老女は生垣の切れ目から、玄関へと足を進める。
その後ろをついて行く大吉は、嫌な予感がしていた。
(もしや、独り暮らしなのか……?)
それなら、老女が迷っていたと家の人に伝えることも、弁当を返すこともできず、困ってしまう。
玄関の引き戸は一寸ほど開いており、老女が両手に力を込めて開けようとしているところを見ると、建て付けが悪く完全に閉まらないようだ。
不用心な上に、夏が終われば寒いだろう。
ガタガタと鳴る戸の音に混ざり、「大吉」と聞きなれた声がした。
振り向けば、生垣の向こうに左門がいる。
今日は細い縦縞の紺色の背広に、同色の山高帽を被り、黒い革製の抱鞄(かかえかばん)を小脇に携えている。
自動車ではなく、徒歩でこの通りを歩いていたようだ。
いつも通り完璧な身なりをした彼は、なにを考えているのかわからない無表情さで、この家の敷地に足を踏み入れた。
大吉は目を瞬かせる。
「神出鬼没なお人ですね。どうしたんですか?」
「それはこちらの台詞だ。いや、違うな。今日は感心している。よく中江正一郎の母親を見つけ出した。私は戸籍を調べて訪ねたというのに、君はどうやったんだ?」
言われたことをすぐには飲み込めずにキョトンとした大吉だが、ハッと理解した後は大いに驚いた。
「このお婆さん、中江さんの母親なのですか!? そういえば僕を息子と間違えた時、正一郎と呼んでいました。すごい偶然ですね」
「幸運の持ち主か、それとも天然の才か……」
左門に呆れの目で見られても、大吉は笑顔を崩さない。
昨日の左門は無関心を装い冷たいことを言っていたが、本当は正一郎の母親を心配していたとわかり、見直しているのだ。
正一郎の母親は他のことに気が向いているのか、大吉と左門に構うことなく、戸を開けてさっさと家に入ってしまった。
いまだ弁当を返すことができずにいる大吉は、古びた表札を読む。