楽しみにしてたお出かけの日は大雨が降った。
 乗ろうとした電車は遅延し。
 休憩にと買ったタピオカミルクティーをぶちまけ。
 ついにたどり着いた遊びに行ったテーマパークは臨時休館。
 これは、先週の休日のことである。
「絶対、絶っっ対、この靴のせいだろうがこのオカルトボケカス野郎!」
「この靴の『おかげ』で、の間違いだよ」
 既に夏の気配が近づく六月。愛知県名古屋市にある某大学のカフェテリア。涼しい室内でホットココアをすする「オカルトボケカス野郎」は間延びした声で反論する。
「いやいやいや絶対この靴履いたから不幸な目にあうんですよ私。と言うわけで速やかにお返ししたく」
 私がドン、と力強く机に置いたのは、紙袋。中には、件の「靴」が入っている。
「ええっ、だめだよ、呪《まじな》いのかかったものをそんな安易に。呪いが返ってきちゃうから」
「おまじない、っていうより呪《のろ》いじゃない。だからこそお返しすると言っていますがなにか?」
「……呪《のろ》いではなく、呪術《じゅじゅつ》で力を込めている靴でして。ほら、みんな大好きスピチリュアルパワァ~」
「表現を変えても呪《のろ》いは呪い! 責任持って引き取って!」
 オカルト(略)野郎――仁藤《にとう》沙羅《さら》。長く伸ばした艶やかな黒髪を後ろで一つに結わえ、はらりと残したもみあげがなんともセクシー。黙っていれば切れ目で涼やか、鼻筋もすっと通った『東洋的な美人(オリエンタルビューティー)』だが、ココアの入ったマグカップに触れる武骨な指に、クソ甘いココアを飲み干す旅たびに上下するのどぼとけ……つまりはお綺麗なツラをした《《男》》(大学一年生)である。
 しかし、その口から出るのは、
「わあ、蓮菜《れんな》ちゃん、怖いなー」
 という、十八歳にあるまじき幼稚な口調だった。ちなみに、切れ目とはいうものの、くりくりとよく動く目は愛嬌さえ感じられ、黙っている時との落差がひどい。
 故に、周りの学生達がギョッとした表情で私たちを眺めている。ヒソヒソと無粋な声が聞こえてくる中「あの綺麗だけどヘンなひと、彼女いたんだ。っていうかなんか、よくしゃべるね……」というのが聞こえてきて、閉口する。いやいやこいつ、ただの腐れ縁の幼なじみです。
「怖い思いをしたのは私のほうなんですけど。とにかく、この靴は返却します」
 袋ごと押しつけると、沙羅は「えー」と口を尖らせる。
「蓮菜ちゃんへの誕生日プレゼントなのに。ほら、この編み上げの靴のデザイン、沙羅ちゃん好きだと思うけど」
「ぐっ……確かに私の趣味だけど!」
 事実、白くて細身のデザインのあの靴は好みだったし、なにより履き心地が手持ちの靴より段違いによかった。だからついつい履いてしまったのだ。あの沙羅からの贈り物だったとしても。
「だけど、あんなに変なことが起きてりゃ、気味が悪いの。アンタホントに独立したの? おじさんに確かめていい?」
「うわっ、うちの親父を味方につけようだなんて……結婚も間近だねっ」
「しないわ! この勘違いストーカーオカルト野郎!」
「せめて陰陽師って呼んでくれ~。あとストーカーなんてひどいなぁ」
 そう、この仁藤沙羅という男はいわゆる陰陽師なのである。ほら、ドーマンセーマンとか、なんか着物みたいなものを着ているアレだ。といっても、今はちゃんと普通のポロシャツにジーンズという格好なので一見してもわからないだろう。ツラの良さと男性には珍しい長髪がそれっぽさを漂わせているのみだけど。
 沙羅の家はいわゆる名家で(近所では「仁藤さんのお屋敷」で通る)沙羅のいうことには、日本を影で支える呪術一家……らしい。だが本人曰く「昔は大層な身分だったけど、今はもう下請け孫請けのような中の下なんだけどね」と冗談交じりなので。実際の所はわからない。
 そんな陰陽師たる沙羅は、なぜか幼なじみの私にえらくご執着だ。保育園から大学の今にいたるまでの間、交際を迫られたのは星の数。もちろんご丁寧にお断りである。
 沙羅は、顔だけ見れば確かにイケメン、家柄だけならピカイチである。だが私は、幼い頃から空飛ぶ紙の人形を体にまとわりつかせられたり、不気味な声と姿が見える冒険に付き合わされたり……沙羅のそばにいると、オカルト的な意味で、さんざんな目に遭ってきた。
 ご両親はその都度謝ってはくれたが「友だちのいない沙羅をどうかよろしく」と言われてしまうし、隣で当の沙羅が涙を目に溜めてじっとこちらを見ている……という感じになってしまうと、縁を切りがたいのもまた事実だった。
 実際、なにもないところに「なにか」が見える彼は、そのやかましい言動もあって友だちが少ない。思春期真っただ中の中学時代、異性からは遠巻きにされ、同性からは整った容姿のせいもあって邪険にされていたのも知っている。今でこそ処世術を身につけたのか、メソメソするのは少なくなったが、それでも妙なオーラが出ているらしく、大学でも既に「美形だがヘンなひと」という称号をもらっている。
 こうして今に至るまで縁が切れず、そんな腐れ縁の彼が「独り立ちしたから、修業時代よりも術を使える」「学部が別になって近くに居られないからお守り兼誕生日プレゼント」と言って件の靴をくれたのだが、私にはプレゼントのせいで不幸が起きているとしか思えない。紙人形で窒息しかけたことを思い出すと、良い印象はない。良い印象はなかったのだが……デザインと履き心地に負けて使ってしまった自分を恨みたい。
「だったらああいう呪いのアイテムじゃなくて、さっさと術とかお祓いでもなんでもしてくださいよ、陰陽師サン」
 不満をそのまま伝えると、沙羅は真顔になって「なんでもする?」と聞いてきた。
「やれることならね」
「じゃあ僕と結婚して!」
「けっ……こん?」
 ずい、と顔を近づけられ、気圧される。
 血走った目で言われましても。結婚て。出来るのは知ってるけどだからってこれと結婚ですかそうですか。
「却下」
「僕と結婚したら毎日安全だよ?」
「いやいや絶対毎日が百鬼夜行でしょうが」
「ああ、連菜ちゃんが『百鬼夜行』なんてオカルトめいたことを言ってくれるなんて! うれしい! 大丈夫、絶対に蓮菜ちゃんを守ってあげる」
「そういうことじゃないので却下です」
「……断られるからお守りを渡してるんだよぉぉ! 僕知ってるんだ、蓮菜ちゃんがそういうひとだってことくらいぃぃぃ」
 机に突っ伏してオイオイと泣き始めた。
 いくら気の置けない関係とはいえ、結婚をしてくれといわれてハイソウデスカと答えられはしない。頼むから人並みに恋くらいさせてくれ。
「なんで結婚が必要なのさ」
 なんかよくわからない術でぱーっとやればいいのに。と軽く言うと、顔をあげた沙羅が「そんなに簡単じゃない」と零す。その頬がなぜか赤いのが不気味だ。なにを照れているのだ。
「大事なことだから簡単に言えないし、やれません。相手が必要なことだし」
「大事って。ていうか、相手?」
 さらに問い詰めると、沙羅は意外にも「この話は終わり」となぜか会話を終わらせようとしている。いつもなら口うるさく言うのに、と不思議がっていると「日ノ宮(ひのみや)」と私の名字を呼ぶ、別の声が聞こえた。