「ブラックキュレム、あとちょっとでゲットできるとこだったのに!!」
窓際で理太郎が地団駄を踏んだ。
まるで、小学5年生に戻ってしまったかのような振る舞いだった。
リーユーシェンは理太郎の話を黙って聞いていた。
「…………」
穴が空くほど、理太郎の顔を真顔で見つめていた。
そして、2、3歩歩き、理太郎に近づいた。
「な、なんだよっ……!」
理太郎は殴られるかと、一瞬身構えた。しかし、リーユーシェンの行動は予想と違っていた。深く、頭を下げた。
「……スミマセン」
「なんでお前が謝るんだよ。すぐ謝るなんで、中国人らしくねぇじゃん」
リーユーシェンはしゅんと、とても悲しそうな顔になった。
「ホントウにスミマセン」
「お前もデモに参加してたのかよ?」
「シテマセン!」
キリっと、強い眼差しで理太郎を見た。
とても嘘をついているようには見えない。
「でも、暴れる、ワルいコト。スミマセン」
「べ、別に……。お前は、そんな、悪いことしてねーんだし……。……立ち聞きは………ちょっと、恥ずかしかったけど……」
「それも、ゴメンナサイ」
「いいよ。そこまで謝んなくて」
あまりにも落ち込んだリーユーシェンの様子に、理太郎も少し言い過ぎたかと、今さら焦りだす。
二人はその場に固まったまま痛い沈黙が流れた。


ブーブーブー!!
突然、警報のような音が、部屋に備え付けてあるスピーカーから流れた。
二人はなんだ?と顔を上げる。すぐにアナウンスが入った。
「ただいまより、地震避難訓練を開始します。ただいまより、地震避難訓練を開始します。」
「はぁーー……」
なんだと言うように、理太郎は大きくため息を吐いた。
リーユーシェンは何かわからず、まだ焦った顔をしていた。
「Drilling.地震の避難訓練だとよ。そういや、そんなよーなこと、前に言ってたな」
アナウンスはまだ続いていた。
「貴重品を身に付け、ヘルメットを被り、グラウンドに出てください」
「ま、無視しときゃいんじゃね」
理太郎は全く従う気がないようで、ピアノの椅子に座った。
弾こうと手を伸ばした瞬間、練習室のドアがノックされた。
ヘルメット被った事務員の若い女性が顔を出した。
「はーい。まだ残ってる人ー。グラウンド行きますよー。」
「チッ……」
理太郎はピアノの蓋を閉め、楽譜を鞄に突っ込む。
二胡のケースを持つと、部屋の片隅にある小さな棚を見た。
消火器とヘルメットが一つずつ置かれていた。
理太郎はヘルメットをとると、リーユーシェンに渡した。
「ん」
「アリガトウゴザイマス」
リーユーシェンは笑って受けとると、ヘルメットを被り、律儀に顎紐を顎の下までぴっちり締めた。
「優しいデスネ」
「いや、俺、ヘルメット似合わねーから、被りたくないだけ」
二人は戸締まりを確認すると、部屋を出た。
グラウンドへの最短ルートを知っている理太郎に着いていく感じで、リーユーシェンが半歩後ろを歩いていった。
廊下の突き当たりで、エレベーターのボタンを押す。
他の練習室からも、チラホラ楽器を持った学生が出てきて、エレベーターの扉の前に集まりだした。
事務員のお姉さんの明るい声が廊下に響いた。
「災害のときはエレベーターは使っちゃだめですよー。いつ止まるかわかんないですからね。階段で行ってくださいねー」
「あー、めんどくせー」
理太郎は小さな声でぼやくと、階段へと向かった。
練習棟は5階建てだ。今いるのは5階。
理太郎たちは他の学生たちに混じって、階段を降りていった。
自分の楽器を抱えているのが、大多数だ。中には自分と同じくらいの大きさの楽器もある。
こんなんで非常事態時に逃げ切れるのだろうか。


小さなグラウンドというより、広場と呼んだほうが相応しい中庭の芝生は、学生でごった返していた。
こうやって、たくさんの人が集まると、理太郎は背が高いことがよくわかった。
180センチはあるだろうか。リーユーシェンは少し、羨ましそうに見上げた。
理太郎は不機嫌そうに、チラチラ周りを見渡していた。
さっさと終わって欲しい。
周りの学生も、次の講義がどうだとか、練習が、コンクールがとおしゃべりして、ザワついていた。
リーユーシェンが口を開けた。
「ワタシ、日本人、大好きデス。礼儀正しい、思いやり、真面目。学びタイことイッパイ」
理太郎が鼻で笑った。
「大抵の日本人は中国嫌いだと思うぞ」
周りはザワついているのに、理太郎の声はなぜかはっきりを聞こえた。
リーユーシェンは固まった。ショックとも、憤りをも思わせる顔で理太郎を見た。
「ナンデソンナコト言う?」
「ホントのことだからな。俺は嫌いだ。中国も、中国人も。ついでに韓国人も嫌い。……日本人も嫌いだけどな」
ザワつきが静かになったと思うと、遠くの方に副学長か事務長かわからないが、スーツを着たおじさんの姿が見えた。
理太郎もリーユーシェンも、周りの学生たちも黙った。
おじさんは拡声器で、避難訓練について、うんたらかんたらしゃべった。
「これで避難訓練は終了です」という一言で、学生たちはぞろぞろと移動を始めた。
理太郎が時計を見ると、次の講義の時間が迫っていた。
黙って講義室に向かおうとすると、リーユーシェンが大きな声で呼び止めた。
「福原理太郎サン!私は日本のこと大好きデス!」
突然なんだと対応に困ってると、リーユーシェンは満足そうな顔でスタスタ言ってしまった。
「なんだ?あれ」