「我々を中に上げてください。玄関先で揉めれば、夫婦の事情が近隣に知れ渡ることでしょう。それともこのまま恥をかきますか」
唸るような声を漏らし、しぶしぶ拳を下ろした正一郎を見て、左門もステッキを足元についた。
大吉は速い鼓動をまだ鎮められずにいる。
(ちびるかと思った。左門さんは、どうしてそんなに落ち着いていられるんだ……)
激怒している相手に対し、終始優位に立っていることに大吉は感心している。
それと同時に、自分だけが肝を冷やしたことを悔しく思っていた。
(ようし、僕も男だ。ここから先は怯えず、堂々としていよう。そもそも悪いことをしていないのだから、逃げ隠れする必要もないんだ)
ふたりは茶の間に通された。
そこは畳敷きの八畳間で、古い茶箪笥とちゃぶ台が置かれている。
天井から吊り下がるのは、乳白ガラスの電笠を被った電球で、壁には振り子時計がかけられていた。
商社の広告がついた暦表も貼られている。
それしかない小ざっぱりとした茶の間であるが、隣の部屋との間仕切りの襖には墨字の落書きがあり、桜形に切った和紙が傷の補修に貼られている。
やんちゃな子供のいる賑やかな家庭であることも窺えた。
そういえば、小学生だという、ふたりの子供たちはどうしたのだろうか。
初夏の空はまだ明るくても、時刻は午後五時になろうかというところだ。
そろそろ帰宅しても良い頃かと思われるが、もしかすると、君枝を叱責中の正一郎に、どこかで遊んでいなさいと外に出されたのかもしれない。
隣の六畳間との間の襖は開いており、仏壇や囲碁盤が見えている。
君枝は襖側の茶の間の隅に正座して、泣いていた。
ハンカチーフで真っ赤な目を拭っている彼女は、大吉と左門の姿を見ると、慌てて立ち上がろうとする。
「ただいま、お茶を――」
弱々しいその声を、正一郎が厳しい声で遮った。
「客人ではないからいらん。お前はそこに座っていろ」