【伊勢 異類婚姻譚】水神さまの花嫁は 恋の縁を廻る


 人気のない、雨音だけが聞こえる広い墓地。
 濡れて色濃く輝く墓石には、寄り添うように刻まれた両親の名前。
 生前、この時期に、母がリビングの花瓶に生けていた紫陽花を今年もお供えしてきた。

「ご両親も喜んでるだろうね」
「だといいな」

 毎年墓前で報告する内容が、神様やあやかしの話題ばかりなのをどう思っているのか。
 娘が”視える”体質なのは知っていたと記憶しているけれど、さすがに神様が自分たちの代わりに親となって子育てしてくれているなど、驚いているに違いない。
 いや、十四年目ともなれば、もうとっくに慣れてケラケラと笑っている可能性もあり得る。
 何せ、私の覚えている両親の姿は、いつも笑顔だったから。
 そして、母親の代わりを務めてくれている瀬織津姫もまた、豪快な笑顔が魅力的な女神だ。
 大きく口を開けて、思い切り笑う。
 そんなパワーに満ち溢れた母様が倒れたなんて、やはり相当な理由がある気がしてならない。
 大したことじゃないという言葉を鵜呑みにしていいのかと不安に駆られていると、母様は「ああ、そうだ!」と突然両手を叩いた。

「ふたり揃ってるならちょうどいい。あんたたちに頼みがある」
「俺といつきに?」
「ああ」

 笑みを携えて頷いた母様の頼みとは一体何か。
 私とミヅハは顔を一度見合わせてから視線を母様に戻す。

「母様、頼みって?」

 宿のことだろうか。
 たまに神様やあやかしに届け物を頼まれることがあるので、もしやそれではと半ば予想している中、母様はにこやかな笑みを浮かべたまま言った。

「今月、もしくは来月中に、ちょいとばかし婚姻を結んでほしいのさ」

「……ん?」

 一瞬、母様が発した言葉の意味がわからず、首を傾げ自分の中で整理を試みる。
 今月か、来月中に、婚姻を、結ぶ。
 婚姻を結ぶというのは結婚するということで間違いないだろう。

「え? 誰と誰が?」
「だから、あんたたちふたりが」

 母様の答えに、私の脳はついに処理しきれなくなった。
 いつもは感情をあまり表に出さないミヅハも、さすがに目を丸くしている。

「私たちが、ちょいとばかり婚姻を結ぶってなに」

 ちょっとそこまでふたりで買い物に行ってきてくれ、みたいなノリで結ぶ婚姻なんてあるのか。
 あまりにも突然の頼みごとに状況がうまく呑み込めない私の横で、黙っていたミヅハが口を開く。

「なぜ、俺といつきなんだ」
「それは、あんたならわかるはずだよ、ミヅハ」

 母様の強い眼差しを受けたミヅハは、視線を両の手を置く自分の膝に落とし、暫し黙考する。
 そして、思い当たる節があったようで、顔を上げると母様を真っ直ぐに見つめた。

「あの時の言葉に繋がるのか?」
「ああ、そうだよ」
「そう、か……」
「な、なんのこと?」

 何やらふたりの間で通じるものがあるようだが、私には全くわからない。
 完璧に置いてけぼりをくらっている状態だ。

 ミヅハにはわかる”あの時の言葉”とは何なのか。
 わからないのなら尋ねるのが一番。
 私は姿勢を正すと、母様とミヅハへ交互に視線を送る。

「お願いだから、私にもわかるように説明してほしいんだけど」

 私の真剣な眼差しに、母様は表情を硬く厳しいものに変え……

「あいたたたたたたた!」

 突然、腹部を押さえながらうずくまった。

「か、母様!? 大丈夫!?」

 長い髪がだらりと布団に垂れる。
 慌てて母様の背をさすり、やはり少彦名様を呼ぶべきではとミヅハに相談しようとした時だ。

「うぅ……これは早く……孫の顔を拝まないと……死んでも死にきれないよぉぉ……」

 到底、痛みに苦しんでいるとは思えない、棒読み気味の懇願が聞こえ、私は眉根を寄せた。

「……母様、怒るわよ」
「あらら、演技だってバレバレかい?」
「大根役者も大笑いするレベルでね」

 もうっ!と母様の背中を軽く叩くと、ミヅハも呆れたようで小さく息を吐く。
 母様は悪かったねと大して悪びれもなく口にしながら、体勢を直すと話を再開させた。

「とにかく、婚姻は結んでもらう」

 頼みがあると言っていたのはどうやら建前だったようで、ついに決定事項として言い渡される。

「突然どうして?」

 昨日まで、そんな話は出たことはなかった。
 酔うととんでもない無茶振りをすることもある母様だが、酒の席でも結婚の話など微塵も出されたことはない。

 困惑して眉を下げてしまった私に、母様は愛情をたっぷりと込めた瞳を細める。

「あたしはね、あんたたちふたりで幸せになって欲しいんだよ」

 ふたりに、ではなく、ふたりで。
 私とミヅハが結婚することを母様は望んでいるのだ。

「どうして、私とミヅハなの?」
「それは、あたしから話すことじゃない」

 母様の視線がチラリとミヅハを捉える。
 けれどミヅハは黙したまま、そっと母様から視線を反らした。
 その様子に、母様は苦笑し肩をすくめると、再び私に微笑みかける。

「大丈夫。いつか、いつきにも全部わかる時がくる。きっとね」

 そんな日が本当に来るのだろうか。
 いっそ今ここで全部話してくれた方がとてもありがたいのだが、母様もミヅハもきっと簡単には教えてくれないだろう。
 話す気があれば、今この時、口にしているはずだ。
 けれど、やはり突然すぎて頷くことはできず、私は母様に「少しだけ、時間をください」と願い、部屋から下がった。












「結婚……結婚かぁ……」

 濃く落ち着いた桃色に染められた単衣着物の裾をうまくさばきつつ廊下を歩いていた私は、仕事中だというのについ独り言ちてしまう。
 しかし、今日ばかりは許してほしい。
 何せ、親子そろって倒れたことに加え、五十鈴川の二代目水神であるミヅハとの婚姻を言い渡されてからまだ一晩だ。

 母様の部屋から退出後、ミヅハは何も聞くなというオーラを放ち、仕事へと戻っていった。
 私を介抱し、運んでくれたことのお礼を伝えたかったのだけれど、仕事とあっては無理に後を追うことも憚られ……。
 それから、あまり眠れないまま夜が明けてしまい、ミヅハと再び顔を合わせたのは今朝のこと。
 着慣れた仕事着を纏い、肩より少し長い髪を後ろでまとめ、支度を済ませた私が、朝食の準備を手伝う為に宿の一階にある調理場へ向かっていた時だ。

『体調はもういいのか?』

 背後から声をかけられて振り返ると、ミヅハが僅かに首を傾げ立っていた。

『おはよう、ミヅハ。体はもう平気よ。それよりも昨日の』
『平気ならいい。無理はするなよ』

 お礼が言いたかったのだが、彼は多分、伏せておきたい内容について尋ねられると予想したのだろう。
 私の言葉を遮るように素っ気ない声を被せ、着物の袖を翻し、さっさと立ち去ってしまった。

 その時、私は思ったのだ。

 昔のミヅハならともかく、ここ数年のミヅハは冷たい。
 いや、正確には、優しいところもあるが、なぜか私にはそっけない、だ。
 声色に刺はないので嫌われていないことはわかるし、普段あまり気にはしていないのだけれど、それは幼馴染としての話。
 結婚となればうまくいく気が全くしない。

「実は初恋、だったんだけどなぁ……」

 それももう昔の話だが、私はミヅハの笑顔がとても好きだった。
 お菓子をあげると綺麗な顔にそれはもう満面の笑みを浮かべるものだから、これもどうぞ、どんどん食べてと様々なお菓子を渡していた記憶がある。

「また、笑ってくれないかな……」

 微笑んでくれることはたまにあるけれど、そうではなく。
 昔のように、何でもないことで大きな口を開けて笑い合いたいのだ。
 夫婦になるというなら、なおさらにそんな関係でありたい。

「って、いつのまにか思考が結婚受け入れモードになってるじゃない私!」

 全く知らない相手ではなかっただけマシではあるが、もう一度母様と話をしてみたほうがいいのかもしれないと溜め息を吐いたところで、廊下の角から仲居の朝霧さんが現れた。

「あら、溜め息なんてついて、悩み事?」

 すれ違えば誰もが振り返るであろう美しい顔を持つ彼女は、絡新婦(じょろうぐも)というあやかしだ。
 絡新婦は日本各地に様々な伝承を持っており、年老いた蜘蛛が人に化けている者もあれば、不幸に見舞われた女性があやかしに身を落としたなどと囁かれている。
 朝霧さんから聞いた話では、ほとんどの絡新婦が、男絡みで色々と苦労してきているらしい。

 色っぽく眉を下げて語ってくれた朝霧さんも、実は慕っていた男からひどいめにあわされ、恨みを抱えたまま死んでしまった元人間だ。

『あんなクソ男のせいでおっ()ぬなんて、死んでも死にきれなくてさぁ。で、運よくあやかしにトランスフォームできたもんだから、嬉々として恨みを晴らしに行ったの。そうしたらね? 殺すのもバカバカしいほどにクソ男っぷりが増してて、もうただ殺すだけじゃ足りないから、一生残るトラウマ級の脅かし方してさよならしてやったわ』

 きっと死ぬ寸前まで怯えて魘され続けたでしょうねと笑った朝霧さんは、残酷なまでに美しく、けれどどこか寂しそうにも見えたのを覚えている。

 話を聞いた当時、私がまだ小学校高学年だったこともあってか、その男性が朝霧さんにどんな仕打ちをしたのかは聞かされなかった。
 けれど、その男性を恨むようになって以降、朝霧さんは男に嫌悪感を抱くようになり、この天のいわ屋に訪れる男性客が朝霧さんにセクハラを働こうものなら、気のある素振りを見せ、かどわかし、痛い目に合わせることもしばしばある。
 これに関して母様は『うちは遊郭じゃないからね』と、朝霧さんを咎めたことはない。

「朝霧さん、お疲れ様です」
「ふふ、お疲れ様。あたしの可愛いいつきちゃんを悩ませるなんて、よほどの伊達男なのねぇ」
「えっ、どうして男絡みの悩みってわかったんですかっ?」
「やだ、本当に男のことで悩んでるの? どこの馬の骨か知らないけど、あたしの目が黒いうちは、いつきちゃんはくれてやらないからね」

 眉を険しく寄せ、泣きボクロの上の双眸にはメラメラ揺れる炎が見えるようだ。

 朝霧さんは私が母様の元にきてすぐ後に天のいわ屋で働くようになった。
 それからずっと可愛がってくれていて、元人間というのもあり、人の世での困りごとはよく朝霧さんに相談していた。
 私にとって朝霧さんは、年の離れた姉のような存在だ。
 だから、今回の母様の無茶振りについても相談したいところなのだが、今下手に「相手はミヅハです」等と言ったら、水神VS絡新婦の戦いが始まってしまいそうなのでやめておく。

「いい? 男を簡単に信じてはダメよ? 悪質な妖邪(ようじゃ)や邪神よりも心根が腐ってるやつもいるんだからね」
「き、気をつけます」

 妖邪、邪神とは、人を含めた種族に関わらず、害を及ぼす邪悪な神やあやかしのことを指す。
 母様の話によると、私が事故に遭った時に見た黒いモヤのようなものも邪神か妖邪だった可能性が高いとのことだ。
 実際、現世(うつしよ)での不可解な事件や事故は妖邪か邪神のどちらかが関わっていることが多い。
 未解決の神隠しも、そのほとんどが彼らの仕業だと聞いた。
 それらを解決するため、陰陽師と呼ばれる退魔のエキスパートたちが所属する【司天寮(してんりょう)】という名の国家機関あるのだが、現世では限られた者しか知らない極秘機関となっている。
 ちなみに、黒いモヤの正体は、当時、司天寮も調べてくれたのだが、今日まで解明されていないままだ。

「いけない。男の話のせいで肝心なこと忘れてたよ。まかないもらっておいで」
「え、もうそんな時間?」
「昼時だよ。いつきちゃんがなかなか来ないから、若旦那に呼んでくるように頼まれたのよ」

 考え事をしながら部屋の掃除をしていたせいで、昼食の時間を失念していた。

「ごめんなさい。すぐ行きます。朝霧さんはもう食べました?」
「あたしはもうもらったわよ。今から休憩。ほら、行ってきなさい」
「はーい!」

 宿で働く私たちは、お客様の朝食が終わると片付けや清掃をし、昼食をとった後は十四時半まで中抜けと呼ばれる長い休憩時間がある。
 時間の使い方はそれぞれ違い、仮眠をとる者もいれば、買い物に出たりと所用を済ませる者もいる。
 朝霧さんはいつも自分磨きの時間に当てているようで、私にもたまに化粧の仕方を伝授してくれるのだ。
 彼女曰く、仲居は心配りだけでなく見目も重要、とのこと。
 私もたまにはファッション雑誌でも買って勉強しようかなどと考えながら、昼食をとる為に従業員休憩室へ向かう。

 一階フロントの後ろに下がる目隠し用の丈の長い暖簾をくぐると、厨房との間に誂えられたカウンター席にミヅハとカンちゃんが座っていた。

「お、きたきた。豊受比売(とようけびめ)さん、姫さん来ましたよー」

 もう閉店しましたとばかりにピッチリと簾が下げられたカウンター。
 その向こうにいる豊受比売様にカンちゃんが声をかけると「は、はい~」と、小さくて可愛らしい声が聞こえた。

 私は、すでに食事をとり終えた様子のミヅハとカンちゃんに「お疲れ様」と伝えてから、厨房にいる姿の見えない豊受比売様にも挨拶する。

「お疲れさまです! ごめんなさい、私のせいで豊受比売様の休憩時間まで遅れちゃいますよね」
「い、いえ……私は、ご飯作る時だけここに来ればいいので……だから気にしないでいいです」

 か細い声で続けた豊受比売様が、「今から昼食ご用意しますね」と続けるとカウンターから気配が去っていく。

 厨房で調理を担当している豊受比売様は、伊勢神宮の外宮(げくう)に祀られている食物を司る女神様で、元々は現在の京都府北西部と兵庫県東部にあった丹波国(たんばのくに)にいたらしい。
 しかし、伊勢神宮に鎮座した天照様が雄略天皇の夢枕に立ち『ひとりじゃ寂しいから、丹波国の比沼真奈井(ひぬまのまない)にいる豊受比売を呼んでくれないかしら?』とお願いしたため移ってきた。

 ……というのが、一般的に公開されている話なのだが、母様に聞いたところ、天照様は、気が弱く引き籠りの豊受比売様を心配して呼びつけたんだとか。

 何を隠そう、カウンターにぴっちりと下がる簾も、引き籠りの豊受比売様の為に設置されたものだ。
 私がこの天のいわ屋に来てから、豊受比売様の姿を見たのは片手で数えられる程度しかない。

 最後に見たのは二年ほど前。
 従業員用の女湯でたまたま遭遇したのだけれど、相変わらずおっとりと可愛らしかった記憶がある。
 ちなみに、自称、豊受比売様と仲良しのカンちゃんの情報によると、豊受比売様の趣味はネットサーフィンでSNSも駆使しており、イン〇タで自分の作った料理を載せているんだとか。

 あやかしも神様も、時代の流れにしっかりと乗っていて、なんともたくましい限りだ。