楽しみにしてたお出かけの日は大雨が降った。
乗ろうとした電車は遅延し。
休憩にと買ったタピオカミルクティーをぶちまけ。
ついにたどり着いた遊びに行ったテーマパークは臨時休館。
これは、先週の休日のことである。
「絶対、絶っっ対、この靴のせいだろうがこのオカルトボケカス野郎!」
「この靴の『おかげ』で、の間違いだよ」
既に夏の気配が近づく六月。愛知県名古屋市にある某大学のカフェテリア。涼しい室内でホットココアをすする「オカルトボケカス野郎」は間延びした声で反論する。
「いやいやいや絶対この靴履いたから不幸な目にあうんですよ私。と言うわけで速やかにお返ししたく」
私がドン、と力強く机に置いたのは、紙袋。中には、件の「靴」が入っている。
「ええっ、だめだよ、呪《まじな》いのかかったものをそんな安易に。呪いが返ってきちゃうから」
「おまじない、っていうより呪《のろ》いじゃない。だからこそお返しすると言っていますがなにか?」
「……呪《のろ》いではなく、呪術《じゅじゅつ》で力を込めている靴でして。ほら、みんな大好きスピチリュアルパワァ~」
「表現を変えても呪《のろ》いは呪い! 責任持って引き取って!」
オカルト(略)野郎――仁藤《にとう》沙羅《さら》。長く伸ばした艶やかな黒髪を後ろで一つに結わえ、はらりと残したもみあげがなんともセクシー。黙っていれば切れ目で涼やか、鼻筋もすっと通った『東洋的な美人』だが、ココアの入ったマグカップに触れる武骨な指に、クソ甘いココアを飲み干す旅たびに上下するのどぼとけ……つまりはお綺麗なツラをした《《男》》(大学一年生)である。
しかし、その口から出るのは、
「わあ、蓮菜《れんな》ちゃん、怖いなー」
という、十八歳にあるまじき幼稚な口調だった。ちなみに、切れ目とはいうものの、くりくりとよく動く目は愛嬌さえ感じられ、黙っている時との落差がひどい。
故に、周りの学生達がギョッとした表情で私たちを眺めている。ヒソヒソと無粋な声が聞こえてくる中「あの綺麗だけどヘンなひと、彼女いたんだ。っていうかなんか、よくしゃべるね……」というのが聞こえてきて、閉口する。いやいやこいつ、ただの腐れ縁の幼なじみです。
「怖い思いをしたのは私のほうなんですけど。とにかく、この靴は返却します」
袋ごと押しつけると、沙羅は「えー」と口を尖らせる。
「蓮菜ちゃんへの誕生日プレゼントなのに。ほら、この編み上げの靴のデザイン、沙羅ちゃん好きだと思うけど」
「ぐっ……確かに私の趣味だけど!」
事実、白くて細身のデザインのあの靴は好みだったし、なにより履き心地が手持ちの靴より段違いによかった。だからついつい履いてしまったのだ。あの沙羅からの贈り物だったとしても。
「だけど、あんなに変なことが起きてりゃ、気味が悪いの。アンタホントに独立したの? おじさんに確かめていい?」
「うわっ、うちの親父を味方につけようだなんて……結婚も間近だねっ」
「しないわ! この勘違いストーカーオカルト野郎!」
「せめて陰陽師って呼んでくれ~。あとストーカーなんてひどいなぁ」
そう、この仁藤沙羅という男はいわゆる陰陽師なのである。ほら、ドーマンセーマンとか、なんか着物みたいなものを着ているアレだ。といっても、今はちゃんと普通のポロシャツにジーンズという格好なので一見してもわからないだろう。ツラの良さと男性には珍しい長髪がそれっぽさを漂わせているのみだけど。
沙羅の家はいわゆる名家で(近所では「仁藤さんのお屋敷」で通る)沙羅のいうことには、日本を影で支える呪術一家……らしい。だが本人曰く「昔は大層な身分だったけど、今はもう下請け孫請けのような中の下なんだけどね」と冗談交じりなので。実際の所はわからない。
そんな陰陽師たる沙羅は、なぜか幼なじみの私にえらくご執着だ。保育園から大学の今にいたるまでの間、交際を迫られたのは星の数。もちろんご丁寧にお断りである。
沙羅は、顔だけ見れば確かにイケメン、家柄だけならピカイチである。だが私は、幼い頃から空飛ぶ紙の人形を体にまとわりつかせられたり、不気味な声と姿が見える冒険に付き合わされたり……沙羅のそばにいると、オカルト的な意味で、さんざんな目に遭ってきた。
ご両親はその都度謝ってはくれたが「友だちのいない沙羅をどうかよろしく」と言われてしまうし、隣で当の沙羅が涙を目に溜めてじっとこちらを見ている……という感じになってしまうと、縁を切りがたいのもまた事実だった。
実際、なにもないところに「なにか」が見える彼は、そのやかましい言動もあって友だちが少ない。思春期真っただ中の中学時代、異性からは遠巻きにされ、同性からは整った容姿のせいもあって邪険にされていたのも知っている。今でこそ処世術を身につけたのか、メソメソするのは少なくなったが、それでも妙なオーラが出ているらしく、大学でも既に「美形だがヘンなひと」という称号をもらっている。
こうして今に至るまで縁が切れず、そんな腐れ縁の彼が「独り立ちしたから、修業時代よりも術を使える」「学部が別になって近くに居られないからお守り兼誕生日プレゼント」と言って件の靴をくれたのだが、私にはプレゼントのせいで不幸が起きているとしか思えない。紙人形で窒息しかけたことを思い出すと、良い印象はない。良い印象はなかったのだが……デザインと履き心地に負けて使ってしまった自分を恨みたい。
「だったらああいう呪いのアイテムじゃなくて、さっさと術とかお祓いでもなんでもしてくださいよ、陰陽師サン」
不満をそのまま伝えると、沙羅は真顔になって「なんでもする?」と聞いてきた。
「やれることならね」
「じゃあ僕と結婚して!」
「けっ……こん?」
ずい、と顔を近づけられ、気圧される。
血走った目で言われましても。結婚て。出来るのは知ってるけどだからってこれと結婚ですかそうですか。
「却下」
「僕と結婚したら毎日安全だよ?」
「いやいや絶対毎日が百鬼夜行でしょうが」
「ああ、連菜ちゃんが『百鬼夜行』なんてオカルトめいたことを言ってくれるなんて! うれしい! 大丈夫、絶対に蓮菜ちゃんを守ってあげる」
「そういうことじゃないので却下です」
「……断られるからお守りを渡してるんだよぉぉ! 僕知ってるんだ、蓮菜ちゃんがそういうひとだってことくらいぃぃぃ」
机に突っ伏してオイオイと泣き始めた。
いくら気の置けない関係とはいえ、結婚をしてくれといわれてハイソウデスカと答えられはしない。頼むから人並みに恋くらいさせてくれ。
「なんで結婚が必要なのさ」
なんかよくわからない術でぱーっとやればいいのに。と軽く言うと、顔をあげた沙羅が「そんなに簡単じゃない」と零す。その頬がなぜか赤いのが不気味だ。なにを照れているのだ。
「大事なことだから簡単に言えないし、やれません。相手が必要なことだし」
「大事って。ていうか、相手?」
さらに問い詰めると、沙羅は意外にも「この話は終わり」となぜか会話を終わらせようとしている。いつもなら口うるさく言うのに、と不思議がっていると「日ノ宮」と私の名字を呼ぶ、別の声が聞こえた。
「若林《わかばやし》くん!」
振り向くと、そこにはランチのお盆を持った男子学生が一人。同じ学部の若林くんだ。サッカーやってそうな短髪のさわやかイケメン。今は仲の良い友だちだが、あわよくばお付き合いしたいと思っている相手である。
「一緒に飯食おうと思ったんだけど、先客いるじゃん。彼氏?」
慌てて「違う違う」と否定する。
「このひとは腐れ縁」
関係性を告げると、心なしか若林くんの顔がほっとしたような気がした。お、脈ありだ。きっと。たぶん。
「てっきり彼氏かと。イケメンだし」
と、笑顔が返ってきた。
そんなわけない、と大げさに手を振って否定しておく。私の本命は君だよさわやかイケメン。
「そうだ、アップされた動画見たよ。岐阜の美濃の山まで行ってきたなんてすごいね」
「いや~、雨に降られてめっちゃ大変だったわ」
若林くんはそこそこ有名な動画投稿者で、私もつい最近投稿動画を教えてもらったばかりだ。一番新しい動画は、五月の連休に撮ったという山登りの動画で、途中、猿(だと思われる)に襲われてピンチになっていたものだった。猿に襲われる、という内容で一時期再生数がすごいことになってバスっていたが、私はそんなことより自撮り棒片手に山を歩く若林くんがカッコよく思えて仕方なかった。グッドボタンが何回も押せるものなら一万回は押していたと思う。
「そういや雨といえば、こないだは不運だったよな。雨の中行ったのにアニバランドが臨時閉園なんてさ。日ノ宮に悪いことしちゃったなあ」
「全然! 若林くんが誘ってくれただけでもうれしかったよ」
確かにさんざんな目に合ったのは事実だけど、それもぜーんぶ沙羅の靴のせいだから。心の中でそう付け加え、感謝と下心どちらも込めた言葉を笑顔付きで向ける。
日ノ宮、と私を見つめる若林くんの顔が「友だち」に向ける顔と違うものになった。
「次は天気良くなるといいなあ」
次、を強調して、次の約束を匂わしてみる。
「そう、だな」
まんざらでもない表情。あとは個人的に連絡を入れれば、次も上手くいくに違いない。手応えを感じていると、若林くんは「あのさ」とどこか照れたような様子で言葉を続けた。
「日ノ宮のさ、そういう前向きなところ、俺好きなんだよね」
「す、好き……!」
直接的な言葉に体温急上昇。胸がドキドキいうのが大きく聞こえてくる。好き、の一言の甘美なことよ! のぼせるというのはこういう感覚なんだろう。クラクラしていると、はっとして忘れかけていた人物の存在を思い出した。沙羅だ。
そろそろ沙羅から離れて、若林くんとご飯を食べよう。声をかけようとすると、沙羅がじっと若林くんの顔を見つめている。驚いたのはその真剣なまなざしだ。
「沙羅?」
見たことない真剣な顔。私の知っている沙羅は、顔は良くても百面相もかくやの表情で私を疲れさせるような、コメディの世界に生きているようなヤツだ。
だがしかし、今の彼はどうだろう。若林くんを射貫くような視線は鋭く、ともすれば冷気が漂っているような雰囲気。人間離れした美しさに、一瞬息をのむ。
なぜか若林くんも無表情になり、無言の時が流れた。
「若林くん……? ちょっと、沙羅、なにしてんの」
はっとして、にらみ続ける沙羅を制止する。そこでやっと沙羅は表情を崩し「美濃……」と棒読みで言った。
「ごめんね若林くん。変なやつで」
「いや、いいんだ。……俺、向こうの席にするわ。じゃあまた」
不思議なことに、若林くんもそそくさと席を離れ、微妙な空気だけが残ってしまった。
後ろ姿を見送ったあと、私は沙羅の頭を軽く小突く。
「なんであんなにらみつけたりしたの。っていうか、私の恋愛チャンスこれ以上逃さないでくれる?」
せっかく良い雰囲気で一緒にご飯を食べるチャンスだったのに。そう思ったら腹が立ってきて、トゲのある言いかたになった。しかし沙羅はなにも言わず、じっと私の顔を見つめただけだ。
いつもなら「蓮菜ちゃん、ひどい~」と表情を変えるはずの顔が、変わらない。
「蓮菜ちゃん、ほんとにあんなのがいいの?」
真剣な声と表情。見たことのない顔で「あんなの」と言ったのが許せなくて、頭にカッと血が上った。
「――ひとの友だちを、『あんなの』なんて言うひとからのプレゼントなんか、使いたくない」
勢いよく席を立ち、その場を足早に去る。蓮菜ちゃん、という沙羅の声は遠いのに、なぜか頭から離れないのが、余計に腹ただしかった。
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あの後私は食堂で若林くんを探しだし、勢いのまま次の約束を取り付けた。
そう、今度はデートを成功させて、改めて告白のチャンスを作るのだ。
意気込むのはよかったが、それからというもの、沙羅が私の目の前に現れる回数がぐっと減った。これ以上恋路を邪魔されるのは嫌なので、願ったり叶ったりな状況ではある。
……あるのだが。
思えば、彼と本気で仲違いをしたのは初めてだ。
そのことに気づいた瞬間、ほんの少しだけさみしく、そして……私は罪悪感を感じ始めていた。
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「今日は晴れて良かったね、楽しかった~」
若林くんとの約束の日。私と彼は、無事、前回のリベンジを果たした。夜になったのでおしゃれなダイニングバーで食事をして、店を出たのがほんの少し前。
人があふれる繁華街の中、駅に向かって歩いている最中だった。
「俺も、楽しかった」
若林くんの言葉に頷くと、足下がもたついて転びそうになる。
「うわっ」
「危ない!」
とっさに腕を掴まれる。そのままなにも言わずに手を握り合う。体を引き寄せられて「離れるといけないから」と囁かれて、心臓がどくりとはねた。
そのまま歩き続けていると、若林くんが「今日の靴、前と違うんだな」と言った。そう、今日はあの呪われた靴ではなく、手持ちの中で一番のお気に入りのヒールを履いてきてきている。履き心地は格段に違うが、仕方がない。アレを履いてまた不幸な目に遭うくらいなら、これくらいの苦労はして当然だ。
「似合ってる、かな」
「うん、とっても。前のより断然似合ってる」
褒められればうれしい気分だ。が、どこか心に引っかかるモノがある。比べられたからだろうか。あの沙羅の靴と。それでも褒められて気分がいいのは変わりない。「ありがとう」と言うと、日ノ宮、と名前を呼ばれた。
「……帰したくない」
向こうから言われるなんて、コレはマジもんの脈アリだ――! はやる心を抑えつつ、最大限しおらしく「私も」と返した。
ドキドキしながら駅と反対方向に歩く。繁華街から一本入ったところは、ホテル街として有名な場所。いわゆる大人のホテルというやつだ。周りも似たような雰囲気を感じさせるカップルが歩いていて、つぎつぎと派手なネオンの建物に吸い込まれていく。ついに大人の階段上ってしまうのか私!
一人盛り上がっている私とは違い、若林くんはとても落ち着いている。握られた手は強くてドキドキする。彼に任せたほうがきっとかわいい女に見えるだろうと判断し、彼について行く。
「ここならいいか」
若林くんが歩みを止めた。
はたと気がつくと、真っ暗な林の中に私たちはいた。想像していた場所と違い、戸惑っていると、体を木の幹に押しつけられた。強引な動きに、一瞬だけ恐怖を覚えたが、コレが恋愛の醍醐味なのだ、と思い直す。
なにも言わず顔を近づけられ、あごに指が掛かる。興奮してギラギラした若林くんの目に、期待と、得体の知れぬ恐怖の気持ちが芽生える。だが、逃げたらここで恋愛は終わり――誘われるまま、顔を上向きにする。
唇が重なり、そのまま口内にまで舌が入ってきた。しかし、体をまさぐられた瞬間、ぞわりとした恐怖を覚え、思わず押し戻そうとした。
無理矢理顔を背け、唇を離す。
「ま、待って、そんないきなり! せめて部屋とか」
一度は受け入れそうになったくせに、という罪悪感もあるが、それ以上に得体の知れない怖さが勝った。せめて初体験はふかふかのベッドの上がいいのですということだけでも伝えようとすると「黙れ」と低く冷たい声で押さえつけられる。
ちょっと待て、若林くんはこんな乱暴なことをする人だった? いくら好いた相手とはいえ、強姦まがいのことをされるならば話は別だ。
「ちょっと、話をさせて。こんな乱暴な、対等じゃないなんて、若林く――」
「まったく、最近の人間の女は余計な知恵がついてやがる。貴様はただ快楽に身を任せればいいんだ」
吐き捨てるような台詞の後、地面に無理矢理組み敷かれる。「殴ると後が面倒だ」という言葉の後、額に指を当てられた。急に意識が遠くなる。人間の女? 口調まで芝居がかっていて、いったいこの男は誰で、なんでこんな目に遭っているの……?
「縄女《ナワメ》の純潔と力、奪わせてもらう。ちっ、人間の体は厄介だな」
下半身に手が伸びるのがわかるのに、力が入らないので抵抗も出来ない。大声を出せる気力もない。もうダメだ、と絶望にうちひしがれていたそのときだった。
「僕の蓮菜ちゃんに、手を出すな」
よく知った声が響いた。瞬間、バサバサバサ! となにかが大量に体にまとわりつく。
急に体が軽くなる。覆い被さっていた若林くんの姿がない。早く離れて! という声で顔を上げると、そこには真っ白な鳥のようなものが飛び交う中たたずむ和服姿。長い黒髪がゆらりとなびき、その手には白い板(?)が握られている。
鳥のようなモノは、白く短いひもがヒラヒラと付いた、紙でできた人形……幼い頃、沙羅の術で見たアレだ。私から若林くんをひっぺがしてくれたのだ。
「僕がいなくなっちゃえば、簡単に手込めに出来るとでも思った?」
いつも通りの軽い言葉のはずなのに、そこには隠しきれない怒気が込められている。
「――さ、ら」
仁藤沙羅がそこに居た。私をかばうようにしっかり立つ彼は、顔だけ振り向かせてにっこりと笑う。
「僕が来たから大丈夫だよ、蓮菜ちゃん。――さて、さっさと片をつけますか『ヤマコ』さん?」
沙羅が向けた先には、紫の妖しいオーラを纏った若林くんの姿。オーラはやがて、猿のような化け物に形を変え、同時にドサリ、となにかが倒れた音がする。見れば、足元には若林くんが倒れていた。ど、どういうこと?
「お前はあのときのうさんくさい女顔男。正体を見破ったということは、貴様、陰陽師か」
「正解。美濃の山を管理している方から依頼があってね。その昔、悪さをしたヤマコという猿の物の怪を封印したはずの祠が壊れている、と。……ここからは憶測だけど、最近、大学生が美濃の山に入って祠を壊し、猿に襲われる動画がアップロードされてる。その『猿』とは、貴方のことでは?」
もしかして、若林くんのバズった動画のこと? 襲ってた猿がこの化け物もとい、ヤマコっていう妖怪だってこと?
沙羅の説明に、ヤマコは「バレちゃあ仕方ねえな」と悪びれもなく言った。
「馬鹿な若者が邪魔な祠を壊してくれたんでな。滅びそうな自分の体を捨てて若い男に乗り移ったんだよ。久々に女を襲おうと思ったら、ちょうど近くに縄女がいるじゃねえか。こりゃ都合がいいって思ってたのによぉ! まあいい、下手に攻撃してみろ、乗っ取った人間の命がどうなってもいいのか?」
「うわ~、お決まりの台詞だ。そんな脅しは僕に効かないよ」
沙羅はクツクツと笑う。本当に大丈夫だろうか、と心配になる。
へっぴり腰で二人から離れ、大きめの木の幹にしゃがんで身を隠す。とりあえず、真っ白な陰陽師と、変なオーラ出しちゃってる妖怪・ヤマコが対峙している姿を、騒ぎが収まるまで見守ることにした。
ふっふっふ、と思わせぶりな笑みを浮かべた沙羅は「この仁藤沙羅様をなめないでくれよ」と自信満々に言い放った。
「この『絶対調伏させちゃうくん一号』なら、一発だから!」
ずい、と見せつけるように登場したのは、手に持った白い板。よくよく見ると、それは白くて大きな《《ハリセン》》だった。襲われたのも忘れて、盛大にずっこける。
なんだハリセンって。ギャグか! コントか!
「いやいやいやいや待って! 普通お札とかなんか手刀みたいな動きとか呪文とか、そういうのじゃないの!?」
うっかり木の幹から顔を出して突っ込んでしまった。さっきは紙人形飛ばしたくせに! それっぽいことしたくせに! すると沙羅は「えー」といつもの様子で口答えする。
「めんどくさいから殴って解決したくて。んじゃ、仁藤沙羅、いっきまーす!」
地を蹴って、沙羅が俊敏に走り出す。ふっと姿が闇に紛れると、ヤマコがきょろきょろと辺りを見回した。あの真っ白な姿に巨大白ハリセンなら、夜でも目立つ姿なのに、と驚いていると、ヒュバアッ! バシィィン! とハリセンが炸裂する音がした。
「俺が見えるだと?」
「おっと、外しちゃった。避けられるんだ。少しはやるね。でも、僕を舐めてもらっちゃ困る。一応コレでも一人前の陰陽師なのだ」
派手な羽音のようなものと共に、複数の紙人形が一斉にヤマコに襲いかかる。私を助けてくれたアレだ。目くらましと動きを止めるためなのだろう。
声は上から聞こえる。見上げれば、大きめの木の枝に立つ沙羅の姿が見えた。
「さあ、とっとと彼から出て行くんだ。困ってるんなら、自分だけでうちにおいで。案内くらいはできるから。人間でも妖怪でも、相手の事情もかまわず利己的になったらおしまいだよ。そういう調停役のために僕らの職業はあるからね」
「うるせぇ! 人間ごときの世話に……」
ハッ、と腹の底から出たような沙羅の声がすると、沙羅の姿が消えた。バシィィン! と鋭い音が響く。ぎゃああ! とヤマコの悲鳴の次、大きな音を立てて倒れるのが見えた。見れば紫のオーラは消え、すぐに起き上がることはなさそうだ。
軽やかな着地をした沙羅は、ハリセンをブンと振り下げ、息を吐く。長く垂れ下がる袖の中にハリセンをしまう様子が見えた。あの巨大なハリセンが吸い込まれるようにして消えた。いくらなんでも不思議すぎるでしょ。
「ぐっ……!」
ヤマコはシュッと音を立てて姿を消した。沙羅はそれを追うこともせず「ま、いっか。なんかあればうちに来るし」と気軽に呟くだけだった。
「終わったよ、沙羅ちゃん。大丈夫? ああ、若林くんは大丈夫。ヤマコとすでに分離もしてるし、気を失ってるだけ」
振り返った沙羅が私に近寄ろうとする。巨大ハリセンの存在であっけにとられていたが、はたと自分の状況を思い出し、体が動かなくなった。足がすくんで立ち上がることさえ出来ない。
沙羅はそんな私を心配そうに見つめたあと、手をさしのべようとして――引っ込めた。
「今は、僕に触られるのも嫌、かな」
気を遣ってくれたのだ、とわかった瞬間、安心する。それでも困ったことに体が動かない。じわり、と今さら涙と怖さで一杯になって、うずくまって泣き出してしまった。
沙羅はなにも言わず、そしてなにもせず、しばらく隣に居てくれた。
ひとしきり気が済むと、今度はなぜこんなことになったのか、疑問が湧いてきた。沙羅に尋ねると「いつ切り出すか、迷ってたんだ」と困った顔をした。
「実はね、蓮菜ちゃんには普通の人よりも、物の怪や妖怪の世界に通じやすい、行きやすい能力があって。そういう女の人のことを『縄女《ナワメ》』って呼ぶんだよ」
「ナワメ?」
聞きなれない単語だが、襲われたときに、ヤマコが私をそう呼んでいた記憶がうっすらあった。首をかしげていると「縄に女と書いて、ナワメって呼ぶの」と補足があった。
「普通、彼らが住む世界に足を踏み入れることって、人間にはできないわけ。でも、縄目《なわめ》、っていわれる空間があって、そこは僕らの世界……この世と妖怪の世界を繋いでる。縄女の力を持つひとはそこに行けるんだ。で、ここからが重要」
沙羅は言いづらそうにしていたが、私は詳細が知りたかったので、催促をする。
「縄女の力は、本来行き来できない世界に行ける力だから、とても強い。だから、物の怪に狙われるんだ。力を奪う方法は『純潔を奪う』……有り体に言えばセックスして、処女じゃなくなること。若林くんとやらは例の動画の時に取り憑かれたんだろうね。そのあと、蓮菜ちゃんを見て、縄女だとわかった。表向きは若林くんの振りをして、機会をうかがってたんだ。うまーく、蓮菜ちゃんが彼を好きになるように振る舞いながらね。だから、一応顔を合わせた時にけん制しといたんだけども」
沙羅が若林くんと初めて会ったとき、変な雰囲気になったのはそのせいだったのか
「でも、そんなの今までなかった……って、もしかして、アンタのストーカー行為やプレゼントは、全部私をそういう物の怪から守るため……」
「そう。今までは蓮菜ちゃんに気付かれないように調伏したり、呪いをかけたりしてた。でも、大学になると行動範囲も増えて、ずっと一緒にいるのも難しいなって思って」
「だから、あの靴をくれたの?」
そう、と沙羅はうなずいた。あの靴は、物の怪の力を弱めて、有利に動かないようにする作用があるのだという。今回の場合だと、一緒にいるとマイナスな事象が起こるようにして、私が彼といるのを避けようとしていたらしい。
あと、私の襲われた場所がわかったのは、あの靴のひもを紙人形に付けたからだと教えてくれた。一度でも履けば、持ち主だと認識する優れもの。それを元にして場所を特定したと言われて、陰陽師すごい、と素直に思ってしまった。
もっと早く教えてくれれば、と零すと「あのときの蓮菜ちゃんが、僕の言うこと、真面目にきいてくれると思えなかった。恋は盲目だし、僕が陰陽師だってあんまり信じてくれないし。とにかく、変に教えて不安がらせるのが嫌だったんだ」と拗ねた。
私の性格からして、彼の言うとおり、頭から否定して聞く耳持たなかっただろうと思う。我ながら、沙羅に対してはワガママで遠慮がないからだ。
「……ごめんなさい」
そんな自分を、それでも助けに来てくれた。沙羅に申し訳なくて、項垂れた。
沙羅は首を振って「怖い思いをさせてごめん」と言うだけだった。
「でも、良かったら……これから、僕のこと、少しでも信じてくれたらうれしいな」
結婚しろとまでは言わないから。そう付け加えた沙羅の言葉で、あっと思い出すことがあった。
「……まさか、この前私に『結婚して』って言ったのって……じゅ、純潔を……?」
困ったようにに顔を背け、まあ、とか、ええと、と口ごもる。
「……まあ、その、一度致しちゃえば確かにやたらめったら狙われ無くはなるんだけども。でも、そんな気持ちのない行為をさせたくないし、僕はしたくない。別の方法……蓮菜ちゃんに負担のない方法を探していくから」
だから安心して。そう言ってやっとこちらの顔を見た。
頬を赤らめてはいるが、真っ直ぐな瞳には、先ほど私を襲ってきた若林くん(正確にはヤマコなのだけど)のようなギラつく欲望は見えない。
「だって僕、蓮菜ちゃんのこと、大好きだし」
はにかんでこちらを見る沙羅は、真剣な表情だからこそ、綺麗さが際立ってドキリとする。
普段「好き」だの「結婚して」だの簡単に言うくせに、いざとなるとこんなに誠実なのか。
大事に思われている……だから軽率に触れてこない。
与えられる気持ちの大きさに、どう反応して良いのかわからない。
なにも言えないままの私に向かって、沙羅は無言で笑いかけるだけだ。大丈夫だよ、と心で伝えてくる。
「とにかく、蓮菜ちゃんが無事でよかった」
さあ帰ろう。そう言って立ち上がる沙羅に続いて、私も立ち上がろうとした――が、ずっとうずくまっていたからか、立ちくらみを起こした。おまけに、慣れないヒールのせいもあって、転び駆けたそのとき。
「危ない!」
沙羅が私の体を抱き留める。反射的につかみ返し、彼の体にすっぽり収まる形になってしまった。
「大丈夫?」
私の体に触れた沙羅が慌てて押し戻そうとするのを、止めた。胸元の布をつかみ、顔を伏せたまま「あの!」と大きな声で言った。まだ上手く事態は飲み込めていないし、真面目に告白されてるのに、唐突過ぎて考えがまとまらない。
だけど、沙羅が向けてくれた気持ちだけは真っ直ぐで本物だ。付き合いが長いのだから、それくらいはわかる。だから、私もきちんと返事をしなければ。
今言わなくてどうする、蓮菜!
「……す、好きって言ってくれ……て、本当に、ありがとう。でも私、沙羅と付き合う、とか、結婚、とか、そういうの考えたことなくって。だから、力をどうするかとかを考えるのも、そこまでしてもらうのって……気持ちも返せないし、守ってくれるんなら、お金、とか、払う?」
体よく振っているのはわかっているが、かといって、あの気持ちの大きさに応えられる自信がないのだ。簡単に誘惑に乗ってしまう自分や、ゆるやかな警告を受け取れない気持ちの狭い自分が、無条件に愛されていいわけがない。
今はまだ、気の置けない「友人」がいい。
沙羅はしばらく一人でブツブツ言っていたが、小声過ぎて聞き取れない。
「……蓮菜ちゃんはさ、こんな僕にも付き合ってくれるから」
「え?」
ようやく聞こえた言葉に顔を上げると、沙羅はどこかさみしそうな顔をした。こんな僕、ってどういうこと。そう思った瞬間「蓮菜ちゃん」と沙羅が言った。
「告白のお返事、ありがとう。でも、僕は一回振られただけではめげない!」
ぐっ、と握りこぶしを付けて、にっこり笑う。
……ここまでポジティブなのも恐ろしい。やっぱりストーカーじゃないか、と絆されかけた自分をほんの少しだけ呪った。ええ「のろった」のほうです。
「うーん、そうだね。お金は要らないけど……助けたお礼に、新しいプレゼント受け取って!」
ゆっくり私を引きはがし、満面の笑みを浮かべて差し出されたのは――白いハリセン。先ほど沙羅が振り回したそれと同じデザインだが、一応手のひらサイズのシロモノだ。
よくよく見れば、白いだけかと思ったハリセンには、なんか墨でミミズが這いつくばったような文字が書いてある。げえ、よくわかんないけど呪文だ。
「なんですか、これは」
「えっとお、僕とおそろいのぉ、ペアルック!」
きゃっ、とわざとらしく手で顔を被う。品物も微妙だがペアルックとはこれ如何に。おまけに沙羅の態度もそれなりにキモい。照れ隠しの表現なのだろうけど、イケメンだからって全てが許されるわけではないことをそろそろ知ってほしい。
さっきまでの恐怖やらなんやらが完全に吹き飛び「うわぁ」と心底嫌そうな声が出た。
「手で握りつぶせそうなんですけど」
「それ呪いで形状記憶にしてあるから大丈夫!」
「試していい? ぐっちゃぐちゃにしそうだけど」
「やめてよ僕の気持ちを握りつぶされるみたいで……形状記憶の呪いをかけてあるから大丈夫だけどさ……」
「大丈夫って言っておいて泣きそうな顔するのやめろ陰陽師!」
「わっ、蓮菜ちゃんが僕を陰陽師って認めてくれた~!」
「認めてない……認めて……でも、ハリセンの力はすごい……ハリセンだけは……」
「ハリセン?! ハリセンだけなの?! 僕の陰陽師としてのアイデンティティイズハリセン?!」
やっといつものやりとりに戻ってきて、どこかほっとしている自分がいる。歩き始めた私は心の中だけで思う。
ごめんね、しばらくはこの関係がいい。
――本当に沙羅と恋をするなら、守られるだけの存在になりたくない。いつか、もう少し先の未来。彼と釣り合うだけの人間になったら。それが、私の彼への誠実さ……だと思う。
:::
それからしばらくして。
若林くんとは本当に普通の「友だち」になってしまい、彼から恋愛相談をされることに。存外ショックではない自分に驚いてはいるけれど、襲われそうになったのも原因かもしれない。相変わらずの爽やかさだから、すぐに彼女は出来ると思う。
そして沙羅はというと、相変わらず呪いをかけたというプレゼント攻撃はおさまっていない。それどころか、以前に増して付きまといが多くなったので、若干辟易している。
嫌いじゃないのだ。嫌いじゃないけれど……こんな平凡でずるい女のどこがいいのか、理解に苦しむ。
ああ、いつもの「蓮菜ちゃ~ん」という能天気な声が聞こえてくる。
でも、どこか今までとは違って、少しだけ甘さを持つ呼びかただ。
それも悪くないと思う自分への自己嫌悪を抱きつつも、私は今日も「このオカルトボケカス野郎」と言うのだった。