きみと駆けるアイディールワールド―緑風の章、セーブポイントから―

 わかったような、わかんないような。でもまあ、要するに。
「ラフさんの魂がゲーム世界にとらわれちゃってるってことですよね?」
「は? 魂?」
「あっ、間違ってました?」
「……非科学的に過ぎるわよ」
「でぁーっ、すみません! せっかく説明してもらったのにアタシ頭悪くてっ」
 くすっとニコルさんが笑った。
「いや、魂でいいと思うよ。シャリンが正確性を保ちたい気持ちもわかるけど、一般的に言って、魂のほうがイメージしやすい。ボクたちはこのサロール・タルで、ラフの抜け殻を連れて、ラフの魂を取り戻す旅をするんだ」
 ああ、ニコルさんってフォローの神さま。アタシもシャリンさん、両方の立場を守ってくれた。
「魂を取り戻す旅、ですね?」
 アタシが確認したら、ニコルさんはうなずいた。
「うん。魂は本来、肉体に憑きたがる。ラフの魂は何かの手違いで自分の肉体に入り損ねたようだけど、この広大なフィールドをふらふら漂っているわけじゃないらしいんだ。そうだろ、シャリン?」
「ええ。フィールドの背景みたいに情報の密度の低いところにはいないわ。ステージガイドやキーキャラクターのような高度なAIの領域に紛れているらしくて、ワタシのコンピュータのスペックでは、総当たり的な解析はできなかった」
 ラフさんの魂がサロール・タルにいるのは確実で、浮遊霊状態ではなくて、ステージ在住のAIキャラの背後霊になってる。木を隠すなら森って感じで、人がいっぱいの集合写真に写り込んだ背後霊はなかなか見付けられない。
 アタシはそんなふうに想像した。お化け扱いして申し訳ないから、口には出さない。別のことを尋ねる。
「じゃあ、ラフさんの魂がくっ付いてるAIキャラに出会うまで、とりあえずストーリーを進めていく方針ですか?」
「そうするしかないわ。だから、まずはアレを倒すわよ」
 シャリンさんがアレって呼んだのは、頭上に舞い降りてくる巨大な影。ギャァァァッス! と鳥系モンスター特有の甲高い声で吠えて、ずんぐり体型のモンスターが迫ってきた!
 パラメータボックスの形が変わる。音ゲーっぽい小ウィンドウが開かれて、バトルモード発動!
 ニコルさんの足下から魔力の風が吹き上がる。詠唱時間最短にまで効率化されたスキルは、ハイエストクラスには必須の補助魔法。
 “賢者索敵”
 アタシのパラメータボックスに敵さんの情報が開示される。
「ハン・ガルダっていうんですね。攻撃力めっちゃ高くて、ヒットポイントもかなりある!」
 うひゃあ、このバトル、長引くんじゃない?
 ハイアークラス以上ではお決まりのパターンだ。ストーリー開始以前に、強いのが1匹出る。初戦でいきなり戦闘不能とか、割とよくあるケース。
 アタシはビビっちゃったんだけど、シャリンさんは平然と言い放った。
「この程度なら、30秒ね」
 今、何とおっしゃいました?
「30秒っ!?」
「ワタシとラフで畳み掛けるわ。ニコルとルラは援護して。ルラ、BPMいくつならついてこられる?」
 BPMっていうのは、1分間に4分音符をいくつ打つかを表す音楽用語。バトルが音楽ゲームのピアズでは、スキルのBPMが速いほど威力が高いってことになる。
「240くらいまでなら行けます」
「そう。じゃあ、240でコンボ組むわよ。ついて来て」
「は、はい!」
 行けるって言ったけど、240はけっこうミスりますよー、実は。200超えたら、矢印の落下速度がほんとに鬼だ。
 ギャァァァッス! と吠えるハン・ガルダ。翼が生えた力士って感じの迫力満点なフォルムで、ギョロギョロお目めが不気味なことこの上ない。リアルすぎやしませんかね、このCG。
 ニコルさんが杖をシャリンさんに向けた。杖の先端の珠が緑色に光る。
 “闘士強壮”
 物理攻撃力アップの補助魔法。ニコルさんのスキルリストを見ると、補助系が得意らしい。3歩下がって相手を立てるタイプだ。
 シャリンさんが細身の剣を構えた。隣でラフさんが2本の大剣を抜く。
「いくわよ!」
 BPM240の超アップテンポで攻撃開始だ。アタシが選んだのは雷系の攻撃魔法。速いけど素直な譜面だから、PFC率が高い。PFCってパーフェクトフルコンボね。威力マックスって意味のピアズ用語だから覚えて。
 シャリンさんが飛び出した。
「速っ!」
 すでに指が覚えてる譜面をコマンドしながら、アタシの目はシャリンさんの動きに釘付けになる。
 シャリンさんの細身の剣がひるがえる。何回振るったのか見えないくらいの、電光石火の連撃。
 “Wild Iris”
 ヒット判定の出たハン・ガルダの動きが止まる。そこをラフさんの双剣が襲う。
 “stunna”
 間髪入れず、シャリンさんが畳み掛ける。
 “Cruel Venus”
 アタシの雷魔法がそのとき完成した。
 “ピカピカ稲妻!”
 スキル名が間抜けなのはアタシの趣味です、スミマセン。でも、威力はあるから! 真っ青な空から一直線に降ってきた稲妻が、ハン・ガルダの背中に突き刺さる。
「よぉっしゃ、クリティカル!」
 アタシの雄叫び。それに応えるニコルさんのエール。
「お見事、ルラちゃん」
 爽やかボイス! アタシ、完璧にニコルさんの美声の引き立て役じゃん。
 バトルはすでに終盤だった。稲妻で撃ち落としたハン・ガルダは、シャリンさんの連続攻撃を受けて起き上がれない。
 トドメはラフさん。片方でも重い大剣の一撃を、両方まとめて叩き込む。
 “c-ya”
 ハン・ガルダのヒットポイントがゼロになる。青い光になって消えて、経験値とお金が入ってくる。スピーディクリアのボーナスポイントがすごい。
「ほんとに30秒だった……!」
 速すぎ。鬼っていうか神っていうか、そういうレベルで速すぎ。シャリンさん、めっちゃ強い。しかも、自分だけじゃなくて、ラフさんのリモート操作もしてたんでしょ?
 ん? 待って待って。遅ればせながら思い出した。SHA-LING《シャリン》って名前、アタシ知ってる。
「あのぉ、シャリンさんって、コロシアムのハイスコア記録保持者ですよね?」
 シャリンさんは髪をサッと払った。
「そうだけど。だったら何?」
「ですよね~。その髪のオーロラカラー、コロシアムでの優勝限定ボーナスですよね~。一目で気付けって話ですよね~」
 コロシアム優勝って、そりゃー強くなきゃ達成できない芸当だけど、シャリンさんの強さは桁違いだ。AIを相手にする多角バトルモードでの最速記録、ずば抜けてる。
 アタシ、シャリンさんみたいに伝説的に強い人と仲間《ピア》になっていいんでしょうか? 今さらながら気が引ける。
 ニコルさんがアタシの肩に手を載せた。カメラアイを上げると、ディスプレイの真ん中に優しい笑顔が映される。
「気を遣わなくていいよ、ルラちゃん。シャリンが強いといっても、1人では魂探しは難しい。ボクと2人でも手に余る。キミの力を貸してほしいんだ」
「でも、アタシ、強くないですよ? PFC出せないこともけっこうあるし」
「ボクもバトルは強いほうじゃないよ。使えるスキルは補助系や使役系ばっかりだから、むしろ弱い」
 シャリンさんが腕組みをした。クールビューティでスレンダーだから、素早さ重視のビキニアーマーがいやらしくない。噂以上にカッコいいわ、この人。
「手伝うでしょ、ルラ? BPM240なら合格ラインよ。正直に言うと、ラフに関連するバグの影響を受けている以上、アンタのデータも監視したいの。ラフの意識に到達する手掛かりは、1つでも多くほしい」
 ピリピリに張り詰めたシャリンさんの口調に、アタシの背筋が伸びた。そうだ、これは単なるゲームじゃないんだ。命懸けって呼べそうなくらいの、本気の人助け。アタシはビシッと右手を挙げて宣誓した。
「わかりました! 不肖ルラ、できる限り協力させていただきますっ!」
 定型パターンなんだけど、最初のバトルを突破すると、直後にステージガイドが登場する。目の前の空間が、ぼわぁぁぁん、と効果音を立てて歪んだ。ステージガイドのホログラムが像を結び始める。
 蒼い姿だ。
「狼系の獣人ですかね?」
 ホログラムがだんだんハッキリしてくる。うん、狼だ。2本足で立った、人間寄りのデザイン。尖った耳、口元からのぞく牙。蒼いふさふさの毛並みは、灰色の斑が交じってて渋い。そんでもって、めっちゃイケメンなオジサマだ。
 半獣身の美形オジサマがアタシたちを見た。蒼い目がキレイだ。
「よく来てくれた、異世界の戦士たちよ」
 重低音なイケメンボイス! テンション上がる! 爽やかで優しいおにいさんキャラもいいけど、威厳と包容力に満ち満ちたカッチョいいオジサマもすごい好き。
 オジサマのセリフが止まってる。続きのセリフはボタンを押せば聞けるんだけど、パーティでいちばん下っ端のアタシがボタン押すのもアレだよね。って思ってたら、ニコルさんが気を利かせてくれた。
「ボクがリーダー役でもいいかな? 会話の主導権とか、運営さんとの連絡とか、ボクが引き受けようか?」
「助かります!」
「任せるわ」
 ニコルさんのユーザさんがボタンを押してくれたらしい。半獣身のオジサマがセリフを再開する。
「我が名はチンギス。蒼狼《そうろう》族の長にして、このサロール・タルの王だ。異世界の戦士たちよ、オヌシらに我が覇業を手伝ってもらいたい。まずは、ここより東にある我が軍営を訪ねよ。狼煙《のろし》を上げておる。それを目印に進むがよい」
 言い終わると、チンギスさんのホログラムが消えた。ニコルさんが楽しそうに、くすくす笑う。その笑い声、好きだなぁ。
「サロール・タルの世界観、『蒼き狼』なんだね。ずいぶんとまたマニアックなところを突いたステージだな。こんな人里離れた場所に迷い込むなんて、ラフらしいチョイスだ」
「人里離れた場所、ですか?」
「ああ、比喩表現だよ。好んでログインするユーザが少ないステージ、って意味」
「なるほど。確かにそうですね。アタシ、こんなステージがあるって知りませんでした。人気ランキングの上のほうしか見てなくて、異世界系っていえば中世ヨーロッパや北欧神話のイメージしか湧かないです」
 ニコルさんは、人差し指をピンと立ててみせた。
「サロール・タルのモデルは、13世紀前半のユーラシア大陸だ。ログアウトしてから調べてみるといいよ。世界史の教科書にはあまり情報がないかもしれないけど、実はダイナミックでおもしろい時代なんだよ」
「物知りなんですね、ニコルさん!」
「マニアックな歴史や伝説が好きなだけだよ。ラフもね、ボクの趣味に付き合ってくれてた」
「ラフさんも?」
「でも、ラフが不人気なステージを選んだのは、シャリンの影響だ。シャリンは、混んでないステージが好きだから」
「そうなんですか?」
 アタシはシャリンさんに話を向けた。会話に加わってほしかったんだけど。
「ニコル、余計なことを言わなくていいわ。それより足を動かして。しゃべるなら、移動しながらでもできるでしょ。さっさと行くわよ」
 叱られちゃいました。ごもっともです。
 チンギスさんの言ったとおり、フィールドの片隅に、煙が一筋、上がってる。「調べる」のコマンドを実行すると、狼煙《のろし》っていう名前の通信手段だ、という情報が出てきた。
「狼煙に『狼』という字が使われるのは、燃料が理由なんだよ」
 歩きながら、ニコルさんが教えてくれた。煙を出すための燃料、狼のフンなんだって。乾かして燃やすんだ。狼は肉食寄りの雑食だから、フンを燃やすと、草食動物のより煙が出やすいらしい。
「初めて燃やした人、何を考えてたんでしょーか?」
「発明や発見のきっかけは、えてしてそういうものだよ。現実だったら、狼煙の煙は匂いが強いかもしれないね。ピアズには匂いがないから助かったかな」
 爽やかな声と笑顔で説明してくれたニコルさんだけど、微妙にリアクションに困る話題だよね。しかも、チンギスさんって狼系だし。想像しちゃいけないやつだ、これ。
 チンギスさんの軍営にたどり着くまでにも、何度かバトルがあった。だけど、アタシもニコルさんも見てただけ。手出しするより先に、シャリンさんが一瞬で倒しちゃう。
「雑魚《ざこ》ばっかりね。邪魔なのよ」
 リモート操作のラフさんとのコンボ、すごすぎです。
 蒼狼族の軍営は、白いテントの群れだった。テントは三角屋根じゃなくて、ドーム型の天井をしている。
「彼らのテントは、ゲルって呼ぶんだよ」
 またまたニコルさんが教えてくれた。
 たくさんのゲルの間を歩いていく。行き交う人々を見るに、サロール・タルは獣人ばっかりの世界設定らしい。
 モブの兵士にカーソルを合わせて調べると、氏族ごとにモチーフとなる動物が違うみたい。ニコルさんいわく、現実世界の彼らに伝わる祖先神話がヴィジュアルに反映されているんだとか。
 チンギスさんのゲルはすぐに見付かった。飛び抜けて大きくて豪華だ。入り口の垂れ幕は、カラフルな刺繍のタペストリー。
 ニコルさんが先頭で、入り口をくぐった。
「お邪魔しまーす」
 爽やかイケボで絶妙に緩いセリフを吐くニコルさん。ギャップに萌えます。きゅんっ。
 チンギスさんのゲルは、内側も豪華だった。タペストリーやら絨毯やら、CGがいちいち凝りまくったデザインで仕上げられてる。
 デザインが凝ってるのは、チンギスさんの衣装もだ。合わせ襟の民族衣装は、上着も帯も短剣も靴も、緻密な刺繍と細工でデコレーションされてる。派手じゃないけど豪華。
 蒼き狼チンギスさんの隣には、白き鹿の女性がいる。ぱっちり大きな目と耳の、優しげな雰囲気。たぶん、チンギスさんの奥さんだ。
 チンギスさんが口を開いた。
「よく来てくれた、異世界の戦士たちよ。我ら蒼狼族は、諸君らを歓迎する。早速だが、ワシの家族を紹介しよう。こちらは妻のボルテだ。今から4人の息子たちを呼ぼう」
 アォォォオオンッ!
 チンギスさんは狼の声で呼んだ。ほどなく、4人の息子さんたちがゲルに入ってきて、チンギスさんの左右に並ぶ。
 イケメン獣人の4兄弟かぁ。耳とか尻尾とかの属性って、あんまり興味なかったんだけど、ピアズの美麗なCGで見てたらハマりそう。
 と、そのときだ。
    ――パリッ――
 グラフィックが、かすかに揺れた。ひずみが入ったっていうか。珍しいな。ピアズのデータ、すごく安定してるはずなのに。いや、アタシの端末側の問題かな? 後でメモリの空き具合、チェックしようっと。
 チンギスさんの長男は、ジョチさん。パッと見、20歳くらい? 兄弟の中ではいちばん毛並みの色が薄くて、ほとんど銀色。目も、透き通った色をしている。
「ジョチだ。よろしく」
 硬い声音がすっごくクール。
 次男は、チャガタイさん。真っ青な毛並みは、バトル系少年漫画に出てきそうなくらい、荒っぽく逆立ってる。ジョチさんと正反対の印象で、熱そうな人。
「オマエたちが手伝ってくれるのか! 頼りにしてるぞ!」
 ヒーロー系の声としゃべり方だ。
 三男は、オゴデイくん。灰色っぽいブルーの毛並みで、印象は……うーん、地味? どこのクラスにも1人はいるような感じの、おとなしい系だ。
「遠方より、ようこそお越しくださいました。よろしく、お願いいたします……」
 細い声質でささやいて、オゴデイくんは顔を伏せる。
 四男は、トルイくん。青と白のしましまな毛並みがキュートだ。目もくりくりでかわいくて、いかにも末っ子って印象。
 「トルイだよ♪ 一緒に頑張ろうね!」
 兄弟の中では唯一、女性声優さんの少年ボイスだ。
 だけどさー、と異論を唱えたくて、アタシはうなった。ニコルさんがくるっとこっちを向いて、首をかしげる。
「どうかしたの、ルラちゃん?」
「えっとですね、いきなりステージのキーキャラに勢揃いされても、アタシ、いっぺんには覚えられなくて。しかも、何語かわかんないけど、聞いたことない語感の名前ばっかでしょう?」
 アタシの情けない言葉に反応したのは、ニコルさんじゃなくて、青白しましまのトルイくんだった。ピアズのAIは賢くて、ユーザの会話にちゃんと入ってきてくれる。
「いっぺんに覚えなくてもいいよ。兄上たちはどうでもいいから、オレだけ覚えて?」
 甘えんぼな末っ子発言に、キラキラの上目遣い、ふさふさ揺れる尻尾。アタシ、弟系とか別に趣味じゃないはずなのに、なけなしの母性本能がやられる。
「うん、トルイくんのことは覚えた」
「よかったー! ルラ、大好き」
 にこにこ顔のトルイくんはアタシにぴょんと抱きついて、ほっぺたをペロッとなめた。
 いやいやいやいや、ちょっと待てぃ! 何で今、勝手にカメラワーク変わった? ユーザを垂らし込む戦略か? 何たる俺得演出。完っ璧に覚えたよ、末っ子小悪魔のトルイくん。
 ニコルさんが、くすくす笑ってる。シャリンさんが呆れた様子でつぶやいた。
「この子、ラフじゃないわよね?」
「ラフさんって、こんなキャラなんですか!?」
「ある意味ね。ナンパなところが一緒」
「へっ!?」
 黒髪で双剣で、全身に紋様が入ったイケメン戦士で、ナンパな性格? 目の前にいる抜け殻ラフさんからじゃ想像できないんですけど。
 とにかく、とシャリンさんが仕切り直した。
「ストーリーを先に進めましょ」
 うん、そうですね。
「我ら蒼狼族は世界征服を目指す途中なのだ」
 と、チンギスさんが言った。隣国へ攻め込むための行軍のさなか、アタシたちと馬を並べて進みながら。
 世界征服ってイメージ悪くない? 敵と見れば蹴散らして根絶やしにして、我らの通った後にはペンペン草も生えぬ、みたいな感じ?
 蒼狼族の草原の南、国境を接するのはアルチュフ国。このへんの地域でいちばん大きな国らしい。古代から栄える文明の正統な後継者にして、学問と文化と美術の国だ。
 という表看板を、チンギスさんは鼻で笑った。
「所詮、盗人どもの巣窟に過ぎぬ」
「盗人って、どういう意味ですか?」
「アルチュフの王族は、もとは森に住まう狩猟の民だ。あるとき、野心を持った。裕福な文明大国を乗っ取れば楽に生きてゆける、とな。連中は強かった。国を乗っ取る目論見は成功したが、そこまでだったのだ。平穏を手に入れた連中の弓は鈍り、剣はさびついた」
 チンギスさんが言葉を切る。チラッとアタシを見た視線が、なんか先生っぽい。世界史の野外実習。大丈夫です、ついて行けてますよ、チンギス先生。
「アルチュフの王族は覇道を学ぼうとしなかった。覇道とは、民を養い、国を富ませる道だ。ヤツらは現実を直視せず、民の蓄えをむしり取っては、美術や芸術にうつつを抜かし、主食と美女に溺れるばかり。アルチュフという国は腐っておる」
「好き放題やってるアルチュフの王族がダメなのはわかりました。じゃあ、チンギスさんの世界征服の目的って、どのへんにあるんですか?」
 チンギスさんはニヤッと笑った。よくぞ聞いてくれた、みたいな笑顔だ。
「阿呆なアルチュフの王族を玉座から引きずり下ろし、裕福な国土を我ら蒼狼族の支配下に置く。民は殺さぬ。生かして富ませる。民が富めば、税収が増え、我ら蒼狼族の繁栄につながる。アルチュフだけではない。世界じゅうでこれをおこなう」
「ダメダメな政治家を倒して国民にフツーの生活を送らせるって、それ、世界征服ですか? すっごい当たり前のことするだけじゃないですか。世界征服って響きだと、もっと悪いことやってのけそうなイメージなのに」
 チンギスさんは笑って、馬を速歩にして行ってしまった。代わりにアタシの隣に並んだのは、末っ子トルイくんだ。
「父上は、バカなことはしないよ? 小さいころ、苦労したんだ。貧乏暮らしで、何度も殺されそうになった。だから、富の本当の価値を知ってる。武力の使い道も知ってる」
「武力かー。結局、攻め込むからには戦うんだよね?」
「敵がおとなしく降伏すれば、殺さないよ。そこらじゅう血まみれにするんじゃ、大地の神に申し訳ないし。オレたち蒼狼族にとって、戦は人口を増やすための産業だよ。今まで敵《ブルカ》だったとしても、これから役に立つなら仲間《イル》にして、本気で腕が立つなら勇者《バァトル》とたたえる」
「戦というか、友達増やそうキャンペーン的な?」
「世界征服って、殺して回ることじゃないんだ。手に入れて回ることなの。少なくとも、オレたち蒼狼族にとってはね。オレたちのこと、ちょっとはわかってくれた?」
「ストーリーの方向性はわかったよ。悪の世界征服みたいなんじゃないなら、全然問題ナッシング。ニコルさんとシャリンさん、何かトルイくんに訊いておくことありません?」
 パラメータボックスに、雑談チャットの一覧が上がっている。こういうチャットはストーリーの本筋には絡まないにせよ、謎解き系ミッションのヒントになったりするし、ステージ制作の裏話が紛れ込んだりもしてて、けっこうおもしろい。
 アタシの問いかけに、シャリンさんはノーリアクションだった。ラフさんも、もちろんノーリアクション。ニコルさんはあごを軽くつまんで考えるポーズをしてみせた。ぐわー、そういう仕草、ヤバい。知的でセクシーって、アタシの好みにドストライク。
 ニコルさんは、ショップで買った「蒼狼帽」を装備している。ローブと同じ緑色に、金銀の糸で刺繍が入った帽子は、大地の神への祈りが込められているらしく、見た目よりはるかに防御力が高い。
 ちなみに、蒼狼族は帽子をかぶるのが正装なんだって。真ん中にトンガリがある帽子だ。
「ねえねえ、ルラ!」
「トルイくん、なに?」
「ルラ、好きな人いる?」
「はい!?」
「オレとか、どうかな?」
「ちょい待ち、AIがいっちょまえにナンパしないでよ!」
「人種が違ったって、別にいいじゃん」
「人種以上に何か大事なものが違うと思うんですけどっ」
「オレ、将来有望なんだよ? 蒼狼族は、財産が末子相続なんだ。つまり、父上の軍隊やお宝はオレが引き継ぐの。兄上たちは独立して自力で財産を作らなきゃいけないけど、オレだけは特別♪ 今回のアルチュフ攻めでも、オレだけ父上の本軍にいるでしょ?」
 なるほど、道理でおにいさんたちは別行動なんだ。西軍として先行したって聞いた。
 そうこうしながら、行軍が続く。荒れた草原が印象を変え始めた。行く手に大きな川が流れている。草の緑色が濃くなった。やがて、チンギスさんの本軍は、川のほとりで宿泊することになった。
 異変に最初に気付いたのは、シャリンさんだった。
「水の中に何かがいるわ」
 透き通った水面に、コポコポと泡が立ってる。水中で何かが息を漏らしてるみたいだ。
「バトル、来ますかね?」
「ボスじゃないかしら」
 その瞬間、パラメータボックスに警告が出て、バトルモードに突入した。
 ふわっと魔力の風が起こる。ニコルさんが早速、水面へと杖を突き出して魔法を発動した。
 “賢者索敵”
 パラメータボックスに敵の情報が表示される。
 水竜、ジャオ。このエリアに古くからいる水の主。凶暴で、武力の匂いがするところに現れる。竜の端くれだけあってデカいし、ヒットポイントと防御力が異常に高い。
 水面にジャオの巨大な影が見えた。ゴポゴポと、気泡が噴き上がる。
 トルイくんが駆け寄ってきた。真剣な顔をして水面をにらむ。そして、喉をのけぞらせて、一声。
 アォォォオオンッ!
 狼の遠吠え。トルイくんは兵士たちに向き直った。
「オマエたちは退避しろ! ジャオは普通の武器では攻撃できない。オレたち蒼き狼の爪と牙と弓矢、あるいは異世界の戦士の魔力がなければ、ヤツは倒せない! アルチュフと戦うまで、オマエたち兵士は死んじゃいけない。退避しろ!」
 兵士たちが水辺から離れる。チンギスさんが先導するから、パニックが起きない。
 シャリンさんが小さく舌打ちした。
「あの様子じゃ、チンギスはバトルに加わらないのね」
 トルイくんが、にこっとした。
「オレは戦うよ? 力を貸すから頼りにしてよ!」
 ざぱぁぁぁっ! と派手な演出とともに、川の水面が割れた。黒い鱗の竜が長い体をくねらせて、水から飛び出す。予想どおりだけど、デカっ!
 ニコルさんが新たな魔法を発動させる。
 “闘士強壮”
 “術士聡明”
 シャリンさんの物理攻撃力とアタシの魔法攻撃力がアップする。効果がハンパない。ニコルさんの補助魔法、最高ランクだ。
 ジャオが吠えた。ずらっと牙の生えた口はなかなかの迫力だけど、ニコルさんは冷静にこき下ろした。
「東洋系の竜は、脚の指の本数で階級が分けられているんだ。いちばん強くて位が高いのは5本指。今ここにいるジャオは3本指だ。竜の中では最下級の雑魚《ざこ》だね。頭が悪いから、魔法は効きやすいよ。さほど苦労する敵じゃない」
 バトルのスキルはBPM240。シャリンさんとラフさんが剣を構えた。
「どういう作戦で行こうかしら、ニコル?」
「頭を狙うのが、手っ取り早いだろうね。尻尾のほうはボクが魔法で抑えるよ。そのぶん、補助や回復が手薄になるけど、大丈夫?」
「このワタシがダメージを負うわけないでしょ」
 きゃー、そういうセリフ、いつか言ってみたい!
「シャリンさんカッコいい! ニコルさん、アタシは何をすればいいですか?」
「前肢のあたりを狙って。あの鈎爪、ちょっと厄介だ。トルイのAIにも同じ指示を送ってあるよ」
「わかりました!」
 3・2・1、Fight!
 電光石火の勢いでシャリンさんが飛び出す。凄まじい早業の剣技でジャオの顔面を切り刻む。ラフさんが続く。ジャオの長い首を踏み台にして跳び上がって、眉間に双剣が突き込む。
 ニコルさんの手に細長い葉っぱがある。鋭いモーションで投擲された葉っぱは、空中でするすると伸びて尖った。まるで巨大なピンだ。葉っぱがジャオの尻尾を貫く。
 “葉針捕刺”
 捕縛魔法の1種だ。ジャオは尻尾を空中に留め付けられる。
 トルイくんが次々と矢を放つ。ジャオの前肢がハリネズミになっていく。
 アタシもスキルを詠唱中。ディスプレイの中の魔女っ子は目を閉じて、魔力の風を立ち上らせている。コントローラを持つ手元はひたすら譜面の矢印をコマンドして、PFCは逃したけど、ほぼ完璧にてスキルが完成。
「よーし、いけっ、“ゴロゴロ石つぶて!”」
 石つぶてってネーミングよりは大きな岩がジャオへ飛んでいく。ぼこすこぼこっ、とクリティカルに決まって、トルイくんとのコンボがつながる。てか、予想以上の大ダメージ?
「ルラちゃん、弱点を突くとはお見事!」
 ニコルさんに誉められた! でも、たまたまなんです。
 ジャオが、カッと口を開けた。と思ったら、ドォッと噴き出す水鉄砲。
「危ないわねっ!」
 シャリンさんがかわす。水鉄砲を食らった地面が思いっきりえぐれた。すごい水圧だ。魔法攻撃じゃなくて、物理攻撃。アタシみたいに魔法への傾斜配分がきついタイプが食らったらヤバいやつ。
 ジャオがニコルさんのほうを向いた。巨大な口が開く。ちょい待ち、ニコルさんは魔法発動中で動けない!
「間に合え~っ!」
 アタシは詠唱中だったスキルを別のに切り替えた。同じ大地系だから、どうにかなるはず!
 “ガチガチ障壁!”
 ニコルさんの正面に土の壁がせり上がる。ジャオの放った水鉄砲が土の壁にぶつかった。グラッとする土の壁。でも耐えた!
「ありがとう、助かった。やられたぶんは、キッチリやり返さないとね!」
 ニコルさんがジャオへの捕縛魔法を重ねた。逃れようとジタバタするジャオだけど、尻尾に刺さった葉っぱのピンが抜けるはずもなく。
         ――パリッ――
 不意に、グラフィックの片隅がひずんだ。
  ――パリッ、パリッ――
 まただ。アタシの気のせいでも端末の問題でもなかったらしくて、シャリンさんが声をあげた。
「ずいぶん負荷がかかってるみたいね」
 画面が止まっちゃうほどの乱れじゃない。ジャオがまた攻撃してこようとする。ヒットポイントはまだまだ半分以上ある。
 突然、スピーカから、消え入りそうな声が聞こえた。
「助太刀、いたします」
 えーっと、名前、何だっけ? トルイくんのおにいさんの、あの地味な人。
「ぉわぁっ! いつの間にアタシの後ろに!?」
「先ほどから……」
「いたの!?」
 灰色っぽい毛並みの子。3男坊の、誰だっけ? トルイくんが答えを出してくれた。
「オゴデイにいさん、どうしてここに!?」
 そうだった、オゴデイくんだった。おにいさんたちと一緒に先行してたんじゃないっけ?
「連絡係として本軍に来たところです。父上から、トルイたちを助けるように、と命じられました」
「ふぅん、そうなんだ。じゃあ、オゴデイにいさんも手伝って♪」
 パーティの人数が増えて、バトルの運びが楽になる。オゴデイくんの武器や戦法は、トルイくんと一緒で、弓矢だ。コンボが決まりやすくなって、ジャオのヒットポイントの減りが速い。前衛ではシャリンさんとラフさんが無双してて気持ちいいし。
 やっぱ、強い人たちと組むと楽しい。というか、爽快すぎてヤバい。テンションが上がる!
 バトルが終わるときはいつも唐突だ。ラフさんの剣がジャオの角を叩き折った。その瞬間だった。
 しゅぱっ! ヒットポイントが尽きたジャオが青い光になって消えた。
 オート登録してる勝利のアクションで、アタシは跳びはねた。ニコルさんが口元に触れながら、ふふっとセクシーに笑う。シャリンさんが髪を払って、ラフさんは双剣を掲げて。トルイくんが親指を立てて、オゴデイくんがお辞儀をして。
 ――パリッ――
      ――バリバリッ、ビシッ――
 ディスプレイに、砂嵐みたいなノイズが入った。今まででいちばんハッキリ、データがひずんだ。
「ななな何が起こったんですか、今の!?」
 アタシが出した大声がバリバリに割れて聞こえた。ニコルさんのローブをひるがえると、緑色の粒子が弾け飛んだ。いきなり何が起こったの?
 シャリンさんが……違う、シャリンさんのユーザさんが、張り詰めた声で叫んだ。
「アサキ、ここにいるのっ!?」
    ――バリッ、ビシッ――
 ――ザ、ザザザッ――
「ねえ、アサキ! どこなのっ!?」
 フィールドのグラフィックが荒れる。トルイくんとオゴデイくんの動きがフリーズしてる。そういえば、BGMも鳴ってない。
「アサキっ!!」
 それがラフさんの魂の名前ですか? ゲームの中にとらわれているはずの彼の、本当の名前?
 青空、水辺、バトルの後の土埃、緑の濃い草。この一場面のどこかにいるの? どこにいるの?
「アサキっ!!」
 悲痛な声が、不意に、クリアに聞こえた。BGMが鳴り始める。トルイくんが尻尾を振った。オゴデイくんが弓をしまった。
 異変が去っていった。
「シャリンさん、あの……」
「次のチャンスに持ち越しね」
 かすれた声で、シャリンさんはつぶやいた。