銀の小壺に入れられているのは、牛乳ではなくクリームだ。
クリームは国内生産量が少ないため一般庶民には広まっていないが、左門は紅茶や珈琲に入れて嗜み、浪漫亭では料理にも使っている。
大吉は紅茶をこぼさないよう気をつけて廊下を進み、応接間のドアをノックした。
話し声は聞こえるが、返事はなく、恐る恐るドアを開けて中へ入る。
左門と小夜子は、テーブルを挟んで向かい合わせに座っていた。
部屋には冷ややかな空気が漂い、まだ冬には早いというのに、ストーブに火を入れたくなる。
(嫌な緊張感だな……)
「紅茶です」と大吉は控えめな声で言い、紅茶碗や角砂糖の小瓶などを並べていく。
すると左門にため息をつかれた。
なにを間違えたのだろうと左門を見たが、視線は合わない。
どうやらため息は、大吉ではなく、小夜子に向けられたものであるようだ。
「何度言われても答えは同じです。私は大蔵家の後継を放棄した人間だ。血筋の者でなければならぬというのなら、博文(ひろぶみ)がいるでしょう。二十になりましたか。充分、大人だ。ご自分の息子を推薦すれば良い」
「とっくに言ったわよ、お父様に。でも断られたわ。九条院の名を持つ博文は信用し切れないそうよ。同じ大蔵でも、左門とお父様は考え方が違うのに、名にこだわるのよ。士族の血がそうさせるのかしら。歳を取ると頑固さが増して困るわ」
紅茶を置いたら、大吉は一礼して、すぐに廊下へ出た。
ピリピリした空気から早く逃れたかったのだが、会話の内容は気になって、ドアに耳を当ててしまう。
ふたりの会話から、大蔵家が後継を探していることが窺えた。
現当主の父親が、左門を東京に呼び戻したがっており、小夜子は伝言役として訪れたようだ。
会話に出てきた博文という名の青年は、小夜子の息子だろう。