身に覚えの無い出来事を語られ、当惑し押し黙っていた。そして唐突に。
「……つ」
「え?」
「いつ、私はそうなった……?」
下がっていた目線をケライノォは仲間に向けた。ケライノォの突然の質問に視線を交わして。
「つい……一月前だ。今日で三回目の新月だから……」
ケライノォたち『ハエレシス』では満月新月の周期で月日を計算した。一月……ケライノォは言ちた。
ケライノォは考えていた。ここは、間違い無くケライノォの国だ。日の数え方も合っている。
だのに、逃亡した世界で『ディオス』の『異人』に無理矢理帰還させられたこちらでは、ケライノォの体験していないことが起きていた。
戦争中確かに死んだ仲間は生きており、逆にケライノォが仲間たちの前で命を落としていたと言う。どう言うことだ……? しばしの黙考の末、ケライノォは一つの可能性に気付いた。
「なぁ」
「何だよ、ケライノォ」
「“勇者様”をお迎えに行った者たちはどうした?」
ケライノォたちは『ディオス』のように、歪みに手だけ突っ込んで誰彼構わず否応無く引き込むのでは無く、礼を以て説得するため自分たちが直接赴いて連れて来る方法を取っていた。自分たち『ハエレシス』は野蛮な『ディオス』とは違うと言う思いと、単純に『ディオス』のやり方に嫌悪を抱いているためだ。
「何言ってるんだよ。第一陣を含めて、みんな帰って来ていないじゃないか」
「……!」
「誰一人、こっちには戻らなかった。だから、俺たちは『ディオス』の『異人』を誘拐しようとしたんじゃないか。士気を殺ごうとして」
そこは同じだ……訂正するところが在るとすれば、作戦は誘拐ではなく“救出”の名目だった。“勇者様”の意向で。ケライノォは黙って聞き入る。
「まぁ、結局失敗したんだけどな」
ここは違う……あのときは、“勇者様”が、『異人』が一人になったところを話し掛けたはず、とケライノォは記憶を浚う。
「そのときの編成にお前が入っていたんじゃないか……大丈夫か?」
ここも記憶と同じだった。て言うことは……。ケライノォは察する。
“勇者様”がいない。この一点が相違点だ。
“勇者様”を呼べなかった。正確には招聘することが出来なかった。
ケライノォの記憶では、“勇者様”は、────“トーコ様”は、招聘に応じて来てくれて、共に戦ってくれた。
……じゃあ、今、トーコ様は?
「まさか」
敗戦し、蹂躙されるだけの身に落ちたことで別世界へ逃げ延びようとした。
しかし逃げた先では“勇者様”がいて、『異人』もいて。
ケライノォが戻された世界は記憶と異なっていて。
「まさか……こんなことって……」
ケライノォもようやく察した。
「────おい!」
「な、何だよ」
「複数で次元移動出来るヤツを連れて来い! すぐに向かうぞ!」
バサリと掛かっていた上掛けを捲り寝台から降りるケライノォを訳もわからず仲間たちは目を白黒させた。
「敵が攻めている現状で急に何言ってるんだ! だいたい、その状態でお前何する気だよ!」
「そうだよ、体の傷は塞がってるけど、魔生器官を抜かれているんだから無茶したら駄目だって」
“魔生器官”。『ディオス』の人間に無く、『ハエレシス』の民のみが持つ魔力生成器官である。『異人』こと埜途に体を貫かれた際、ついでに抜かれたのだろう。
良く生きていたものだと、新しい外套を羽織りながらケライノォは思い、即、頭を切り替える。
「“勇者様”を……トーコ様を迎えに行く!」
一方、灯子と埜途は沈黙が支配していた。
それはそうだろう。平穏な日常で突如奇妙なことに巻き込まれたのだ。まともに受け止められるほうがどうかしている。埜途も、百も承知だった。
「……。ともかく、だ」
「……」
埜途の一声に、途方に暮れていた灯子が床を這っていた目線を上げた。
「あんたがこっちで生きているなら、事は簡単だ。あんたを連れて行かせなければ良い。そうしたら、あんたは死なない」
「……」
「今度は、守る。絶対に。俺が。今度こそ」
誰にも、あんたを殺させない────いっそ怖いくらいの直向な瞳だった。
「光元先生!」
二人の間を割って入る叫びが扉が勢い良く開く音と飛び込んで来たのはこのときだった。
元より離れていた二人は別段慌てることも無く乱入した人物を見詰める。
乱入したのは、ケライノォに飛ばされた生徒を庇って壁にぶつかり入院したものの、命に別状も無く生活に支障を来たすことも無く現場復帰していた数学教師、新井だった。
「どうか、されたんですか?」
慌てて来た新井は室内の埜途へ一瞬逡巡する様子を見せたけれど、即座に思い直したらしい。灯子に足早に近付き声を潜めた。
「落ち着いて聞いてくれ」
きょとんとする灯子に、彼は短い付き合いの今までで見たことの無い形相で告げた。
「娘さんが、いなくなった」