きみと駆けるアイディールワールド―緑風の章、セーブポイントから―

「我ら蒼狼族は世界征服を目指す途中なのだ」
 と、チンギスさんが言った。隣国へ攻め込むための行軍のさなか、アタシたちと馬を並べて進みながら。
 世界征服ってイメージ悪くない? 敵と見れば蹴散らして根絶やしにして、我らの通った後にはペンペン草も生えぬ、みたいな感じ?
 蒼狼族の草原の南、国境を接するのはアルチュフ国。このへんの地域でいちばん大きな国らしい。古代から栄える文明の正統な後継者にして、学問と文化と美術の国だ。
 という表看板を、チンギスさんは鼻で笑った。
「所詮、盗人どもの巣窟に過ぎぬ」
「盗人って、どういう意味ですか?」
「アルチュフの王族は、もとは森に住まう狩猟の民だ。あるとき、野心を持った。裕福な文明大国を乗っ取れば楽に生きてゆける、とな。連中は強かった。国を乗っ取る目論見は成功したが、そこまでだったのだ。平穏を手に入れた連中の弓は鈍り、剣はさびついた」
 チンギスさんが言葉を切る。チラッとアタシを見た視線が、なんか先生っぽい。世界史の野外実習。大丈夫です、ついて行けてますよ、チンギス先生。
「アルチュフの王族は覇道を学ぼうとしなかった。覇道とは、民を養い、国を富ませる道だ。ヤツらは現実を直視せず、民の蓄えをむしり取っては、美術や芸術にうつつを抜かし、主食と美女に溺れるばかり。アルチュフという国は腐っておる」
「好き放題やってるアルチュフの王族がダメなのはわかりました。じゃあ、チンギスさんの世界征服の目的って、どのへんにあるんですか?」
 チンギスさんはニヤッと笑った。よくぞ聞いてくれた、みたいな笑顔だ。
「阿呆なアルチュフの王族を玉座から引きずり下ろし、裕福な国土を我ら蒼狼族の支配下に置く。民は殺さぬ。生かして富ませる。民が富めば、税収が増え、我ら蒼狼族の繁栄につながる。アルチュフだけではない。世界じゅうでこれをおこなう」
「ダメダメな政治家を倒して国民にフツーの生活を送らせるって、それ、世界征服ですか? すっごい当たり前のことするだけじゃないですか。世界征服って響きだと、もっと悪いことやってのけそうなイメージなのに」
 チンギスさんは笑って、馬を速歩にして行ってしまった。代わりにアタシの隣に並んだのは、末っ子トルイくんだ。
「父上は、バカなことはしないよ? 小さいころ、苦労したんだ。貧乏暮らしで、何度も殺されそうになった。だから、富の本当の価値を知ってる。武力の使い道も知ってる」
「武力かー。結局、攻め込むからには戦うんだよね?」
「敵がおとなしく降伏すれば、殺さないよ。そこらじゅう血まみれにするんじゃ、大地の神に申し訳ないし。オレたち蒼狼族にとって、戦は人口を増やすための産業だよ。今まで敵《ブルカ》だったとしても、これから役に立つなら仲間《イル》にして、本気で腕が立つなら勇者《バァトル》とたたえる」
「戦というか、友達増やそうキャンペーン的な?」
「世界征服って、殺して回ることじゃないんだ。手に入れて回ることなの。少なくとも、オレたち蒼狼族にとってはね。オレたちのこと、ちょっとはわかってくれた?」
「ストーリーの方向性はわかったよ。悪の世界征服みたいなんじゃないなら、全然問題ナッシング。ニコルさんとシャリンさん、何かトルイくんに訊いておくことありません?」
 パラメータボックスに、雑談チャットの一覧が上がっている。こういうチャットはストーリーの本筋には絡まないにせよ、謎解き系ミッションのヒントになったりするし、ステージ制作の裏話が紛れ込んだりもしてて、けっこうおもしろい。
 アタシの問いかけに、シャリンさんはノーリアクションだった。ラフさんも、もちろんノーリアクション。ニコルさんはあごを軽くつまんで考えるポーズをしてみせた。ぐわー、そういう仕草、ヤバい。知的でセクシーって、アタシの好みにドストライク。
 ニコルさんは、ショップで買った「蒼狼帽」を装備している。ローブと同じ緑色に、金銀の糸で刺繍が入った帽子は、大地の神への祈りが込められているらしく、見た目よりはるかに防御力が高い。
 ちなみに、蒼狼族は帽子をかぶるのが正装なんだって。真ん中にトンガリがある帽子だ。
「ねえねえ、ルラ!」
「トルイくん、なに?」
「ルラ、好きな人いる?」
「はい!?」
「オレとか、どうかな?」
「ちょい待ち、AIがいっちょまえにナンパしないでよ!」
「人種が違ったって、別にいいじゃん」
「人種以上に何か大事なものが違うと思うんですけどっ」
「オレ、将来有望なんだよ? 蒼狼族は、財産が末子相続なんだ。つまり、父上の軍隊やお宝はオレが引き継ぐの。兄上たちは独立して自力で財産を作らなきゃいけないけど、オレだけは特別♪ 今回のアルチュフ攻めでも、オレだけ父上の本軍にいるでしょ?」
 なるほど、道理でおにいさんたちは別行動なんだ。西軍として先行したって聞いた。
 そうこうしながら、行軍が続く。荒れた草原が印象を変え始めた。行く手に大きな川が流れている。草の緑色が濃くなった。やがて、チンギスさんの本軍は、川のほとりで宿泊することになった。
 異変に最初に気付いたのは、シャリンさんだった。
「水の中に何かがいるわ」
 透き通った水面に、コポコポと泡が立ってる。水中で何かが息を漏らしてるみたいだ。
「バトル、来ますかね?」
「ボスじゃないかしら」
 その瞬間、パラメータボックスに警告が出て、バトルモードに突入した。
 ふわっと魔力の風が起こる。ニコルさんが早速、水面へと杖を突き出して魔法を発動した。
 “賢者索敵”
 パラメータボックスに敵の情報が表示される。
 水竜、ジャオ。このエリアに古くからいる水の主。凶暴で、武力の匂いがするところに現れる。竜の端くれだけあってデカいし、ヒットポイントと防御力が異常に高い。
 水面にジャオの巨大な影が見えた。ゴポゴポと、気泡が噴き上がる。
 トルイくんが駆け寄ってきた。真剣な顔をして水面をにらむ。そして、喉をのけぞらせて、一声。
 アォォォオオンッ!
 狼の遠吠え。トルイくんは兵士たちに向き直った。
「オマエたちは退避しろ! ジャオは普通の武器では攻撃できない。オレたち蒼き狼の爪と牙と弓矢、あるいは異世界の戦士の魔力がなければ、ヤツは倒せない! アルチュフと戦うまで、オマエたち兵士は死んじゃいけない。退避しろ!」
 兵士たちが水辺から離れる。チンギスさんが先導するから、パニックが起きない。
 シャリンさんが小さく舌打ちした。
「あの様子じゃ、チンギスはバトルに加わらないのね」
 トルイくんが、にこっとした。
「オレは戦うよ? 力を貸すから頼りにしてよ!」
 ざぱぁぁぁっ! と派手な演出とともに、川の水面が割れた。黒い鱗の竜が長い体をくねらせて、水から飛び出す。予想どおりだけど、デカっ!
 ニコルさんが新たな魔法を発動させる。
 “闘士強壮”
 “術士聡明”
 シャリンさんの物理攻撃力とアタシの魔法攻撃力がアップする。効果がハンパない。ニコルさんの補助魔法、最高ランクだ。
 ジャオが吠えた。ずらっと牙の生えた口はなかなかの迫力だけど、ニコルさんは冷静にこき下ろした。
「東洋系の竜は、脚の指の本数で階級が分けられているんだ。いちばん強くて位が高いのは5本指。今ここにいるジャオは3本指だ。竜の中では最下級の雑魚《ざこ》だね。頭が悪いから、魔法は効きやすいよ。さほど苦労する敵じゃない」
 バトルのスキルはBPM240。シャリンさんとラフさんが剣を構えた。
「どういう作戦で行こうかしら、ニコル?」
「頭を狙うのが、手っ取り早いだろうね。尻尾のほうはボクが魔法で抑えるよ。そのぶん、補助や回復が手薄になるけど、大丈夫?」
「このワタシがダメージを負うわけないでしょ」
 きゃー、そういうセリフ、いつか言ってみたい!
「シャリンさんカッコいい! ニコルさん、アタシは何をすればいいですか?」
「前肢のあたりを狙って。あの鈎爪、ちょっと厄介だ。トルイのAIにも同じ指示を送ってあるよ」
「わかりました!」
 3・2・1、Fight!
 電光石火の勢いでシャリンさんが飛び出す。凄まじい早業の剣技でジャオの顔面を切り刻む。ラフさんが続く。ジャオの長い首を踏み台にして跳び上がって、眉間に双剣が突き込む。
 ニコルさんの手に細長い葉っぱがある。鋭いモーションで投擲された葉っぱは、空中でするすると伸びて尖った。まるで巨大なピンだ。葉っぱがジャオの尻尾を貫く。
 “葉針捕刺”
 捕縛魔法の1種だ。ジャオは尻尾を空中に留め付けられる。
 トルイくんが次々と矢を放つ。ジャオの前肢がハリネズミになっていく。
 アタシもスキルを詠唱中。ディスプレイの中の魔女っ子は目を閉じて、魔力の風を立ち上らせている。コントローラを持つ手元はひたすら譜面の矢印をコマンドして、PFCは逃したけど、ほぼ完璧にてスキルが完成。
「よーし、いけっ、“ゴロゴロ石つぶて!”」
 石つぶてってネーミングよりは大きな岩がジャオへ飛んでいく。ぼこすこぼこっ、とクリティカルに決まって、トルイくんとのコンボがつながる。てか、予想以上の大ダメージ?
「ルラちゃん、弱点を突くとはお見事!」
 ニコルさんに誉められた! でも、たまたまなんです。
 ジャオが、カッと口を開けた。と思ったら、ドォッと噴き出す水鉄砲。
「危ないわねっ!」
 シャリンさんがかわす。水鉄砲を食らった地面が思いっきりえぐれた。すごい水圧だ。魔法攻撃じゃなくて、物理攻撃。アタシみたいに魔法への傾斜配分がきついタイプが食らったらヤバいやつ。
 ジャオがニコルさんのほうを向いた。巨大な口が開く。ちょい待ち、ニコルさんは魔法発動中で動けない!
「間に合え~っ!」
 アタシは詠唱中だったスキルを別のに切り替えた。同じ大地系だから、どうにかなるはず!
 “ガチガチ障壁!”
 ニコルさんの正面に土の壁がせり上がる。ジャオの放った水鉄砲が土の壁にぶつかった。グラッとする土の壁。でも耐えた!
「ありがとう、助かった。やられたぶんは、キッチリやり返さないとね!」
 ニコルさんがジャオへの捕縛魔法を重ねた。逃れようとジタバタするジャオだけど、尻尾に刺さった葉っぱのピンが抜けるはずもなく。
         ――パリッ――
 不意に、グラフィックの片隅がひずんだ。
  ――パリッ、パリッ――
 まただ。アタシの気のせいでも端末の問題でもなかったらしくて、シャリンさんが声をあげた。
「ずいぶん負荷がかかってるみたいね」
 画面が止まっちゃうほどの乱れじゃない。ジャオがまた攻撃してこようとする。ヒットポイントはまだまだ半分以上ある。
 突然、スピーカから、消え入りそうな声が聞こえた。
「助太刀、いたします」
 えーっと、名前、何だっけ? トルイくんのおにいさんの、あの地味な人。
「ぉわぁっ! いつの間にアタシの後ろに!?」
「先ほどから……」
「いたの!?」
 灰色っぽい毛並みの子。3男坊の、誰だっけ? トルイくんが答えを出してくれた。
「オゴデイにいさん、どうしてここに!?」
 そうだった、オゴデイくんだった。おにいさんたちと一緒に先行してたんじゃないっけ?
「連絡係として本軍に来たところです。父上から、トルイたちを助けるように、と命じられました」
「ふぅん、そうなんだ。じゃあ、オゴデイにいさんも手伝って♪」
 パーティの人数が増えて、バトルの運びが楽になる。オゴデイくんの武器や戦法は、トルイくんと一緒で、弓矢だ。コンボが決まりやすくなって、ジャオのヒットポイントの減りが速い。前衛ではシャリンさんとラフさんが無双してて気持ちいいし。
 やっぱ、強い人たちと組むと楽しい。というか、爽快すぎてヤバい。テンションが上がる!
 バトルが終わるときはいつも唐突だ。ラフさんの剣がジャオの角を叩き折った。その瞬間だった。
 しゅぱっ! ヒットポイントが尽きたジャオが青い光になって消えた。
 オート登録してる勝利のアクションで、アタシは跳びはねた。ニコルさんが口元に触れながら、ふふっとセクシーに笑う。シャリンさんが髪を払って、ラフさんは双剣を掲げて。トルイくんが親指を立てて、オゴデイくんがお辞儀をして。
 ――パリッ――
      ――バリバリッ、ビシッ――
 ディスプレイに、砂嵐みたいなノイズが入った。今まででいちばんハッキリ、データがひずんだ。
「ななな何が起こったんですか、今の!?」
 アタシが出した大声がバリバリに割れて聞こえた。ニコルさんのローブをひるがえると、緑色の粒子が弾け飛んだ。いきなり何が起こったの?
 シャリンさんが……違う、シャリンさんのユーザさんが、張り詰めた声で叫んだ。
「アサキ、ここにいるのっ!?」
    ――バリッ、ビシッ――
 ――ザ、ザザザッ――
「ねえ、アサキ! どこなのっ!?」
 フィールドのグラフィックが荒れる。トルイくんとオゴデイくんの動きがフリーズしてる。そういえば、BGMも鳴ってない。
「アサキっ!!」
 それがラフさんの魂の名前ですか? ゲームの中にとらわれているはずの彼の、本当の名前?
 青空、水辺、バトルの後の土埃、緑の濃い草。この一場面のどこかにいるの? どこにいるの?
「アサキっ!!」
 悲痛な声が、不意に、クリアに聞こえた。BGMが鳴り始める。トルイくんが尻尾を振った。オゴデイくんが弓をしまった。
 異変が去っていった。
「シャリンさん、あの……」
「次のチャンスに持ち越しね」
 かすれた声で、シャリンさんはつぶやいた。
 言わずと知れたことだけど、あたしはお節介だ。初生と仲よくなったきっかけも、あたしのお節介だった。
 体も声も小さい初生を入学式で見掛けたとき、まわりの女子の空気が何か微妙におかしくて、ピンときた。この子、いじめられてるんじゃないかって。だから、初生に声を掛けた。
「初めまして! 今日から同じクラスだね! あたしは甲斐笑音っていうの。部活とか入る? 看護科に入ったのって、本当にナース志望だから?」
 来水高校の3つの科のうち、あたしたちが属する看護科は入学試験の偏差値がいちばん低い。だから、本当は進学科や普通科志望の子が滑り止め的に看護科に入ってきて、途中で別クラスに移っていくケースもあるんだけど。
 初生はれっきとしたナース志望の看護科生だった。体の弱い妹さんがいるから、病院は初生の家族にとって身近な存在なんだって。妹さんの写真を見せてもらったら、初生に負けず劣らずの美少女だった。
「初生はかわいい妹がいていいよねー。うちなんか、あの瞬一が弟みたいなもんだよ。な~んか微妙だよね」
 こういう愚痴はしょっちゅう言ってる。瞬一のことは決して嫌いじゃない。でも、あいつは頑張りすぎ。見てたら、こっちまで息が詰まる。学校では1人でいることが多いし、家ではずっと部屋にこもって勉強ばっかりやってるし。
 今朝もいつもどおり、初生とバス停で落ち合って、しゃべりながら正門まで回って、一緒に教室に入った。
「あれ? えみちゃん、お弁当2つ?」
「1個は瞬一のだよ。あいつは案外、抜けてるの。忘れていっちゃったんだよね。届けに行かなきゃ。初生もついて来る?」
 訊いてはみたものの、引っ込み思案な初生は教室から出たがらない。あたしが風坂先生目当てで職員室に行くときも、いつも「わたしは待ってる」って言って教室で本を読んでる。
 断られるってわかってても、あたしは毎回誘っちゃうんだ。今まで声かけてたのにやめたら薄情かなー、とか思って。
 今日の初生は、ちょっと違った。
「わたしも、行く……!」
「え、ほんと?」
「行く。行きます」
 初生は大きな目をパッチリ見開いて、胸のあたりでキュッと両手を握ってる。そんなに大きな決意をする必要はないと思うんだけども。
「じゃ、行こっか」
 進学クラスの教室は、普通科3クラスを挟んだ向こう側だ。まだ始業前のざわつく廊下を進んでいく。
 あたしは進学クラスのドアを開けた。
「すみませーん、瞬一いるー?」
 秀才の皆さんが、サッと瞬一を指差してくれた。朝っぱらから机にかじりついて勉強してた瞬一は、あたしの顔を見ると、面倒くさそうに立ち上がった。ドアのところまで来て、顔をしかめる。
「学校で話しかけるなって言ってるだろ」
「お、そんな態度とっていいのかなぁ? これ、なーんだ?」
 あたしは瞬一の目の前にお弁当の包みを差し出した。
「届けろなんて頼んでない」
「すなおじゃないなー。ママの料理がいちばん好きって言ってたくせにー」
 瞬一はあたしの手からお弁当を引ったくった。
「食わなかったら、伯母さんに申し訳ないからな。泊まり込みのケアの合間に、わざわざ料理を作りに帰ってきてくれてるんだし」
「そーいうこと。あたしが作れたら、いちばんいいんだけどね」
「やめろ。殺す気か」
 ふと、初生が小さな声をあげた。
「あっ」
 あたしは振り返って、瞬一も初生を見た。初生が、かぁっと赤くなる。慣れない人の前だと、すぐ赤面するんだ。あたしのことは平気だけど、今は瞬一がいるもんね。
「どうかしたの、初生?」
「あ、あの……か、甲斐くん、の、頬に……」
「瞬一のほっぺた?」
 初生が、こくこくとうなずく。あたしは瞬一の顔を見た。あ、なるほど。右のほっぺたにまつげがくっついてる。瞬一って、うらやましいほどまつげが長いんだよね。
「瞬一、ちょっと動かないでね」
 あたしは瞬一の顔に手を伸ばした。瞬一がビクッとする。野生動物的な怖がり方。いじめないってば。あたしは瞬一のほっぺたからまつげを取って、ほれ、と見せてあげる。
「なっ……ば、バカっ!」
 瞬一が怒って赤くなった。瞬一も初生同様、けっこう赤面しやすいんだ。最近はクールになっちゃって、めったに見られないんだけど。
「そんな怒んないでよ。眉間のしわ、癖になっちゃうよー」
「おまえみたいにいつもヘラヘラしてられるかよっ」
「ヘラヘラ? にこにこって言ってくれないー?」
「うるさい。だいたい、学校では話しかけるなって、何回言わせるんだ!」
「はいはい。それじゃあ、これからはお弁当忘れちゃダメだよ?」
 瞬一は、ぷいっと背を向けて、教室へ入っていった。やれやれ。
「初生、戻ろっか」
 こくっとうなずいた初生は、そのままうつむいた。看護科の教室のほうへ歩き出しながら、ぽつんと言う。
「えみちゃんは、ずるい……」
 初生は、黒いロングヘアに顔を隠してる。耳だけが髪の隙間からのぞいてて、まだ顔が赤いのがわかる。
「ずるいって何が?」
「甲斐くんが家族で、ずるい。お弁当、届けたり、しゃべったり……ほっぺたに、さわったり。えみちゃん、ずるいよ」
 廊下のざわざわが一瞬で遠ざかった。思わず立ち止まる。初生も足を止めた。いくらあたしが間抜けでも、さすがにわかった。
「初生……瞬一のこと、好きなの?」
 顔を上げずに、初生はうなずいた。何だこれ、めっちゃかわいい! 瞬一が初生にこんな仕草させるの? 瞬一、ずるくない?
 じゃなくて。
「そうだったんだ。気付かなかったよー。あたしばっかり風坂先生のこと語っちゃって、初生の話を聞いたことなくて、ごめんね?」
 初生がかぶりを振った。サラサラの髪が揺れる。
「わたし、全然、何も言えなくて。えみちゃんに、隠し事したくはないんだけど」
 誰かが瞬一のことを好きだって噂はけっこう聞く。瞬一が告白されたとか、あたしが瞬一への手紙を仲介するとか、そういうのもよくある。この間も登校中に告白シーンを目撃した。
 でも、全部が一方通行だ。瞬一が誰かに恋してるという話は1つもない。小学校のころから一緒だけど、ほんとに聞かない。
 ストイックっていうか、精神的引きこもり。勉強熱心なのはすごいけど、もうちょっと余裕を持つほうがいいと思う。ポキッて行っちゃいそうだもん。
「その点、初生だったらピッタリだね。瞬一にピッタリだよ!」
「えっ?」
「初生は優しいからさ、ピリピリした瞬一のこと、いたわってあげられそう。見た目的にもお似合いだし」
「ちょ、ちょっと、えみちゃん、そんなこと……」
 あたしは2人が並んでるところを想像した。むふっ、なんかニヤニヤしちゃう。
「初生、協力するよ。ぜーったい、うまくいくから!」
「え、えみちゃん、声が大きい」
「よーっし、ワクワクしてきた! 放課後、話を聞かせてもらうからねー」
 あたしは初生の手を握って、スキップで教室に帰った。初生と瞬一、あたしがくっつけてあげましょう!
 今日は風坂先生の授業がなかった。当然ながら、本業がヘルパーの風坂先生は学校に来ない。
 あの笑顔を見られず、あの声を聞けない日は、あたしにとって消耗戦って感じ。栄養補給できないまま、どんどん燃え尽きていきます。まあ、授業が全部終わったら復活するんだけど。
 さてさて、放課後。あたしは初生を連れて、学校の裏庭に出た。ドームに覆われた裏庭はイングリッシュガーデン風で、UVカット加工の強化ガラス越しに秋の青空が澄み渡ってる。
 あたしと初生はベンチに並んで腰掛けた。さぁ、恋バナタイムの始まり始まり!
「初生はいつから瞬一のこと好きなの?」
「えっと、きょ、去年の春から」
「どうしてまた、あいつに惚れたの?」
「や、優しくしてもらったの」
「あの無愛想な瞬一に?」
 初生は、ひざの上に重ねた手を見つめながら、ぽつぽつと話し始めた。
「甲斐くんはクールだけど……優しい、と思う。わたしね、中学のころ、ちょっといじめられてたの。そんなにひどくなかったけど、無視とか陰口とか、ときどきあって。今でも、同じ中学の人は、まだ怖い」
 うん、あたしもそれは気付いてる。高校に上がってからも微妙に続いてるって、それも薄々ながら知ってる。
 初生が傷付くからやめてよって、ハッキリ言っちゃったほうがいいのかな? だけど、あたしがいたら、誰も何もしないもんね。それなのに蒸し返すのは逆効果かなって気もするし。
 初生はうつむきがちなまま、小さく微笑んだ。
「去年の5月にね、甲斐くんが助けてくれたの」
 そのとき、初生は1人だった。初生と同じ中学だった中に、すごく派手な子がいる。学年でも有名な、おしゃれで大人っぽくて、よく遊んでる子。たまたま初生と目が合ったとき、彼女がいたくご機嫌斜めだったらしい。いきなり初生に突っかかってきた。
「あんた、まだ学校来てたの? 暗い顔さらして歩いてたら迷惑だって言ってんでしょ? 超ウザい。さっさと家に帰って引きこもれ。てか、死ね」
 あぁまただ、って初生は思った。でも慣れてるから別にいい、って。初生は派手な子たちに取り囲まれて、早く時が過ぎるのを祈りながら、悪口雑言を聞き流していた。
 ひとけのない場所だったけど、偶然、瞬一がそこに通りかかった。瞬一は黙ってなかった。
「耳が腐りそうな言葉を吐いてんのは、どこのどいつだ? あんたみてぇな下品な女のほうが迷惑なんだよ」
 初生を取り囲んでた子たちは真っ青になった。去年の5月にはもう、瞬一のハイスペックは学年じゅうに知れ渡ってたから、いじめっ子たちは慌てて取り繕った。瞬一はまったく耳を貸さなかった。
「甲斐くんは正義感が強いんだと思う。いじめられてたのが誰であっても、同じこと言ったはず。わたしが特別だったわけじゃなくて、甲斐くんにとってあれは当たり前で。だからこそ、わたしは甲斐くんのことを好きになった」
「そんなことがあったんだ」
 初生は赤く染まった顔を上げて、にこっとした。
「えみちゃんにも感謝してるよ。えみちゃんが一緒にいてくれると、いじめられることもないもの」
「んー、あたしは何もしてないよ。しかし、瞬一もやるなー。初生のエピソードの瞬一、フツーにカッコいいじゃん。そうなんだよねー。ほんとはあいつ、優しいし強いんだよね」
「うん。甲斐くんのクールで頭がいいところばっかり、みんな言うけど、わたしは、もっと別のところを見ることができて、だから、す、好きになったの。えみちゃんのいとこだって知って、びっくりしたけど、嬉しかった」
 瞬一は無愛想だから誤解されやすい。自分以外には興味がないキャラって思われる節があるけど、そんなことないんだよ。ほんとはいいやつ。医学部を目指してるのだって、パパの病気をどうにかしたいからだ。
 あたしは俄然、ワクワクしてきた。瞬一の本当のよさを見付けてくれる女の子がいる。しかも、それがあたしの大事な初生なんだから、テンション上がらないわけがない。
 これ、うまくいく。絶対うまくいくって!
「初生、告白しちゃおう!」
 勢い込むあたしに、初生は小さく悲鳴をあげた。
「む、無理だよ」
「頑張ってみようよ! あいつだったら間違いないって、あたしが保証する!」
「で、でも、えみちゃん……甲斐くんには、好きな人いるから……」
「んなことないない! あたしはあいつの噂なんて聞いたことないよ」
「わたしはそんな、別に、告白なんて……ただ、勝手に想ってるだけで」
 あたしは初生の肩をガシッとつかんだ。
「聞いて。初生は、あたしにとって大切な親友なの。いつもハッピーでいてほしい。楽しく笑顔で過ごしててほしい」
「う、うん」
「瞬一も同じなんだ。大切な家族だから、幸せになってほしい。夢に向かって頑張りながら、高校生らしいハッピーも手に入れてほしいの。好きな子と一緒に、登下校したり放課後の図書室で勉強したり、ときどき寄り道してデートしてキャッキャうふふして」
「さ、最後のは何?」
 ってことで、本題。
「だから初生、瞬一と付き合うのだ! 2人がカップルになれば、2人ともハッピーになれる!」
「ちょ、ちょっと待って」
「あたしとしては、初生と瞬一がくっついたら最高だよ! あたしの大切な2人がめでたく幸せになるなんて。そしたら、あたしも心おきなく自分の恋に邁進できる!」
「えみちゃんはいつも邁進してると思う」
「ん? 何か言った?」
「あ、あのね……」
「初生はかわいいし優しいし頑張り屋だし、あたしが男だったら、絶対ほっとかないよ。変な男には渡さない! その点、瞬一なら合格点。あいつならバッチリOKって、いとこであり姉であるあたしが保証する。まあ、無愛想は直してもらわなきゃ困るけど」
 でも、初生が彼女になったら、瞬一も変わるはずだ。クールぶってられなくなる。初生のかわいさは、親友であるあたしが保証する。思う存分、瞬一をめろめろにしちゃったらいい。