理太郎は中国人が嫌いだった。
うるさい、ガサツ、列に並ばない。ゴミはポイ捨てするし、すぐにパクる。
これが日本人の中国人に対するだいたいの印象。
中国人一人一人に会い、一緒の時間を過ごせば、そんな人ばかりではなく、いい人もいるのはわかるのだが、“中国人”とひとまとめしてしまうと、どうしても、悪いイメージが浮かばずにはいられない。
でも、理太郎には中国、中国人を決定的に嫌いになったきっかけがあった。

2012年(平成24年)、9月。
理太郎は親の仕事の都合で、中国にいた。8月に来たばかりだった。
父親は三味線奏者、母親は琴奏者だった。別に世界で名の知れた演奏家なわけでもなければ、代々続く、日本楽器の演奏者でもない。
たまたまその楽器に出会い、子どもたちを養うためにはお金が必要で、自分が仕事を得るには、日本文化を物珍しがってくれる海外で仕事をもらうのが手っ取り早かった。
そのときも、たまたま、中国で日本の伝統楽器を教えないかと仕事をもらったのだった。
住んでいたのは、山東省青島(サントンショウチンタオ)。
中国に進出した日本企業のがたくさんあり、理太郎は日本人学校に通うこともでき、日本人の友達もできた。

そして、9月10日。尖閣諸島が国有化された。
もともと、尖閣諸島は日本の領土で、個人の日本人が所有している島だった。それを日本政府が買い、国有化という形になったのだ。
しかし、その島は中国が領土として主張している島でもあった。これを中国メディアは大々的に報道し、尖閣諸島の特番がたくさん組まれた。それは国民にすぐに浸透し、すぐにデモが始まった。

理太郎は当時、小学5年生。
珍しくできた日本人の友達と公園で遊んでいた。
家族ともよく来る公園。ベンチに座り、遅れてやっと手に入れることができた任天堂のポケットモンスターブラック2を夢中でやっていた。
対峙するモンスターであるブラックキュレムにモンスターボールを投げる。
ブラックキュレムがモンスターボールに入ると、テロンテロンと音を出し、ボールが揺れる。すぐに、ポン!と音を出し、ボールからブラックキュレムが出てしまった。ちなみにボールは使い捨てだ。持ってるボールはあと一つ。理太郎はのけ反って叫んだ。
「あー!!くそー!!」
「まだゲットは無理でしょ。もっとゲージが赤いとこまでこなきゃ」
誰にでも明るく接する友人のノブくんが笑った。
ブラックキュレムはこのゲームのシリーズにおける伝説のポケモンだ。めちゃくちゃ強い。絶対にゲットしなくては。
ノブくんはすでにゲットし、ゲームをクリアしていた。
アドバイス通り、自分のポケモンであるミジュマルに攻撃をさせるすると、ブラックキュレムのヒットポイントであるゲージが赤くなり、そのままなくなった。
「あーー!!今度は死んだぁ!!」
また、理太郎が絶叫する。当たりどころがよかったのか、倒してしまった。こうなっては、ゲットはできない。
「手持ちのポケモンが悪いんだよ。眠らせるやつとかいないの?もっと前からやり直したら?」
「はー、めんどくせー」
理太郎はゲーム機本体の電源を切るとまた点けた。ブラックキュレムとバトルする前のセーブデータに戻り、もう一度チャレンジする。
「おっ、今度はイケそうじゃね?」
「逆にこっちがやられないようにしないと」
理太郎のミジュマルのゲージは、ブラックキュレムの攻撃により、どんどん下がっていく。赤くなりだした。
「やっべぇ……」
「理太郎!」
遠くから理太郎の母親が大声を上げ、走ってきた。それでも、理太郎は気にとめることなく、ゲーム機を睨んだままだ。
「なんでこんなとこでやってんの!?」
「ねーちゃん、練習するっつったから、ここで……」
「帰るよ!」
「ちょっと、待てよ!今ブラックキュレム、ゲットできるところ!」
母親がパシンと理太郎の手を掴み、引っぱった。はずみで、手からゲーム機が滑り落ちた。理太郎は手を伸ばす。
「あっ!」
「来た!早く!」
理太郎の母親は、それを許さず、手を引く。一緒に来ていたノブくんのお母さんも、ノブくんの背中を押し、足早に急いでいく。
「待って!ブラックキュレム!」
「そんなのいいから!早く!」
ゲーム機が地面に転がったまま、理太郎は引きずられていった。
ノブくんと一緒に、見覚えのないフォルクスワーゲンの車に乗せられる。
「何だよ!ゲーム落としてきちゃったじゃん!」
「静かに!日本語しゃべらないで!韓国人のフリして!」
母親が理太郎の口を塞いだ。ゲーム機を取りに戻ろうとしたが、母はそれを許さなかった。
車内で、ノブの母親と理太郎の母親の緊迫した声がした。
「私たち、ここにいて大丈夫?」
「でも、道、通れそうになくて……」
「やだ、あんなに、たくさん来た」
地響きのようなものと、大勢の人がなにか喚くような声が聞こえる。それはだんだんと大きくなり、こちらに近づいてくる。
たくさんの中国人がプラカードや横断幕のようなものを持ち、ぞろぞろと歩いてきた。鉄パイプを持った人までいる。彼らが持つ日の丸には、大きく×印が書かれていた。
「打倒小日本!小日本!」
「泥棒ー!」
「釣魚島(尖閣諸島の中国での呼び名)を返せー!」
なんだこいつら。
理太郎は目を見張った。不思議と恐怖心は感じなかった。それよりも、異物をおぞましく感じるような、気持ち悪い感覚。
尖閣諸島国有化をきっかけに、中国ではそこかしこで大規模なデモが行われていた。理太郎のいた青島も例外ではなかった。
日本企業の大手ショッピングモールのジャスコ、日産、トヨタの店舗が中国人によって破壊された。
窓ガラスは叩き壊され、商品は強奪された。
また、中国人の経営する日本料理店や、中国人の乗る日本車まで襲撃に遭っていた。
喚く集団は理太郎の落としたゲーム機の近くまできた。
その先に止めてあった日産の車を見つけると、わーと走り出した。
「あっ!」
集団は理太郎のゲーム機を何の躊躇もなく踏んでいった。
そして、日産のキューブをボコボコにしていった。
理太郎は車の窓からその光景を睨み、拳を握りしめた。爪が食い込む。
「あとちょっとでブラックキュレムできるところだったのに!ぜってー許さねぇ!中国人なんか大っ嫌いだ!!」