(海君がいなくてよかった)
 
 大学からの帰り道。
 貴子に支えられるようにして歩きながら、私は彼と出会ってから初めて、本当に心からそう思った。
 
 こんな姿は見せられない。
 心配をかけたくない。
 海君はきっと「俺がいなかったから」って自分を責めるから、気にしてほしくない。
 重荷になりたくない。
 
『真実さんをこんなに傷つける奴がいるんなら……そんな人間、いっそのこと俺がこの手でどうにかしてしまえばいい! ……さっきからそんなことばっかり考えてる……!』
 
 月明かりの中。
 私にそう告げた海君の、冷たいくらいの表情と、いつもと違う低い声を覚えている。
 
(そんなこと考えさせちゃいけない……! 私のせいで海君を変なふうに傷つけちゃいけない……!)
 
 全身を襲う激痛と、心にまだ残る恐怖。
 幸哉への懺悔の想い。
 どんなものよりも、私にとって一番大切なのは、やっぱり海君を想う気持ちだった。

 
 
 ――それなのに、彼は現れた。
 
 ふいに歩くのをやめて立ち止まってしまった私に、貴子がいぶかしげに呼びかける。
「真実? どうした?」
 
 真っ直ぐに前を見て、息をのんで立ちすくむ私の視線を追って、貴子も前を向く。
 でも貴子にはまだきっとわからない。
 広い舗道を行き交う人々の中、ずっとずっと遠くからこちらに向かって歩いてくる姿。
 
(……ああ、ひさしぶりだ……)
 そう思うだけで、胸がちぎれそうに痛い。
 
 周りをゆっくりと眺めながら、まるで羽が生えているかのように軽い足取りで、彼は私たちに近づいてくる。
(迎えに来てくれたんだね……)
 
 いつもより少し早く大学を出た私たちとは、ちょうど途中で出会うくらい正確な時間。
「送るよ」と何度も何度も言ってくれた優しい声が、耳の中でこだまする。
 
(あーぁ……本当は今度会う時は、すました顔をして「あら、ひさしぶりね?」なんて言うつもりだったのになぁ……)
 
 どんな人ごみの中でも。
 どんなに離れていても。
 私にはきっと見つけられるたった一人の人が、どんどんこちらに近づいてくる。
 
(海君がいなくても平気だったって顔して……少しは焦らせてみたかったのになぁ……)
 
 そんなことぐらいで、あの余裕たっぷりの笑顔が崩れるとは、私自身も思ってはいないけれど――。
 
「……あれ? ひょっとして……」
 貴子が声を上げたのと、彼が私に気がついたのがちょうど同時だった。
 
「真実さん!」
 眩しいくらいに笑って手を振る姿。
 
(ああ、声が聞けた……)
 そんな些細なことが、涙が出るほどに嬉しい。
 
 出ない声の代わりに、上がらない腕の代わりに、私はせいいっぱいに笑顔を作った。
 ――それは出会った夜に、他ならぬ彼が、私に思い出させてくれたものだった。
 
(海君……)
 溢れんばかりの想いをこめて笑うことだけが、今の私にできるせいいっぱいだった。
 
 私の様子がおかしいことに気がついて、
「……真実さん? どうかした?」
 足を速めて、近づいて来る海君の姿と、
「もう! 遅いんだよ。少年!」
 必死に私の体を支えながら、怒ったように投げかけられる貴子の言葉。
 
(ふふっ、意地悪言わないであげてよ……)
 そっと貴子に笑いかけた瞬間、私の体から力が抜けた。
 
「真実!」
 慌てて受け止めようとしてくれた貴子よりも早く、私たちの間に海君が走りこんできた気がした。
 私がずっと待っていたその腕に、しっかりと抱き止められた気がした。
 
 でもそれを確認することができない。
 瞼がもう開かない。
 すぐ近くで、誰かが私を呼んでいる気がするけれど、なんだか耳もよく聞こえない。
 
(私……どうなるのかな?)
 不思議と不安はなかった。
(まあいいか……海君に会えたから……)
 思わずニッコリ笑いたくなる。
 
 最後に私の大好きな笑顔を見た。
 私を呼ぶ声を聞いた。
 
(だから、まあいいや……)
 それだけで、私はじゅうぶんすぎるくらい幸せだった。
 そう思える相手が、いてくれるということが、たまらなく嬉しかった。
(ありがとう。海君……)
 優しい腕の中、私の意識は白く弾けて、混濁していった。


 
 夢を見た。
 暖かくて幸せな夢だった。
 私の傍に海君がいてくれる。
 
「真実さん」
 優しい声で、私の名前を呼んでくれる。
 指先にいつも繋いでいた海君の指の感触を感じる。
 
(嬉しいな……)
 絡めた指先から、幸せが駆けのぼってくる。
 感覚だけでも沸きあがってくる愛おしさ。
 だけど――
 
(どうして、顔が見えないんだろう?)
 ふと疑問に思う。
 海君の優しい声からすると、私の大好きなあの笑顔で、きっと見つめてくれているはずなのに――。
 
(どうして見えないの?)
 すぐにハッと気がついた。
(目を開けなくちゃ!)
 夢の中、私は固く目を瞑っている。
 
(目を開けなきゃ、見えるわけないじゃない!)
 自分でもおかしくなって、決心する。
 ううん、それほどたいしたことではない。
(目を開けよう……!)
 改めてそう思っただけ。
 
 ちょうどその時、
「真実さん」
 と海君が私を呼ぶ声が、もう一度聞こえた。

 
 
 目を開くと、私を見下ろす海君の顔が見えた。
 私の大好きな曇りのない真っ直ぐな瞳。
 華奢な輪郭。
 白い頬。
 
 どうしても彼に触れたくて、私は手をさし伸べた。
 あんなに痛くて、私の言うこことを聞いてくれなかった腕が、なんとか持ち上がる。
 
(ひょっとしたら、これはまだ夢かもしれない……)
 その思いが、私を大胆にさせた。
(夢だったら……少しくらい本音を言ってもかまわないよね?)
 
 私は海君の頬にそっとてのひらを当てて、その感触を肌で感じながら、
「会いたかったよ」
 と囁いた。
 
 海君は少し笑って、私のその手に、自分の手を添えた。
「俺もだよ」
 
 優しいその声が。
 私の手を包む海君の大きな手の感触が。
 夢にしてはやけにリアル過ぎはしないだろうか――。
 
(夢……だよね?)
 そう思った瞬間、海君のうしろから、とてつもなく不機嫌な声がした。
 
「いちおう、私もここにいるんだけどね……なに? 真実、気がついたの?」
 貴子だった。
 ベッドの上に横たわる私を、ひざまずいて見守る海君のうしろから、のぞきこむように貴子も見ている。
 
 そういえば、天井の模様が私が新しく引っ越した部屋の天井と似ているような気がする。
 壁紙も。
 しかも貴子まで、今ここにいるということは――。
 
(夢じゃなくって、現実じゃないの!)
 私は飛び起きようとして思い止まった。
 さすがにまだそんなには、体は機敏に動いてくれないらしい。
 
「痛っ」
 代わりに声が出て、少しホッとする。
 と同時に、とてつもなく恥ずかしくなった。
 
(どうしよう……やっぱり夢じゃないよ!)
 その証拠のように、私の動揺に気づいた海君は、とてつもなくおかしそうに笑っている。
 
「海君?」
 一縷の望みをかけて、見上げた笑顔は、
「うん。なに?」
 ますます綻んだ。
 
『穴があったら入りたい』とは、まさにこういう時の心境をいうのではないだろうか。
 私は途方に暮れた。
 
(この手! ……この手をいったいどうしたらいいの?)
 海君の頬に添えた自分の右手を恨みがましく見上げる。
 海君は絶対面白がっている。
 頬に添えられた私の手を、絶対に放すもんかと握りしめている。
 
 貴子は貴子で、
「真実も大丈夫そうだし、お邪魔になるのもなんなんで……じゃ、私はそろそろ帰ろっかな……」
 と、あてつけがましく立ち上がる。
 
(待って貴子! 行かないで!)
 すぐに言えないのは、やっぱり喉に少し違和感があるせい。
 そして、私を見つめる海君の瞳に、今まで以上にドキドキが止まらないせい。
 
 玄関まで歩いてから、貴子はゆっくりとこちらを振り返った。
「おい。相手は怪我人なんだから、無茶するなよ少年。真実の悲鳴が聞こえたら、私がすぐに飛んでくるからな」
 海君に向かって、牽制とも挑発とも取れることを言い放つ。
 
「貴子!」
 必死に声をふり絞った私を、海君は半ば抱き起こすように抱きしめて、
「はい。約束はできないけど、努力はします」
 ニッコリ笑いながら返事した。
 その声が、笑顔に反してあまりにも真剣過ぎる。
 
「海君!」
 何か言ってやりたいんだけど、言葉が出てこない。
 
 そんな私に海君は優しく笑いかける。
 だから尚更何も言えなくなる。
 
 貴子は海君の返事と、私に対する態度がいたくお気に召したらしい。
「よし。じゃ後はよろしく!」
 後ろ手に手を振りながら、さっさと部屋から出て行ってしまった。
 
 バタンとドアの閉まる音に、私の心臓は跳ね上がる。
(よろしくって……ちょっと貴子!)
 
 困り果てて見上げた海君は、まだ笑っている。
 思わず、
「海君は……まだ帰らないの……?」
 と尋ねて、
「うん。今日はひさしぶりだし……もう少し傍にいるよ……」
 と答えられ、余計にどうしようもなくなった。
 
 ずっと会いたかった。
 本当は聞きたいこともたくさんあった。
 でも、二人きりの狭い部屋で、こんなに寄り添っていたら、顔もまともに見れないし、話もできない。
 
 それに、私のどうでもいい質問なんかより、海君のほうこそ私に聞きたいこことがあるはずだ。
 それなのに、彼は何も言わない。
 貴子が部屋を出て行ったのを見送った体勢のまま、ずっと私をただ抱きしめている。
 
(何か言ったほうがいいのかな?)
 沈黙に耐えかねて、その顔を仰ぎ見る。
 いつの間にか貴子がいた時の穏やかな笑顔は消えていて、海君はひどく真剣な顔をしていた。
 どこを見ているのか。
 何を考えているのか。
 私には本当にはわからない。
 
 だからたまらない気持ちで、私はそっと呼びかける。
「……海君」
 
 海君はゆっくりと私に顔を向けた。
 目の前に迫った綺麗な瞳は、まるで泣いているようだった。
 それぐらい悲しい色をしていた。
 
「……海君」
 もう一度呼びかけた私に、彼は小さく笑って、私の体をそっとベッドの上に横たえた。
 肩まで布団を掛け直してくれる。
 
 その様子があまりにも悲しげだったから、思わず言葉が、口をついて出てしまった。
「海君は何も悪くないよ……」
 
 きっといろんなことを気にして、自分を責めているだろう海君を、辛い思いから開放してあげたくて、たまには先回りして言ってみたつもりだった。
 
 だけど海君はちょっと驚いた顔をしたあと、小さく首を横に振る。
「でも……ゴメン……」
 
 その辛そうな顔が、苦しそうな声が、私の胸をどんどん痛くする。
「海君が謝ることは、なにもないんだよ……?」
 
 心からそう思う。
 でも私のどんな言葉も、彼の心を軽くすることはできない。
 
「でも……守ってあげられなかったから……」
 詫びるように、後悔するように、海君は私の髪を指先でそっとすく。
 その心地いい感触にひたってしまいたくて、私はそっと目を閉じた。
 
「ありがとう。でも大丈夫……海君がそんなふうに思ってくれてるだけで、私は本当に幸せだから……」
 海君の指が触れる頭へと、髪へと、体中の神経が集中していくのが自分でもわかる。
 
「大丈夫だよ……私は大丈夫だから心配しないで……ね?」
 どうか気にしないでほしいと思った。
 傷つかないでほしいと思った。
 
(私のせいで傷つかないで……!)
 いつかの夜。
 こっそり祈ったことを思い出す。
 
(どうか幸せを……私よりも海君に幸せを……!)
 たった一つの願いを何度も心の中でくり返す私に、海君が囁いた。
 
「でも……できるつもりでいたんだ……せめて真実さんを守るくらいは、俺にもさせてもらえるんじゃないかって……勝手にそう思い上がってた……!」
 
 海君の言葉に、なんだか不思議なニュアンスを感じて、私は目を閉じたまま頭をめぐらす。
 
「俺はこんなにも無力だ。ちっぽけで、何も望めない存在だ。だけどたった一人だけ、真実さんのためにだけは、何かができるんじゃないかと思ってたのに……きっと俺はそのために生まれてきたんだって、ようやく胸をはって言えるって思ってたのに……!」
 
 海君の言葉は、私を守れなかったことを懺悔しているというよりも、そうすることができなかった自分の無力さに絶望しているように聞こえた。
 
(そんなに苦しまないで……)
 涙が零れそうになる。
 
 秘密だらけの海君が、何に悩み、何に傷ついているのか、本当のところは私にはわからない。
 けれど、それが自分の無力さを嘆いているのならば――それはまちがいだ。
 
「私は、何度も何度も助けてもらったよ……? 海君のおかげで、今の私があるよ……?」
 うまく彼に伝わるだろうか。
 喉は痛めているし、涙声だ。
 
 でも、今、伝えないといけない。
 恋の駆け引きとか、年上のプライドとか、私と海君の間には、最初からそんなもの、存在しない。
 本当の気持ちしか、伝えあっていない。
 だから、どんな時でも、ちゃんと伝えなければ。
 自分の思いを言葉にしなければ。
 
「海君がいなかったら今の私はいないよ。だから海君は無力なんかじゃない……いつだって海君がいてくれるおかげで、私はこうやって笑えるんだから……」
 そして、目を閉じまませいいっぱいの笑顔を作ったつもりだった。
 
 ずっと私の髪を撫でていた海君の手が止まる。
 どうしたんだろうと不安になる。
(うまく伝わらなかった? それとも私は……何か思い違いをしている?)
 
 たまらず閉じていた目を開けると、ビックリするぐらいすぐ近くに海君の綺麗な瞳があった。
 瞬きさえできずに驚いて見上げる私に、その瞳はもっと近づいてくる。
 
(海君?)
 破裂しそうな胸の鼓動に耐えきれず、もう一度目を閉じた私は、息がかかるくらいすぐ近くで、海君の声を聞いた。
 
「……ありがとう真実さん。何も望めないってわかっていても……やっぱり俺は、真実さんだけは望まずにいられない……できるなら俺のものにしてしまいたい……」
 
 眩暈がした。
 甘くて切ない感情に、もう溺れてしまってもいいと思った。
 でもその瞬間、すぐ近くにあったはずの海君の気配が、フッと私の上から遠去かる。
 
(えっ? ……海君?)
 思わず目を開けた私は、彼がさっきまでいた場所に、また座り直したことを確認した。
 
(今のは……どういう意味だったの? どういうこと……?)
 呆然とせずにはいられないくらい、私たち二人の距離はもう開いてしまっている。
 頭の中では疑問が渦を巻く。
 その答えは、まるで見当もつかない――。
 
(でも海君……その瞳を見たら私にはわかるんだよ……)
 決して目を逸らそうとはせず、離れた場所から真っ直ぐに私を見ている海君を私も見つめ返す。
 
(何があるの? 私から遠去からないといけないどんな理由があるの? 本当にそれが大切なら……それをこれからも守りたいと思っているんなら……そんな目で私を見ないで! そんな願うような、請うような瞳で……私を見つめないでよ……!)
 私は全身の力をふり絞って、そっとベッドの上に起き上がった。
 
「真実さん!」
 驚いたように海君が私の名前を呼んだけれど、大丈夫だ。
 体の痛みなんかより今は心のほうが何倍も痛い。
 私は静かに、自分の顔を海君に近づける。
 
(そう……これくらい。これくらいの距離にさっきはいたはず……そうでしょう?)
 私の声に出さない問いかけに、海君は少し頷いた。
 私の頬におそるおそる左手を添える。
 
「でも、真実さん……本当に俺には、そんな権利ないんだよ……真実さんに触れる資格なんてないんだよ……」
 
 その声が震えていると思った。
 いつも余裕たっぷりの海君が、本気で何かを恐れていると思った。
 
 だから私は、ふっと体の力が抜けた。
 いっぱいいっぱいに張り詰めていた緊張を、
「もういいや」と思って、自分で解いた。
 
「権利とか資格とか……よくわからないけど、そんなものは私のほうにこそないと思う。海君が気にすることじゃないよ。でもなんだか意識しすぎちゃうから……やっぱりいつもみたいに戻ろう……? さっきのは聞かなかったことにするから、海君も忘れて……!」
 
 一生懸命平静を装いながら、それでも本気でそう思って笑ったのに、海君は、
「でも俺は真実さんに触れたい。俺のものにしてしまいたい。その気持ちだって本当なんだ……」
 真剣な眼差しで、また蒸し返す。
 
 悪びれもせず堂々とした言い方が、いつもの海君に戻ったみたいに思えて、私はちょっとホッとした。
 だから今度は心から笑うことができた。
 
「海君。言ってることがめちゃくちゃだよ……!」
 いつもみたいに髪をかき混ぜてしまおうと、そっと柔らかい髪に手を伸ばしたのに、私の手をつかんで、海君は私を胸の中に抱きしめてしまった。
「……海君?」
 彼の顔を見上げた私の上に、海君の綺麗な瞳が近づいてくる。
 ――今度は迷うことなく真っ直ぐに。
 
(目に見えない何かと戦う決意をしたの? それとも、もういいやって投げ出してしまった?)
 問いかける間もなく、海君の唇は私の唇に重なった。


 
 流れこんでくるような狂おしいほどの感情に、泣きそうになったと言ったら、彼はどうするんだろう。
 いつものように、「ゴメン」って謝るのか。
 それとも、もっと幻のような夢を見せてくれるのか。
 
 どちらにしても、すぐには目を開けたくなかった。
 目を閉じたまま、百年の眠りについてしまったお姫様のように、できれば永遠に、この瞬間の中に自分を閉じこめてしまいたかった。


 
 長いキスのあと。
 
「ゴメン。真実さん……」
 海君が本当に謝るから、私は思わず笑ってしまう。
 
(そう言えば海君は、いっつも私に謝ってばかりだ……!)
 本当に謝らないといけないのは、私のほうなのに――。
 
 だから私は何も答えず、海君の頬にそっと手を添える。
 そして少し笑って、その頬に軽くキスをする。
 ――海君が何を気にしているのか知らないけれど、「私だって共犯だよ」の思いをこめて。
 
 海君は少し驚いて、でもすぐに眩しいくらいにニッコリと笑って、改めて私を抱きしめ直した。
 
「ゴメンね。真実さん」
 あいかわらず謝っているので、やっぱり笑わずにはいられない。
 
「もう……! 笑ってるくせに、何がゴメンなのよ……?」
 ちょっぴり意地悪を言ってみても、海君は全然へこたれない。
 
「これからのことを先に謝ってんの。真実さん怪我してんのに、悪いからさ……」
 妙に艶っぽい笑みを浮かべながら、私をドキドキさせるようなことを言う。
 
「それって……どういう意味かな……?」
 思わず逃げ腰になる私の耳元で、海君は囁く。
 
「お願いだから、貴子さんの助けだけは呼ばないでね」
 ドキリと胸がどうしようもなく跳ねた。
 
(それって……それって、どういう意味……?)
 私はよほど慌てた顔をしていたらしい。
 真剣な表情をずっと崩さずにがんばっていた海君は、遂におなかを抱えて笑いだした。
 
 その途端、私はやっと、ハッと気がついた。
「もう! また、からかったのね!」
 私の怒りの叫びに、海君はますます笑い転げる。
 
(もうっ! もう知らない!)
 私はベッドに横になると、頭まで布団を引き被った。
 
「ゴメン。真実さん、ゴメン……!」
 海君は謝ってくれているけれど、笑いながら言ったって、許してなんかやるもんか。
 
(年下のクセに、ほんとにいつも! いつもいつも……!)
 悔しくって丸くなる私を、海君が布団ごとそっと抱きしめる。
 
「ご要望があるなら、続きはまた今度。真実さんが元気になってから是非!」
 笑い混じりでそんなことを宣言されたって、
「うん。お願いします」
 なんて言うわけがない。
 
 それがわかっていて、海君はますます笑い転げる。
 
(いつまでもひとりで笑っていなさい!)
 布団の中で貝のように押し黙ったまま、私は心の中でせいいっぱいに叫んでいた。


 
「真実さんを望むのは俺のわがままだ」
 海君がそう思うのなら、私が海君を望むのだって、私のわがままだ。
 
「真実さんに触れたのが俺の罪だ」
 海君がそう言うのなら、私だって同罪だ。
 
(何が怖いの? 何を恐れるの?)
 いくら尋ねても、きっと私には教えてもらえない。
 
 でも彼にできないのなら、私から手をさし伸べればいいと思った。
 その結果、私が傷つくことを彼が恐れているんなら、そんなことはないと、くり返し伝えればいいと思った。
 
 だから苦しまないでほしい。
 一人で傷つかないでほしい。
  
 ――私はここにいる。
 いつだって海君の隣にいるんだから。