高校に入学して一ヶ月。

 五月の連休も終わり、二週間後にはもう最初の中間試験がやってくる。

 とは言っても、午後イチの国語、しかも古典分野の授業となると、睡魔の誘惑には勝てないものだ。

 うつらうつらとしかけたとき、コトンと乾いた音が俺の耳に届いた。

 まただよ。

 目を開けて机の下を見ると消しゴムが落ちていた。

 それは俺のではない。

 右隣の女子の物だ。

 彼女は左利きで、文字を書いていると置いてあった消しゴムに手が当たって左隣の俺の方にしょっちゅう落とすのだ。

 まったく不器用で困るぜ。

 俺は体をひねって手を伸ばし、拾い上げて隣の机に置いてやる。

 女子生徒はそれを見て、声を出さずに鷹揚にうなずく。

 授業中だから声を出せないのは仕方がないとしても、ずいぶん偉そうな態度だ。

 ただ、彼女の場合、そういう態度が当然とも言えるのだ。

 左衛門真琴。

 彼女の一族はこの街の名家で、あらゆるところにその影響力が及んでいる。

 ここは県庁所在地の隣接市で、そこそこ人口のある街なのだが、市議会議長、駅前の郵便局長、県立救急病院の院長、消防団の顔役……と、どこにでもサエモンという名前が出てくるのだ。

 そういえばこの高校の教頭も彼女の伯父らしい。

 まあ、そういった地方の名家の娘だから、こういう態度も生い立ちから来るものなのだろう。

 この街で左衛門一族に逆らって生きていくことはできないから、俺も文句を言うつもりはない。

 たかが消しゴムだし、お役に立てて何よりだ。

 まあ、せいぜい、「左側に置くから手が当たるんだろうよ。右側に置けよ」と言いたくもないわけではないんだが、そんな細かいことは左衛門家の姫君に言上すべきことではないことくらい承知している。

 もう何度こんなことを繰り返しただろうか。

 実は、彼女と俺は同じ中学の出身で、三年間同じクラスでやってきて、高校でも同じクラスという腐れ縁なのだ。

 いくら地方の少子化高校だとしても、一学年に四学級あるんだから違うクラスにしてほしかったんだが、自分で選べるわけではないからあきらめるしかない。

 だがしかし、いつも俺の右隣の席というのは、さすがにできすぎじゃないのか。

 中学以来、何度席替えをして教室内の位置は変わっても、いつも俺の右隣は左衛門真琴なのだ。

 つい先日おこなわれた高校最初の席替えでも、結局こうなのだ。

 何かに取り憑かれているのだろうか。

 左衛門一族の呪いなのか?

 心当たりなんてもちろんないんだが、俺の方にも、あまり文句を言えない事情がある。

 彼女のおかげで俺は学校の居場所を確保しているとも言えるのだ。