言葉探し、夢日和。



 ○


「到着したよ」
「……公園?森?」
目的地は、大学と駅の間に位置する、大きな森林公園。
バスの通る大通りからいくらか入っていったところにあるので、ただバスに乗っているだけじゃ分からない公園だ。
丘よりも高く、山よりも低い。そんな場所にこの公園はある。その高さと地形ならではのものを見せたいと、雨さんをここに連れてきたのだ。
「ちょっと歩くけど、大丈夫?」
「今日はローヒールだから大丈夫だよ」
先導しつつ、雨さんが見失わないようにと、雨さんの半歩前を歩く。
さすが森林公園と言うだけあって、植物は勿論のこと、鳥のさえずりが遠くから聞こえる。夕方のこの時間は涼しいからか、ウォーキングをする人がちらほら。
雨さんをちらりと見ると、終始あちらこちらに目を動かしていた。バスに乗っている時も思ったが、雨さんは外の景色が好きなのかもしれない。
斜面をゆっくりと上っていく。今日の雨さんの格好が、動きやすそうなゆるやかなシルエットのズボンで良かったとほっとする。スカートでピンヒールだったら、こんなところは絶対に連れてこれない。
丘のような山のような斜面を上りきると、そこにはベンチが四方に置いてある。まずは一番近いベンチに雨さんを座らせ、少し休憩することにした。
「ごめんね、疲れた?」
「ちょっと汗はかいたけど、このくらいは大丈夫。最近動いてなかったから、丁度いい運動になったよ」
雨さんはにこりと笑みを浮かべる。この様子だと、無理して大丈夫だと言ってるわけではなさそうだ。
お互いの息が整ってきたのを見計らって、
「さて、反対側のベンチに行こう」
「何かあるの?」
「大ありだよ」
その場所まで雨さんを誘導する。
よし、今日は晴れているから綺麗に見える。
すると雨さんは弾かれたようにベンチの前の手すりまで駆け出した。
「な、なにこれ……!」
予想通りの反応に、思わず心の中でガッツポーズをする。どうやら今回の計画は成功のようだ。
そのベンチから見える景色には左右に小さな山があり、その間から切り開くように街並みが見える。それだけでも凄いのだが、街並みの先に見えるのは――海。
今は夕方だ。その海は深いオレンジに染まり、光をキラキラと反射している。西日で街並みはシルエットのよう。
この場所から街と海が見えるのは知っていたが、日の入り前の時間にここを訪れるのは俺も初めてだった。俺も暫くその風景を眺めていた。

「凄い……凄い綺麗だね!知らなかったなあ、こんなところからこんな絶景が見えるなんて!」
「雨さんがそこまで喜んでくれたならよかった」
「喜ばないはずがないよ!」
雨さんは手すりに手をかけ、身を乗り出して景色にのまれるかのように、その光景に目を奪われていた。その瞳は海に負けないくらい、キラキラとしている。
初めて、本以外でここまで無邪気に笑顔を零すところを見れた。その横顔は本当に楽しそうで。連れてきてよかったと、心から思うほどだ。
今なら、今なら言えるかもしれない。掌に握る小さな勇気が、背中を押してくれるかもしれない。
「いいなあ、あの海に行きたいなあ」
「雨さん。今度俺と、あの海を見にデートしませんか」
「えっ?」
「恥ずかしいけど、俺は雨さんと同じ位置で言葉の世界を語ることはまだ出来ない。本の世界は雨さんの言葉を聞くことしか出来ない。でも、外の世界なら連れていくことも見せてあげることも出来る。だから、これからもこうやって外に連れ出したい。連絡先、教えてもらえませんか」
思ったことを口にしてから、ちょっと硬くなりすぎたと後悔した。雨さんが体をこちらに向け、傾聴してくれているから尚更だ。告白と何ら変わらない気もして、心の中で少し焦る。
これに乗ってくれなかったら、望みはないよなあ。割と大きな賭けをしてしまったことにも、気付く。
鼓動の速さがおさまらない中、雨さんは柔らかい表情で口をひらいた。
「……はい、喜んで。私をデートに連れて行ってください」
「え?」
「今日ここに連れてきてもらって、とっても嬉しかったの。だから、またアキラくんとお出かけしたい。連絡先も、勿論教えます」
にこり、微笑むような笑みをひとつ落とす。そんな表情に、ようやく心が落ち着いた。
早速、携帯を取り出してアドレスを交換する。
この時間帯に来て良かった。熱をもった頬は、きっと西日が隠してくれている。
「夏休み。楽しみにしているね」
雨さんの頬も、少しでも染まっていてくれたら。そんな淡い期待を抱かずには居られなかった。


 ○


「全然、眠れなかった……」
男は単純だ。
雨さんとデート、そう思えば目は覚めるばかりで。結局、明け方少し眠ったくらいで睡眠は殆ど出来なかった。
でも、不思議なことに体は疲れていない。むしろ、元気が湧きでてくる。
お気に入りのポロシャツを引っ張り出し、しわがないかよく確認する。女の子も身だしなみには細心の注意を払うと思うが、男だって同じである。自分から誘っておいて、だらしない格好なんてしたくなかった。
待ち合わせは大学の最寄駅。家を出ると、汗が滲むほどの日差しがでていた。
元々は晴れ男だ。大学のある日は雨を願ってばかりいたが、こういう外出の日は晴れでなくちゃ困る。
「あっアキラくんおはよう!早いね、着くの」
待ち合わせの場所に15分前に着いたが、雨さんはその数分後に現れた。
ギリギリ先に着いたことになる。
今日の雨さんは、シフォン素材のトップスに裾の長いスカートを身に纏っていた。柔らかいそのシルエットは、とても雨さんらしい。
早速、電車に乗って目的地へ向かう。雨さんと電車に乗るのは、これが初めてだ。
とりとめもない話をしながら移動の時間を楽しむ。
「アキラくんは車乗らないの?」
「乗るよ、親が車使わない時は車でドライブしてる。ごめんね、車が良かった?」
「あっ、そういう意味で言ったわけじゃないよ!アキラくん、車好きそうだなって思って」
「うん、今日も車の方が楽だと思ったんだけど、いきなり男の車に乗るのは怖いかなと思って」
「そっか、気遣ってくれてありがとう」
いつか乗らせてね、なんて言葉は雨さんからはまだ出てこないし、俺もいつか乗ってねなんて言えない。雨さんとは、じっくり時間をかけてお付き合いしたいと思っているので、そこまで焦りはない。
むしろ、それまでに中古でもいいから自分の車を買えるようにしたいなと思うくらいだ。その時は、雨さんに助手席に一番に乗ってもらいたい。
そんな話をしているうちに、目的の駅に到着した。
「わあっ、すごく気持ちいい天気だね!」
雨さんは嬉しそうに外に出た。
まずはランチだ。雨さんが前から気になっているというお店に向かうことにした。駅からそのお店はさほど遠くないらしい。自然と情緒溢れるこの街並みを散策しながらお店に向かうことにした。

「古い建物が多いね。私、この街をこうやってゆっくり歩いたのは初めてだよ」
「そうだね、俺もいつも車で通るだけだから」
このあたりは、梅雨の時期には沢山の鮮やかな紫陽花で道が華やぐことで有名らしい。残念ながら今はもう時期が終わってしまって見れない。真夏の炎天下では、名前の知らない可憐な花が誇らしげに咲いている。
「私、外の景色見るのが大好きなの」
「やっぱり。だから雨の日は透明のビニール傘使ってるの?」
「……え、何で分かったの?アキラくん、凄いね」
そう、雨さんは何の飾り気もないシンプルなビニール傘をいつも使っていた。
パステルカラーだったり花柄だったり、そういうデザインを好みそうな雨さんだから、何の変哲もないビニール傘なのが気になっていたのだ。
「透明なら、雨でも外の景色がちゃんと見えるから」
雨さんらしい考えだ。
「じゃあ、日傘もなるべく使わない?」
「んー、あまりにキツかったら使うけど、普段は日焼け止めと帽子で凌いでるよ」
雨さんはつばの広い帽子が似合いそうだ。
雨さんがぱあっと顔を明るくしたので、何かと顔をあげると、そこには白い家が一軒。ドアの前に立て看板があることから、ここが目的のお店だと分かった。
「ここ?」
「うん!良かった、空いてるみたい」
そのお店はカフェランチを提供するお店のようだ。
折角だから、とテラス席を案内してもらった。勿論、海の見える特等席だ。夏と言えど、心地よい風が吹き抜けて暑さはあまり感じられない。
早速、二人で季節限定のプレートランチを頼んだ。ご飯が出てくるまでの時間は勿論、本の話で持ち切りだ。
「この本は注目を浴びているだけあって、とっても面白いの!」
「この夏映画化するよね?」
「そうなの。一見、晦渋な文章なんだけど、情感の溢れるシーンも沢山あって、筆舌に尽くしがたいの。読んでみたらその魅力が分かるよ」
「じゃあ、雨さんが読み終わったら貸してくれると嬉しい。そこまで言うなら読んでみたいよ」
「勿論、次会う時までには読み終わるから」
雨さんは決してクールではないけれど、本の話をする時だけは雨さんの時間の流れはゆっくりとしている。少し、雨さんが凛として見える瞬間でもある。そして最後に必ず、無邪気に微笑む。

暫くしてからプレートランチが運ばれてきた。
美味しそうなものばかりが、お洒落に盛り付けてある。男の俺でも少しテンションの上がる盛り付け方だ。
雨さんは念願かなって嬉しそうに、携帯に写真をおさめた。体の向きを変え、眺望できる海もパシャリ。
「いただきまーす」
「いただきます!」
木製のスプーンやフォークでいただく。なるほど、見た目負けしない美味しさに舌鼓を打つ。
ちらりと目線だけ上にやると、雨さんが夢中になってフォークを動かしている。無邪気に、かつ嬉しそうに口に運ぶ。食べ方も可愛いんだな。
「この後はどうする?」
雨さんが楽しそうに聞いてくる。楽しんでいる様子は、誘った側としてはすごく嬉しい。
「水族館に行くのもいいかなって思ってるんだけど、どう?」
「ほんと?やったあ、楽しみ!」
友人に感謝だ。女の子と海の方に行くと相談したら、水族館があると教えてくれたのだ。夏休みで家族連れが多いかもしれないが、夏には涼しげでいいのではと、考えてくれたのだ。
「美味しかったな、ごちそうさまでした」
「雨さんのおかげで美味しいものが食べれたよ、ありがとう」
「どういたしまして。名残惜しいし雰囲気をもっと堪能したいけど、水族館が楽しみだからもういこっか」
まって、まって。
そんな可愛い台詞、可愛い笑顔で言われたら落ちない男はいないでしょ。既に惚れてる俺としては、耐え難い可愛さで顔が真っ赤になりそうだ。
無邪気に向けているものだから、尚更罪だよなあ、なんて。
そんな俺の気持ちを知る由もない雨さんは、俺と目線を合わせにこやかに席を立った。


 ○


ランチの後、予定通り水族館に行った。
やはり家族連れが多く、子供たちの声で溢れていたが、イルカショーやペンギンショーの迫力に雨さんは感動していたようだった。特にクラゲが好きだと言う雨さんのために、クラゲ展示コーナーで時間をたっぷり使った。
「ふわふわ、優雅で幻想的」
そう零す雨さんの横顔も、青がゆらゆらと反射して綺麗だった。
水族館にかれこれ3時間もいた俺たちは、近くのお店でアイスクリームを買って浜辺で休むことにした。
「雨さんは何味がいい?」
「抹茶!抹茶がいいな」
「じゃあ、抹茶とゆずレモンを一つずつ」
俺は無意識だったが、財布からお札を取り出そうとする俺の手を雨さんは慌てて制止した。

「え?」
「だめだよ、今日はおごってもらってばっかりだもん。アイスくらい、私が出すよ」
「何言ってるの。俺はいつも雨さんに本の話を聞かせてもらってるから、そのお礼だよ」
「でも、私は話してるだけだよ」
「じゃあもっと聞かせて。俺はもっと聞いていたいから」
今日ばかりは譲れない。押してみたら、雨さんは渋々受け入れてくれた。
勿論、男だから格好つけたいという理由もある。でも何より、本当に雨さんには感謝しているのだ。この感情に偽りはない。
抹茶とゆずレモンを一つずつ受け取り、浜辺へ向かう。日が傾いてきたこの時間にはもう昼間の賑わいはあまりなく、散歩や夕涼みに来ている人たちしかいない。砂に腰掛けるのは気が引けたので、手前の階段に腰を下ろした。
「わ、溶けるの早い」
「美味しい?」
「うん、美味しい」
キンと冷えたアイスが口いっぱいに広がる。ゆずレモンは爽やかな味だった。
真っ先に抹茶を選んだあたり、抹茶が好きなのかな。雨さんはまた美味しそうにアイスを口に運ぶ。
段々と日がオレンジに染まっていく。海の色も同様に染まっていく。吹き抜ける風は、昼間とはまた違う、優しさを含む風。
アイスを食べ終わり、お互い何を言うこともなく、目の前の海を眺めた。目の前の海だけを見ると、世界でたった二人きりのような錯覚に陥る。それだけ海は、雄大に広がっている。
時折雨さんの顔をちらりと盗み見ると、落ち着かないのか、目が泳いでいた。
何かを考えているような、そんな瞳。
こちらから無理に聞き出すのも、と気付かないフリをした。
「今日は楽しかった?」
その代わり、今日一番気になっていたことを問う。
「うん、すごく楽しかったよ。連れてきてくれてありがとう」
にこり、いつものように笑う雨さんの笑顔はやっぱりどこか変で。聞いてしまおうか、そう考えたところにようやく雨さんは口を開いた。
「あのね、アキラくん。話したいことがあるの」
そう切り出した雨さんは、今もなお言うか悩むような表情。
「うん、雨さんの話なら何でも聞くよ」
悪いことじゃなければいい、それだけを願って話を聞くことにした。雨さんが膝の上でこぶしをぎゅっと握ったのが、分かった。
「私、誰にも言ってないことがあるの。誰にも言えない秘密が」
「秘密?」
「うん……」

やっと決めたようだった。雨さんは俺の方に体を向け、覚悟の出来たような真っ直ぐな瞳で俺を射抜く。
雨さんが秘密を話してくれるなら、俺もきちんと受け止めたい。
俺も雨さんの方に体を向け、正面から向き合った。
「私、本が好きなの。それは読むだけじゃなくて、書くことも。それは小さい頃から今までずっと。私、趣味で小説を書いてるの」
「雨さん、読むだけじゃなくて書いてるの!?」
「えっう、うん。自分でも、言葉から世界を作りたくて」
「そっか、雨さんは本当に言葉が大好きなんだ。凄いなあ。雨さんの紡いだお話、いつか読んでみたい」
「え!」
雨さんの口から紡がれる言葉でさえ魅力を感じるんだ。手の先から綴られる小説なんて、魅力がないわけがない。
「でも、どうして秘密なの?」
「恥ずかしいから。周りにずっと言えなかったの。だから、アキラくんに言っても大丈夫かなって、引かれないかなって心配だった」
「どうして引くと思ったの?自分で物語を作るってすごく素敵なことだよ。」
「アキラくん……」
「でも、どうして俺に話してくれたの?」
今まで誰にも言えなかった秘密のはずなのに。それを、どうして俺に。
「私……今まで周りに本好きな人があまりいなくて、ずっと誰かと語り合いたくて仕方なかったの。アキラくんは私の言葉をきちんと受け止めてくれるから、それが嬉しくて。こうやって色んなところに連れて行ってくれるのも、色んなものを見せてくれるのも、嬉しかった」
「雨さん」
「だから、アキラくんになら私の秘密を話してもいいかなって」
俺は雨さんの家族でもない、恋人でもない。ただの友達だ。それでも、こんなに信頼してくれるこの事実が、愛おしくてたまらない。
生憎俺には秘密にするほどのものが今はない。けれど、もし誰にも言えない秘密が出来た時には、雨さんにこっそり打ち明けて、聞いてもらおう。俺も、雨さんなら信頼できるって、軽率にもそう思ってしまう。
「話してくれてありがとう」
「こちらこそ、聞いてくれてありがとう」
恋人ならここで雨さんを抱きしめられるのに。
代わりに俺は、行き場のない手を隠して笑顔をひとつ浮かべた。


「あれ、暁が本読んでるなんて珍しいな」
「ああ、浩太郎」
帰りのバスで一人、雨さんから貸してもらった小説に読みふけっていたところに、大学の友人が声をかけてきた。
同じ大学でも、学部は理工だ。サークルが同じで知り合い、意気投合するにはあっという間で、未だに仲良くしている。
相変わらずインテリ雰囲気むんむんの縁ありメガネをくいっと上げている。
「お前、外では読まないって言ってたよな」
「何でそんな昔に言ったこと覚えてんの」
浩太郎は鋭いほど記憶力がいい。侮ると痛い目に合うから余計なことは言わないほうが身のためなのだが、話しやすい人柄なのでつい相談してしまうのだ。
現に、浩太郎は友達が多い。寄って来る女の子も多い。
「そうだ、夏に海行ったんだろ?その子とはどうなの?」
「おかげで楽しんでもらえたみたい。前より距離は縮まった……と思いたい」
あれから何度か出かけ、前より親しく話せるようになった。何気ない日常の話も出来るようになった。
少しずつ、雨さんが心を俺に預けてくれるようになった。それが一番嬉しい進展だ。
雨さんに貸してもらったこの本が読み終えたら、感想を雨さんに伝えたい。そうやって、少しずつ俺も本や言葉について語れるようになりたい。
本当の意味で、雨さんの隣に並びたいんだ。
「暁、その本の作者はな、名前からして女だと思われがちだが、実は男の人が書いてるんだ」
「そうなんだ」
「話のネタやったんだから、頑張れよ」
「……ありがとう、浩太郎」
浩太郎にはお見通し、というわけか。
やっぱり侮れない。ありがたい、侮れなさだ。


 ○


学校が始まったばかりだというのに、日本列島に台風が近々接近するらしい。その影響か、今週は長雨のようだ。
仲良くなってから、雨さんはバスに乗ると迷わず二人掛けの席に腰掛けるようになった。ありがたく、その隣に腰を下ろす。
バスの中では、日によってすることは違う。
読みたい本があるときは何も喋らず気ままに本を読むし、読み終えた本の感想を言いあうこともある。今日は後者だ。

「借りてた本、読み終えたよ。ありがとう」
「どうだった?素敵でしょ?」
「うん、背景描写が不思議というか幻想的というか。ファンタジーと錯覚するような純文学って感じだったよ」
「でしょ?この先生は本当に外れがないんだ」
「その作者さんって、男の人らしいね」
ここで、ありがたく浩太郎からもらった切り札を出す。
「えっそうなの!?」
「名前も女の人っぽいし、世界観も描写も女の人っぽいけど、実は男の人なんだって」
「知らなかった……悔しいけど、教えてもらって良かったなあ。そっか、展開が勢いあるなと思ったけど、男の人だったんだ」
雨さんはいつも以上に目を丸くしたし、知らなかったことがかなり悔しいみたいだ。どうやら切り札はうまく使えたようだ。
「そういえば雨さんって、好きな作家さんっているの?」
「うん、石川孝月さんが大好きなの。この人だけは、どの人の作品も及ばないって思う。私の大尊敬の作家さんだよ」
「もしかして『眠れぬクジラ』とか『光待つモーメント』とか書いてる人?」
「そう、その人!石川さんが出した作品は全て揃えたくらい」
石川孝月さん、か。覚えておこう。
雨さんに貸してもらうのもいいし、自分でこっそり読んで後で感想を伝えるのもいい。
雨さんが大尊敬する作家さん、というだけで格段に興味が来るから不思議だ。


 ○


数日後、俺は学校帰りに駅隣接の本屋に立ち寄った。勿論、雨さんの絶賛する『石川孝月』の本を手に入れるためだ。
知名度も高いだけあって、ある一角に石川さんのコーナーが出来ていたので、迷わず本を手にする。
表紙やあらすじからして何か惹かれるものがあるな。
そのままレジに向かう途中、しおりやブックカバーの売っているコーナーで思わず足を止めた。
何か、雨さんにプレゼントしようか。
ブックカバーはいつも同じものを使っているので愛着があるだろう。シンプルで綺麗なしおりを一つ手に取り、本と一緒に購入した。
用は済んだし、電車に乗って自宅に帰ろうと駅に向かう。しかし、小腹が空いて何か口に入れたい気もしてきた。そこで、本屋の入っているビル内で何かないかと館内案内を見ることにした。