東京までは青函(せいかん)連絡船に四時間半ほど乗り、青森で船から汽車に乗り換え、二十時間ほど鉄路を進む。
青函連絡船は一日、二便で、出港は十五分後だという。
それを聞いた大吉は、勝手口から外へ飛び出し、上ってきたばかりの坂道を駆け下りた。
雪で滑る地面に何度も転びそうになりつつも、足を止めることなく、港へ急ぐ。
(柘植さんまで連れて行ったということは、函館と僕を見捨てる気なんだ。実家を継がないと言っていたのに、急にどうして……)
動揺する心で理由を探せば、小夜子と弥勒の顔が浮かんだ。
(もしや、弥勒さんのため……?)
小夜子は展覧会の審査員に、大蔵家と九条院家の息がかかっている者が三名いるようなことを言っていた。
左門が実家に戻らなければ、弥勒がどんなに優れた絵を描こうとも、落選させるという脅しだ。
それに対して左門は『画家の未来と、自分の生き方を天秤にかけるほど、私はお人好しではない』と答えていたが、どうだろう。
(優しいと言ったら怒られるけど、左門さんは肝心なところは優しい人だ。中江さん一家の誤解を解き、文子さんの家族の世話も焼いていた。家事で住む場所を失った僕を、拾ってくれたこともそうだ。人使いが荒く冷たいことを言っても、左門さんは結局、お人好しなんだ……)
弥勒のために、左門は実家に戻る決断をしたのだと結論を出したら、港に着いた。
整備された岸壁には、青函連絡船、翔鳳丸(しょうほうまる)の姿が。
黒い船体に白い甲板室、中央に太い煙突が伸び、黒い煙が海風に流されている。
翔鳳丸は船底に貨車を積むことができる、大型車載客船だ。
大吉が息を切らして駆けつけたというのに、巨大な船体は無情にも出航の汽笛を鳴らし、岸壁から離れていく。
「左門さーん!」
寒空の下では甲板に人影もなく、呼んでも声が届かないのはわかっている。