梅雨入りしたというのに朝から雨の降る日はあの日以来一度もなく、今朝もどんより曇った空は一滴たりとも地へ落とさない。まるでアクリル絵の具でベッタリと塗ったようなグレーからは、光の一筋さえ漏れない。
そんな、俺の淡い恋心を弄ぶかのような天気が続いているのに。
講義を終え、一人長い廊下を歩いていた時。
覚えたての新鮮な声が耳をくすぐり、ふと先を見つめると、髪を揺らしながら友達と笑いあう雨さんがこちらに歩いてきた。
初めて俺以外の人と喋る姿を見て、ああ、こうやって笑うんだ、なんて思ったりして。
口角をいつもより上げ、目をやや細める。白いその肌には小さなえくぼがひとつ、ふたつ。言葉の世界を語る彼女とは一変、チャーミングな笑顔で友達と何かを語り合っている。
邪魔をしちゃ悪いし、声をかけるほどの仲にはまだなっていない。そう判断してそのまますれ違うことにした。
すれ違いざまにふわりと風が起こる。
その風と共に、
「……アキラ、くん?」
やけにクリアなその声が、耳に届いた。
覚えていてくれた、気付いてくれた。そして何より、初めて名前を読んでもらえた。
数々の喜びが同時に湧き上がり、つい勢いよく振り返ってしまう。
「雨さん!」
そこで彼女は隣にいる友達に何か呟き、何と友達に手を振りこちらに駆け寄ってきた。
「こんにちは、アキラくん」
「こんにちは、雨さん。友達は良かったの?」
「うん、ただおしゃべりしていただけだから。外、出ない?」
雨さんは窓から見える、木陰のベンチを指差す。空は相変わらずグレーだけど、寒くもないし暑くもない。雨さんの提案通り、外に出てベンチに腰掛けることにした。
梅雨独特のむわりとした空気が2人の髪を通り抜けていく。講義が始まったのか、あたりの喧騒は消え、のどかな雰囲気に包まれていく。
「まさか、構内で会えるとは思わなかったね」
「うん、気付いてもらえて嬉しかったよ。もう授業はないの?」
「うん、今日はもうおしまい。アキラくんも?」
「そうだよ」
雨さんは風で乱れる髪を耳にかきあげた。ふわり、シャンプーの匂いが鼻を掠める。
不思議な感覚だ。雨さんとの空間は心地よいのに、どこか緊張している自分がいる。好意や憧れが、雨さんの隣という位置付けを大きくする。
それに、ここはバスではない。大学の構内だからか、『男と女』を意識してしまう自分もいる。