表には西洋画風の色っぽい美女が描かれ、裏には店名と住所の他に『酒と煙草、女給(じょきゅう)の美』と目立つ朱色で印字されていた。
カフェーとは純喫茶ではない。珈琲とアルコールを提供し、蓄音機で洋楽が流れるホールに、紳士の集うサロンがある特殊喫茶である。
流行りの玉突き台があり、美人揃いの女給が着物に白いエプロンをまとって、濃厚な接客をしてくれるそうだ。
カフェーなるものの存在を大吉が知ったのは、尋常小学校に通っていた九歳の時のこと。
六つ離れた長兄が隠し持っていた大人の雑誌を見つけ、こっそり盗み読みした。
あの日から大吉はカフェーに強い憧れを持ち、大人になったら自分もカフェー通いができる紳士になろうと夢見ている。
色っぽい女給のお姉さんたちに構われたいと思い、今は真面目に商学を勉強しているのであった。
大吉ほどではないが、幸治と清もカフェーには興味を持っている。
十七歳の彼らにとって、それはある意味健全な証拠であろう。
背広を着てネクタイを締め、革靴を履き、大手商社に勤めて裕福な生活を送る……大人になった自分を頭に描いて目を輝かせる彼らは、道端に五分ほど足を止め、マッチ箱ひとつに興奮するのであった。

やっと歩きだした彼らは分かれ道まで来ると、「また明日、学校で」と手を振り別れた。
ひとりになった大吉は、マッチ箱を羨ましがられたことで気分良く帰宅する。
そこは商店街の一角にある、“坂田屋”という練りもの店だ。
明治の中頃に建てられた二階建ての和風家屋で、一階の三分の二をかまぼこやちくわ、魚のすり身揚げを作って売る店舗としている。
夕食の買い出しも混み合う時間が過ぎたのか、店内には客がふたりしかいなかった。
「ただいま帰りました」
開けっ放しの格子戸から店内に入った大吉は、商品陳列棚の横で学帽を脱いで会釈する。