いつも通り二人掛け席に躊躇なく腰を下ろしたあたり、親密さは変わっていないのだろう。少し胸を撫で下ろす。
バスが発車する直前、学生が何人も駆け込んできた。恐らく、電車が思ったよりも早く着き、バスがまだ発車していないのが見えたからだろう。いつもより少し混雑さが増した。
その学生の中に、一人見覚えのある顔があった。
「お、暁おはよ!」
「……おはよう、浩太郎」
浩太郎はすぐさま隣の雨さんに目をやった。鋭い浩太郎のことだから、きっと例の女の子だと気付いたのだろう。気付かれない程度に雨さんを観察していた。
浩太郎が斜め前に立たれちゃ、何だか話し辛い。侮れない浩太郎に会話が筒抜けなのは、さすがに気が引ける。
雨さんも状況を察したのか、静かに本を取り出し、読み始めた。
今日は、石川孝月さんの文庫本だった。この前俺が買って読んだばかりの『光待つモーメント』だ。雨さんは勿論、復読だろう。
俺も何か文庫本を取り出そうか。
鞄の中を探ろうとしたとき、おもむろに浩太郎は口を開いた。
「……あれ?それ、石川孝月の本?」
それが俺ではなく隣に向けられた発言だと、すぐに分かった。雨さんもはっと意識を本から移し、浩太郎を見上げる。
「そうです、石川孝月さんの『光待つモーメント 』です」
「やっぱり。見覚えのある羅列が目に入ったから。石川孝月の本、好きなの?」
「はい、一番好きな作家さんなので、これはもう四度目です」
そのあたりのやりとりから、俺は少しむっとした。
雨さんから石川孝月さんの大ファンだと聞いたのは、知り合ってしばらく話す回数を重ねてからだ。それに、四度目だなんて細かい情報は知らない。
嫌な予感がする。
鋭い浩太郎がわざわざ声をかけるなんて、よっぽどの理由がないと有り得ない。話し方からして、雨さんに気があるというよりその本を気になっている様子だ。
だから、尚更危ない予感は止まらない。
「俺は割と雑食だけど、石川孝月は特に好きだよ。家にサイン本あるし」
「えっ、サイン本!?」
予想的中。
サイン本、という単語に予想以上に雨さんは食いついた。俺の持っていない武器で、雨さんと本について語り合うなんて。
俺は、出会ってからずっと雨さんを見てきた。ずっと雨さんに惹かれてきた。
でもそれは一方的で、いつどんな人が雨さんの前に現れるかなんて分からない。いつ、雨さんの気が他に移るかなんて分からない。雨さんに惹かれる人が俺だけだなんて、言い切れない。