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そろそろ西日本は梅雨前線が差し掛かってきた。関東も、あと数日経てば梅雨の仲間入りだろう。
例年ならこのジメジメした季節には嫌気が差すが、今年は違う。雨の日が多ければ多いほど、俺の朝の幸せな時間は増える。自分でも自分が気持ち悪いとは思ったが、行動はやっぱり出来なかった。
彼女はいつも本をブックカバーで覆っていた。それは書店で購入するときに店員さんが付けてくれる紙製のものではなく、色味の深い革製のもので、文庫本サイズだけでなく単行本にさえつけている。それだけで本が大好きなんだと見抜いた。
というのも、最近はあまり読まなくなったものの、俺はミステリー小説が大好きで、それこそ大学受験を迎えるまでは毎日のように読んでいた。けれど、高校時代の俺は運動部。読書が趣味だなんて言ったら、仲間に笑われるのが目に見える。だから、恥ずかしくて学校では絶対に読まなかったし、本なんか興味のないようなそぶりさえしていた。本当は、家に帰って夜中まで夢中になって読んでいたのに。
だから、きっと彼女のことが少し羨ましかったんだ。勝手なイメージだが、友達も多そうで付き合いも良さそうなのに、毎朝一人で登校して自由気ままに本を読む。その姿が、羨ましかった。
さすがに彼女はミステリーは読まなさそうだ。きっと、純文学や詩集を読んでいるんだ。なんて、今日もまた理想を並べてゆらりゆらりとバスの揺れに身を任せた。


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関東も梅雨入り宣言を迎え、紫陽花もようやく淡い色を帯びてきた。
今日は珍しいことにバスがいつもより少し混んでいて、たまたま彼女と横並びの席で隣になった。初めての距離に俺は勝手に意識して、勝手に緊張する。彼女は勿論、何事もないように鞄から本を取り出し、バスが動き始めると静かに読み始めた。
何だか落ち着かなくて、適当に携帯をいじってみる。いやに心臓の音が近くに聞こえる。こんな時に限って、誰からもメールは来ていない。
と、バスが動き始めて数分後。隣の彼女の様子が少しおかしいことに気付いた。本を開いては閉じ、開いては閉じ。時折、開いたままの本を膝の上に伏せ、手で口を押える。
もしかして、いつもより混んでいるから酔ったのか?
ちらりと横目で顔を確認すると、彼女は眉を歪めて目を潤ませていた。
気が付いたら俺は、
「あのっ、大丈夫ですか!」
彼女に声をかけていた。