理太郎はまたいつもの公園で二胡を弾く用意をしていた。
でも、今日隣にいるのは、リーユーシェンだけではない。
ぷりんとクラーラがいた。
ぷりんの今日の服装は、顔より大きなピンクのリポン、ピンクのカラーコンタクトに、飴玉柄のパーカー、パープルのホワホワしたショートスカート、白と黒のボーダーのタイツを履いている。
「ね、理太郎、リーユーシェン!公園で二胡弾いてるとこ、YouTubeにアップしてもいい?」
「別にいいけど」
「いいですよ」
「ありがと!大阪にいる友達が聞きたいって。それに、理太郎たちの演奏、もっといろんな人たちに聞いて欲しいんだよね」
ウキウキと撮影する角度を考えていたぷりんのスマートフォンに映った理太郎の顔は、やや冷めた笑いをしていた。
「リーユーシェンはともかく、俺のレベルじゃ誰も見んだろ」
「そんなことないよー。公園で弾いてるってのがおもしろいの!もしかしたら、この先、広告費でお金稼げるかもよ~」
「マジか。それはやってくれ」
急にキリッとした顔になる。
常時お金がないため、小遣い程度でも、お金がもらえるなら、それに越したことはない。
クラーラは電池駆動のキーボードを用意した。
二胡の音量の邪魔にならないように、特にアンプなどは用意せず、キーボードから直接出る音を使う予定だ。
「今日は私が伴奏入れてあげる」
「サンキュー」「ありがとうございます」
演奏が始まると、瞬く間に人が集まってきた。
すでに、ここで定期的に演奏していることを知っているお客さんは、わざわざ帰り道にこの公園を通って帰ってくれたりしている。
営業の30代っぽいサラリーマンの人、柴犬連れたおじいちゃん、いつも仲良く散歩に来る老夫婦。
今日も、様々な人たちが同じ時間を、同じ音を共有し、笑顔で帰っていった。

演奏を終え、理太郎たちは近くのファミレスでご飯を食べた。
海鮮丼を頬張りながら、理太郎がしみじみと言った。
「やっぱ二胡以外に楽器入ると、雰囲気出ていいな」
「でしょ?」
クラーラは大盛の竜田揚げ定食と、フライドポテトを口に放り込みながら、満足気に笑った。
「クラーラさんは、ピアノも弾くんですか?」
リーユーシェンは海鮮あんかけ焼きそばだ。
「ちょろっとね。でも、声楽が専門なの。ジャズ系歌うほうが好きだけど」
しゃべりながらも、どんどん竜田揚げが消えていく。圧巻だった。
「ぷりんちゃん、早く食べないと冷めちゃうよ」
ぷりんは、頼んだサンドイッチをほとんどお皿に残したまま、スマートフォンをいじっていた。
ニコニコしながら、顔を上げると、目の前の理太郎とリーユーシェンと目が合った。
「なんだ?」
「さっきの演奏の動画、もう100回再生されてる。いろんなコメントと来てるよ♪」
ぷりんはスマートフォンを向かいに座る理太郎とリーユーシェンのほうに向けた。
コメント欄には
『二胡の音 良い響き』
『うちの近くでも演奏して欲しい!』
『生の演奏聞きたいー』
とたくさん寄せられていた。
「「おぉー」」と理太郎とリーユーシェンは声を出して喜んだ。
ぷりんは嬉しそうに、やっとサンドイッチを手に取った。
「今度はちゃんと、動画編集して投稿したいなー。曲名テロップ入れたり」
「もっと見ていいか?」
「いいよ」
理太郎は、ぷりんのキャンディーの形をした、無駄に幅のとるスマートフォンケースごと手にとった。
リーユーシェンも覗き込む。
動画投稿者のコメント欄には
『音大生が公園で二胡を演奏しました。
恋 2:05
パプリカ 5:23
テルーの子守唄 10:15』
と丁寧に演奏曲のリストとが書いてあった。
スクロールすると、たくさんの日本語のコメントの中に
『日本人の二胡楽しそうです』
といった外国人の覚えたての日本語のようなものや
『真的好听呀……』(本当に最高です……)
『Beautiful』(美しい)
など、さまざまな言語のコメントもあった。
見入る理太郎たちに、ぷりんが嬉しそうに声をかけた。
「どう?すごいでしょ?」
「……あぁ。すっげー。これ、みんなお前の知り合いじゃねーよな?」
「違うよ!人づてとかでどんどん、再生回数が伸びてんの。理太郎とリーユーシェンの実力だよ」
「すげーじゃん、俺ら」
「ですね」
理太郎とリーユーシェンが顔を見合わせ、笑った。
「ぷりんさん、曲名、中国語訳でも書いときたいんですけど」
「うん。すぐだよ」
ぷりんはリーユーシェンに中国語を教えてもらいながら、コメントを追加していく。
理太郎が、ん?とリーユーシェンを見た。
「中国って、YouTube見れるのか?」
「建前は規制されてますが、みんな規制掻い潜って見てますよ。YouTubeも、Facebookも」
「さすが中国人……」
「ねぇ、ピザ追加していい?みんな食べる?」
クラーラは、メニュー片手にサンドイッチを頬張った。
「あたしは大丈夫。お腹いっぱい」
「僕も大丈夫です」
理太郎は自分のスマートフォンで、ぷりんのアップした動画を再生した。
イヤホン越しに音楽が流れる。
今日初めて弾いた二胡の二重奏とクラーラの伴奏が勝手に頭に再生させた。
それに、箏や笛、トライアングルなど勝手に追加されてく。
「理太郎くんは?」
「え、あぁ……」
「食べる?」
「食べる」
「じゃー、3枚頼むね」
クラーラは「すいませーん」と店中に響き渡るような美声で店員を呼ぶと、注文をした。
理太郎はスマートフォンから顔を上げ、イヤホンを外し、ぷりんを呼んだ。
「ぷりん、明日は撮影しなくていいから、お前、ギター弾いてくれよ」
「ギター?」
「ギターの伴奏でも弾いてみたい」
「うん、わかった。持ってくね」
「ギターもおもしろそうですね」
リーユーシェンも好奇心に満ちた顔で笑った。
「あと、他にもいろいろ入れたい楽器あるんだよなー」
「じゃあ、けにやんとサイトーくんにも来てもらおう!」

今日は雨だった。
雨が降ったら、さすがに公園で演奏はできない。
理太郎たちは練習室を借りて、セッションしていた。
けにやんとサイトーもいる。
ぷりんも自分のギターを持ってきていた。
「ぷりん、これ」
理太郎はぷりんに手書きの楽譜を渡した。
「すごーい。書いてきてくれたの?」
「あぁ。哲学の講義の時間に」
「ありがと」
ぷりんは、理太郎たちほど、耳がいいわけでも、即興で演奏できるセンスがわるわけでもなかった。
いきなり、伴奏してくれと言われたらできなかったが、楽譜があれば、演奏できる。
「ちょ、ちょっと、一人で練習していい?」
「うん。別に金取って演奏してるわけじゃねーし、間違えてもいいし」
「でも、なるべくがんばる」
ぷりんはこそっと、ベンチのすみに座ると、楽譜を見ながら流れを確認していいった。
けにやんのオーボエ、サイトーのキーボード、ぷりんのギター、クラーラの歌声、理太郎とリーユーシェンの二胡。
不思議な組み合わせの合奏に、理太郎は夢中になった。
数十練習し、他のメンバーが一息ついている間、理太郎は五線譜に何か走り書きしていた。
「何書いてるの?」
クラーラがおにぎりを食べながら覗きこむ。
「ん、あぁ、ここで、ピアノが、こう入るといいなとか、他に入れたい楽器のメロディーとか……」
「へぇー。アレンジが勝手に頭に流れてくるのね。才能だわー。うらやましい」
「なにこれ。早くやってみたいです」
リーユーシェンも楽譜を覗いてきた。
一瞬でメロディーを覚えてしまったのか、すぐ離れ、二胡を弾き出した。
それを理太郎が見つめながら、音色を聞き入った。
「……なるほど」
そして、また楽譜を見つめたり、書き込んだりしていた。
「けにやん、ここ、こういう感じで……」
「合点承知の助!」
「サイトーは……」
「うん」
理太郎が細かく指示を出して行く。
不思議と誰も嫌な顔せず、理太郎の要求に従っていった。
何度も止めては弾き直し、メロディーやリズムをアレンジし、いい感じの演奏へと仕上がっていった。
「こーゆーの、初めてやったけど、なんか楽しいね!」
ぷりんが今日演奏していた動画を見ながら、嬉しそうな顔で言った。
「うん。早く、お客さんの前で披露してみたいわ」
「きっと、喜んでもらえますよ」
「それより、もう遅いけど、帰らなくて大丈夫?」
「ハッ!!」
クラーラが時計を見ると、20時だった。
「やだー。どおりでお腹すくわけね」
「帰ろうか」
「じゃあ、俺もー」
ぷりんとクラーラ、けにやんが帰り支度をはじめた。
サイトーは門限があるからと、一番最初に帰ってった。
「理太郎は?」
「んー、俺はもうちょっと、残ってく」
理太郎は、まだ楽譜を見つめながら、考え事をしていた。
「んじゃ、お先―」
「さいなら~」
ぷりんたちが帰っていくと、理太郎が「よし」と言いながら、ペンを置いた。
「キリがつきましたか?」
「あぁ。んでも、他にもやってみたい曲が次々に浮かぶから困る」
広い練習室に理太郎とリーユーシェン二人きりになった。
リーユーシェンが理太郎の書いた楽譜を眺めながら言った。
「あ、久々に二胡、レッスンしてあげましょうか?」
「あぁ、そういや。最近みてもらってないな」
「さっきの演奏聞いてて、言いたいことが山ほどあったんです」
「こっわっ……。オネガイシマス。せんせー」
二胡を教わって約1ヶ月。
やっぱり、独学より、誰かに直接教えてもらうほうが、はるかにわかりやすいし、自分でも上達したと思う。
力の入れ方、呼吸の仕方、体の使い方、自分では気づけないところを、指摘してもらい、正しい見本を見せられ、教わってきた。

みっちり1時間、リーユーシェンに指導してもらい、今日の練習は終了となった。
時刻は21時。
外は冷え込んでいた。
片付けをしていると、リーユーシェンがぬいぐるみのようなものを渡してきた。
「あの、理太郎、これ、あげます」
ポケットモンスターのキャラクター、ホワイトキュレムだった。
「彼女といろいろ探してみました」
デフォルメされ、やや間抜けな顔のホワイトキュレムに、理太郎はうなだれる。
「ちげーんだよ……。ゲーム内でゲットしたかったんだよ……」
「ですよね」
「しかもこれ、ホワイトキュレム。俺がゲットしそこねたのはブラックキュレム!」
「違いましたか?」
ホワイトキュレムはブラックキュレムの色違いだ。
理太郎、もう一度、ホワイトキュレムのぬいぐるみを見つめると、ふふっと笑った。
「ありがとな」
リーユーシェンは、いつもの優しい表情で言った。
「理太郎、一緒に中国行きませんか?」
「え?」
「11月22日、開校記念日で休みになり、22、23、24と連休になります」
「え、そーだっけ?」
「理太郎、二胡弾く素質あります!先生に師事しないなんてもったいないです!やっぱり、習わなければ、上達できない領域もあると思います!私の子どものころ習っていた先生、上海にいます。一緒に遊びに行きませんか?」
中国の上海まで飛行機で3時間半、時差は1時間。3日あれば、まぁ、行ける距離だった。
「うちの大学じゃ、二胡まともに教えられるやつなんていないんだよなぁ」
「だから、中国、一緒に行きましょう!」
理太郎は即答できなかった。
その日は、特に予定はない。バイトのシフトはこれから出す。まぁ、土日入らないというのはひんしゅくを買うだろうが、しょうがない。その分、夜入れば、店長や同僚の機嫌は取れると思う。
迷っているのはそこじゃなかった。
別に、中国に恐怖心があるわけじゃない。
二胡をもっと上手くなりたかった。
リーユーシェンと弾いてるだけでは物足りなくなってきた。
理太郎はポツリとつぶやくように言った。
「……そうだな。ちょっと、行ってみてーな」
「やった!行きましょう!彼女にも、音大友達にも、理太郎のこと紹介していです!」
リーユーシェンは目を輝かせながら、嬉しさを隠すことなく表現した。
「さっそく航空チケット取りましょう!」
リーユーシェンはすぐさまスマートフォンを手に取ると、操作を始めた。
「俺、木曜の講義休んで4連休にするわ」
「え!?」
「お前は?」
「え!?」
「木曜は、2限目に哲学が……」
「じゃあ、休んでよし!」
「えぇ!?」


理太郎は久々に千葉の実家に帰った。
実家といっても、高校3年間過ごしただけで、故郷や実家というよりも、親が住んでる家兼物置みたいな感覚だった。
ずっと、外国を渡り歩いていた両親が、定住したい、マイホームが欲しいと、中古のちっちゃな物件をローンを組んで購入したものだった。
ちなみに、稼ぎが多いわけではないので、ローンを組んでしまった今では、貧乏暮らしだ。
そのため、理太郎は学費と家賃、光熱費以外払ってもらっていない。
バイトができるから、どうにかしろということらしい。
最寄りの駅から歩き、すぐに静かな住宅街になった。
別におしゃれでもなんでもない外観の家からは、サックスの音が聞こえる。
父の雅之は三味線奏者だというのに、実はサックスが一番好きだった。
それを理太郎は思春期のころはウケる(笑)と散々心の中でバカにしていた。
にも関わらず、自分も似たような境遇になりそうで、笑ってしまう。
鍵で玄関を開ける。
「ただいまー」
小さな声でつぶやきながら、靴を脱ぐ。
玄関には、男物の草履しか転がっていないので、母は外出中のようだ。
そういえば、車もなかった。
理太郎のだす物音で、雅之に気配が伝わったのか、それ以上サックスの音が聞こえることはなかった。
玄関に上がり、リビングの扉を開けた。
「理太郎、久しぶりだな。来るなら連絡してくれればいいのに」
サックスの姿形はなく、不自然にリビング前に突っ立った雅之が出迎えた。
理太郎によく似た顔立ちで背が高かった。
前に会ったときより、頭が少し物足りなくなってる気がする。
「パスポート取りに来ただけだから」
「どこ行くんだ?」
「んー、………アジア」
父親は理太郎が中国が嫌いなこと知っている。コンクールでもないのに、行くなんて言いたくなかった。
冷蔵庫を開け、中に常備されている麦茶をごくっと飲んだ。
その後ろを雅之は着いていきながら、質問責めする。
「アジアのどこだ?」
「……いろいろ」
「東南アジアか?腹痛には気を付けろよ」
「あぁ」
「水道水飲むなよ」
キッチンのカウンターに使ったコップをそのままに、廊下を歩く。
雅之はまだ着いてくる。
「正露丸持ってったほうがいいぞ」
「ん」
「友達と行くのか?友達できたのか?」
まだ何か言っている。
理太郎は無視して階段を上がっていった。
自分の部屋は、子どものころ、練習していた楽譜や教科書、ゲーム器などが適当に片付いていた。
机の引き出しを開けると、中学高校時代の学生手帳など、実家近くの病院の診察券など重要そうなものが入っていた。
その中に、青い手帳があった。
表紙には、国章であり、皇室の紋章である十六一重表菊が印刷されている。
パスポートだ。
20歳以下は5年ごとに更新しなければならないので、6歳のときに作って以来、計3冊もある。
パスポートをパラパラめくると、オーストリア、アメリカ、オーストラリア、中国、ブラジル。
さまざまな国のスタンプが押されている。
理太郎は住む場所を転々とするのは嫌いじゃなかった。
様々な国の言語や生活音、音楽に触れるのは、それはそれでおもしろかった。
中国本土には小学校5年に行ったっきり、一度も行っていない。
必要なのは、最後に取得した16歳のパスポート一冊でいいのだが、なんとなく、今までのパスポートもまとめて手に入れると鞄に入れた。
このパスポートも、来年で更新しなければならない。
「おーい!理太郎ー!」
父親が1階から叫んでる。
理太郎はもうもう一度部屋をぐるりを見渡し、鞄を持って階段を降りていった。
「理太郎ー!」
「なんだよ。うっせーな。聞こえてるよ」
「じゃあ、返事しろよ」
雅之の手にはお寿司のデリバリーのチラシが握られていた。
「今日、寿司でも取るか?母さん遅いんだ」
「寿司?うん、食べる」
「お姉ちゃんも、今日帰ってくるって、言ってたし、寿にするか?うわ、高いなぁ」
「俺は、まぐろとサーモンと蟹が入ってればなんでもいい」
雅之はメニュー表を見ながら、一人ブツブツと呟いていた。
「音大どうだ?楽しいか?」
「あぁ。まぁ、それなりに」
「ピアノの先生はいい人いたか?」
「いや。価値観押し付けてくるババアが担当で最悪」
「あっはっはっ!ピアノばっかり飽きるだろ」
「うん」
「三味線は弾いてるか?」
独り暮らしを始めるとき、雅之がお古の三味線をくれたのを思い出した。
部屋の片隅に起きっぱなしだ。
父に習い、一応弾けることは弾ける。
「三味線、音量がちいせーし、長音も出せないし、つまんね」
「それが三味線なんだよ」
「うん。だから、三味線つまらん」
「なんだお前、もっぺん言ってみろ!」
「んだよ」
玄関がまた開く音がした。
小さな足音が聞こえたのち、リビングのドアが開く。
「ちょっと、何喧嘩してんの?外まで丸聞こえなんだけど」
「あ、お帰り、お姉ちゃん。理太郎が三味線は音が小さいって言うんだ」
「そんなことで喧嘩してたの?」
理太郎の3才年上の姉、里美だ。
音大を卒業し、ピアニストをしながら、子どもにピアノを教えている。
「理太郎も、どーせひどい言い方したんでしょ?」
「別に」
「三味線をバカにしやがって!」
「あーもー、うぜーな。帰る」
「ちょっと理太郎!」
姉に呼び止められるが、理太郎は無視し、鞄を持って出ていった。
「もー、なんなの」