8
まるで私を待っていたように、私が廊下に出たとたんにいきなり名前を呼ぶもんだから、体が跳ね上がるほどびっくりしてしまった。
私の後ろからは、かの子、千佳、みのりが続いて教室を出てきたところで、山之内君が近づいてきている姿に、同じように驚いていた。
「倉持さん、一緒にまた帰れる?」
まっすぐに見つめる山之内君の瞳はどこか眩し過ぎて、見つめ返すのが恥ずかしくなってくる。
私はつい後ろにいた友達を振り返ったことで、友達の付き合いがあると態度で示してしまう。
「あっ、そっか用事があるのか。だったらまた今度でいいや」
「あの、もしよかったら皆で一緒に帰りませんか」
気を遣って思わずそんな受け答えをしてしまったが、山之内君を余計に困らせたかもしれない。
どこか苦笑いになって、それでも愛想良く応えようとしていた。
「僕がいると、邪魔になってしまうから遠慮しておくよ。それに倉持さんに個人的にちょっと話したい事があったんだ」
ここまで言われると、なんだかドキドキしてしまう。
何を私と話したいのだろうか。
こんなとき、後にいる三人が、私の背中を押して山之内君についていけとでも言ってくれたらいいのに、なんて思ってしまう。
でも三人も驚きすぎて、気を利かすことなどできないでいる。
山之内君も私の後ろに居た三人を気にして居心地が悪そうだった。
「また今度でいいよ。別に大したことじゃないから」
笑顔で大したことじゃないという言葉が出てくると、ドキドキしていた高まりがシュンと萎んで、何かを期待していた自分が恥ずかしい。
山之内君は私に気軽に接してくるが、それがどういう意味なのか全く読めずに、私一人で一喜一憂している。
そうこうしているうちに山之内君は、私達に遠慮して「じゃあ、また」と行ってしまった。
私はその後姿をじっとみていた。
またひそひそと何かを言われている気配を感じ、周りを見つめれば、わざとらしく目線をそらしている女子たちが多数いた。
立て続けに山之内君に声を掛けられると、一体どんな噂をされているのか怖くなってくる。
「ちょっと、真由。すごいじゃない。今日もまた誘われて」
攻撃でもするかのように、肘でつつきながらかの子が言った。
「なんか私達の方が邪魔した感じになっちゃったね。いきなりの展開だったから圧倒されちゃった」
みのりが気を利かして上げられなかったことを悪く思っていた。
「気にしないで」
みのりには笑ってそう答えても、あの時はそれを望んでいたと思うと私も複雑だった。
「この、この、やっぱり真由はかわいいから得だね。初めて真由を見たとき、すぐに友達になりたかったくらい目立ってたもん」
かの子と仲良くなれたのも、入学式の時に声を掛けられたのがきっかけだった。
積極的に話しかけられたのが嬉しくてそれで私もすぐに打ち解けた。
「そうだよな。素朴な気品ある可愛さがあって、それを鼻にかけてない落ち着いた雰囲気が確かにしてたわ」
千佳がさらりと言ってくれた。
かの子と千佳は同じ中学出身なので元から仲がよかった。
「私も真由の笑顔にやられた口だよ」
みのりもエヘヘと照れた笑いを見せて言った。
みのりと仲良くなったのはたまたま目が合って、お互いニコッと笑ったのがきっかけだった。
みのりは小柄で女の子女の子したようなかわいらしさがある。
妹みたいな守ってあげたい気持ちになって、私の方がみのりの笑顔にやられた口だった。
かの子は姐御肌のちょっときつい感じがするけど、そこがまたクールな美人タイプ。
千佳は髪が短くボーイッシュでかっこいい女子だった。
仲間だから、それぞれを褒めるのは身内の贔屓もあるだろうけど、私達はそこそこ悪くない感じではあった。
似たもの同志が結局は集まってきているのかもしれない。
山之内君のことも気になるけど、やはり友達も大切にしたい思いもある。
ここは友達と過ごす約束を先にしたんだから、優先するのが当たり前だった。
「いいように言ってくれるけど、何も出ないからね」
私が笑うと、皆も笑顔で応えてくれた。
千佳が紹介したいと言っていた店は、知る人ぞ知るような、駅から少し離れた、入り組んだ雑居ビルの中に紛れていた。
乗り換え路線が沢山集まる主要の駅の周辺では街の中心となって賑わいがあるが、その店は狭い路地を通って駅の裏側に出るために、知らないと中々足を踏み入れないようなところにあった。
コーヒーショップ「艶(つや)」と書かれた小さなつい立の看板が通りに出ていなければ、そこがお店とわからないくらい見逃してしまいそう。
見かけも古ぼけた民家を改造したような作りで、周りのごちゃごちゃしたビルや建物に押されて埋もれてしまいそうだった。
千佳が連れて来てくれなければ、絶対自ら入ろうと思わない。
でも千佳は自信たっぷりに笑みを浮かべて、ドアを開けた。
軽やかなカランコロンというベルがなって、すぐさまコーヒーの香りが鼻をつついた。
中はカウンターと、テーブル席が三つあり、素朴に木の素材をそのまま生かした風貌がログハウス調でおちついた親しみやすさが出ていた。
お客が誰も居ないので流行ってなさそうだが、却ってそれが秘密の場所に感じられて私はすぐに気に入ってしまった。
「おっ、千佳ちゃん。いらっしゃい。友達連れて来てくれたんだ」
カウンターの中にはひょろっとした男性がエプロン姿で手を動かしながら、にこりと笑って歓迎してくれた。
色白な優男風で、四角いフレームのメガネをかけているところがインテリな雰囲気がする。
「ヒロヤさん、こんにちは」
普段あまり感情を顔に表さない千佳がにっこりと愛想のいい笑顔を見せている。
かの子はそれを見逃すことなく、何かを感じ取るようにじっと見ていた。
私達は一番奥のテーブルに座り、喫茶店を見回した。
世の中、沢山のコーヒーショップがあり、今時らしくスタイリッシュで都会的なおしゃれ感があるが、それとは違って手作り的でアットホームな感じがとても居心地よかった。
ヒロヤさんがメニューと水を運んできて、にこやかに千佳に話しかけた。
「千佳ちゃんが友達連れて来てくれるなんて嬉しいな」
千佳が私達をヒロヤさんに紹介すると、ヒロヤさんは一人一人の名前を嬉しそうにちゃん付けで呼んでいた。
人懐こいその態度は、どこか世話好きの匂いがする。
コーヒーの柔らかなアロマと共に、ヒロヤさんは人を和ませる温かい気持ちにさせてくれた。
その時のヒロヤさんを見る千佳の瞳はキラキラしていて、学校では見せない生気溢れたものが出ていた。
私だけでなく、かの子とみのりも同じように感じているのか、時々目が会うと何かを言いたい意味ありげな顔をしていた。
私達は、ヒロヤさんが焼いたという特性のケーキと紅茶を頼んだ。
焼きっぱなしの素朴なケーキだが、タップリと生クリームを添えて食べるのがとても癖になるほど美味しかった。
「千佳、いつからこの店知ってたのよ」
千佳の態度で、かなり前からヒロヤさんと親しい事がわかるだけに、かの子にはすぐに教えてもらえなかった事が不服そうだった。
「割と昔からかな。中学の時はさ、喫茶店とか気軽に入れる年でもないじゃない。だからあまり友達に紹介できなかった」
「でもいいところだね。ケーキも美味しいし、とても落ち着く」
紅茶のカップを手にしてみのりは満足そうに目を細めていた。
「私のことよりも、今日は真由の話を聞きにきたんでしょ」
千佳に言われてかの子ははっとした。
「そうだった、そうだった。千佳のことはまた今度だ。とにかく真由、昨日のこと全て話してもらうよ」
「はいはい、なんでも包み隠さずお話します。だけど、誰にも言わないでよ」
それは分かってるとばかりに、皆うんうんと頷く。
私もこの三人の前では全部知っていてもらった方がいいと、前日起こった事を全て話した。
それは池谷君のことも含めたために、過去の思い出まで話すこととなってしまった。
皆は私が話し終えるまで、とにかく静かに聞いてくれた。
「最後、話がなんか枝分かれして変な感じになってない?」
一通り聞き終わったところでかの子が指摘した。
第三者の池谷君の登場で、山之内君が走って帰らざることになって、変な方向に行ってしまった結果にかの子は心配してくれている。
「山之内君、だから今日、詳しく聞きたかったんじゃないかな。その池谷っていう男の事を」
千佳は冷静に分析していた。
「真由ってやっぱりもてるんだね」
みのりが一番暢気な答えだったかもしれない。
「だから、もてるとかそういうのじゃなくて、山之内君とだって、ただ喋って終わっただけなの。ほんとそれだけだよ」
「で、真由は結局どうしたいの? やっぱり山之内君のこと気になるんでしょ」
かの子にはっきり言われると、答え難くて仕方がない。
自分でもどうしたいとかわからないくらいだった。
「もちろん、あれだけかっこいい人が声を掛けてくれたんだから、気にならない訳がないじゃない」
変わりに千佳が代弁してくれたが、ふとその視線がヒロヤさんの方を一瞬向いていた。
悟られないようにすぐにカップを口にもって、お茶を何気にすすっているが、その態度で千佳もヒロヤさんに気があるように思えた。
この時は私の話題だったので、千佳のことまでは誰も突っ込まなかった。
「その池谷君って言う人だけど、一体どんな人なの?」
みのりが質問したその時、カランコロンと軽やかな音が聞こえて、誰か他のお客が入って来た。
私達は音のなる方向を無意識に見てしまった。
そして見覚えのある制服を着た、二人の男の子が入って来て、思わず私は「うわっ」と声を上げてしまった。
9
噂をすれば何とやら──。
なんとそこには池谷君がいた。
制服姿の女子高生が固まっているだけで目立つ狭い空間は、すでに身を隠す事ができない。
無駄な抵抗とわかっていても、本能的に見つからないようにと体が縮こまる。
そんな努力も甲斐なく、その時千佳が声を出した。
「アキ! あんたも来たの?」
「なんだ千佳もかの子もきてたのか」
「なんだとはないでしょ。明彦」
かの子もどうやら知っている様子。
そこに池谷君が私を見てしまい、嫌味っぽく笑顔を見せた。
「おっ、倉持じゃないか」
「なんで、池谷君がここにいるのよ」
「あれ、瑛太の知り合いが、千佳の友達なんだ。へぇ、すごい偶然」
千佳にアキと呼ばれた男の子は私達の近くに寄ってきた。
「おっ、アキちゃん、いらっしゃい。今日は姉弟で友達連れて来てくれるなんて嬉しいね」
ヒロヤさんが姉弟といったとき、私とみのりは顔を合わせた。
「ヒロヤさん、こんにちは。これ、俺のダチの池谷瑛太」
池谷君は頭を下げて挨拶をしている間に「千佳と明彦って双子の姉弟なんだよ」と、かの子がさらりと説明してくれた。
そういわれて二人を見比べれば、全く同じとは言えなかったが普通の兄弟よりはかなり似たような顔をしていた。
だけど男っぽい粗野な千佳に対して、明彦の方は中性的な繊細さを持ち合わせていた。
二人は姉弟であっても、性別が逆転しているように思えた。
一人っ子の私には、兄弟がいるというだけでもよく分かってないのに、性別の違う双子で顔が似ているというのは不思議に思えた。
私が千佳と明彦を観察している時、みのりは池谷君を見ていた。
「ねぇねぇ、もしかしてあの人が例の昨日現れた第三者?」
みのりが小声で問いかけると、私はこっくりと頷いた。
しかし、どうしてこうなるのか。
千佳の双子の弟、明彦は池谷君と同じ高校に通っていた。
私が千佳と偶然友達になったように、明彦も池谷君と友達になっていた。
そして偶然が偶然を呼び、千佳と明彦を媒介してこの喫茶店に来てしまった。
これはなるようにしかならないという、避けられないことなのだろうか。
どんどん接点が広がって嫌になってくる。
「アキはあっち行ってな。ここは女子会なんだから」
「千佳が女子会って言う顔かよ。男っぽいくせに」
「あんた殴られたいの」
「はいはい、すみませんでした。瑛太、あっちいこう」
池谷君は私をチラリとみて、そして明彦に引っ張られるままに離れた席についた。
ヒロヤさんはにこやかな笑顔で二人の接客をして、話が弾みだしていた。
私は池谷君が側にいるだけで、気分が悪くなってくる。
落ち着くために、カップを手にとってとっくに冷めてしまったお茶をすすって一息ついた。
「弟がいるって聞いてたけど、双子だったなんて知らなかった」
雰囲気を少しでも変えようと、私は千佳の話題を持ちかけた。
「双子でも先に生まれたのが私だったから、一応分刻みでも後から生まれたのが弟だからね」
「でもさ、千佳は男っぽいのに、弟君の方は少し優男というのか、かわいらしいよね」
みのりが遠慮がちに小声で言った。
髪も千佳よりも長めだったし、本当は女の子みたいといいたかったと思う。
それは私も感じたことだった。
でも千佳が髪を伸ばせば、同じようになっていたと思う。
千佳がボーイッシュすぎたから、明彦が余計に女性っぽく見えるだけなのかもしれない。
「それさ、中学でもよく言われてたね、千佳」
かの子は二人と同じ中学だけにこの双子の姉弟の事は良く知ってそうだった。
「まあね。弟は確かに私よりは女らしいところがあってさ、悔しいけどあいつの方が器用なんだよ。料理や裁縫なんか得意で、ほんと宿る体を間違えたかもしれない」
「うんうん、千佳はその点スポーツとか喧嘩が得意だもんね」
「ちょっとかの子、喧嘩って何よ」
「ごめんごめん、まあ昔は千佳ちょっとぐれてたからつい」
「えー、千佳ってぐれてたの?」
私とみのりがびっくりすると、千佳は隠すこともなく余裕の笑みを浮かべて肯定した。
でも詳しいことは何も話したがらずに、その後はかの子が続けた。
「ぐれてたっていっても中学一年の時だけだったから、その後はなぜか真面目になって一生懸命勉強し出して、見る見るうちに変わっていった感じだった。私が仲良くなったのも、変わった後だったから、私も千佳がぐれてたときの事は噂でしかしらない」
「何かしら、皆色々と事情があるもんさ」
またこの時も千佳はヒロヤさんを目で追った。
千佳が変わった理由がヒロヤさんの存在ではないだろうかと、ふと私は推測した。
「ちょっと、それよりも、なんか真由の話ができなくなったね」
かの子が離れたテーブルに座る池谷君を一瞥する。
「でも、事情は全て聞いた後だったし、そこでご尊顔も拝めたし、これで一層詳しく理解できた気がする」
みのりが囁くように言うと、私を除く三人は露骨にも池谷君の方向に首を向けた。
「まあ、家に帰ったら私もアキからどういう人か聞いておくよ。繋がったお陰で、情報が入手できるからよかったんじゃないの」
千佳の双子の弟から情報が入ってくると言われても、私にとったら係わりたくないだけに、繋がったことがいいことだとは思えなかった。
その時、池谷君の笑い声が聞こえてくる。
逃げられないんだぞとこっちの気持ちを読まれているみたいで、悪夢に思えた。
なんでこうなるのか、ヤケクソでグラスの水を一気に飲み干してしまった。
10
池谷君が現れてから、私中心に話していた内容も憚られてしまい、暫く雑談が続いたが、そろそろいい時間になり、私達の方が先に腰を上げた。
ここで池谷君も同じように腰を上げたら家路が同じなので困るのだが、ちらりと池谷君と明彦を見れば、なんだか真剣な顔をして話し込んでいたので、いそいそと行動する。
私達が支払いを済ませても、池谷君は気にせず立つ気配がない。
何をそんなに話しこんでいるんだろうと、私の方がなんだか気になってしまった。
真剣に明彦と話している顔は、私がイメージする池谷君ではなかった。
そんな事を気にしても仕方がないと、無視を決め込んだ。
「千佳ちゃんたち、今日は来てくれてありがとうね。またいつでも寄ってね。この時間はあんまりお客も来ないから穴場だよ」
カウンターの端にあるレジにお金を入れながらヒロヤさんが言うと、千佳はまた目をキラキラさせていた。
「ヒロヤさん、自分で言ってたら世話ないけど、もっとお店を繁盛させた方がいいよ。それに私達にサービスなんてしなくていいから」
ヒロヤさんは正規の値段よりも安くしてくれていた。
「この時間は学生の人たちは大歓迎だからいいの。それに忙しいよりも、ゆったりとした方がいいからね。これでも朝はモーニングサービス、昼間はランチタイムとかあって、時間によってはお客は来るんだよ。大丈夫、大丈夫」
ヒロヤさんは物腰柔らかく、優しく笑っていた。
人柄がよくあらわれている親しみのある笑顔だった。
かの子もみのりも「また来ます」と答え、私も「美味しかったです」と声をかけると、メガネの奥で一層目が細く垂れていた。
「アキ、先に帰るけど、あんまり遅くなるなよ。それにヒロヤさんに迷惑かけるんじゃないぞ」
「うるさいな、ちょっと数分早く生まれただけで姉貴気取りなんだから」
「数分でも、姉には変わりない。文句言ってんじゃないの。宿題手伝ってるの誰だっけ?」
「はい、もちろん、お姉ちゃんです」
急に態度を変えた明彦は、人懐こい笑顔で答えていた。
「千佳ちゃん、あんまりアキちゃん虐めちゃだめだよ」
ヒロヤさんが後でフォローすると、明彦は庇ってもらった事を得意げにわざとらしい笑みを浮かべて舌をだしていた。
それにきつい睨みで返し、最後はもう一度ヒロヤさんに振り返って、さようならの挨拶をすると、千佳は店を出て行った。
私達三人も頭を軽く下げて、彼女の後をついて行く。
池谷君をチラリと見れば、ちゃっかりと私に手を振って笑っていたから、慌てて外に出てしまった。
通りに出ると、ほっと一息ついた。
皆、口々に美味しいケーキだったことや、落ち着いたいいお店と褒めて、最後にヒロヤさんの人柄が気に入った事を千佳に告げた。
「それにしても真由、弟がまさか真由の知り合いを連れてくるなんて思わなかった。居心地悪かったんじゃない?」
「そんなことない。会ってしまったことはびっくりだったけど、席は離れてたし、気にならなかったよ。それより……」
私はその後、ヒロヤさんと千佳の事を聞きたかった。
千佳は絶対にヒロヤさんの事を好きに違いない。
ヒロヤさんの前だけは千佳は普段見せない女の子らしさが出てくるだけに、どうしても気になって仕方がなかった。
「…… 千佳とヒロヤさんはどうやって知り合ったの?」
「ああ、昔からの知り合いでお世話になった人なんだ」
「とてもいい人そうだよね。優しさがにじみ出てた」
「みのりって、大人しいくせに見るところはしっかりと見てるよね」
かの子が口を出した。
「みのりは一番冷静に物事を見て、観察するタイプだからな。で、みのりの目からみてヒロヤさんは他にどんな風に映った?」
千佳の方から質問を振っていた。
「うーん、そうだね。とても世話好きで、人の事を考えるタイプって感じがした。もちろん優しくて素敵な人なんだけど、でもどこか、影があったかも。メガネのせいかな」
「さすが、みのり、良く見てるわ。ヒロヤさんってお人よしで、すぐに損しちゃうタイプなんだけど、損得なしに誰にでも優しいところが素敵なんだ」
「あんたさ、もしかしてヒロヤさんのこと好きなの?」
やっとかの子が突っ込んでくれた。
私もそれが聞きたかった。
「まあね。でも叶わない恋なんだ」
回りくどく考えてた私の感覚を無視するように、あっさりと千佳が認めた。
「ヒロヤさんって、大人だもんね。あれは高校生を相手にしないタイプだわ。でも千佳に好きな人がいたなんて知らなかったわ。あんたが一番恋には程遠いタイプって気がした」
「かの子は、デリカシーがないよ。千佳だって女の子なんだから、恋くらいするって。それを隠さず潔く認めているだけ、やっぱり気持ちいい。誰かさんと違って」
みのりがちらりと私を見ると、それに合わせるようにみんなの視線がこっちに向いた。
「真由、あんたは結局どうしたいんだ? やっぱり山之内君のこと好きなんでしょ」
恋しているとはっきり認めた千佳に聞かれると、どう答えていいのかわからない。
「そろそろ、はっきりと自分の気持ちを決めた方がいいぞ。どっちつかずだと、山之内君に憧れてる女の子の反感買うぞ」
「やだ、かの子やめてよ、脅すのは。山之内君もただ友達として私と話してるだけのように思うし、私も変な期待しちゃったら、あとで辛い」
「あっ、真由、やっぱり恋の駆け引きでどっちに転ぶか慎重になってるんだね」
みのりは悪気なく、びしっと要点をついてくる。
それが一番言われたら恥ずかしいことだと言うのに。
相手の様子を見て、どうしようか迷ってるなんて、あざといし、自惚れてるってみえみえ。
「みんないじめないでよ。私もこんなこと初めてで、すごく混乱してるしさ。だって、あんなにかっこいい人がいきなり近づいてきてくるんだよ。戸惑わない方がおかしくない?」
「もちろんそうだ。真由は自分の気持ちのままに行動すればいいだけ。こればかりは他人は口挟むことじゃないからね。でも、真由はすでに山之内君に恋してると思うよ。それを認めるのが怖いだけさ」
「えっ?」
千佳の言葉にはっとさせられた。
「もういいじゃん。これ以上真由をいじめるのはやめよう。ここは真由の味方にならなくっちゃ」
千佳は私の肩を抱いて、励ましてくれている。
なんて男前な。
そんな言葉がほんとに良く似合う。
ヒロヤさんの前ではかわいらしく、女の子しているそのギャップが千佳をとても魅力ある女の子にしているように思えた。
髪が短いから少年っぽいけど、こんなショートの髪型がきりっと似合うのは元がいいからだと思う。
「千佳も頑張ってよ。私応援してるから」
千佳は笑っていたけど、どこか目が寂しそうに陰りを帯びていた。
伝わらないもどかしい気持ちを抱えた恋する女の子の目だった。
こうやって女の子達だけで、恋の話をするのはやっぱり楽しいひと時だった。
それは皆も感じていたことなのか、より一層私達の友情が強まったような気がする。
後は、そこに実った恋があれば、本当に充実した高校生活になるのだろうか。
山之内君と一緒に帰ったときの事を思い出してしまう。
やはりドキドキとしてそれが新鮮で快感でもあった。
この日も一緒に帰ろうと誘ってくれたけど、女友達を優先したものの、あの時彼が何を私に話したかったのかとても気になってしまった。
それぞれの路線に向かうために皆と別れ、暫く一人で電車に揺られて自分の駅に着けば、空は陽が大きく傾いて、セピア色の優しい夕暮れ時だった。
一日の終わりを感じながら、一緒に降りてきた人たちに混じって改札口を目指していた。
何も考えず慣れた動作で定期を改札口にかざして、駅の外に出た。
「倉持さん」
またそこで自分の名前が呼ばれたように思った。
顔をあげると、日が暮れていく黄昏の中、私服姿の山之内君が自転車を手にして立っていた。
1
「山之内君!」
思わずびっくりして立ち止まってしまった。
「おかえり」
さりげなく笑顔で言われると、条件反射的に「ただいま」と口をついてしまう。
でもその後、私は笑う余裕がなくてただ戸惑って山之内君をじっと見てしまった。
周りは改札口を出てきた人が丁度各々の方向へと散っていき、駅前は人通りがまばらになっていた。
山之内君は邪魔にならないと思ったのか、自転車を押して私に近づいてくる。
自転車のティキティキティキとしたタイヤの回る小刻みな音が耳に届いた。
自転車ですら、クロスバイクでスマートなかっこよさがあり、そこに程よいゆるめのチノパンに英語のロゴTシャツを着てその上にデニムシャツを羽織っている私服姿が、アメリカンカジュアルを着こなしているようでサマになっていた。
胸を張って背筋が伸びている姿勢も自信が漲って頼もしい。
その辺の高校一年生と比べてやはり大人っぽく見えるのは、精悍な風貌だからだろうか。
つい見とれて垂涎してしまいそうで、誤魔化すように質問を振ってみた。
「ここで何をしてるの?」
「いや、その、ちょっと人を待っていて……」
まさか自分を待っていてくれたとか?
いやいやいや、そんなことはないだろうと思いつつ、平常心を装いながらも、私服姿の山之内君を間近で目にすると胸がドキドキと高鳴っていくのは止められない。
私は何をそんなに意識しているのだろうと自分らしくない態度に戸惑ってしまった。
落ち着かない私の様子が伝播したのか、山之内君もコホンと喉を鳴らしてその場が一層ぎこちなくなった。
「偶然、倉持さんの姿が見えたから、つい声を掛けてしまったんだけど、迷惑だったかな」
山之内君は遠慮がちな態度を取り、語尾も最後弱くなったが、私の反応を気にするようにじっと見つめていた。
「迷惑じゃないけど、急に声を掛けられてびっくりして」
お互いの様子を見るぎこちない態度だったが、山之内君はその時にっこりと笑顔を見せた。
その笑顔に釣られて私も笑うと、お互いほっとするような安堵する空気が流れたように思えた。
それが功を奏して、山之内君はその空気の流れに乗り、すぐさま本題に入った。
「だけどちょうど良かった。今ちょっと話せる?」
「も、もちろん」
一体何を山之内君は話したいのだろうか。
気になっていたことだけに、より一層胸の高鳴りが激しく音を立てたように思う。
「あのさ、昨日会ったあの男だけど」
「えっ、あっ、池谷君のこと」
何気に感情を抑えて言ってみたものの、やはり池谷君の事を気にしていたと知るや内心落ち着かなかった。
「そっか、池谷君…… だね。その、彼なんだけど……」
なんだかこの後言い難そうにして、私の反応を注意して窺っていた。
やっぱり何か誤解しているようにも見え、ここはしっかりと説明しなければならないと強く思ってしまう。
「池谷君は、その、小学校、中学校が同じだったけど、碌に話をしたこともなくて、昨日、声を掛けられて私がびっくりしたくらい」
「池谷君とは親しくないの?」
「親しいとか言う前に、ほんとに喋ったことがないんだけど」
「でも、池谷君はとても倉持さんと親しそうだったけど」
「その、小学一年生のとき、同じクラスに一度なっただけで、知ってることは知ってるの。でもほんとにそれだけのことで、後は学校が同じでも昨日まで一度も喋ったことがなかった。どうして昨日声を掛けられたのか不思議なくらい」
「小学一年生のとき同じクラスだった?」
山之内君が訝しげな表情で私の様子を伺っている。
辺りはどんどん陽の光が弱まって薄暗さが増し、それとは対照的に駅やその周辺の建物の灯りが強くなってきた。
山之内君の表情にも陰りが見えたのは充分な光がなかったからだろうか。
「でも、池谷君がどうしたの?」
もしかして私の彼と誤解しているんだろうか。
ここでそんな事を自分の口から言ったら、自惚れに繋がる自信過剰と見なされて、山之内君に何かを期待していると自ら墓穴を掘りそうだった。
「僕が倉持さんと一緒にいたからさ、それで昨日じろじろ見てきたし、ちょっと気になって」
山之内君は何が言いたいのだろう。
行動力もありハキハキとしている人なのに、この時とてもハギレが悪かった。
何かをいいたそうにしているが、私を見てはそれがいい出せないのか、それとも私の出方をみているのか、視線だけは私からはずさなかった。
じっと山之内君に見つめられると、私の胸の高鳴りはどんどん小切れのいいビートとなってしまって息苦しい。
「池谷君…… って人は何か僕のこと言ってなかった?」
「別に、これといって、特には。ただ冗談で三人で遊ぼうとか宜しく言えとかいってたけど、あの人はお調子者でチャラチャラしてるから」
「それで、倉持さんは池谷君のこと好きなの?」
「えっ!」
まさか、ダイレクトにこんな質問をされるとは思わなかった。
咄嗟に手をブンブンと力強く振って、私はムキになって否定する。
「だから、ほとんど昨日初めて話したようなもので、池谷君は私とは全く関係がないの」
つい力んでしまった。
「そっか、それならよかった」
「えっ?」
「いや、なんでもない。こっちのこと。ごめん、なんか僕のこと変だと思ってるでしょ。僕、その通りちょっと変なんだ。ハハハハ」
私がどう反応していいのか迷っていると、山之内君もまた複雑な顔をして私を見つめていた。
「山之内さん、僕のこと、ほんとにどう思う?」
急に真面目な顔を向けた。
辺りはすっかり薄暗く、その中で真剣な眼差しを向けられるとすごく迫力があった。
「ど、どう思うっていっても、その」
私はどう答えていいのだろうか。
これって山之内君が私の事に気があって、試しているんだろうか。
まさか、そんな。
完全に自分を見失って、何をどう答えていいのかわからない。
その答え方で全てが決まってしまいそうで、変に身構えるから気安く言葉が出てこなかった。
あたふたしていると、山之内君はもどかしさを顔に募らせる。
「ねぇ、僕の顔を真剣に見て」
山之内君はさらに顔を近づけてきた。
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魅力的な顔を惜しみもなくぐんぐん近づけられると、こっちはドキドキするだけで何を言っていいのかわからない。
山之内君は一体何がしたいのだろうか。
「あの、ちょっと、待って。そんなに近づいてもらっても困るんだけど」
前日も傘を奪い取っては、距離を縮ませてきたし、同じように顔を近づけてもきた。
これはどういう意味なのだろうか。
「やっぱり、まだダメなのかな」
山之内君はがっかりしたように首をうな垂れた。
「山之内君? 一体どうしたの?」
「僕はただ、倉持さんに僕の事をわかって欲しいんだ。そうじゃないと、僕は……」
何かを訴えるような瞳が、少し揺れていた。
山之内君のことは私も気になっているし、それは周りがかっこいいからとか、アイドルのように囃し立てているから、私なんかに声を掛けてもらったことで、優越感に似た気持ちがどうしても入ってしまう。
それを素直に認めて、好きだなんて気軽に言えるわけもなく、私も実際どうしていいのかよく分かってない。
まだ出会ったばかりで、いきなりこれが恋とかそういうものかもわからない。
だから、どう思うとか聞かれても、実際困るだけだった。
もしここで私が好きという言葉を言えば、山之内君はどう対応するというのだろうか。
かなり捻じれた不思議な状況に、私は口をパクパクとさせるだけで、考えが声になって出てこなかった。
そして、電車は休みなく次々と入ってきている。
その度、家路を目指した人が波のように改札口に押し寄せて溢れだす。
沢山の人が私達の周りを通過している間、私達はお互い黙り込んで波が引くのを待つように突っ立っていた。
若い男女が向き合っている姿を好奇心でじろじろと見て行く人がいる中、露骨な視線が突き刺さって非常に居心地が悪かったが、下手に動いても迷惑になるだけだったので、その場に静かに留まっていた。
そんなとき、肩を思いっきり叩かれて、体がびくっと跳ね上がった。
「よっ、倉持じゃないか。こんなところに突っ立って何してんだよ」
池谷君だった。
またややこしいのが来てしまった。
喫茶店で会ったときは借りてきた猫のように大人しかったのに、なぜ今は水を得た魚のように生き生きとして活動的なのだろう。
お願いだから、あまり掻き回さないで欲しい。
ただでさえ、今、あんたの事を話していただけに、このタイミングで来られるのはイライラしてしまう。
私は早く帰ってと懇願する思いを込めながらキッと強く池谷君を見た。
そんなことしても全く無駄だった。
却って池谷君は状況をすぐに飲み込み、帰る気がない意志を私に知らせるように、何かを企んでいるようなニタついた笑みを浮かべた。
「えーっと、こいつが山之内君だね。どうも」
馬鹿、こいつって言うんじゃない。
私は思わず池谷君を睨んでしまった。
そんな私の態度など気にせず、わざとらしく山之内君に微笑みかけ、そして右手を差し出していた。
山之内君は戸惑っていたが、差し出された手を拒めずに、恐る恐る握手を交わしてしまう。
池谷君は山之内君の手を強く握っては、ブンブンと大きく上下に揺らしている。
山之内君の顔はどこか引き攣っていたが、敢えてされるがままになって様子を見ていた。
「俺、池谷瑛太。よかったら瑛太って呼んでくれ」
山之内君は圧倒されたまま、池谷君を見つめるだけだった。
「倉持も、俺のこと瑛太って呼べよ。そしたら俺も真由って呼ぶから」
「ちょっと待ってよ、なんで池谷君に呼び捨てにされないといけないのよ」
「何言ってんだよ。俺たち、一線を越えた中じゃないか」
「ちょっと、それどういう意味よ。変なこと言わないでよ」
私は思わず山之内君の顔を窺う。
山之内君は呆然として、池谷君を見ていた。
「ちょうどいいから、山之内君にも聞いてもらおう。俺、小学一年の時、真由の頬にキスしたんだ。そんでそれを思い出して、昨日、また頬にキスをしちゃったよ。なっ、真由」
「ちょっと、待ってよ。それって、無理やりってことでしょ。はっきり言って犯罪よ!強制わいせつ!」
「おいおい、そこまでいうか」
私が喧嘩腰になっていると山之内君はびっくりした表情をしていた。
「小学一年の時に頬にキス? そして昨日も?」
「だ、だからそれは、ちょっとした事故で、無理やりで私は望んでなかった」
こんな事をばらされて泣きたくなってくる。
山之内君も唖然として、口をぽかんと開けていた。
「小学一年の時と昨日、本当に池谷君が、倉持さんにキスをした?」
「おいおい、瑛太でいいって言ってるだろ。遠慮すんな」
「ちょっと、瑛太! いい加減にしなさい」
私は腹が立ち、冷静になれなくなって自然と瑛太と呼び捨てにしてしまった。
キスのことは山之内君にはやっぱり知られたくなかった。
この時、私は山之内君のこと完全に意識してることに気がついた。
「あっ、もしかして山之内君、ヤキモチ焼いてるのかな」
瑛太は悪役のキャラクターのようにニタついて山之内君をコケにしている。
「瑛太、いい加減にして。あんたね、一体何を考えてるの。その態度、山之内君に失礼でしょ」
「山之内君に失礼? はぁ? 失礼なのはどっちさ。昨日は俺が現れても何も確かめずに勝手に走り去って帰っていってさ、それで今日になって俺のこと真由に聞いてるんだろ。言いたい事があるんなら、すぐに言えばいいじゃないか。黙って見てみぬフリしてる方が失礼さ」
瑛太は鋭い目線を山之内君に突きつけた。
「黙って聞いてたら、言いたい放題なんだね…… 瑛太」
山之内君がとうとう我慢できなくなって落ち着きながらも、どこかで凄みをかけた声を出した。
「おっ、俺の名前をやっと呼んでくれたね。そう来なくっちゃ。それじゃ俺もあんたの名前を呼ばせてもらおうか。なんて呼べばいい?」
「拓登(タクト)だ!」
「拓登か」
瑛太は鼻で笑って、挑戦的な目を向けた。
ちょっとちょっと、一体どうなってんのよ。
どうして瑛太と山之内君がにらみ合ってるのかわからない。
「ちょっと待って、あの」
私が収集つけようと二人の間に入ろうとするが、完全に無視された。
「瑛太、嘘をつくのはやめてもらおうか。倉持さんも困ってるだろ」
「一体なんの嘘をついたんだよ。文句があるならはっきり言えばいいじゃないか。拓登は真由の事をどうしたいんだ? 俺、昨日ちゃんと告白したんだぜ。真由 が好きってな。あんたもはっきりと気持ちを伝えたらいいじゃないか。なんか見てたらまどろっこしいというのか。イライラしてくる」
山之内君はぐっとお腹に力を溜め込むように黙りこくった。
何かを言いたそうにしながらも、それを押さえ込んでいるようだった。
そしてようやく口を開けた時、私を見た。
「僕は、その、倉持さんに……」
その後が言い難いのか、またぐっと歯を食いしばっている。
「ほら見ろ、言えないじゃないか」
「もう、ちょっと、瑛太いい加減にして。一体、何がしたいわけ? はっきり言って、瑛太とは昨日初めて喋っただけで、私とは全く関係ないでしょ」
「なんでだよ。俺たち、小学一年生からの仲じゃないか。俺は真由のことずっと見てたぞ」
「でも、私は全然見てなかった」
「でも俺のことは知ってるだろ。なんせ小学一年生のとき同じクラスだったんだから」
小学一年生のことばかり瑛太は強調する。
そんな大昔なこと強調されても、滑稽なだけなのに、なぜそこまでそれに拘るのかがわからない。
「そ、それは、もちろん覚えてるけど…… なんでそんな昔の事を今頃」
この時、山之内君は怒りを抑えているのか体全体がブルブル震えていたように思えた。
瑛太が馬鹿な事を口走って突っかかるから、我慢の限界だったかもしれない。
「瑛太、僕に何か恨みでもあるのか?」
「恨み? まあ強いて言えば嫉妬かな。真由と一緒にいたからね」
山之内君はフラストレーションが溜まって顔つきがきつくなっていた。
それでもかっこいいことには変わりなかったが、じっと瑛太を見つめ、また瑛太も引けを取らずに受けて立っているから、火花が飛ぶようだった。
傍から見れば、三角関係のもつれに見えてそうで、まさにこれって私を取り合ってる構図?
どちらも背が高いし、山之内君はもちろんかっこいいけど、瑛太も見かけだけは悪くない。
そんな二人が私の前でいい合ってるなんて…… って、感心している場合じゃない。
山之内君は立腹しているが、瑛太はなんだか違う。
楽しそうに笑っている。
完全にからかっているとしか見えなかった。
ニヤリと笑う意地悪な瑛太の顔を見ていたら、ものすごく腹が立ってきた。
「違う! 瑛太のやってることおかしい」
私は知らずと吼えていた。
3
「何がおかしいんだよ」
私が突然吼えたことで、瑛太の呼吸が少し乱れて慌て出した。
「瑛太が恨みを持ってるのは私じゃないの? 山之内君に突っかかるのも、私を困らすためでしょ」
「おいおい、なんでそうなるんだ」
「昨日、私が露骨に嫌な顔したし、瑛太のことなんとも思ってないから、それでイライラして山之内君に八つ当たりしてるだけ」
「ははは、だから俺もはっきりと言ってるじゃないか、嫉妬だと。その通りさ、俺は完全に嫉妬してるから、それをただぶつけてるだけさ」
「だけど、山之内君は関係ないわ。それに私達はただ喋ってただけじゃない。それを勝手に勘違いして絡んでこないでよ」
「おっ、それじゃ真由は拓登を好きじゃないんだね」
「えっ」
ストレートに質問されて、言葉に詰まってしまった。
山之内君もこっちみてるし、私はどう返事していいのかわからない。
「だから、そういう問題じゃないでしょ。どうしてややこしくしたいのよ。瑛太とは昨日まで全く繋がりがなかったのに、なんで急にこんなことになるの? 瑛太は私達とは学校も違うし、全く関係のない人でしょ」
この時、瑛太の顔が曇った。
あんなに粋がって山之内君をあざけるようにからかっていたというのに、一瞬で表情が凍りついたように硬くなっている。
「どうせ、俺は真由たちと違ってレベルの落ちる高校に通ってますよ」
意外にも学歴コンプレックスを持っていた。
「別に、そういう事を言ってるんじゃないわよ。ただ全く関係がないのに割り込んで事をややこしくしているって言ってるだけじゃない」
暫く私と瑛太は挑むようにお互いを牽制しあっていた。
それに折れるように瑛太は大きく息を吐いた。
「はいはい。分かりましたよ。今日のところは暗くなってきたこともあるし、俺も腹が減ったから帰ることにする。この続きはまた後で」
「ちょっと、なんで続かなくっちゃいけないのよ」
「そうだ、今度三人でどこかへ遊びにいかないか。まずはお互いの事を良く知ってから、今後の事を決める」
「はい? どうしてそうなるのよ。からかうのもいい加減にして。さっきからいってるでしょ、瑛太とは全く関係がないって」
「ううん、もう俺はこれで関係を持ったよ。この拓登が現れてから、それは避けられないのさ。俺はとことん真由と拓登に付き纏うよ。もう誰も俺を止められないぜ」
開き直って、どや顔を見せ付けてくるから、益々腹立たしい。
瑛太は一体何を考えているのだろうか。
その後手を振りながら、のうのうとして投げやりに歩いていった。
私は暫く暗闇にとけこんでいく瑛太の背中をみていたが、はっとして山之内君に首を向けた。
「ごめんね。なんかややこしいことになって」
「別に倉持さんが謝ることじゃない。僕が悪いんだ」
「えっ、どうしてそうなるの。山之内君はただ巻き込まれただけだし」
「僕が瑛太の挑発に乗ったから、よけいにややこしくなった。ずっと黙っておけばよかった。ほんとごめん」
私はこの時、状況をよく飲み込めていなかった。
瑛太が出てきたことも、またその瑛太が引っ掻き回したことも、その原因が全くわからないだけに、降って湧いたような出来事だった。
ただでさえ、山之内君と接点を持ってしまって、学校の女の子から色々と言われているのに、高校始まって早々落ち着かない。
「山之内君はとばっちり受けただけだから。謝る必要なんてない。だけどなんで瑛太は急に私に絡んできたんだろう。ほんとにわからないの。瑛太とは小学一年以降、全然接触したことなんてなかった」
「でも小学一年の時、瑛太とは仲がよかったの? その、頬にキスまでされてさ……」
山之内君はなんだか言い難そうにしながらも、目だけは私の様子を伺うようにしっかりと見つめていた。
「ちょ、ちょっと待って。あのね、その話なんだけど、実は、昨日まで私も記憶があやふやで、そういう事があったかもくらいにしか覚えてなかったの。だか ら、その時の相手が瑛太だって知ったのは昨日瑛太自身から聞いたからなの。そんなの言われなければ、ほんとに誰だかわからなかった」
「覚えてなかった? でも瑛太は覚えてたんだ」
「まあ、そういうのはやった本人は覚えてるもんだと思うけど、された方はなんだか分からなかった」
なんで私はこんな事を山之内君に言わなければならないのだろう。
全く山之内君には関係のない話なのに。
山之内君は少し俯いて、そして何かを考えているようだった。
そして決心したかのように顔を上げて私をみつめる。
「僕さ、今はちょっと訳があって、はっきりと倉持さんに言えないんだけど、僕の希望としては倉持さんに僕の事を見て欲しいんだ」
「はい?」
今のどういう意味? なんだかまわりくどくてわからない。
「だから、なんていうのか。その、僕のこと真剣に考えてみて欲しいんだ。倉持さんのこと、僕はやっぱり気になるし、それに傘を貸してもらったとき、すごく 嬉しかったんだ。でも倉持さんは僕のこと忘れてたみたいで、学校で会っても見て見ぬふりだったから、僕、さすがにちょっとショックだった。僕は倉持さんに 気に入ってもらえるような男じゃないかもしれないけど、でももしかしたら望みがあるかもしれないし、とにかく僕のこと真剣に考えてみてくれない?」
「えっ?」
辺りはかなり暗くなっていた。
駅の近くだから、駅から漏れる光が仄かに辺りを照らしているが、その時の山之内君の瞳は闇と混ざってまどろんで優しく私を見ていた。
その眼差しは充分私をドキドキさせたけど、これって山之内君は私のこと好きって言う意味なんだろうか。
言葉が良く理解できないせいで、ドキドキと疑問が一緒になって頭に浮かんだ疑問符もそれに合わせてチカチカと点滅しているような気分だった。
「山之内君、それって」
「なんだか卑怯な言い方でごめん。でもはっきりと気持ちを伝える言葉はまだ早いと思うんだ。僕はやっぱり倉持さんが僕をどう思うか、ちゃんと明確にしてから言いたいんだ」
言うって何を私に言うんだろう。
それって、もしかしてやっぱり愛の告白?
やっぱり今この場ではっきりと言ってもらわないと私もどう答えていいかわからない。
「あの、その、山之内君、私、その……」
私も考えが纏まらない。
「倉持さんの言いたいことわかってる。こんなこと突然言われて、戸惑ってるよね。僕は結構意地を張るところがあって、自分が納得できないと嫌なんだ。倉持 さんはとても大切な人だから、いい加減な気持ちで簡単に言葉で言い表せないんだ。倉持さんが僕のこと真剣に見てくれるなら、今はそれだけでいい」
真面目な山之内君ならではの言い回しなんだろうか。
でも回りくどく言われても、自分を真剣に見てくれなんて言われて、ドキドキしない訳がない。
私も山之内君の事は気になっていたけど、益々その気持ちが高まっていく。
すでに私は好きなのかもしれない。
「あの、山之内君。私も、実は気になっていたんだけど…… でもこれって」
しっかりと視線をそらさずに山之内君は私を見ている。
私の方が恥ずかしくなって俯いてしまう。
「倉持さん、急に戸惑わせてごめんね。でも僕のことしっかりと見てくれる?」
「は、はい」
山之内君は少しほっとしたのか、肩の力が抜けたように下がっていた。
だけど、これは一体どういう意味で捉えていいのだろうか。
好きと言われたわけでもなく、付き合ってとも言われてない。
真剣に見てくれと言われることは、私の気持ちを先に尊重してくれているということなのだろうか。
瑛太が絡んでくるから、はっきりと言えなかったのだろうか。
山之内君を真剣に見ると言うことは、好きになって欲しいということでいいのだろうか。
すでに私の心は山之内君で埋まっている。
でも結局は山之内君は私の事、好きなのかはっきりといってくれないから、少しだけもやもやしてしまった。
そして暗闇に負けないくらいに山之内君はまた私を食い入るように見つめてきた。
4
「倉持さん、僕も君のこと真由って呼んでもいい? もちろん僕のことも拓登って呼んで欲しい」
「えっ」
突然飛び出した山之内君の提案は、私の口を大きく開かせた。
私が学年一アイドルとなっている山之内君の名前を呼び捨てにする?
嘘!
私がびっくりしている側で、山之内君は攻撃的に真剣な眼差しを向けていた。
なんだか脅迫されている気分になりながら、それに弱々しく応じる。
「もちろん私の事は真由でいいけど、山之内君のことを呼び捨てにするのは抵抗が……」
「でも、さっきは瑛太のことすぐに呼び捨てにしてたけど」
「あれは腹が立ったからつい、名前を強く言わないと気がすまなくなって」
「瑛太だけ親しく名前を呼ばれるのは僕は納得できない。僕も拓登って呼ばれたい。僕のこと真剣に考えてくれるっていったじゃないか。まずは僕の名前をしっかりと呼んでみて」
なんだか、とんでもないような方向に行っているようで、私はついていけない気分だった。
すごく恥ずかしい気持ちを抱えながらとりあえず「拓登……」と弱く言ってみた。
名前を呼び捨てにすることで、余計にもじもじといらぬ力が体に入ってしまう。
そっと山之内君の様子を見れば、とりあえずはそれで満足したのか、表情が柔らかくなっていた。
「真由、ありがとう。僕は苗字よりも名前で呼ばれる方が好きなんだ。日本の習慣って、尊重する癖がついてるから、さんとか君とかまどろっこしいよね。真由の前だけでも、僕は素のままの自分でありたい」
早速自分の名前も呼び捨てになった。
名前を呼ばれるだけでもドキッとするのに、またさらりとドキドキするような事を言ってくれて、私はどう対応していいのかわからない。
傘を貸してからとんでもない方向に行っている。
真由って呼ばれるだけで、かなり昔から親しかったような錯覚を感じてしまうから、私もこの状況に酔いしれそう。
「真由、携帯かスマホ持ってる?」
高校に入学したお祝いにと父からスマートフォーンをプレゼントされた。
まだ使い方に慣れてないので使いこなせてないが、鞄からそっと出して見せた。
山之内君、いや、もう拓登と呼んだ方がいいのだろうか。
拓登はデニムのシャツの胸ポケットから同じようにスマートフォーンを出した。
そうなるとやることは一つだった。
お互いの電話番号とメールアドレスを交換する。
名前を呼び捨てにしてからまたどんどんと進んで行く。
「よし、これでOK」
OKという言い方も、非常に奇麗な発音に聞こえてかっこよさが引き立っていた。
私はまた拓登をみていた。
拓登も暗闇の中で、周りのかき集めた光に照らされて笑っていた。
幾分かリラックスした和らいだ表情だった。
私達が駅の前で立っていると、何度となく電車から降りてきた人が改札口を通ってすれ違って行く。
その度にじろじろ見られていたが、そんなことも気にならないほどに感覚が麻痺しているようだった。
その時、スマホから音楽が流れてくる。
その音に目が覚めるようにハッとさせられた。
拓登のスマホからだったので、拓登はすぐに反応して操作した。
私に悪いと思ったのか、すまなさそうな態度を見せて、背中を向けて遠慮がちに会話を始めた。
「今、駅の前。ああ、そうだ。わかった。後で電話する」
手っ取り早く済ませて、また私と向き合った。
「ごめん、ちょっと用事ができたんだ。ほんとは真由を家まで送りたいんだけど」
「気にしないで。それに誰か人と待ち合わせてたんでしょ。そっちを優先して」
「うん。それじゃまた明日学校で。今日は色々と真由にぶつけちゃって本当にごめん。でも言いたい事が言えて僕はよかった。これも瑛太が出てきたから僕は対抗して意地になってしまったかもしれない」
確かに瑛太の登場でかなり駒が進んだ。
全てが私にとってなんだか不自然に感じるほどの出来事だった。
ついていけなかったからそう思うのかもしれないが、それは拓登が望んだから無理やり補正されたように私が変えられただけなのかもしれない。
でも、拓登を真剣に考えるって約束してしまったけど、私はもうすでに考えているんだけど。
一体その後は何をどうするのだろう。
「やまの…… えっと、拓登、あの、学校ではやっぱりみんなの前だから、山之内君って呼んでいいよね」
「ダメだ」
「えっ、ダメ?」
「こういうのは一貫性がないと。真由、しっかりと僕を見てよ。約束しただろ。それから瑛太には惑わされないでほしい。それじゃ、ごめん、そろそろ行く。気をつけて帰ってよ。また明日学校で」
慌てている拓登に流されるまま、私は頼りなく手を振って別れの挨拶をした。
拓登は自転車を手にして跨ると、私を一度見て微笑んでからすーっと暗闇の中へと向かっていった。
私はあまりにも非現実的な事を味わって、夢を見ているように、拓登の背中が暗闇に突っ込んで小さくなっていくのをぼんやりと目に映していた。
あっと言う間に遠くへいって、薄っすらとした影も点となってとうとう消えていった。
夢見心地でふわふわとして、足が地についてない感覚でうちへ帰るが、次の日学校で拓登と出会ったときどんな顔をすればいいのかと思うと、突然現実に引き戻されてはっとした。
私が拓登と呼べば、目立つこと間違いない。
仲が良くなったことをアピールするわけではないが、そんなところを見てしまえば女の子達の反感を買うのが容易に推測できる。
そう思うと、学校ではできるだけ接触しないようにとつい逃げる事を考えていた。
5
翌朝、拓登とかち合わない確立を高くしようと、いつもよりもかなり早く家を出ることにした。
今まで朝、特に出会うことはなかったが、距離が縮まったとたんに拓登が時間を合わせることも考えられる。
避ける必要はないのに、学校の中ではあまり目立ちたくないという防御が働いてしまう。
いきなり拓登と仲良くなってしまったところを見られたら、必ず付き合ってるのとか噂が立つのも早い。
付き合ってるわけではないけど、真剣に拓登の事を考えると言っている手前、これは付き合うことを前提としているということだろうか。
自分でも訳がわかってないので、拓登との関係が第三者達によってあまりややこしくならないようにしたい。
私も、拓登がかっこいいからとか、人気があるからとか、そういうミーハーな気持ちで付き合いたいとは思わない。
今は友達としてお互いを尊重しあってよく考えてから…… などと色々並べたくっているうち自分でも何を言ってるかわからなくなってきた。
結局は、拓登が気になったのはミーハー的な気持ちからだったと思うとなんか矛盾している。
そう思うと、自分らしくないその姿にプライドが働いて、すごく嫌な気分になってくる。
私はその辺の軽い女の子達とは違うんだという、見栄や矜持が、一人の男の子を好きになることで打ちのめされてもやもやと心の中で葛藤してしまう。
そこが鼻にかけてるといわれる高飛車な態度なのかもしれないが、私も譲れない強情さがあるだけに、素直に認められなかった。
自分を守りたいバリヤーと女心が複雑に絡み合う。
そんな思春期の恋なんて、ただややこしい限りのものだった。
駅についたとき、朝早くから出勤する会社勤めのスーツを着た人が一杯溢れかえっていた。
私と同じように制服を着た学生もたくさん来ている。
いつもの光景だが、そんな早朝の混み合った駅のホームに降り立った時、自分と同じモスグリーンの制服を着ている人を見てしまった。
そしてその隣にはどこかで見た青いブレザーの制服を着ている人もいた。
一瞬、ん? となったが、見分けがつくなりびっくりして声を出しそうになって思わず手で押さえ込む。
うわぁ、拓登と瑛太。
嘘。
避けて時間をずらしたら、自分が二人に追いついてしまった。
私は咄嗟に二人から離れるようにしてホームの後に向かった。
幸い人が沢山溢れかえっているので、それが隠れ蓑になって、二人は私がいることに気がつかなかった。
アナウンスと音楽と共に電車がその時ホームにやってきた。
いつも乗る時間じゃなかったので、これを遅らしても問題ない分、二人がいるだけに私はこれに乗らないことにした。
多分、瑛太が拓登を見つけてちょっかい出しにいったのだろう。
私のせいで、二人は接点を持ってしまった。
一体何を話しているのだろうか。
二人の表情は見えなかったが、一緒に混み合う電車に乗り込んで行く様子が見えた。
窮屈なあの車両の中で、前日派手にいがみ合ったあの二人は暫しの時間をどう過ごすつもりなのだろうか。
私の話題を出していい合って、喧嘩にならないか心配するも、そんな事を考えているとなんだか自分が三角関係の主人公になった事をどこかで胸キュンキュンして喜んでいるみたいでもある。
瑛太のことはなんとも思ってないけど、自分の話題で男二人が取り合うって、恋の醍醐味というのか充分萌えるシチュエーションだった。
こんな事を考えてしまうのも、私はまだまだ思春期の乙女であり、少女漫画の読みすぎだ。
しかし、紙一重で自分の妄想に恥ずかしさが漂って自己嫌悪にもなってしまう。
やはり、そう思うことがどこかで自制して自分に喝をいれていた。
そういう風に思っている時って言うのは、結構碌な結果を生み出さないことも、なんとなく感じてしまう。
色々と思いを巡らしているうちに、二人を乗せた電車はホームから出て行った。
その後、不思議な感覚に囚われながら、拓登と瑛太の事を考えながら電車に揺られて学校に向かう。
考え事をしていると、いつ学校についたかも気がつかないほどだった。
私が教室に着いたとき、普段あまり話す事がない矢田逸美が「おはよう」と寄ってきた。
もちろん同じクラスだから挨拶は返すけど、露骨に寄ってくるには理由があるだろうと思っていた。
案の定、やはり私と拓登の事を訊いてきた。
「ねぇねぇ、倉持さん、いつから山之内君と親しくなったの? どうやって知り合ったの?」
私が答えに困っているというのに、しつこく何度も訊いてくる。
「どうして黙ってるの、教えてくれてもいいじゃない」
「あのね、私もよくわからないうちに仲良くなったって感じで、そんなに人に話すことじゃないと思う」
「倉持さんって結構お高くとまってるんだ」
なぜこんな事を言われなければならないのだろう。
冗談のように笑いながらはっきりと言ってくるが、彼女にしてみれば、悪気はないのかもしれないけど、朝から気分が悪くなってくる。
自分の友達でもない人にベラベラと喋る方がおかしいとは思わないのだろうか。
「いいな、倉持さんって。やっぱりかわいいと得だね」
まるで拓登が私を顔で気に入ったみたいな言い方がかちんときた。
でも、その時、どうして拓登は私が気になったのだろうとふと思った。
やはり傘を貸したあの行為が一番の原因だろうか。
それにしても、あんな一瞬のことで気になるものだろうか。
『大切な人だから』『僕を真剣に見て欲しい』『拓登と呼んで欲しい』『瑛太には惑わされないで欲しい』
些細な出会いがあっただけで、これでもかこれでもかというくらいに、ドキドキとする言葉を一杯投げかけられた。
あの時瑛太に触発されたとしても、ここまでいいきれるものだろうか。
そういう私も、拓登の評判に意識し始めて、結局はあの甘いマスクをマジかに見てやられてしまった。
よく考えたらまだ何一つ拓登の事を知らなかった。
恋っていうのはよく知らない相手でも一瞬にして火がついて好きになるものなのだろうか。
私はこの方、本気で人を好きになった事がなかった。
いいなって思う人は結構いたけど、クラスが変わったらすぐに忘れていった。
中学のとき、付き合ってと言われたこともあったけど、あの時は全く興味がなくて全部断ってしまった。
それから、告白された人とは廊下であってもギクシャクしてしまって、気まずい思いをしたものだった。
拓登はまだ付き合って欲しいとも、好きだともはっきりとは言ってない。
『真剣に僕を見て欲しい』
私に好きになって欲しいと催促していても、その前に自分の気持ちを伝えてくれたほうが私は答えが出しやすかった。
拓登は万が一私が迷惑に思うと感じて予防線をとったのだろうか。
普通、好きだと告白してからそういう言葉が出てくるものなのに、私に拓登の何を見て欲しいというのだろう。
充分カッコイイし、性格も良さそうだし、真面目そうだし、他に見るところがあるのだろうか。
「ちょっと、倉持さん、聞いてるの? もったいぶってくれちゃってさ」
「えっ?」
「だから、少しくらい二人の仲を教えてくれてもいいじゃない」
そうだった、今、逸美にしつこく問い詰められているところだった。
私が困っているそのとき、かの子と千佳が教室に入ってきて、私の側にきてくれた。
「おはよう。真由」
「オッス、真由。一体、逸美と何話してんだ? さては山之内君との仲をきかれてたんだろ」
千佳がギロリと逸美を見て言った。
「逸美は情報屋だから、他のクラスの誰かに探るように頼まれてるんだよ。それとも、自分のためなのかな」
かの子も同じように厳しい目を向けた。
この二人に睨まれたら逸美はたじたじになって、急におとなしくなる。
「もう、そんな意地悪にならなくても。誰だって聞きたくなるじゃない」
「逸美の場合、聞いたらそれを言いふらすだろ。ほんと迷惑なんだよ」
男っぽい千佳に冷たくあしらわれると逸美は怖気ついたように一歩下がった。
「ごめん、倉持さん。そういうつもりじゃなかったんだ」
そういうと、他の友達を求めて去っていった。
逸美はコバンザメのように何かに寄生しては、調子のいい事を言って自分の利益につなげる。
世渡り上手な賢さは備えていたが、好奇心が強いので根掘り葉掘りきかれると鬱陶しい輩だった。
「千佳、かの子ありがとう。お陰で助かった」
「いいって、いいって、でも私達にはちゃんと教えてくれるよね。友達だもんね」
かの子がニタついては意味ありげに表情を作っていた。
それを見て千佳が頭を指でこついた。
この二人は気の置けないこともあって、なんでも話せると思う。
というより、早速前日の夕方に起こった事をいいたかった。
そこにみのりが眠たそうにやってきた。
「みんな、おはよう。なんか朝から元気そうだね」
とろんとした目を向けてみのりは大きく欠伸をしだして、それを手で隠していた。
そしてこの三人が集まったところで、私は周りを確かめてから体を縮めて、拓登と瑛太の事を話し出した。
三人もそれに合わせるかのように私に接近してきた。
6
朝は充分な時間がなかったし、どんどんクラスの生徒が登校してきて聞かれてもこまるから、詳しいことは話せなかったが、とりあえずはあの帰りに二人と駅で出会った事を話した。
こういう話は聞く方にとっては面白いのか、好奇心一杯に瞳をランランとさせて私の言葉をフンフンと聞いていた。
二人が言い争って、それでエスカレートして拓登から真剣に考えて欲しいというところまでは話したが、担任の先生がやってきたところで、残りは放課後ということになった。
私ばかりが恋の相談するなんていいのだろうかと思いつつ、拓登の話題だけに皆は好奇心を持って聞きたがるから困惑する。
まあいいかとそこは臨機応変に構えることにした。
授業が始まれば、そんなことも気にならなくなって、ノートをとることに必死になる。
結構授業の進み方が早いのは、すでに大学受験を視野にいれてるからだろうか。
まだ高校に入学して間もないが、ここに入ったからには多少の努力はしないとついていけないと困ってしまう。
もしかしたら拓登もそういう事を見込んで、あまり恋に現を抜かすことを避けたいのかもしれない。
中間テストもそんなに遠くないし、私も浮かれている場合ではないと、必死に手を動かしていた。
休み時間、トイレに行くときだけ廊下に出たが、拓登とは偶然出会うことはなかった。
教室にいるのか確認してみたいけど、私が露骨に覗いたらそれこそを噂の元になり益々何を言われるか分からない。
一組の教室は見ないでおこうと意識をすればするほど、とてもぎこちなく首までが固定されて動かなくなってしまった。
そして放課後、話の続きを聞きたいと三人が寄ってくるが、その時「真由!」と教室のドアの方から声が聞こえてきた。
まさに、ピキッと電流が走るほどにびっくりしてしまった。
拓登がそこに立ってるし、堂々とみんなの前で私の名前を呼び捨てにしたことに誰もが振り向いて驚いた。
私は何かを隠したい気分でさっと立ち上がり、拓登の前にさささと走り寄った。
「はい、な、何? どうしたの?」
周りの目が自分に突き刺さっているのが肌で感じ取れる。
拓登の腕を咄嗟に取って廊下の窓際に無意識に引っ張ってしまった。
「真由、何をそんなに慌ててるの?」
「えっ、あっ、ごめん。だって、拓登が私の名前を呼ぶから目立っちゃって」
「僕、真由に迷惑かけてる?」
「そういうのじゃないんだけど、ほら、皆誤解しやすいから」
「誤解?」
拓登の眉間が狭まって私を見ていた。
「あの、その、ほら、あれでしょ。みんな色々と好き勝手に話すから、何を言われるかわからないでしょ」
「僕は別にそんなことどうでもいい。僕はもっと真由と話をしないといけないと思うくらいだ」
周りを気にしすぎている私と違って、拓登は堂々として清々しい。
学校では拓登から逃げようとしていた自分がとても恥ずかしく感じてしまう。
真剣に見てと言われているのに、自分がこんな逃げ腰では拓登に失礼だった。
「そうだよね。私も拓登と色々沢山話をしたい」
この時、体の力がすっと抜けていった。
おどおどとしたものや恐れていたものは、全て人の目を気にしすぎて自分が勝手に作り出したものだった。
自分が気にしなければ、そういうものは体から離れて行く。
私も拓登が気になって、好きという思いがどんどん育っていることをいい加減認めるべきだと思うようになった。
私の瞳は心の思うままに拓登を映し出していたと思う。
それを感じ取ってくれたのか、拓登は笑みを浮かべていた。
「じゃあ、また一緒に帰ろう。今日は少し寄り道しないか? ただ家に帰るだけならつまらないしさ。それに刺激があれば、きっともっと僕のこと考えてくれると思うんだ」
「刺激?」
拓登が目の前に居るだけで、充分過ぎるほどの刺激ですが…… と突っ込みたくなった。
「それじゃ先に下駄箱で待ってるから」
返事を言う前に拓登は行ってしまった。
私はすぐに教室に戻り、三人に事情を話した。
「へぇ、私達より山之内君をとるんだ」
かの子が嫌味っぽく言う。
「そういうこと言うのやめなさい」
千佳がかの子の頭を軽く叩く。
かの子が舌を出しておどけていることからそれは冗談なのは分かっていた。
「なんか私ちょっと嫉妬しちゃうな。真由をとられちゃうみたいで」
みのりも笑っていたので、ちょっとした冗談だが、自分だけこういうことになると、友達の輪が崩れないか少し心配だった。
「ごめんね。私から話を振っておいて、投げ出しちゃって」
「いいっていいて。とにかくまたネタが増えるから、後日ちゃんと報告したらそれでオッケー」
かの子がそういえば、残りの二人も気を悪くすることはなかった。
「それより、早く行きなよ。山之内君待たせたら失礼だぞ」
千佳に後押しされて、私は鞄を持って教室を出た。
その時、廊下で一組の女の子達が私を睨んでるような目つきで見ていたような気がしたのは、気のせいだと思いたかった。