よく知った声が響いた。瞬間、バサバサバサ! となにかが大量に体にまとわりつく。
急に体が軽くなる。覆い被さっていた若林くんの姿がない。早く離れて! という声で顔を上げると、そこには真っ白な鳥のようなものが飛び交う中たたずむ和服姿。長い黒髪がゆらりとなびき、その手には白い板(?)が握られている。
鳥のようなモノは、白く短いひもがヒラヒラと付いた、紙でできた人形……幼い頃、沙羅の術で見たアレだ。私から若林くんをひっぺがしてくれたのだ。
「僕がいなくなっちゃえば、簡単に手込めに出来るとでも思った?」
いつも通りの軽い言葉のはずなのに、そこには隠しきれない怒気が込められている。
「――さ、ら」
仁藤沙羅がそこに居た。私をかばうようにしっかり立つ彼は、顔だけ振り向かせてにっこりと笑う。
「僕が来たから大丈夫だよ、蓮菜ちゃん。――さて、さっさと片をつけますか『ヤマコ』さん?」
沙羅が向けた先には、紫の妖しいオーラを纏った若林くんの姿。オーラはやがて、猿のような化け物に形を変え、同時にドサリ、となにかが倒れた音がする。見れば、足元には若林くんが倒れていた。ど、どういうこと?
「お前はあのときのうさんくさい女顔男。正体を見破ったということは、貴様、陰陽師か」
「正解。美濃の山を管理している方から依頼があってね。その昔、悪さをしたヤマコという猿の物の怪を封印したはずの祠が壊れている、と。……ここからは憶測だけど、最近、大学生が美濃の山に入って祠を壊し、猿に襲われる動画がアップロードされてる。その『猿』とは、貴方のことでは?」
もしかして、若林くんのバズった動画のこと? 襲ってた猿がこの化け物もとい、ヤマコっていう妖怪だってこと?
沙羅の説明に、ヤマコは「バレちゃあ仕方ねえな」と悪びれもなく言った。
「馬鹿な若者が邪魔な祠を壊してくれたんでな。滅びそうな自分の体を捨てて若い男に乗り移ったんだよ。久々に女を襲おうと思ったら、ちょうど近くに縄女がいるじゃねえか。こりゃ都合がいいって思ってたのによぉ! まあいい、下手に攻撃してみろ、乗っ取った人間の命がどうなってもいいのか?」
「うわ~、お決まりの台詞だ。そんな脅しは僕に効かないよ」
沙羅はクツクツと笑う。本当に大丈夫だろうか、と心配になる。
へっぴり腰で二人から離れ、大きめの木の幹にしゃがんで身を隠す。とりあえず、真っ白な陰陽師と、変なオーラ出しちゃってる妖怪・ヤマコが対峙している姿を、騒ぎが収まるまで見守ることにした。
ふっふっふ、と思わせぶりな笑みを浮かべた沙羅は「この仁藤沙羅様をなめないでくれよ」と自信満々に言い放った。
「この『絶対調伏させちゃうくん一号』なら、一発だから!」
ずい、と見せつけるように登場したのは、手に持った白い板。よくよく見ると、それは白くて大きな《《ハリセン》》だった。襲われたのも忘れて、盛大にずっこける。
なんだハリセンって。ギャグか! コントか!
「いやいやいやいや待って! 普通お札とかなんか手刀みたいな動きとか呪文とか、そういうのじゃないの!?」
うっかり木の幹から顔を出して突っ込んでしまった。さっきは紙人形飛ばしたくせに! それっぽいことしたくせに! すると沙羅は「えー」といつもの様子で口答えする。
「めんどくさいから殴って解決したくて。んじゃ、仁藤沙羅、いっきまーす!」
地を蹴って、沙羅が俊敏に走り出す。ふっと姿が闇に紛れると、ヤマコがきょろきょろと辺りを見回した。あの真っ白な姿に巨大白ハリセンなら、夜でも目立つ姿なのに、と驚いていると、ヒュバアッ! バシィィン! とハリセンが炸裂する音がした。
「俺が見えるだと?」
「おっと、外しちゃった。避けられるんだ。少しはやるね。でも、僕を舐めてもらっちゃ困る。一応コレでも一人前の陰陽師なのだ」
派手な羽音のようなものと共に、複数の紙人形が一斉にヤマコに襲いかかる。私を助けてくれたアレだ。目くらましと動きを止めるためなのだろう。
声は上から聞こえる。見上げれば、大きめの木の枝に立つ沙羅の姿が見えた。
「さあ、とっとと彼から出て行くんだ。困ってるんなら、自分だけでうちにおいで。案内くらいはできるから。人間でも妖怪でも、相手の事情もかまわず利己的になったらおしまいだよ。そういう調停役のために僕らの職業はあるからね」
「うるせぇ! 人間ごときの世話に……」
ハッ、と腹の底から出たような沙羅の声がすると、沙羅の姿が消えた。バシィィン! と鋭い音が響く。ぎゃああ! とヤマコの悲鳴の次、大きな音を立てて倒れるのが見えた。見れば紫のオーラは消え、すぐに起き上がることはなさそうだ。
軽やかな着地をした沙羅は、ハリセンをブンと振り下げ、息を吐く。長く垂れ下がる袖の中にハリセンをしまう様子が見えた。あの巨大なハリセンが吸い込まれるようにして消えた。いくらなんでも不思議すぎるでしょ。
「ぐっ……!」
ヤマコはシュッと音を立てて姿を消した。沙羅はそれを追うこともせず「ま、いっか。なんかあればうちに来るし」と気軽に呟くだけだった。
「終わったよ、沙羅ちゃん。大丈夫? ああ、若林くんは大丈夫。ヤマコとすでに分離もしてるし、気を失ってるだけ」
振り返った沙羅が私に近寄ろうとする。巨大ハリセンの存在であっけにとられていたが、はたと自分の状況を思い出し、体が動かなくなった。足がすくんで立ち上がることさえ出来ない。
沙羅はそんな私を心配そうに見つめたあと、手をさしのべようとして――引っ込めた。
「今は、僕に触られるのも嫌、かな」
気を遣ってくれたのだ、とわかった瞬間、安心する。それでも困ったことに体が動かない。じわり、と今さら涙と怖さで一杯になって、うずくまって泣き出してしまった。
沙羅はなにも言わず、そしてなにもせず、しばらく隣に居てくれた。
急に体が軽くなる。覆い被さっていた若林くんの姿がない。早く離れて! という声で顔を上げると、そこには真っ白な鳥のようなものが飛び交う中たたずむ和服姿。長い黒髪がゆらりとなびき、その手には白い板(?)が握られている。
鳥のようなモノは、白く短いひもがヒラヒラと付いた、紙でできた人形……幼い頃、沙羅の術で見たアレだ。私から若林くんをひっぺがしてくれたのだ。
「僕がいなくなっちゃえば、簡単に手込めに出来るとでも思った?」
いつも通りの軽い言葉のはずなのに、そこには隠しきれない怒気が込められている。
「――さ、ら」
仁藤沙羅がそこに居た。私をかばうようにしっかり立つ彼は、顔だけ振り向かせてにっこりと笑う。
「僕が来たから大丈夫だよ、蓮菜ちゃん。――さて、さっさと片をつけますか『ヤマコ』さん?」
沙羅が向けた先には、紫の妖しいオーラを纏った若林くんの姿。オーラはやがて、猿のような化け物に形を変え、同時にドサリ、となにかが倒れた音がする。見れば、足元には若林くんが倒れていた。ど、どういうこと?
「お前はあのときのうさんくさい女顔男。正体を見破ったということは、貴様、陰陽師か」
「正解。美濃の山を管理している方から依頼があってね。その昔、悪さをしたヤマコという猿の物の怪を封印したはずの祠が壊れている、と。……ここからは憶測だけど、最近、大学生が美濃の山に入って祠を壊し、猿に襲われる動画がアップロードされてる。その『猿』とは、貴方のことでは?」
もしかして、若林くんのバズった動画のこと? 襲ってた猿がこの化け物もとい、ヤマコっていう妖怪だってこと?
沙羅の説明に、ヤマコは「バレちゃあ仕方ねえな」と悪びれもなく言った。
「馬鹿な若者が邪魔な祠を壊してくれたんでな。滅びそうな自分の体を捨てて若い男に乗り移ったんだよ。久々に女を襲おうと思ったら、ちょうど近くに縄女がいるじゃねえか。こりゃ都合がいいって思ってたのによぉ! まあいい、下手に攻撃してみろ、乗っ取った人間の命がどうなってもいいのか?」
「うわ~、お決まりの台詞だ。そんな脅しは僕に効かないよ」
沙羅はクツクツと笑う。本当に大丈夫だろうか、と心配になる。
へっぴり腰で二人から離れ、大きめの木の幹にしゃがんで身を隠す。とりあえず、真っ白な陰陽師と、変なオーラ出しちゃってる妖怪・ヤマコが対峙している姿を、騒ぎが収まるまで見守ることにした。
ふっふっふ、と思わせぶりな笑みを浮かべた沙羅は「この仁藤沙羅様をなめないでくれよ」と自信満々に言い放った。
「この『絶対調伏させちゃうくん一号』なら、一発だから!」
ずい、と見せつけるように登場したのは、手に持った白い板。よくよく見ると、それは白くて大きな《《ハリセン》》だった。襲われたのも忘れて、盛大にずっこける。
なんだハリセンって。ギャグか! コントか!
「いやいやいやいや待って! 普通お札とかなんか手刀みたいな動きとか呪文とか、そういうのじゃないの!?」
うっかり木の幹から顔を出して突っ込んでしまった。さっきは紙人形飛ばしたくせに! それっぽいことしたくせに! すると沙羅は「えー」といつもの様子で口答えする。
「めんどくさいから殴って解決したくて。んじゃ、仁藤沙羅、いっきまーす!」
地を蹴って、沙羅が俊敏に走り出す。ふっと姿が闇に紛れると、ヤマコがきょろきょろと辺りを見回した。あの真っ白な姿に巨大白ハリセンなら、夜でも目立つ姿なのに、と驚いていると、ヒュバアッ! バシィィン! とハリセンが炸裂する音がした。
「俺が見えるだと?」
「おっと、外しちゃった。避けられるんだ。少しはやるね。でも、僕を舐めてもらっちゃ困る。一応コレでも一人前の陰陽師なのだ」
派手な羽音のようなものと共に、複数の紙人形が一斉にヤマコに襲いかかる。私を助けてくれたアレだ。目くらましと動きを止めるためなのだろう。
声は上から聞こえる。見上げれば、大きめの木の枝に立つ沙羅の姿が見えた。
「さあ、とっとと彼から出て行くんだ。困ってるんなら、自分だけでうちにおいで。案内くらいはできるから。人間でも妖怪でも、相手の事情もかまわず利己的になったらおしまいだよ。そういう調停役のために僕らの職業はあるからね」
「うるせぇ! 人間ごときの世話に……」
ハッ、と腹の底から出たような沙羅の声がすると、沙羅の姿が消えた。バシィィン! と鋭い音が響く。ぎゃああ! とヤマコの悲鳴の次、大きな音を立てて倒れるのが見えた。見れば紫のオーラは消え、すぐに起き上がることはなさそうだ。
軽やかな着地をした沙羅は、ハリセンをブンと振り下げ、息を吐く。長く垂れ下がる袖の中にハリセンをしまう様子が見えた。あの巨大なハリセンが吸い込まれるようにして消えた。いくらなんでも不思議すぎるでしょ。
「ぐっ……!」
ヤマコはシュッと音を立てて姿を消した。沙羅はそれを追うこともせず「ま、いっか。なんかあればうちに来るし」と気軽に呟くだけだった。
「終わったよ、沙羅ちゃん。大丈夫? ああ、若林くんは大丈夫。ヤマコとすでに分離もしてるし、気を失ってるだけ」
振り返った沙羅が私に近寄ろうとする。巨大ハリセンの存在であっけにとられていたが、はたと自分の状況を思い出し、体が動かなくなった。足がすくんで立ち上がることさえ出来ない。
沙羅はそんな私を心配そうに見つめたあと、手をさしのべようとして――引っ込めた。
「今は、僕に触られるのも嫌、かな」
気を遣ってくれたのだ、とわかった瞬間、安心する。それでも困ったことに体が動かない。じわり、と今さら涙と怖さで一杯になって、うずくまって泣き出してしまった。
沙羅はなにも言わず、そしてなにもせず、しばらく隣に居てくれた。