翌日は、お昼の時間から集まった。
理太郎の行きつけの定食屋だ。
12月後半になると、冬休みになるはずだったが、集中講義があったり、TSUTAYAのバイトが棚卸しで休めなかったり、リーユーシェンがイベント手伝ったりと、中国へ行ける日は限られていた。
「行けるのは12月21日から22日まで。たった2日……?」
「弾丸だね」
「でも、早い時期に行っとくのがいいと思うよ。特に理太郎は。2月、3月になって、単位がどうのこうの騒ぎだすと思うから」
「で、水道代払えた?」
「あ、あぁ、なんとか……。でも、ガス代は払えんかったから、昨日は水のシャワーだったわ」
「え!?」「ヤバ」「真冬に真水とか……」「死ぬよ」
「それが、最後のほうは温かく感じるんだよな。不思議」
「仕送りとかしてもらってないの?」
「いや、してもらってるんだけどさ、生活費の口座と光熱費、カードの引き落としの口座、一緒だったから……」
「ちゃんと、計画的に使わなきゃ」
「今日はあと500円で生きる」
「500円……」
「親からお小遣い前借りできないの?」
「親父と喧嘩してさぁ」
「この年で、喧嘩するようなことある?」
「はい。もやし炒め定食ね」
大将が理太郎のまえに、お盆を置いた。
もやし炒め定食。このお店で一番安い定食だ。
もやしなんて、俺一度も頼まずに終わるなと思っていたが、ついにその日がきた。
理太郎は待ちきれないように、口に放り込んだ。
「うまっ!この店なんでもうまいな!」
サービスで大盛りにしてくれたご飯をどんどんつめこむ。
クラーラは大盛りからあげ定食を頬張りながら、口を尖らせた。
「ねー、ねー、ホントに私たち着いてっちゃダメなの?おもしろそうなのに!」
リーユーシェンが理太郎の顔を横目で見た。
理太郎は真顔でもやし定食を食べながら答えた。
「……んー。まずは、二人で行くわ」
「えー、なんでー?」
声が大きくなるクラーラをぷりんがなだめた。
「まぁ、いいじゃん。まずは理太郎とリーリーに下見してきてもらって、しっかり準備して次は私たちも行こう!」
「そうね!中華料理たくさん食べて太っても大丈夫なように、痩せとかなきゃ!」
クラーラはまた唐揚げにかぶりついた。
ぷりんがホッとしたように息を吐くと、今度は理太郎を見た。
「で、問題は旅費だよ」
「うん」
「工面できそうなの?」
「15日にバイト代入るから、それで……。あー、でも、滞納してる水道代の引き落としもあるし、連休中国行ってバイト入れなかったから、いつもより少ねーかも……」
頭抱える理太郎に、けろっとした顔でリーユーシェンが言った。
「旅費くらい、僕が出しましょうか?」
ぷりんとクラーラが身を乗り出した。
「それはダメ!」
「理太郎にお金貸したら、今後もタカってくるに決まってるよ!」
理太郎は頬杖をつきながら言った。
「しかも、お前の金じゃなくて、親の金だろー」
「はい」
「いーなー。ボンボンは……」
理太郎はスケジュール帳を睨んだ。
「とにかく、バイトを入れるだけ入れて……」
「でも、二胡の練習もしたいでしょ?」
「うん」
理太郎が真剣な顔でぷりんを見つめた。
「それに、今までみたいに公園で演奏も続けたい」
「でしょ?闇雲にバイト入れて、節約するんじゃなくってさ……」
ぷりんは鞄からノートとペンを出した。
「バイトの時給は?」
「基本、1,013円で、22:00以降は1,266円」
「うん」
ぷりんは理太郎のスケジュール帳のバイトが入っている時間を計算し、数字をノートに記入していった。
「っで、毎月の支出は?」
「え、わからん。基本的に、このカードで支払ってんだけど……」
理太郎がスマートフォンをクレジットカードの利用明細の画面にして、なんの躊躇もなくぷりんに見せた。
「うーん。これに、学食や定食屋で食べた食費が追加されるわけね」
ぷりんは自分のスマートフォンの電卓機能でざっと計算していく。
その間、理太郎は思わずクラーラのから揚げを睨んでしまった。
「なぁ、1コくれ」
「やだ」
「理太郎、僕のアジフライ一個あげます」
「サンキュー」
リーユーシェンに分け与えてもらったアジフライをおかずに、ぷりんの残した白いごはんを頬張った。
「できた!光熱費、通信費の支出と、バイト代の差額で、バイトは最低、これくらい入っとけばいいと思う」
「おぉー!サンキュー!すげーなお前」
「時間がないんだし、ちゃんと計画的にやらなきゃ」
「ぷりんさんは理太郎のお母さんですね」
リーユーシェンがほっこりした顔で言った。
「え!?それは嫌」
その日は、お昼すぎから、公園で演奏を始めることになった。
講義が終わったけにやんとサイトーも合流した。
セッティングや肩慣らしていると、ぷりんが鞄から何か取り出した。
「あと、もう1コ、いいこと思いついたんだ」
理太郎たちが立っている前に、譜面台をお客さんの方に向けて立て、そこにスケッチブックが乗せた。
『中国に演奏しに行きます。資金が足らないので、募金してください』
と書かれていた。
その下には、籐の籠が置かれた。花柄の布が引かれて、リボンがついている。
「乞食作戦!」
ぷりんが笑いながら言った。
そして、この乞食作戦は案外うまいこといった。
演奏を見に来てくれた人が、財布をかき回しチャリンと数百円籠に入れていってくれた。
「ありがとうございます」
理太郎たちが演奏しながら、お礼を言っていく。
おじいちゃんやおばあちゃんは少しばかり多めのお金を入れてくれた。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
曲が終わると、改めてお辞儀をし、お礼を言う。
散歩中のおばあちゃんが話しかけてきた。
「中国行くの?」
「はい。バイトしてるんですけど、旅費もなくて……」
「がんばってね。おにぎり食べる?」
「食べます!」
おばあちゃんが鞄から、アルミホイルに包まれたおにぎりをくれた。
理太郎は有難く受け取り、アルミホイルを剥くと、おにぎりにかぶりついた。梅のおにぎりだった。
「いーなー」
クラーラが羨ましそうな顔をしたので、リーユーシェンが鞄から、どらやきを出した。
「クラーラさん、食べますか?」
「食べる!」
「じゃあ、ちょっと休憩~。トイレ~」
けにやんがお手洗いに向かった。
リーユーシェンは他のメンバーにもどらやきを配ると、みんな一息ついた。
おにぎり食べ終わった理太郎は、どらやきにまで手を伸ばす。
「たった数百円でも、ありがたいぜ」
「細かいお金、ある程度溜まったら、銀行に入金したら?」
「入金ってどうやってやんだ?」
「え!?」
「銀行の窓口にお金と通帳持ってけばやってくれるよ。ATMでもできるけど」
「へー。入金したことねーから」
「まぁね。お金は出ていく一方だよね」
「クレジットカード引き落とししてる口座に振り込んどけば、両替しなくても、中国で使えるじゃん」
「はい。そうします」
ぷりんも、スマートフォン片手に、どらやきを食べた。
「あ、そうだ。水曜日、青山に演奏に演奏しに行かない?」
「なんで青山?」
「Twitterのメッセージにあったんだけど、青山に住んでる人がいて、子どもが小さいから、遠出しにくいんだって」
「青山くらいなら、頑張れるよね」
「そうだな。いいじゃん青山」
理太郎も笑った。
「じゃあ、青山で弾きますって告知しちゃうよ」
当日、青山の公園には、赤ちゃんをベビーカーに乗せた30代くらいの女性がいた。
少し疲れ、不安そうな顔だった彼女は、楽器を持った学生を見つけると、ハッとしたように顔を上げた。
ぷりんが声をかけた。
「あなたがナツハさんですか?」
「はい」
「いつも、動画見てくださって、ありがとうございます!」
リーユーシェンが綺麗なお辞儀し、他のメンバーもバラバラにお辞儀をした。
「今日はわざわざ、こんなところまで来てくれてありがとう」
「いえいえ、案外近かったです」
ベビーカーに乗っている赤ちゃんは、何が気に入らないのか、泣き続けていた。
ナツハさんは、子どもを抱きかかえると困った顔で笑った。
「ごめんね……うるさくて……」
全く気にする様子もなく、理太郎が赤ちゃんに笑いかけた。
「赤ちゃん、泣いてても大丈夫ですよ。演奏してる間にきっと、寝ちゃうと思います」
理太郎たちはすぐに、楽器を用意すると、演奏を始めた。
思った通り、理太郎たちの演奏で赤ちゃんはすぐ寝てしまった。
瞬く間に、演奏を聞きにきた人だかりができ、たくさんの人がお金を入れてくれた。
「素敵な演奏でした。本当にありがとう」
演奏を終えると、ナツハさんから、5000円札を差し出された。
「え!?こんなに!?」
「うん。もらって。赤ちゃん泣きっぱなしで、移動するのも億劫で、ずっと家に籠ってたの……。でも、生の演奏聞けて、楽しくって、また子育てがんばれそう。今日は本当にありがとう」
女性の顔からは、最初に出会ったときの疲れたような雰囲気は消えていた。
「また、来ます!」
理太郎は、なんの計画性もないまま、そう答えていた。
ナツハさんは嬉しそうに笑うと、子どもをベビーカーに乗せて、自宅へと帰っていった。
「ね、早くご飯食べに行こう。お腹すいちゃったぁ」
すっかり片付けを終えたクラーラが、大きなお腹を押さえて、本当に悲しそうな顔をしていた。
見渡せば、おしゃれなお店が立ち並び、一度行ってみたい気になるが、今は理太郎が節約中のため、しぶしぶマクドナルドに入った。
理太郎とクラーラが注文している間、リーユーシェンとぷりんは今日のお金の計算をした。
100円玉や500円玉が多い中、チラホラ1000円札もあった。
トレーに大量にハンバーガーを乗せた理太郎たちが戻ってくると、ぷりんが嬉しそうに報告した。
「今日は、なんと、50,560円!」
「おぉ!すっげぇ!たった1時間演奏しただけで。こんなに……!?さすがセレブの町、青山」
理太郎たちはハンバーガーをかぶりつきながら、目の前に置かれたお金をまじまじと眺めた。
ぷりんはマックシェイクのバニラにストローを指しながら言った。
「でも、あのお母さん、すごく喜んでくれてよかったね」
「赤ちゃんがいると、外出しづらいんだな」
「そうだよ」
初めて知ったという顔で理太郎が言った。
「まだ2、3か月だと、授乳間隔短かったり、ずっと泣いてたりで、外出面倒なんだよ。でも、ずっと家に赤ちゃんと二人っきりってのも息が詰まるし……」
「へー」
「ぷりんさん詳しいですね」
「お前、子どもいんの?実は俺よりこっこー年上だった?」
「いとこんトコに1歳児がいるから、たまに話聞くの」
ぷりんは、チーズバーガーを手に取ったまま、口をつけず、少し真剣な眼差しで言った。
「TwitterやYouTubeのコメント見ると、そういう人いっぱいいるよ。生の演奏聞いてみたいけど、聞けない人。怪我してたり、介護してたり、過疎地に住んでたり……」
「あと、お金なかったりね」
「いろんな人がいるんだな」
理太郎が妙に真剣な表情で、言葉を受け取っていた。
ぷりんが少し物悲しそうにつぶやいた。
「YouTubeで手軽にいろんな音楽聞けるのもいいけど、やっぱり生演奏が一番だよね。島の人に聞かせたいな」
「私はお父さんに聞かせたいわ」
クラーラも一瞬、悲しそうな目をしたが、すぐに、目の前のトレーに3つもハンバーガーがのっているのに気づいた。
「ぷりんちゃん、このてりやきバーガーもらっていい?」
クラーラが本日4つ目のハンバーガーに手を伸ばした。
「ダメ!」
12月も中旬になり、ますます寒さが厳しくなってきた。
それでも、晴れて風の強くないときにはたくさんの人がさんぽやランニングに、公園を訪れていた。
有難いことに、常連のお客さんはコートに帽子、カイロ持参で、しっかりと防寒対策をして見に来てくれている。
今日も、子どもが独立したくらいの女性や、犬の散歩に来た高齢の男性、学生がチラホラ聞きにきてくれた。
今日は、他のメンバーは講義やレポート提出があるとかで、久しぶりに、理太郎とリーユーシェン、二人だけでの演奏だった。
お客さんは数人だったが、その分、たくさんおしゃべりしながら、リクエストしてくれた曲をその場で演奏してみたり、二胡という楽器について紹介したりと、お客さんと近い距離でふれ合うことができた。
リーユーシェンがお手洗いにと、姿を消した。
それに気づいた上品なマダム二人が、こそこそっと理太郎のところに寄ってきた。
週1程度で、聞いてくれる常連さんだった。
「福原くん、中国で演奏するの?」
「はい。今ここでやってるみたいに、中国の路上とかでも、やってみたいなって」
マダム二人は、ほんの一瞬、顔を見合わせた。
ベージュの上品なコートを来たマダムが少し、言いづらそうに切り出した。
「大丈夫?気をつけてね」
「え、あー、はい」
「石とか……投げられないかしら」
「日本人が二胡なんか弾いてんじゃねぇって」
「……やっぱ、そう思います?」
理太郎は苦笑いしながら言った。
なんとなく思ってた。だから他のやつらを連れて行くのはノリ気じゃなかった。
「まあね、最近の若い子はそうじゃないと思うけど……」
「まあ、いろんな人がいるから……」
マダムたちは強く止めたり、はっきりした言葉で表現しなかったが、息子ほどの年齢の理太郎が心配で仕方がないようだった。
振り返らずも、リーユーシェンが帰ってくる気配に気づくと、ブランド物の鞄から、ブランド物の財布を取り出した。
「じゃあ、はい」
マダムは、一万円札一枚取り出すと、理太郎に手渡してくれた。
それを見たもう一人のマダムも、同じように一万円札を渡す。
理太郎の手に2枚の一万円札が握られた。久しぶりに見る福沢諭吉だ。
「え!?こんなにも、いいんですか!?」
「なにかあるかもしれないから」
「旦那には内緒ね」
「ありがとうございます!!」
「頑張ってね」
「はい!!」
リーユーシェンが戻ってくると、理太郎の手の中にあるものを見て、目を丸めた。
「こんなにも……!?」
黒いコートのマダムがリーユーシェンの腕をぽんと叩いた。
「リーくんの分も入ってるからね!」
「これで、頑張ったご褒美においしいものでも食べてね!」
「すいませんっ!こんなにっ!」
「いいの。じゃ、私たちはこれで……」
「ありがとうございます!」
去っていくマダムたちに、リーユーシェンは綺麗なお辞儀をして見送った。
ティポンという通知音が鳴った。
理太郎がスマートフォンを取り出すと、公園でよく演奏を聞いてくれていた吉岡里帆似の女の子からLINEが来ていた。
でも、よく見ると、3日前から未読のメッセージがあった。
『理太郎くん!最近既読にならないね。どうかしたの?』
『体調崩したとかじゃないといいけど…』
『心配』
『なんで返事してくれないの?』
『あの女の子と一緒にいるの?』
『ふざけんな』
あの吉岡里帆似の可愛らしい女の子が、こんな言葉遣いをするなんて衝撃だった。
「くっそぉー……。あとちょっとで付き合えるかと思ったのに、なんなんだよ」
理太郎はスマホを握りこんだ。
ぶっちゃけ、中国へ行く準備やバイト、曲を仕上げるのに夢中になり、返事をしていなかった。
「3日放置しただけで、勝手にキレんなよな。女ってホントめんどくせーな」
リーユーシェンは相変わらず笑顔で、二胡の手入れをしながら言った。
「女性はそういうものです。諦めましょう」
「お前の彼女は、頭よさそうだからいいよな」
「頭はいいですが、感情をコントロールできるかは別ですよ。女性は感情的な生き物ですから」
「悟ってんなぁ……」
理太郎は目を細め感心する。リーユーシェンが菩薩に見える。
中国へ経つ前日、12月20日。
今日は早めに公園での演奏を切り上げた。
ファミレスで理太郎たちが腹ごなしをしている間、ぷりんとクラーラがお金を計算してくれた。
「できた!」
「今日は2,536円!今までの合計で……」
「ドゥルルルルルル……」
隣でけにやんがドラム音を口で鳴らしている。
「ジャジャーン!」
「55,623円です!」
「おぉー!すげー!」
全員でパチパチと拍手をした。
発表したぷりんは、嬉しそうに計算したスマートフォンを眺めた。
「すっげー、俺のクソみたいな演奏でも、こんなになるんだな」
理太郎は目をキラキラさせ、ぷりんが記録してくれていた今までの金額を眺めた。
「みんな、理太郎を応援してるんだよ」
「こりゃ失敗できねーなぁ。プレッシャー……」
「明日何時の飛行機だっけ?」
「8時」
「早っ!起きれる?」
「がんばる」
ぷりんがかばんからごそごそ何かだした。
ごまたまごだった。
「これ、中国でリーユーシェンの友達に、いろいろ手伝ってもらうんでしょ?これ、お土産というかお礼!あとこれ、カメラね。撮って欲しい位置とか書いたの一緒にしてあるから!」
「サンキュー……」
理太郎がなんかソワソワし出した。
心なしか、顔が赤らんでいる気がする。
「……あ、ありがとな。俺の、行くの、手伝ってくれて……」
ボソボソした声だったが、なんとか聞こえたようだった。
みんな、くすっと吹き出しそうなのを堪え、顔を見合せた。
「手伝ってるの、楽しかったよ!演奏、楽しみにしてるから!」
「寝坊しないでね!!」
予定していた12月21日。
理太郎は寝坊せず、無事飛行機に乗り、中国に着くことができた。
上海は、東京より少し暖かかった。
空港から出ると、リーユーシェンの後について電車に乗った。
着いたのはリーユーシェンが所属する大学だった。
校内はとてつもなく広かった。
大きめの練習室に案内される。
重い防音のドアを開けると、
以前、中国に来たときに、理太郎の歓迎会を開いてくれたリーユーシェンの友達たちが出迎えてくれた。
事前に、リーユーシェンが連絡してくれたため、理太郎の今回の旅の目的を把握していた。
「久しぶり!」
「中国で演奏するんだって!?」
「そのために、お金貯めたりしたって聞いたよ!」
「すごいよね!来てくれてありがとう!」
リーユーシェンが笑った。
「伴奏とか、いろいろ手伝ってくれるそうです」
「あ、あぁ、あはは……」
聞き取れないレベルの早口で、中国人の友達の圧に押され、理太郎は歯切れの悪い返事をし、苦笑いした。
「俺、そんな二胡がうまいわけじゃねーし。そんな派手に手伝ってもらっても、盛り上げられるかわかんねっつーか……」
リーユーシェンに強めの力で、両肩を叩かれる。日本語で叫ばれた。
「大丈夫です!盛り上がります!!」
「大丈夫だよ!!」
「一緒に頑張ろうよ!!」
「そんな心配そうな顔すんなって!」
リーユーシェンの友人たちも口々に何か叫びだした。
さすがに、こんな同時に何人もしゃべられると、何を言っているかわからない。
お、おぉと中途半端な返事をする。
その様子にやっと、友人たちはしゃべるのをやめた。
恰幅のよい男子学生がゆっくりとしゃべった。
「俺らは、投稿された理太郎たちの日本での演奏、ずっと見てたんだ。成功する、誰もがそう思ってる。協力させてくれ」
「……サンキュー」
それ以上、気の効いた言葉が思いつかず、理太郎は、小さくお辞儀した。
リーユーシェンが時計をチラリと見た。
「時間がありません!さっそく練習しましょう!」
「あぁ」
恰幅のよい男子学生が、また声をかけた。
さっきから、他の学生たちからリーダーというあだ名で呼ばれていた。
「伴奏を、俺らでやりたいと思ってるんだけど、どうかな?」
「あぁ、それは、あったら有難いな」
「ただね、俺らのメンバーの中では伝統楽器みたいな琵琶や揚琴(ようきん)、笛とかを専門的にやってる人はいないんだよね」
「あ、それは大丈夫。伝統音楽っぽい雰囲気じゃない曲もたくさん用意してるから」
少し話し合った結果、練習時間が少ないため、基本的にはエレクトーン一台が伴奏に入ることになった。
練習時間に余裕があれば、曲によっては、他の楽器も入れてみる予定だ。
エレクトーンは一台で音階を出すはもちろん、ドラム音なども出すことができる万能な電子楽器だ。
「エレクトーンうまい子いるんだよ」
みんなが見つめる視線の先には、ヤンイーイーがいた。
理太郎とアニメのBGMで盛り上がった彼女は、音大でエレクトーンを勉強していた。
すこし、緊張した表情だ。
「あの、できるだけがんばるね!」
「よろしくお願いします!」
理太郎が声を張り上げ、お辞儀をした。
その声量に若干驚きながら、両手を握ってもう一度、理太郎を見上げた。
「あんまり、即興とかは得意じゃないけど……できるだけがんばるから!」
「ありがとう!」
まっすぐ見つめる黒い瞳に、勢いで抱きしめそうになるが、なんとかどどめ、理太郎はさっそく鞄を漁った。
たくさんの楽譜の束をヤンイーイーに渡す。
少し驚いた表情をしている。
「これ、全部やれって言ってるわけじゃないからね!」
「う、うん!」
「この中で、エレクトーンの伴奏を入れたい曲の優先順位をつけたら?」
後ろからリーダーが楽譜を覗き込んだ。
「そうだな!つーか、演奏したい曲もまだ確定できてねーし。曲順も決めなきゃな!」
若干、興奮気味の理太郎にリーユーシェンが声をかけた。
「理太郎、落ち着いて。暫定でいいので、ある程度決めましょう。ちなみに、途中で俺のソロの曲欲しいです」
「お、おぉー……」
自信と余裕を感じる表情に、理太郎だけでなく、まわりの友人たちまで、感嘆の声を上げた。
そして、数分時間をもらい、曲順とエレクトーンの伴奏が欲しい優先曲の順位をつけた。
弾きたい曲が山ほどあり、実際、理太郎はまだ迷っていた。
ヤンイーイーが楽譜を手にとり、立ち上がった。
「えっと、二胡と合わせる前に、少し、練習していいかな?」
「うん」
「30分くらい。隣の部屋でやってるね」
そういうなり、イーイーは隣の練習室へと向かった。
今度は、2、3人の男子学生が立ち上がる。
「じゃあ、俺らで昼飯買ってくるよ」
「なんか、食べたいのある?」
「えっと、肉まん的なの」
「俺、マンゴーラッシーが飲みたいです」
リーユーシェンのピンポイントの要求に、友人は軽く顔をしかめる。
「マンゴーラッシー!?」
「福原くんは?」
「米系でっ!」
「りょーかい」
今度は女子学生が二人立ち上がった。
「じゃあ、私たちでイーイーが見やすいように楽譜整えてくるね!」
「画用紙、いっぱい余ってるから、それに貼ろう!」
「福原くんたちは?いる?」
「俺は大丈夫。ほとんど頭入ってるから」
「俺も」
「了解」
リュウシィンイーが、ツァオニーに声をかけた。
「じゃあ、私たちは、中国語で出すタイトルとか用意しよう」
「簡単な曲紹介も入れたいね」
リーユーシェンの友人たちは、瞬く間に役割分担をし、それぞれ動きだした。
「他にも、やって欲しい雑用あったら、遠慮なく言ってね」
リュウシィンイーが理太郎に小さく笑った。
もうありがとうございますしか言えず、各々動き出してくれた友人たちにお礼を言いまくった。
その熱量と行動力に理太郎は若干、圧倒される。
「みんな、やる気満々だね。じゃら、俺らは、預かったカメラの使い方確認したり、配信テストしてみるから」
リーダーを含む3人の男の子が、ぷりんが用意してくれた機材の入った鞄を取った。
「なにかわかんなかったら、カメラの持ち主のぷりんってやつが対応するから、電話してみてくれ!英語はペラペラなはずだから」
「OK!」
残された理太郎にリーユーシェンが声をかけた。
「理太郎」
慌てたように振り返ってしまった。
「俺らはどうする?二人で合わせる?」
「……んー、そうだな」
ランチタイム。
買ってきてもらった屋台の食べ物をならんだ。
リーユーシェンは買ってきたマンゴーラッシーを満足気に飲んでいた。
食べながら、軽い打ち合わせをする。
リーダーが理太郎に声をかけた。
「案外、どの曲も完成度高いね。もうちょっと、楽器増やしてみる?」
「あー、そうだな。後半に弾きたい曲で増やしたいの、ある」
「じゃあ、みんな昼メシ終わって、みんな落ち着いたら、確認してみようか」
「あぁ、ありがとな」
ボソッと要望を伝えると、リーダーを中心とした人たちが、段取りをしてくれたり、アドバイスをしてくれたりしてくれた。
今までの人生の中で、理太郎は一番お礼を言っている気がした。
まだ名前も覚えれてない男の子が、理太郎に声をかけた。
「あ、そうだ。友達に見に来るように誘っとくね!」
「まぁ、でも、いいよ。そんなに知り合い誘わなくて」
「なんで?」
「まぁ、なんだ。あんま、知り合いとか、サクラとかじゃなくて、たまたまその場に通りかかった人をさ、いいな、聞いてみたいなって足を止めさせてみたいんだよなー」
理太郎の発言に、一瞬周りのみんなは固まった。
しかし、すぐにおぉーと声が巻き上がった。
「かっこいー!」
「自信満々だな!」
「いや、まぁ、そうなったら、いいなって話!」
理太郎は、思いの外、反応が大きかったため、恥ずかしそうに頭をかいた。
「始めて30分経っても、誰も立ち止まらなかったら、サクラ呼んでくれ」
理太郎は手早く食べ終わり、楽器を手にし、チラっと隣の部屋を覗いた。
ヤンイーイーがエレクトーンに向かい、必死に練習していた。
理太郎が部屋に入ってきたことも気づいていない。
理太郎は邪魔しちゃ悪いかなと思いつつ、近寄っていった。
「どう?」
「わっ、理太郎くんっ」
イーイーは目を丸め、手を止めた。
「驚かしてごめん。お昼ごはん、ちゃんと食べた?」
「うん。食べたよ。あ、えっと……このアレンジ、すっごいかっこいいね!」
イーイーが楽譜を指さした。理太郎がアレンジした一曲だ。
「サンキュー。弾きづらいとことかない?」
「ううん!ないよ!他の曲も、みんな弾きやすい!
ただ、テンポが速い曲は、まだ指がついていかなくて……」
「どころどころ、手抜いてもらってもいいし」
「やれるだけやるよ!あったほうが、絶対かっこいいし!」
理太郎が楽譜を覗き込んだ。
「この曲、一回弾いてみてくれる?」
「うん!」
自分も椅子に座り、二胡を構えた。
「いくよ」
ヤンイーイーは一生懸命演奏を始めた。
ほとんどの曲は二胡の前に自分の前奏から始まる。
前奏がつまづくなんてことの絶対にないよう、細心の注意を払って演奏しなければいけない。
やや固い、ヤンイーイーのエレクトーンに乗って、理太郎の柔らかい二胡の音色が入ってきた。
ヤンイーイーは、一瞬、体がふわりと飛んでいきそうになるが、こらえ、鍵盤を強く推した。
もっと、二胡の邪魔にならないように弾きたいのに、体が緊張してしまう。
1フレーズ弾くと、理太郎が声をかけた。
「あ、一回いい?」
「うん」
ピタっと演奏を止める。
理太郎が経つと、ヤンイーイーのほうへ歩いてきた。
「あ、そこ、違ったなー」
理太郎の長い腕が、ヤンイーイーのすぐ目の前を通り、左腕近くの鍵盤を押した。
音が鳴る。自分の心臓の音かと思った。
顔が近い。自分のすぐ右上にある。
理太郎の低い男性的な声が耳元で響いた。
「こんな感じでやってもらっていい?」
「……え?あ、うん!」
理太郎がきょとんとした顔で見てきた。ふっと笑う。
「少し、休憩しようか。デザートにシュークリーム買ったって言ってたけど、食べた?」
「あ、ううん。まだ……」
「食べといでよ。その間に楽譜書き直しておく」
「ありがとう。助かる」
イーイーは顔を赤くさせたまま、立ち上がると、隣の部屋へ急いで走っていった。
夜2時。
当たりは真っ暗になっていた。
微かに星空が見える。
「あーーーーーー!!練習足らなーい!」
誰かが叫んだ。
広い大学構内に響き渡る。
最後まで残ってた理太郎、リーユーシェン、ヤンイーイーをはじめ、数人の学生たちがぞろぞろと出てきた。
不安と疲労が入り交じった顔のヤンイーイーを理太郎が覗きこんだ。
「大丈夫か?ぶっ続けでやったから、だいぶ疲れたよな?」
「う、うん。でも、楽しかったよ!明日が楽しみで今日は寝れなさそう」
「俺も。家どこ?遠い?」
メガネをかけた男子学生が振り替える。
「あ、俺、バイクで来てるから、送ってくよ」
「え!?じゃー俺は!?」
隣でひょろっとした男の子が声を上げた。
「お前は走って帰れ」
ガーン!という顔をして、さっそく走るようにストレッチを始めた。
なんか懐かしいやり取りに少し、体がほころぶ。
理太郎はもう一度、空を見上げた。
青い夜空が広がっていた。
気分が高揚して、眠気も疲労も全く感じてなかった。
「明日か……」
結局、バタバタして、ぷりんたちに連絡できていなかった。
こんな時間にLINEでも送ったら、怒られるかな。
「んじゃ、俺らここで」
駐輪場に行くというメンバーが振り返った。
「あぁ、明日、よろしくな」
「がんばろうな!」
午前10:00。
昨日あれだけ遅くまで練習していたにも関わらず、みんな時間通りに来てくれた。
「おはよう」
後ろから声をかけられ、振り替えるとヤンイーイーが、笑顔で理太郎を見上げた。
いつも薄化粧のイーイーが、今日は濃いめの化粧で、綺麗だった。
ボブの髪は、コテで巻き、左サイドだけ編み込み、赤いリボンがついていた。
理太郎が無言で見つめるので、ヤンイーイーは視線を反らし、苦笑いした。
「化粧、濃い、かな……?」
「ううん。いいと思う」
もっと気のきいたことを言えればよかったが、それ以上言えなかった。
「よかった。リュウシィンイーがやってくれたの」
「本当はもっと可愛い服着せたかったけど、時間がなくて」
リュウシィンイーが軽く残念そうな顔した。
「私は目立たなくていんだよぉ」
しゃべりながら、歩いて大学近くの、演奏候補地に向かった。
場所は昨日、リーダー達が考えて、確保しといてくれたらしい。
「ここ、どうかな?」
ついた場所は、公園へと続く広場のようなところだった。
自転車くらいは通りそうだが、近くは車が通りそうになく、安全そうだった。
「住宅や騒音気にするような建物ないから、大丈夫だよ」
「たまに、音大生も演奏してるし、問題ないと思う」
「ありがとな」
周りには広葉樹が等間隔で植えられ、少し離れたところでは太極拳をしている人がいる。
「緑がいっぱいでいいねー。一度、こんなとこで演奏してみたかったんだぁ」
女の子が辺りを眺め、嬉しそうに言った。
「ここなら、100人くらい集まれるんじゃない?」
「100人も来るか……?」
理太郎が思わず言ってしまった。
「来るよ。だって、君たちの演奏、凄かったから!」
リーダーが自信満々に言った。
演奏の予定は13:00から。
予定では1時間、演奏するつもりだ。
19:00には空港に戻らなければならない。
今日中に日本に戻り、翌日1限目の講義に出席しなければ、理太郎は卒業が危ぶまれるレベルで単位が足らなかった。
演奏が始まるまでの数時間、中国の友人たちは、エレクトーンの用意や、理太郎たちの椅子の用意。
カメラの位置を決めたり、Web配信の確認など雑用を全てやってくれた。
その間、理太郎もリーユーシェンは大学の練習室で、最後の練習をしていた。
そして、12:30過ぎ。
セッティングがほとんど終わった。
理太郎は椅子やエレクトーンが並んだ今日のステージを見た。
心臓は痛いくらい、鳴っている。
理太郎たちはその傍ら、木の影の目立たないたころで、通りすぎる通行人に背を向け、待機していた。
薄手のダウンを羽織り、リュウシィンイーが買ってきてくれた肉まんを食べ、自前の二胡のチューニングを丁寧に行った。
あとは、告知していた時間を待つだけだった。
「やべー、緊張してきた!」
理太郎は貧乏揺すりをしながら、時たま、通行人をチラチラ見た。
それを見て、リーユーシェンがぷっと噴出す。
「理太郎が緊張してるの初めて見ました」
「え?あ?そうかぁ?」
「適度な緊張感はいいことです」
理太郎とは対照的に、リーユーシェンは落ち着いていた。
ゆったりとした気分で、パフォーマンスが始まるまでの待ち時間を楽しんでいるようだった。
「理太郎のくせにチキンだなー、もう」
理太郎のスマホからぷりんの声が聞こえた。
隣に置いておいたスマートフォンを理太郎は手にとり、画面を見た。
Skypeのテレビ電話の前で、日本に残してきた友人たちが勢揃いしていた。
一目でわかる、後ろに見えるファンシーでカラフルな部屋の様子はぷりんの家だ。
画面の大きいパソコンを前に、みんなが待ち構えていた。
東京の狭い1Kの部屋に、ぷりんに、クラーラ、サイトー。
「あれ、けにやんは?」
「今お腹痛いって、トイレだよー。もうちょっと待ってあげて」
「あと10秒」
「え!?もうそんな時間!?」
「嘘」
「だよねっ」
あははっと声を出して笑う。少し気が紛れた。
画面の中から、ジャーとトイレの水を流す音と「イタ!」と言っているような叫び声が聞こえてきた。
東京のトイレはけにやんには狭すぎる。
理太郎はもう一度、行き交う通行人を眺めた。
聞こえてくる言語は、遠くて聞き取れず、それで何人(なにじん)かはわからないのに、なんとなく中国人とわかるのは、口を大きく開け、一生懸命しゃべる様子からだ。
日本人は、口が小さくギリギリ聞こえるくらいの声量で話す。
どっちがいいのかはわからない。
「はぁー……」
緊張なのか、またため息が漏れてしまった。
リーユーシェンが、声をかける。
「大丈夫です。あんなにたくさん準備したんですから。曲順もある程度決めましたが、臨機応変にいきましょう」
「……そうだな」
「理太郎」
「ん?」
「理太郎の二胡の音色、すごく柔らかくて、優しくなりましたね」
「……そうかも」
中国の友人たちが集まってきた。
円陣のように、体を寄せ会う。
「そろそろ時間だよ」
「何かあれば、いくらでもフォローするから」
「サンキュー。頼もしいやつら」
「さぁ、始めましょう」
「あぁ。んじゃ、行ってくる」
理太郎はスマートフォン越しにぷりんたちに話しかけた。
「これ、よろしくな」
Skypeを繋げたまま、リーダーにスマートフォンを預けた。
リーダーは笑顔で受けとると、演奏に向かう理太郎の後ろ姿を映した。
「理太郎!リーユーシェン!がんばって!」
スマートフォンから、ぷりんたちの声援が理太郎たちに届いた。
理太郎とリーユーシェンはダウンを脱ぐと、それぞれ二胡を手にとった。
ぷりんのパソコンの画面が、生中継の映像に切り替わった。
人がチラホラ移る広場が見えた。
比較的静かで、多少の人ざわめきが聞こえる。
その画面の中にリーユーシェンが入ってきた。
黒のスラックスに、龍や花など中華風の模様が光沢ではいり、襟まで詰まっている黒のジャケット。
普段の優しげな雰囲気とはまた違ったキリッとした雰囲気だった。
その後ろを歩く、理太郎は袴姿だった。わざわざ弓道をやっていた友人に借りた袴。
上は白、下は黒のシンプルな色使い。羽織はない。
弓道も、剣道もしたことないくせに、なかなか着こなしていた。
そして、頭にはフルフェイスのヘルメットをしている。
ぷりんたちが大爆笑した。
「ぷっ、理太郎、ウケる!」
「不審者丸出しなんだけどっ!」
演奏者らしき二人が出てきたことに、その辺に座り、おしゃべりしていた大学生があっと、視線を向けた。
太極拳をしているおばあさんたちも動きを止めた。
やはり、理太郎の格好に笑っている。
リーユーシェンはステージの真ん中まで来ると、立ち止まった。お客さん側で、ぽつんと目の前に立って、待っていたシィンイーと笑い合う。
ステージの中心には2脚の背もたれのないイスが置かれ、リーユーシェンと理太郎はそれぞれ、そこに座った。
エレクトーンはその後ろにセッティングされ、すでに、ヤンイーイーが座って待機していた。
ツァオニーが、低くした譜面台に、二人名前の書いたスケッチブックを立てた。
習字が得意だという、ツァオニーが書いてくれたのだ。
綺麗な字で、『福原 浩太郎』と書いてある。
福原は中国のプロ卓球で活躍していた福原愛さんと同じ苗字。
〇太郎は、日本の男の子の、定番の名前だ。
漢字を使う中国人なら、日本語で読めなくとも、字面で日本人だとわかるだろう。
その隣に、譜面台がもう一つ用意されていた。こちらは曲名を出す予定だ。
その理太郎たちを真っ正面撮影するのは、ipadのカメラだ。
ぷりんが用意してくれたもので、日本でも使っていたカメラ。
今日も生配信され、映像は日本や中国でも見ることができる。
もう一台、リーダーの手に理太郎のスマホのカメラが起動していた。
こっちはSkypeでぷりんたちのスマートフォンと繋がっている。
今は理太郎の横顔を間近で撮している。
リーダーはちょこちょこカメラの撮す場所を替え、リーユーシェンを撮したり、お客さんを撮したりしていた。
さっそく、興味津々な目で学生グループが集まってきた。
理太郎たちの前に陣取ると、騒ぎ出す。
「何が始まるの?」
「和服着てる」
「あ、あれ名前見て。日本人だよ」
「ホントだ」
「変なカッコ」
「強盗でもするのかな?(笑)」
「二胡演奏するんじゃない?」
スマートフォンを取り出し、変なカッコして二胡を持つ理太郎たちを撮りだした。
今回の演奏も、勝手に撮って、拡散してもらうことも期待しているので、誰も止めようとはしなかった。
遠くから、おばあちゃんとおじいちゃん3、4人が見ていた。
少し怪しみ、少し面白がっているような不思議な表情をしている。
理太郎とリーユーシェンが誰かを探すようにキョロキョロ当たりを見渡した。
「もうすぐ来ると思う」
リュウシィンイーが小さな声で言うと、すぐに小さな子どもの騒ぐ声が聞こえた。
「先生!早く!」
「こっちだよ!!」
5、6人の子どもたちの集団に混じり、白い髭が蓄えられた老人とぽっちゃりした婦人が現れた。
「リーユーシェン!」
「見に来たよ!」
子どもたちの声に、リーユーシェンは笑って手を振って応えた。
適当なところに陣取ると座り込む。
理太郎が軽く、先生たちにお辞儀をすると、先生は小さく笑い、頷き返してくれた。
無事着けたことにホッとし、わざわざ見に来てくれたことに、緊張していた心がまた和んだ。
理太郎とリーユーシェンが椅子に座り、二胡を膝に乗せ、弓を取った。
後ろを振り替えると、ヤンイーイーが大きくうなずいた。
ipadで理太郎たちを撮影している男の子は、親指を立て、準備OK!と合図をくれた。
理太郎はリーユーシェンを見た。
笑顔で大きくうなずいてくれた。
準備は整った。
理太郎はふーっと息をゆっくり吐くと、弓を弦に当てた。
二胡独自の、コクのある、妖艶な音が響いた。
周りでザワついていた観客が静まり返り、二胡の音色に耳を傾けた。
理太郎の二胡一本の音色が、多くの通行人を振り返えらせた。
曲は『シルクロード』
ユーラシア大陸の砂漠を、ラクダに乗り、中国の長安を目指す光景が目に浮かぶようなゆったりとした曲だ。
二胡もまた、そのシルクロードを歩み、ペルシャより伝えられたと言われている。
長安へ伝えられたものは、さらに海を渡り、日本へも伝えられた。
「おぉー」
「すげー」
「うまいじゃん」
目の前の学生たちがお互い顔を見合わせ、小さな声で騒ぎ出した。
通り過ぎようとしていた通行人がチラホラ、集まってきた。
理太郎は一音、一音をいつも以上に丁寧に、確かめるように弾いていく。
綺麗な、混じり気のない音が響く。
いい子だ。今日は絶好調だな。
動きが固いのはむしろ、自分のほう。
体の力を抜くよう意識しながら、腕を、指を動かした。
1フレーズ終わると、リーユーシェンが音を重ねてきた。
キーボードの伴奏も加わる。
リーユーシェンと顔を見合せる。
気持ちいいハーモニー。
いい感じだ。
40代くらいの女性が一人、理太郎の目の前に立ち止まった。
二胡の音色にうっとりと、耳を傾けている。
その後ろでは女子高生が二人立ち止まった。
瞬く間に、10人、20人とお客さんが増えていった。
理太郎はフルフェイスのマスク越しから、お客さんである中国人を見ていた。
おそらく、みんな理太郎という名前と、和服から日本人だと気づいている。
だれも、石なんて持ってない。
ニヤニヤと笑いながら、自分を指さすものもいない。
笑ってるけど、そういう笑いじゃない。
喜んでくれているような笑顔。
友達同士、夫婦同士、顔を見合わせ、演奏を楽しんでくれている。
最後の一音がだんだんと消えていくようにして、曲が終わった。
たくさんの拍手が鳴り響いた。
フルフェイスのマスク越しで、ミュートされた拍手の音しか聞こえなかった。
理太郎は二胡を置いた。
「理太郎?」
リーユーシェンが、振り向くと、理太郎がフルフェイスのマスクを外していた。
さっきよりも、大きな拍手が響いた。
よく聞こえる。よく見える。
ほっと息が漏れた。
自分が相当滑稽な姿だったことを、小さく笑って誤魔化した。
それをバレないように、深くお辞儀をした。また拍手が鳴る。
髪をさっと整え、理太郎はもう一度二胡を手に取った。
「やっぱ音聞こえねぇわ」
「ですよね」
ふふっと笑い合うと、二人はまた、二胡を構えた。
2曲目に選んだのは『揚州小調』
明るく、優雅な曲だ。
ときに、リーユーシェンと掛け合うように、メロディーを紡いでいく。
お客さんの脚をだいぶ止めることができた。
生配信を見ている人も増えたようだ。
自分たちも、体が温まった。
次は、2000年代に流行った女子十二楽坊の『自由』だ。
本来、笛、琴、揚琴(ようきん)など、中国の民族楽器で構成されている曲だが、エレクトーンと二胡二台に、理太郎がアレンジした。
二胡とエレクトーンの掛け合い。
理太郎とリーユーシェンのユニゾンが力強い。
最後は二人で、キリっと弾き終わる。
一瞬の静寂の後、拍手が鳴り響いた。
リーユーシェンがキラキラした笑顔で、理太郎に目を合わせてきた。
「いいよぉ!いいよぉ!理太郎!お客さんの反応、めっちゃいいですよ!」
「よし、アレ行く!」
理太郎が立ち上がった。
イーイーの顔を見ると、理太郎が何を弾きたがってるのか、すぐにわかったようだ。
大きく頷く。
ツァオニーは次の曲をリーユーシェンに教えてもらうと、スケッチブックをめくった。
リーユーシェンは二胡をおき、しばらく休憩だ。
ヤンイーイーの伴奏が入る。
キレのいい理太郎の二胡が響いた。
バイオリニスト、葉加瀬太郎作曲の『情熱大陸』
理太郎の色気と、男性的な勢い、情熱的さが溢れ出る演奏だった。
「おー」とお客さんの声が上がる。
特に女性のウケがいい。
理太郎はその反応に、嬉しそうにニッと笑った。
リーユーシェンはお客さんの近くまで行くと、何かしゃべっていた。
また、たくさんの拍手が理太郎たちを包む。
気持ちが高ぶり、早く次の曲が弾きたくなる。
理太郎はヤンイーイーが視界に入るほど後ろへ下がり、次の曲を確認し合った。
目を合わせ、二人は同じタイミングで息を吸い、音を出した。
キレのいい、二胡の音が一気にお客さんを引き付ける。
「あっ!」一部だけ飛び上がって喜ぶ人たちがいた。
あれが中国のアニオタなのだろう。
曲はアニメ『艦これ』のエンディング『吹雪』
おそらく、原曲を知っている人は、この場には少ないはずだが、瞬く間に多くの人が目を輝かせ、心踊らせた。
「これこれ!」と興奮気味に友達と顔を見せ合う者。
アップテンポに頭を激しく動かしている者。
不恰好に、握った両手の拳を上下に振ってる者。
日本のネットカフェや自宅では、この生配信を、ヘッドフォンつけて、ノリノリで聞いてるオタクがたくさんいた。
気持ちよさそうな理太郎が眩しかった。
ヤンイーイーは置いていかれないように、必死に全身を使い、演奏する。
昨日、理太郎が自分に相談してきたのを思い出した。
「この『吹雪』って曲さ、第二次世界大戦中の戦艦を擬人化したアニメの曲なんだけど、演奏していいと思う?」
「大丈夫だと思いますよ。前、中国人のオタクたちが演奏してるときありましたが、普通に盛り上がってました。かっこいい曲だから、福原さんに是非弾いてほしいです!」
「オッケー」
「戦艦を擬人化って、発想がヤバいですよね!」
「だよな。日本人、ホント頭おかしいわ」
テンポや、使う楽器などたくさんのことを打ち合わせしたが、選曲についての相談はこれきりだった。
日本人にとってもメジャーではないこの曲だったが、一度聞くとメロディーが頭から離れない。
壮大な長音とピッと止める短音、テンポの速さ、力強さを必要とするこの曲は理太郎が弾くのが相応しいとさえ思ってしまう。
その伴奏をできることが、ヤンイーイーはめちゃくちゃ楽しかった。
2番に入り、理太郎は演奏しながら歩き出した。
どこへ行くのかと思いきや、エレクトーンの後ろ、イーイーの隣だった。
エレクトーンの椅子は横長で、人が二人座れるほどの広さだ。
理太郎は空いているところに、お尻を軽く乗せた。
イーイーは突然のその行動に、手と足は演奏を続けながらも、顔を赤くし、口を開け、驚いたように理太郎を見た。
理太郎はそれに、ふっと小さく笑うと、勢いのままに演奏を続ける。
なんで、こんな近くっ……!
別に音が聞こえないわけでも、なんでもない。
むしろ、こんな近くに寄られたら、必死すぎる顔や、汗かいてるの、バレちゃうかもしれない……!
でも、そんなこと気にしている暇はない。
理太郎の勢いにおいてかれないように、すぐ、楽譜に目を戻す。必死に指を動かし、足も動かした。
曲の後半、エレクトーンの和音が鳴る。
理太郎は止まる。何もかもが動けずにいる。
大きく息を吸ったヤンイーイーと理太郎の腕が勢いよく動き出した。
絶妙なタイミングでサビが入る。
目の前がピカッと光った気がした。
気がついたら、曲が終わっていた。
ヤンイーイーは肩で息をしていた。
生配信のチャットには
『サイコー!』
『かっけー!!!』
『ぷぎゃー!』
と怒涛のコメントが寄せられていた。
日本で理太郎たちが演奏していた公園。
そのベンチに座り、吉岡里帆似の女の子がスマートフォンで生配信を見ていた。
わん!という鳴き声に、顔を上げると、柴犬の花丸を連れたおじいさんがいた。
「あ、花丸と、おじいちゃん。今、福原くんたち、中国で演奏しますよ」
「映像見えるかい?このために、スマホとやらに買い替えたのに、見方がわからなくてね」
「どうぞ」
吉岡里帆似の女の子は、ベンチの隣を開け、おじいちゃんにスマートフォンを見せた。
「すごい頑張ってるね」
「はい。かっこいいです」
リーユーシェンが戻ってきた。
理太郎は一旦、二胡をおき、三味線を手にとった。
今日、理太郎が二胡以外に弾く唯一の楽器だ。
三味線は理太郎は苦手意識があるのか、譜面台と楽譜を用意した。
色ペンで、たくさんの注意書きの記号がかかれている。
イーイーが落ち着いたのを確認すると、伴奏に入ってもらう。
ヤンイーイーと盛り上がったアニメ『鬼滅の刃』のオープニング『グ蓮華(ぐれんげ)』
アップテンポでエネルギーを使う曲だ。
今まで、曲についていくのにいっぱいいっぱいだったヤンイーイーの表情が急に、気持ち良さそうな顔になった。
楽しそうに腕と脚を動かしている。
逆に理太郎が、とりおり苦しそうな表情を見せながらも、懸命に、手を、動かす。
一方、リーユーシェンは余裕そうな顔で、主旋律を弾いていく。
理太郎が小さなミスする度に、チラリと笑いながら見てくるので、悔しいが、今は弾くので精一杯だった。
理太郎の実家では、姉の里美がリビングのソファに座り、スマートフォンを眺めていた。
友達から、おもしろいパフォーマンスをしている音大生がいると、教えてもらって見てみたが、よく知った顔が、二胡を弾いて、そのあと、三味線を弾きだした。
離れたところで、爪を切っていた父の雅之に声をかけた。
「ねぇ、お父さん。理太郎によく似た人が中国で演奏してる」
「何言ってんだ。あいつは中国嫌いだから、人違いだろ」
「でも、二胡の他に、ほら、三味線も弾いてるよ」
「へっ!?」
驚き、爪切りを放り投げると、雅之は里美のスマートフォンの画面を見つめた。
老眼だったため、離す。
「……これ、俺のお古じゃないか」
三味線の撥(ばち)を当てる、胴。その側面、胴かけと呼ばれる部分が見覚えのある模様をしていた。
「二胡と合わせるのおもしろいね。隣の男の子と息ぴったり。あっ、失敗した」
「なんだあいつ、三味線は音が小さいから嫌いとか言ってたくせに……」
「理太郎、中国の、しかもこんなとこで演奏するなんて……」
里美はまたスマートフォンを眺めた。
雅之も画面を見るため、顔を寄せてきたので、体ごと反らした。
「もう、自分ので見て」
弾き終わり、ふぅと息をつく理太郎にリーユーシェンが笑った。
「アニソン、そんなに知らなかったんですけど、おもしろい曲いっぱいありますね!」
「あぁ。経済的にも一大ジャンルだからな」
「次は、俺の番です」
リーユーシェンが、軽く二胡を鳴らし、音を確かめた。
理太郎は楽器を置き、少し、離れたところに座った。
体が汗ばみ、息が上がった。
中国の友人が、すっと水の入ったペットボトルをさしだしてくれた。
「サンキュー」と受け取り、水を飲む。
思ったより喉が渇いていて、がぶがぶと半分ほど飲んでしまった。
次は、リーユーシェンがメインで演奏する。
実はこれ、めちゃくちゃ楽しみにしていた。
リーユーシェンの得意で大好きな曲『賽馬(さいま)』
草原を疾走する馬をイメージさせる曲だ。
二胡を練習し始める人が憧れる曲だが、アップテンポ、さらに、弦を押さえる手の動きが多彩で、難しい曲だった。
理太郎もこっそり練習してきたが、納得いく演奏になるには程遠かった。
リーユーシェンの二胡1本のゆったりとしたメロディーが響いた。
一呼吸すると、アップテンポのヤンイーイーの伴奏が加わる。
リーユーシェンの動きも突然速くなる。
まさしく、馬が駆け出した。
高速で動く右腕、左指をもろともせず、リーユーシェンは笑顔でめちゃくちゃ楽しそうに演奏していく。
今にも馬は飛んで行きそうなくらいだ。
理太郎は椅子に座ったまま、口を半開きで見ていた。
今の自分にはとても真似できない。
リュウシィンイーのほうを見ると、ユーシェンを一点に見つめ、頬を高揚され、目を輝かせていた。
うん、納得。これはカッコいいわ。
今までのこいつの演奏で一番いいかも。
最後には、馬の鳴き声のような音を弓を弦でこするように出し、フィニッシュした。
目の前で聞いていた、シィンイーが嬉しそうに拍手を送った。
「すげー……」
理太郎が放心状態のままこぼした。
やっぱこいつ、めちゃくちゃ二胡うまいじゃん。
リーユーシェンは満足気な様子で立ち上がると、拍手をするお客さんに軽くお辞儀を繰り返した。
そのまま後方の理太郎に振り返った。
理太郎もパチパチと拍手を贈る。
一旦、理太郎とリーユーシェンは集まり、曲のリストを手にした。
それには、理太郎が弾きたい曲が、ベストだと思う順番に列挙されていた。
「お客さんの声出てきたから、次、これ、弾きてーな」
ある一曲理太郎は指差す。
「うん。いいね!」
リーユーシェンも笑顔で笑った。
リーユーシェンは影で控えていた他のメンバーに伝えに言った。
少し離れて見守っていた、中国の友人たちが、各々、自分たちの楽器を持って現れた。
イーイーが前奏を弾き始める。
特徴的なメロディ。お客さんたちは、「あー」という顔をした。
『世界に一つだけの花』
2003年にリリースされた、日本の男性アイドルグループSMAPの代表曲。
「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」という歌詞がよいと、大ヒットした曲だ。
それが国境を越え、中国でもたくさんの人たちに愛されている。
1フレーズ目を理太郎は椅子に座り、笑顔で弾き始めた。
リーユーシェンが横で手拍子を促すと、たくさんの人が手を叩き始めた。
お客さんの口が小さく動いているのがわかった。
歌詞を口ずさんでいるのだろう。
演奏を邪魔しないような小さな声だった。
1フレーズ終わると、今度はリーユーシェンの番だ。
理太郎は二胡を置き、手を叩いた。
Bメロに入ると、中国人の友達がフルートを吹き出す。
1フレーズ終わると、次のメロディーをオーボエが、次はバイオリンが、トランペットが、とどんどん交代していく。
サビに入ると、全員でメロディーラインを演奏した。
様々な楽器を演奏する中国の友人たちが、自分の周りに集まった。
生配信の視聴者はどんどん増えていく。
車イスの夫婦。
赤ちゃんを子育てしているお母さん。
引きこもりの中学生。
瀬戸内海の離島に住んでいるぷりんの友人、家族。
理太郎の通う音大の友達。
あの眼鏡でポーカーフェイスのピアノ専攻の友人も、黙って、スマートフォンを見つめていた。
「中国の友人のみなさん、ありがとう」
理太郎のスマホから、流暢な英語で、女の子の声が聞こえた。
持っていたリーダーはカメラを自分を撮すように切り替えた。
画面の中央では、ぷにんたちがいた。
「理太郎が中国で演奏できたのは、あなたたちのおかげです。ありがとうございます」
リーダーは小さく首を振った。
「彼が凄いんだよ。なんか、サポートせずにはいられなくなる」
「わかるー」
画面の中で、クラーラが言った。
「今度、セッションしようね!」
「もちろん!」
リーダーはまた、画面を理太郎たちに向けた。
どんどんと増えたお客さんが、ついに理太郎たちを260度くらいに取り囲んだ。
前の列の人は地面に座り込み、後ろの方の人は花壇のヘリに立ち、演奏を見ようとしていた。
小学生くらいの子どもや学生、おじいちゃん、おばあちゃんまでいる。
この場にざっと、300人くらいはいるだろうか。
日本でも、こんなに集まったことはなかった。
生配信の方は、閲覧数が500人を突破していた。
ついに最後の曲になった。
今まで、挨拶や曲の紹介など一切しゃべらず、二胡を弾き続けてきた理太郎が口を開けた。
「次が、最後の曲です。自分で作曲しました。聞いてください」
発音に心配してた中国語だったが、お客さんにはなんとか理解してもらえたようだった。
さらに期待に胸膨らませ、静まり返り、理太郎とリーユーシェンを見つめた。
その気持ちを受け取るように、理太郎はお客さんをゆったり眺めながら、隣にいるリーユーシェンにつぶやいた。
「この曲、ここで弾きたかったんだ」
「うん。この曲、大好きですよ」
リーユーシェンが理太郎見て笑っていた。
理太郎も笑い返す。
中国の友人たちも楽器を構える。
この曲は、こだわって、他の楽器も伴奏に加わってもらった。
理太郎は振り返り、楽器を構える友人たちを見た。
メインで伴奏してくれたヤンイーイー。
カメラを構えるリーダー。
スケッチブックを出してくれたツァオニー。
みんな、理太郎を応援する眼差しだ。
最後にチラリとリーダーの手にあるSkypeの画面を見る。
日本に残してきた友人たちとも目が合った。
やっぱり安心する。
あいつらとこの曲を弾き込んでこなければ、こんな大勢の前で演奏することは不可能だっただろう。
リーユーシェンと目が合った。
そもそも、こいつが俺の下手くそな二胡を盗み聞きしなければ、今こんなことしてないと思うと、笑える。
ホント、たまたまなんだ。
1度弾いてみたいなと思ってた楽器の一つで、たまたま安く手に入りそうだったから。
よかったよ。二胡弾いてみて。
理太郎は、二胡を構えた。
最後の曲は『宴』
久しぶりに中国を訪れ、二胡を習い、中国の友人たちと時を過ごした。
その興奮のまま、二胡を取り、作った。
ぷりんたちにもかっこいいと言ってもらえた曲。
気持ちが全部、なかなか形にならず、ギリギリまでここをこうしたいとアレンジを繰り返し、その度に、リーユーシェンとイーイーは「うん」と返事一つで覚え直してくれた。
やっと完成した。曲名もつけれた。
静まり返った冬の空の下、リーユーシェンの美しい音色が響いた。
そこに理太郎が重ねて言った。
溶け合うハーモニー。
その響きを、美しさを存分に味わうように、二人は音を繋いでいく。
メロディーラインをお互い追っていく。
リーユーシェンの二胡の音色は優しくて、濃厚だ。
理太郎の二胡の音色は、元気で、明朗で、遊びに誘ってくるような音だった。
アップテンポに変わった。
お互いがお互いにおいてかれるか!と腕を動かす。
「おぉー!」とお客さんが、小さく息を漏らす。
見ている方が、二人についていこうと、手を握り、呼吸が浅くなる。
今度は、スローテンポになり、急にエロチックな高音が響いた。
理太郎の滑らかに動く左指に合わせ、二胡が声をあげる。
それに、今後は、リーユーシェンがハモらせていく。
それがまた妖艶さを増した。
またアップテンポに。
また、理太郎とリーユーシェンの腕が激しく動いた。
やばい!くそ楽しい!
二人同士に、フィニッシュした。
腕が同じ形で止まる。
お客さんも呼吸が止まる。
一瞬、時間が止まった。
それを解かすような温かい拍手が鳴り響いた。
理太郎はそれが聞こえて、心まで届いて、やっと、肩から力を抜き、腕を下ろすことができた。
顔を上げ、目を開ける。
たくさんの中国の人が一自分たちに温かい拍手を贈ってくれていた。
一瞬、目の前が滲んだ。
なんだ、おんなじじゃん。
日本で送ってもらったたくさんの拍手と一緒だった。
リーユーシェンも、うっすら汗をかき、口で浅く呼吸をしながら、嬉しそうに理太郎を見て笑った。
たぶん、自分も同じ顔してる。
ぷりんの家では、みんなが号泣していた。
「うぇーん……。理太郎、リーユーシェン、よかったよー!」
「感動した!感動した!」
「あー!俺も混ざりてぇー!」
「二人だけずるいー!」
ティッシュを大量に掴みとると、鼻水を拭いた。
中国の人たちの拍手がスピーカーから聞こえてくる。
理太郎は、弓を左手でひとまとめにして持つと姿勢を正し、囲むように密集したお客さんを見渡した。
たくさんの人が一生懸命拍手を送ってくれている。
笑顔の人。感動して涙拭いている人。隣の友達と興奮気味にしゃべる人。
嬉しい。気持ちいい。やった……!
観客に向かって叫んだ。
「謝謝(シェイシェ)!ありがとうございました!」
深くお辞儀をする。
拍手が延々と理太郎とリーユーシェンを包み込んでいた。
翌日、講義が終わった理太郎はすぐに、いつもみんなが集まる練習室に向かった。
ドアを開けると、いつものメンバーがノートパソコンを取り囲み、昨日の録画を見ていた。
リーユーシェンの姿もある。
理太郎に気づくと、メンバーたちは立ち上がり、理太郎を笑顔で出迎えた。
「おかえりー!」
「感動したよー!」
「大成功だったね!」
「よかったやん!」
「すごい盛り上がったね」
普段、人を誉めなさそうなサイトーまで、明るい言葉をくれた。
「あぁ。すっげー楽しかった!」
理太郎がドヤ顔で自慢気に笑った。
部屋の奥に進み、鞄と二胡を置いた理太郎に、ぷりんが詰め寄った。
「ねぇ、約束覚えてる?今度は私たちも一緒に演奏するって」
「あぁ、覚えてるよ」
理太郎は鞄から、印刷した楽譜を引っ張り出し、ぷりんに渡した。
「何?これ」
「新曲」
「はやっ!」
「帰りの飛行機の中で考えてた」
他のメンバーも楽譜を覗きこむ。
「二胡に、ドラムに、サックス、キーボード、グロッケン……」
「チェロ、ギター……めちゃめちゃ楽器あるじゃん」
あははっと理太郎は笑った。楽譜を読んで行くと、この後、さらに楽器が増える。
「だから、お前らの力借りたいなって」
理太郎は少し、視線を泳がせ、照れながら話しだした。
「考えたんだけどさぁ……なんか、今、なんとなーく集まって、演奏してるじゃん?」
「うん」
「これから、もっと、こういうの続けていきたいなって思ってて……その、ちゃんとグループ名的なの決めて、やってきたいなって……。で、もっと曲作って、お前らと完成させて、お客さんに届けたい。普段、音楽に触れる機会が少ない人に、音楽、届けられるようなことをしていきたい……から……」
「うん」
「で?」
「……で、一緒に、俺と、マジで、活動してしかないか……?」
「やりたい!」
「いいねぇ!」
「楽しそう!」
「楽団結成?かっこいい!」
ぷりんたちは顔を見合わせ、喜んだ。
理太郎は、ホッとしたように、息をついた。
全身暑い。
ぷりんが言った。
「じゃあ、じゃあ、理太郎が団長だね!」
「団長?」
「だって、楽団のトップは団長でしょ?」
「だんちょ!」
「だんちょ!」
けにやんやクラーラが音の響きを楽しむように、何度も叫んだ。
「じゃあ、副団長はお前だな!」
理太郎がリーユーシェンを指さす。
「私ですか?やります!」
「ね、ね、サークルとして、申請しよう!」
「じゃあ、写真撮らなきゃ……」
「プロフィール写真的な?」
「そうそう!」
「その前に名前じゃない!?」
「名前かぁ……」
「ワールドワイドなのがいいんじゃない?」
「どんなんや(笑)」
「あと、撮影用のいいカメラも欲しくない?」
これからの活動を楽しそうに話す友人たちに、理太郎は視線を向けた。
「ありがとな」
照れた素振りもなく、落ち着いた顔で、その場の全員に聞こえるような声だった。
一瞬、みんな驚いた顔をして、理太郎を見つめたのち、ぷりんが嬉しそうに笑った。
「なんだ、素直にお礼言えるんじゃん」
「成長したわね」
「いや、今までも、お礼くらいちゃんと言ってただろ」
「かるーく、流されるようにしか言われてない気がする……」
「そんなことねーよ……感謝してるよ、いっぱい……」
また少しごにょごにょと口ごもらせる。
「じゃー、その気持ちは今後の行動と結果で、見させてもらいましょうか」
クラーラがムフフと笑う。
「おう、もちろんだ」
「楽しみねー」
「期待してまーす」
みんなが楽しそうに笑った。
リーユーシェンと目が合った。自分と同じように笑っていた。
「楽しくなりそうですね」
「だな!」
【400字程度のあらすじ】
音大生の理太郎は、中国の伝統楽器である二胡(にこ)の音色に魅せられ、こっそり音大の練習室で弾いていた。
それを中国からの留学生、リーユーシェンに聞かれてしまう。
リーユーシェンは二胡奏者ということもあり、友好的に話しかけるが、理太郎は中国も、中国人も嫌いだと言い放つ。
大学の教授が企画したオーディションをきっかけに、二人は次第に仲良くなった。
二人は公園で、二胡を演奏するようになる。
たまたま公園にいた人がお客さんになり、自分たちの演奏を楽しんでもらえていると感じる理太郎たち。
演奏を動画サイトに投稿すれば、中国の人からも、たくさんのコメントが寄せられた。
理太郎は嫌いだったはずの中国でも、二胡を演奏してみたいと思うようになる。
日本や中国の友人たちに応援され、中国の公園での演奏が実現した。
最後に、自分の作曲した曲をリーユーシェンと共に弾ききった。
そのときもらった拍手は、日本でもらった拍手と同じだった。