翌日は、お昼の時間から集まった。
理太郎の行きつけの定食屋だ。
12月後半になると、冬休みになるはずだったが、集中講義があったり、TSUTAYAのバイトが棚卸しで休めなかったり、リーユーシェンがイベント手伝ったりと、中国へ行ける日は限られていた。
「行けるのは12月21日から22日まで。たった2日……?」
「弾丸だね」
「でも、早い時期に行っとくのがいいと思うよ。特に理太郎は。2月、3月になって、単位がどうのこうの騒ぎだすと思うから」
「で、水道代払えた?」
「あ、あぁ、なんとか……。でも、ガス代は払えんかったから、昨日は水のシャワーだったわ」
「え!?」「ヤバ」「真冬に真水とか……」「死ぬよ」
「それが、最後のほうは温かく感じるんだよな。不思議」
「仕送りとかしてもらってないの?」
「いや、してもらってるんだけどさ、生活費の口座と光熱費、カードの引き落としの口座、一緒だったから……」
「ちゃんと、計画的に使わなきゃ」
「今日はあと500円で生きる」
「500円……」
「親からお小遣い前借りできないの?」
「親父と喧嘩してさぁ」
「この年で、喧嘩するようなことある?」
「はい。もやし炒め定食ね」
大将が理太郎のまえに、お盆を置いた。
もやし炒め定食。このお店で一番安い定食だ。
もやしなんて、俺一度も頼まずに終わるなと思っていたが、ついにその日がきた。
理太郎は待ちきれないように、口に放り込んだ。
「うまっ!この店なんでもうまいな!」
サービスで大盛りにしてくれたご飯をどんどんつめこむ。
クラーラは大盛りからあげ定食を頬張りながら、口を尖らせた。
「ねー、ねー、ホントに私たち着いてっちゃダメなの?おもしろそうなのに!」
リーユーシェンが理太郎の顔を横目で見た。
理太郎は真顔でもやし定食を食べながら答えた。
「……んー。まずは、二人で行くわ」
「えー、なんでー?」
声が大きくなるクラーラをぷりんがなだめた。
「まぁ、いいじゃん。まずは理太郎とリーリーに下見してきてもらって、しっかり準備して次は私たちも行こう!」
「そうね!中華料理たくさん食べて太っても大丈夫なように、痩せとかなきゃ!」
クラーラはまた唐揚げにかぶりついた。
ぷりんがホッとしたように息を吐くと、今度は理太郎を見た。
「で、問題は旅費だよ」
「うん」
「工面できそうなの?」
「15日にバイト代入るから、それで……。あー、でも、滞納してる水道代の引き落としもあるし、連休中国行ってバイト入れなかったから、いつもより少ねーかも……」
頭抱える理太郎に、けろっとした顔でリーユーシェンが言った。
「旅費くらい、僕が出しましょうか?」
ぷりんとクラーラが身を乗り出した。
「それはダメ!」
「理太郎にお金貸したら、今後もタカってくるに決まってるよ!」
理太郎は頬杖をつきながら言った。
「しかも、お前の金じゃなくて、親の金だろー」
「はい」
「いーなー。ボンボンは……」
理太郎はスケジュール帳を睨んだ。
「とにかく、バイトを入れるだけ入れて……」
「でも、二胡の練習もしたいでしょ?」
「うん」
理太郎が真剣な顔でぷりんを見つめた。
「それに、今までみたいに公園で演奏も続けたい」
「でしょ?闇雲にバイト入れて、節約するんじゃなくってさ……」
ぷりんは鞄からノートとペンを出した。
「バイトの時給は?」
「基本、1,013円で、22:00以降は1,266円」
「うん」
ぷりんは理太郎のスケジュール帳のバイトが入っている時間を計算し、数字をノートに記入していった。
「っで、毎月の支出は?」
「え、わからん。基本的に、このカードで支払ってんだけど……」
理太郎がスマートフォンをクレジットカードの利用明細の画面にして、なんの躊躇もなくぷりんに見せた。
「うーん。これに、学食や定食屋で食べた食費が追加されるわけね」
ぷりんは自分のスマートフォンの電卓機能でざっと計算していく。
その間、理太郎は思わずクラーラのから揚げを睨んでしまった。
「なぁ、1コくれ」
「やだ」
「理太郎、僕のアジフライ一個あげます」
「サンキュー」
リーユーシェンに分け与えてもらったアジフライをおかずに、ぷりんの残した白いごはんを頬張った。
「できた!光熱費、通信費の支出と、バイト代の差額で、バイトは最低、これくらい入っとけばいいと思う」
「おぉー!サンキュー!すげーなお前」
「時間がないんだし、ちゃんと計画的にやらなきゃ」
「ぷりんさんは理太郎のお母さんですね」
リーユーシェンがほっこりした顔で言った。
「え!?それは嫌」
その日は、お昼すぎから、公園で演奏を始めることになった。
講義が終わったけにやんとサイトーも合流した。
セッティングや肩慣らしていると、ぷりんが鞄から何か取り出した。
「あと、もう1コ、いいこと思いついたんだ」
理太郎たちが立っている前に、譜面台をお客さんの方に向けて立て、そこにスケッチブックが乗せた。
『中国に演奏しに行きます。資金が足らないので、募金してください』
と書かれていた。
その下には、籐の籠が置かれた。花柄の布が引かれて、リボンがついている。
「乞食作戦!」
ぷりんが笑いながら言った。
そして、この乞食作戦は案外うまいこといった。
演奏を見に来てくれた人が、財布をかき回しチャリンと数百円籠に入れていってくれた。
「ありがとうございます」
理太郎たちが演奏しながら、お礼を言っていく。
おじいちゃんやおばあちゃんは少しばかり多めのお金を入れてくれた。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
曲が終わると、改めてお辞儀をし、お礼を言う。
散歩中のおばあちゃんが話しかけてきた。
「中国行くの?」
「はい。バイトしてるんですけど、旅費もなくて……」
「がんばってね。おにぎり食べる?」
「食べます!」
おばあちゃんが鞄から、アルミホイルに包まれたおにぎりをくれた。
理太郎は有難く受け取り、アルミホイルを剥くと、おにぎりにかぶりついた。梅のおにぎりだった。
「いーなー」
クラーラが羨ましそうな顔をしたので、リーユーシェンが鞄から、どらやきを出した。
「クラーラさん、食べますか?」
「食べる!」
「じゃあ、ちょっと休憩~。トイレ~」
けにやんがお手洗いに向かった。
リーユーシェンは他のメンバーにもどらやきを配ると、みんな一息ついた。
おにぎり食べ終わった理太郎は、どらやきにまで手を伸ばす。
「たった数百円でも、ありがたいぜ」
「細かいお金、ある程度溜まったら、銀行に入金したら?」
「入金ってどうやってやんだ?」
「え!?」
「銀行の窓口にお金と通帳持ってけばやってくれるよ。ATMでもできるけど」
「へー。入金したことねーから」
「まぁね。お金は出ていく一方だよね」
「クレジットカード引き落とししてる口座に振り込んどけば、両替しなくても、中国で使えるじゃん」
「はい。そうします」
ぷりんも、スマートフォン片手に、どらやきを食べた。
「あ、そうだ。水曜日、青山に演奏に演奏しに行かない?」
「なんで青山?」
「Twitterのメッセージにあったんだけど、青山に住んでる人がいて、子どもが小さいから、遠出しにくいんだって」
「青山くらいなら、頑張れるよね」
「そうだな。いいじゃん青山」
理太郎も笑った。
「じゃあ、青山で弾きますって告知しちゃうよ」
当日、青山の公園には、赤ちゃんをベビーカーに乗せた30代くらいの女性がいた。
少し疲れ、不安そうな顔だった彼女は、楽器を持った学生を見つけると、ハッとしたように顔を上げた。
ぷりんが声をかけた。
「あなたがナツハさんですか?」
「はい」
「いつも、動画見てくださって、ありがとうございます!」
リーユーシェンが綺麗なお辞儀し、他のメンバーもバラバラにお辞儀をした。
「今日はわざわざ、こんなところまで来てくれてありがとう」
「いえいえ、案外近かったです」
ベビーカーに乗っている赤ちゃんは、何が気に入らないのか、泣き続けていた。
ナツハさんは、子どもを抱きかかえると困った顔で笑った。
「ごめんね……うるさくて……」
全く気にする様子もなく、理太郎が赤ちゃんに笑いかけた。
「赤ちゃん、泣いてても大丈夫ですよ。演奏してる間にきっと、寝ちゃうと思います」
理太郎たちはすぐに、楽器を用意すると、演奏を始めた。
思った通り、理太郎たちの演奏で赤ちゃんはすぐ寝てしまった。
瞬く間に、演奏を聞きにきた人だかりができ、たくさんの人がお金を入れてくれた。
「素敵な演奏でした。本当にありがとう」
演奏を終えると、ナツハさんから、5000円札を差し出された。
「え!?こんなに!?」
「うん。もらって。赤ちゃん泣きっぱなしで、移動するのも億劫で、ずっと家に籠ってたの……。でも、生の演奏聞けて、楽しくって、また子育てがんばれそう。今日は本当にありがとう」
女性の顔からは、最初に出会ったときの疲れたような雰囲気は消えていた。
「また、来ます!」
理太郎は、なんの計画性もないまま、そう答えていた。
ナツハさんは嬉しそうに笑うと、子どもをベビーカーに乗せて、自宅へと帰っていった。
「ね、早くご飯食べに行こう。お腹すいちゃったぁ」
すっかり片付けを終えたクラーラが、大きなお腹を押さえて、本当に悲しそうな顔をしていた。
見渡せば、おしゃれなお店が立ち並び、一度行ってみたい気になるが、今は理太郎が節約中のため、しぶしぶマクドナルドに入った。
理太郎とクラーラが注文している間、リーユーシェンとぷりんは今日のお金の計算をした。
100円玉や500円玉が多い中、チラホラ1000円札もあった。
トレーに大量にハンバーガーを乗せた理太郎たちが戻ってくると、ぷりんが嬉しそうに報告した。
「今日は、なんと、50,560円!」
「おぉ!すっげぇ!たった1時間演奏しただけで。こんなに……!?さすがセレブの町、青山」
理太郎たちはハンバーガーをかぶりつきながら、目の前に置かれたお金をまじまじと眺めた。
ぷりんはマックシェイクのバニラにストローを指しながら言った。
「でも、あのお母さん、すごく喜んでくれてよかったね」
「赤ちゃんがいると、外出しづらいんだな」
「そうだよ」
初めて知ったという顔で理太郎が言った。
「まだ2、3か月だと、授乳間隔短かったり、ずっと泣いてたりで、外出面倒なんだよ。でも、ずっと家に赤ちゃんと二人っきりってのも息が詰まるし……」
「へー」
「ぷりんさん詳しいですね」
「お前、子どもいんの?実は俺よりこっこー年上だった?」
「いとこんトコに1歳児がいるから、たまに話聞くの」
ぷりんは、チーズバーガーを手に取ったまま、口をつけず、少し真剣な眼差しで言った。
「TwitterやYouTubeのコメント見ると、そういう人いっぱいいるよ。生の演奏聞いてみたいけど、聞けない人。怪我してたり、介護してたり、過疎地に住んでたり……」
「あと、お金なかったりね」
「いろんな人がいるんだな」
理太郎が妙に真剣な表情で、言葉を受け取っていた。
ぷりんが少し物悲しそうにつぶやいた。
「YouTubeで手軽にいろんな音楽聞けるのもいいけど、やっぱり生演奏が一番だよね。島の人に聞かせたいな」
「私はお父さんに聞かせたいわ」
クラーラも一瞬、悲しそうな目をしたが、すぐに、目の前のトレーに3つもハンバーガーがのっているのに気づいた。
「ぷりんちゃん、このてりやきバーガーもらっていい?」
クラーラが本日4つ目のハンバーガーに手を伸ばした。
「ダメ!」
12月も中旬になり、ますます寒さが厳しくなってきた。
それでも、晴れて風の強くないときにはたくさんの人がさんぽやランニングに、公園を訪れていた。
有難いことに、常連のお客さんはコートに帽子、カイロ持参で、しっかりと防寒対策をして見に来てくれている。
今日も、子どもが独立したくらいの女性や、犬の散歩に来た高齢の男性、学生がチラホラ聞きにきてくれた。
今日は、他のメンバーは講義やレポート提出があるとかで、久しぶりに、理太郎とリーユーシェン、二人だけでの演奏だった。
お客さんは数人だったが、その分、たくさんおしゃべりしながら、リクエストしてくれた曲をその場で演奏してみたり、二胡という楽器について紹介したりと、お客さんと近い距離でふれ合うことができた。
リーユーシェンがお手洗いにと、姿を消した。
それに気づいた上品なマダム二人が、こそこそっと理太郎のところに寄ってきた。
週1程度で、聞いてくれる常連さんだった。
「福原くん、中国で演奏するの?」
「はい。今ここでやってるみたいに、中国の路上とかでも、やってみたいなって」
マダム二人は、ほんの一瞬、顔を見合わせた。
ベージュの上品なコートを来たマダムが少し、言いづらそうに切り出した。
「大丈夫?気をつけてね」
「え、あー、はい」
「石とか……投げられないかしら」
「日本人が二胡なんか弾いてんじゃねぇって」
「……やっぱ、そう思います?」
理太郎は苦笑いしながら言った。
なんとなく思ってた。だから他のやつらを連れて行くのはノリ気じゃなかった。
「まあね、最近の若い子はそうじゃないと思うけど……」
「まあ、いろんな人がいるから……」
マダムたちは強く止めたり、はっきりした言葉で表現しなかったが、息子ほどの年齢の理太郎が心配で仕方がないようだった。
振り返らずも、リーユーシェンが帰ってくる気配に気づくと、ブランド物の鞄から、ブランド物の財布を取り出した。
「じゃあ、はい」
マダムは、一万円札一枚取り出すと、理太郎に手渡してくれた。
それを見たもう一人のマダムも、同じように一万円札を渡す。
理太郎の手に2枚の一万円札が握られた。久しぶりに見る福沢諭吉だ。
「え!?こんなにも、いいんですか!?」
「なにかあるかもしれないから」
「旦那には内緒ね」
「ありがとうございます!!」
「頑張ってね」
「はい!!」
リーユーシェンが戻ってくると、理太郎の手の中にあるものを見て、目を丸めた。
「こんなにも……!?」
黒いコートのマダムがリーユーシェンの腕をぽんと叩いた。
「リーくんの分も入ってるからね!」
「これで、頑張ったご褒美においしいものでも食べてね!」
「すいませんっ!こんなにっ!」
「いいの。じゃ、私たちはこれで……」
「ありがとうございます!」
去っていくマダムたちに、リーユーシェンは綺麗なお辞儀をして見送った。
ティポンという通知音が鳴った。
理太郎がスマートフォンを取り出すと、公園でよく演奏を聞いてくれていた吉岡里帆似の女の子からLINEが来ていた。
でも、よく見ると、3日前から未読のメッセージがあった。
『理太郎くん!最近既読にならないね。どうかしたの?』
『体調崩したとかじゃないといいけど…』
『心配』
『なんで返事してくれないの?』
『あの女の子と一緒にいるの?』
『ふざけんな』
あの吉岡里帆似の可愛らしい女の子が、こんな言葉遣いをするなんて衝撃だった。
「くっそぉー……。あとちょっとで付き合えるかと思ったのに、なんなんだよ」
理太郎はスマホを握りこんだ。
ぶっちゃけ、中国へ行く準備やバイト、曲を仕上げるのに夢中になり、返事をしていなかった。
「3日放置しただけで、勝手にキレんなよな。女ってホントめんどくせーな」
リーユーシェンは相変わらず笑顔で、二胡の手入れをしながら言った。
「女性はそういうものです。諦めましょう」
「お前の彼女は、頭よさそうだからいいよな」
「頭はいいですが、感情をコントロールできるかは別ですよ。女性は感情的な生き物ですから」
「悟ってんなぁ……」
理太郎は目を細め感心する。リーユーシェンが菩薩に見える。
中国へ経つ前日、12月20日。
今日は早めに公園での演奏を切り上げた。
ファミレスで理太郎たちが腹ごなしをしている間、ぷりんとクラーラがお金を計算してくれた。
「できた!」
「今日は2,536円!今までの合計で……」
「ドゥルルルルルル……」
隣でけにやんがドラム音を口で鳴らしている。
「ジャジャーン!」
「55,623円です!」
「おぉー!すげー!」
全員でパチパチと拍手をした。
発表したぷりんは、嬉しそうに計算したスマートフォンを眺めた。
「すっげー、俺のクソみたいな演奏でも、こんなになるんだな」
理太郎は目をキラキラさせ、ぷりんが記録してくれていた今までの金額を眺めた。
「みんな、理太郎を応援してるんだよ」
「こりゃ失敗できねーなぁ。プレッシャー……」
「明日何時の飛行機だっけ?」
「8時」
「早っ!起きれる?」
「がんばる」
ぷりんがかばんからごそごそ何かだした。
ごまたまごだった。
「これ、中国でリーユーシェンの友達に、いろいろ手伝ってもらうんでしょ?これ、お土産というかお礼!あとこれ、カメラね。撮って欲しい位置とか書いたの一緒にしてあるから!」
「サンキュー……」
理太郎がなんかソワソワし出した。
心なしか、顔が赤らんでいる気がする。
「……あ、ありがとな。俺の、行くの、手伝ってくれて……」
ボソボソした声だったが、なんとか聞こえたようだった。
みんな、くすっと吹き出しそうなのを堪え、顔を見合せた。
「手伝ってるの、楽しかったよ!演奏、楽しみにしてるから!」
「寝坊しないでね!!」
理太郎の行きつけの定食屋だ。
12月後半になると、冬休みになるはずだったが、集中講義があったり、TSUTAYAのバイトが棚卸しで休めなかったり、リーユーシェンがイベント手伝ったりと、中国へ行ける日は限られていた。
「行けるのは12月21日から22日まで。たった2日……?」
「弾丸だね」
「でも、早い時期に行っとくのがいいと思うよ。特に理太郎は。2月、3月になって、単位がどうのこうの騒ぎだすと思うから」
「で、水道代払えた?」
「あ、あぁ、なんとか……。でも、ガス代は払えんかったから、昨日は水のシャワーだったわ」
「え!?」「ヤバ」「真冬に真水とか……」「死ぬよ」
「それが、最後のほうは温かく感じるんだよな。不思議」
「仕送りとかしてもらってないの?」
「いや、してもらってるんだけどさ、生活費の口座と光熱費、カードの引き落としの口座、一緒だったから……」
「ちゃんと、計画的に使わなきゃ」
「今日はあと500円で生きる」
「500円……」
「親からお小遣い前借りできないの?」
「親父と喧嘩してさぁ」
「この年で、喧嘩するようなことある?」
「はい。もやし炒め定食ね」
大将が理太郎のまえに、お盆を置いた。
もやし炒め定食。このお店で一番安い定食だ。
もやしなんて、俺一度も頼まずに終わるなと思っていたが、ついにその日がきた。
理太郎は待ちきれないように、口に放り込んだ。
「うまっ!この店なんでもうまいな!」
サービスで大盛りにしてくれたご飯をどんどんつめこむ。
クラーラは大盛りからあげ定食を頬張りながら、口を尖らせた。
「ねー、ねー、ホントに私たち着いてっちゃダメなの?おもしろそうなのに!」
リーユーシェンが理太郎の顔を横目で見た。
理太郎は真顔でもやし定食を食べながら答えた。
「……んー。まずは、二人で行くわ」
「えー、なんでー?」
声が大きくなるクラーラをぷりんがなだめた。
「まぁ、いいじゃん。まずは理太郎とリーリーに下見してきてもらって、しっかり準備して次は私たちも行こう!」
「そうね!中華料理たくさん食べて太っても大丈夫なように、痩せとかなきゃ!」
クラーラはまた唐揚げにかぶりついた。
ぷりんがホッとしたように息を吐くと、今度は理太郎を見た。
「で、問題は旅費だよ」
「うん」
「工面できそうなの?」
「15日にバイト代入るから、それで……。あー、でも、滞納してる水道代の引き落としもあるし、連休中国行ってバイト入れなかったから、いつもより少ねーかも……」
頭抱える理太郎に、けろっとした顔でリーユーシェンが言った。
「旅費くらい、僕が出しましょうか?」
ぷりんとクラーラが身を乗り出した。
「それはダメ!」
「理太郎にお金貸したら、今後もタカってくるに決まってるよ!」
理太郎は頬杖をつきながら言った。
「しかも、お前の金じゃなくて、親の金だろー」
「はい」
「いーなー。ボンボンは……」
理太郎はスケジュール帳を睨んだ。
「とにかく、バイトを入れるだけ入れて……」
「でも、二胡の練習もしたいでしょ?」
「うん」
理太郎が真剣な顔でぷりんを見つめた。
「それに、今までみたいに公園で演奏も続けたい」
「でしょ?闇雲にバイト入れて、節約するんじゃなくってさ……」
ぷりんは鞄からノートとペンを出した。
「バイトの時給は?」
「基本、1,013円で、22:00以降は1,266円」
「うん」
ぷりんは理太郎のスケジュール帳のバイトが入っている時間を計算し、数字をノートに記入していった。
「っで、毎月の支出は?」
「え、わからん。基本的に、このカードで支払ってんだけど……」
理太郎がスマートフォンをクレジットカードの利用明細の画面にして、なんの躊躇もなくぷりんに見せた。
「うーん。これに、学食や定食屋で食べた食費が追加されるわけね」
ぷりんは自分のスマートフォンの電卓機能でざっと計算していく。
その間、理太郎は思わずクラーラのから揚げを睨んでしまった。
「なぁ、1コくれ」
「やだ」
「理太郎、僕のアジフライ一個あげます」
「サンキュー」
リーユーシェンに分け与えてもらったアジフライをおかずに、ぷりんの残した白いごはんを頬張った。
「できた!光熱費、通信費の支出と、バイト代の差額で、バイトは最低、これくらい入っとけばいいと思う」
「おぉー!サンキュー!すげーなお前」
「時間がないんだし、ちゃんと計画的にやらなきゃ」
「ぷりんさんは理太郎のお母さんですね」
リーユーシェンがほっこりした顔で言った。
「え!?それは嫌」
その日は、お昼すぎから、公園で演奏を始めることになった。
講義が終わったけにやんとサイトーも合流した。
セッティングや肩慣らしていると、ぷりんが鞄から何か取り出した。
「あと、もう1コ、いいこと思いついたんだ」
理太郎たちが立っている前に、譜面台をお客さんの方に向けて立て、そこにスケッチブックが乗せた。
『中国に演奏しに行きます。資金が足らないので、募金してください』
と書かれていた。
その下には、籐の籠が置かれた。花柄の布が引かれて、リボンがついている。
「乞食作戦!」
ぷりんが笑いながら言った。
そして、この乞食作戦は案外うまいこといった。
演奏を見に来てくれた人が、財布をかき回しチャリンと数百円籠に入れていってくれた。
「ありがとうございます」
理太郎たちが演奏しながら、お礼を言っていく。
おじいちゃんやおばあちゃんは少しばかり多めのお金を入れてくれた。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
曲が終わると、改めてお辞儀をし、お礼を言う。
散歩中のおばあちゃんが話しかけてきた。
「中国行くの?」
「はい。バイトしてるんですけど、旅費もなくて……」
「がんばってね。おにぎり食べる?」
「食べます!」
おばあちゃんが鞄から、アルミホイルに包まれたおにぎりをくれた。
理太郎は有難く受け取り、アルミホイルを剥くと、おにぎりにかぶりついた。梅のおにぎりだった。
「いーなー」
クラーラが羨ましそうな顔をしたので、リーユーシェンが鞄から、どらやきを出した。
「クラーラさん、食べますか?」
「食べる!」
「じゃあ、ちょっと休憩~。トイレ~」
けにやんがお手洗いに向かった。
リーユーシェンは他のメンバーにもどらやきを配ると、みんな一息ついた。
おにぎり食べ終わった理太郎は、どらやきにまで手を伸ばす。
「たった数百円でも、ありがたいぜ」
「細かいお金、ある程度溜まったら、銀行に入金したら?」
「入金ってどうやってやんだ?」
「え!?」
「銀行の窓口にお金と通帳持ってけばやってくれるよ。ATMでもできるけど」
「へー。入金したことねーから」
「まぁね。お金は出ていく一方だよね」
「クレジットカード引き落とししてる口座に振り込んどけば、両替しなくても、中国で使えるじゃん」
「はい。そうします」
ぷりんも、スマートフォン片手に、どらやきを食べた。
「あ、そうだ。水曜日、青山に演奏に演奏しに行かない?」
「なんで青山?」
「Twitterのメッセージにあったんだけど、青山に住んでる人がいて、子どもが小さいから、遠出しにくいんだって」
「青山くらいなら、頑張れるよね」
「そうだな。いいじゃん青山」
理太郎も笑った。
「じゃあ、青山で弾きますって告知しちゃうよ」
当日、青山の公園には、赤ちゃんをベビーカーに乗せた30代くらいの女性がいた。
少し疲れ、不安そうな顔だった彼女は、楽器を持った学生を見つけると、ハッとしたように顔を上げた。
ぷりんが声をかけた。
「あなたがナツハさんですか?」
「はい」
「いつも、動画見てくださって、ありがとうございます!」
リーユーシェンが綺麗なお辞儀し、他のメンバーもバラバラにお辞儀をした。
「今日はわざわざ、こんなところまで来てくれてありがとう」
「いえいえ、案外近かったです」
ベビーカーに乗っている赤ちゃんは、何が気に入らないのか、泣き続けていた。
ナツハさんは、子どもを抱きかかえると困った顔で笑った。
「ごめんね……うるさくて……」
全く気にする様子もなく、理太郎が赤ちゃんに笑いかけた。
「赤ちゃん、泣いてても大丈夫ですよ。演奏してる間にきっと、寝ちゃうと思います」
理太郎たちはすぐに、楽器を用意すると、演奏を始めた。
思った通り、理太郎たちの演奏で赤ちゃんはすぐ寝てしまった。
瞬く間に、演奏を聞きにきた人だかりができ、たくさんの人がお金を入れてくれた。
「素敵な演奏でした。本当にありがとう」
演奏を終えると、ナツハさんから、5000円札を差し出された。
「え!?こんなに!?」
「うん。もらって。赤ちゃん泣きっぱなしで、移動するのも億劫で、ずっと家に籠ってたの……。でも、生の演奏聞けて、楽しくって、また子育てがんばれそう。今日は本当にありがとう」
女性の顔からは、最初に出会ったときの疲れたような雰囲気は消えていた。
「また、来ます!」
理太郎は、なんの計画性もないまま、そう答えていた。
ナツハさんは嬉しそうに笑うと、子どもをベビーカーに乗せて、自宅へと帰っていった。
「ね、早くご飯食べに行こう。お腹すいちゃったぁ」
すっかり片付けを終えたクラーラが、大きなお腹を押さえて、本当に悲しそうな顔をしていた。
見渡せば、おしゃれなお店が立ち並び、一度行ってみたい気になるが、今は理太郎が節約中のため、しぶしぶマクドナルドに入った。
理太郎とクラーラが注文している間、リーユーシェンとぷりんは今日のお金の計算をした。
100円玉や500円玉が多い中、チラホラ1000円札もあった。
トレーに大量にハンバーガーを乗せた理太郎たちが戻ってくると、ぷりんが嬉しそうに報告した。
「今日は、なんと、50,560円!」
「おぉ!すっげぇ!たった1時間演奏しただけで。こんなに……!?さすがセレブの町、青山」
理太郎たちはハンバーガーをかぶりつきながら、目の前に置かれたお金をまじまじと眺めた。
ぷりんはマックシェイクのバニラにストローを指しながら言った。
「でも、あのお母さん、すごく喜んでくれてよかったね」
「赤ちゃんがいると、外出しづらいんだな」
「そうだよ」
初めて知ったという顔で理太郎が言った。
「まだ2、3か月だと、授乳間隔短かったり、ずっと泣いてたりで、外出面倒なんだよ。でも、ずっと家に赤ちゃんと二人っきりってのも息が詰まるし……」
「へー」
「ぷりんさん詳しいですね」
「お前、子どもいんの?実は俺よりこっこー年上だった?」
「いとこんトコに1歳児がいるから、たまに話聞くの」
ぷりんは、チーズバーガーを手に取ったまま、口をつけず、少し真剣な眼差しで言った。
「TwitterやYouTubeのコメント見ると、そういう人いっぱいいるよ。生の演奏聞いてみたいけど、聞けない人。怪我してたり、介護してたり、過疎地に住んでたり……」
「あと、お金なかったりね」
「いろんな人がいるんだな」
理太郎が妙に真剣な表情で、言葉を受け取っていた。
ぷりんが少し物悲しそうにつぶやいた。
「YouTubeで手軽にいろんな音楽聞けるのもいいけど、やっぱり生演奏が一番だよね。島の人に聞かせたいな」
「私はお父さんに聞かせたいわ」
クラーラも一瞬、悲しそうな目をしたが、すぐに、目の前のトレーに3つもハンバーガーがのっているのに気づいた。
「ぷりんちゃん、このてりやきバーガーもらっていい?」
クラーラが本日4つ目のハンバーガーに手を伸ばした。
「ダメ!」
12月も中旬になり、ますます寒さが厳しくなってきた。
それでも、晴れて風の強くないときにはたくさんの人がさんぽやランニングに、公園を訪れていた。
有難いことに、常連のお客さんはコートに帽子、カイロ持参で、しっかりと防寒対策をして見に来てくれている。
今日も、子どもが独立したくらいの女性や、犬の散歩に来た高齢の男性、学生がチラホラ聞きにきてくれた。
今日は、他のメンバーは講義やレポート提出があるとかで、久しぶりに、理太郎とリーユーシェン、二人だけでの演奏だった。
お客さんは数人だったが、その分、たくさんおしゃべりしながら、リクエストしてくれた曲をその場で演奏してみたり、二胡という楽器について紹介したりと、お客さんと近い距離でふれ合うことができた。
リーユーシェンがお手洗いにと、姿を消した。
それに気づいた上品なマダム二人が、こそこそっと理太郎のところに寄ってきた。
週1程度で、聞いてくれる常連さんだった。
「福原くん、中国で演奏するの?」
「はい。今ここでやってるみたいに、中国の路上とかでも、やってみたいなって」
マダム二人は、ほんの一瞬、顔を見合わせた。
ベージュの上品なコートを来たマダムが少し、言いづらそうに切り出した。
「大丈夫?気をつけてね」
「え、あー、はい」
「石とか……投げられないかしら」
「日本人が二胡なんか弾いてんじゃねぇって」
「……やっぱ、そう思います?」
理太郎は苦笑いしながら言った。
なんとなく思ってた。だから他のやつらを連れて行くのはノリ気じゃなかった。
「まあね、最近の若い子はそうじゃないと思うけど……」
「まあ、いろんな人がいるから……」
マダムたちは強く止めたり、はっきりした言葉で表現しなかったが、息子ほどの年齢の理太郎が心配で仕方がないようだった。
振り返らずも、リーユーシェンが帰ってくる気配に気づくと、ブランド物の鞄から、ブランド物の財布を取り出した。
「じゃあ、はい」
マダムは、一万円札一枚取り出すと、理太郎に手渡してくれた。
それを見たもう一人のマダムも、同じように一万円札を渡す。
理太郎の手に2枚の一万円札が握られた。久しぶりに見る福沢諭吉だ。
「え!?こんなにも、いいんですか!?」
「なにかあるかもしれないから」
「旦那には内緒ね」
「ありがとうございます!!」
「頑張ってね」
「はい!!」
リーユーシェンが戻ってくると、理太郎の手の中にあるものを見て、目を丸めた。
「こんなにも……!?」
黒いコートのマダムがリーユーシェンの腕をぽんと叩いた。
「リーくんの分も入ってるからね!」
「これで、頑張ったご褒美においしいものでも食べてね!」
「すいませんっ!こんなにっ!」
「いいの。じゃ、私たちはこれで……」
「ありがとうございます!」
去っていくマダムたちに、リーユーシェンは綺麗なお辞儀をして見送った。
ティポンという通知音が鳴った。
理太郎がスマートフォンを取り出すと、公園でよく演奏を聞いてくれていた吉岡里帆似の女の子からLINEが来ていた。
でも、よく見ると、3日前から未読のメッセージがあった。
『理太郎くん!最近既読にならないね。どうかしたの?』
『体調崩したとかじゃないといいけど…』
『心配』
『なんで返事してくれないの?』
『あの女の子と一緒にいるの?』
『ふざけんな』
あの吉岡里帆似の可愛らしい女の子が、こんな言葉遣いをするなんて衝撃だった。
「くっそぉー……。あとちょっとで付き合えるかと思ったのに、なんなんだよ」
理太郎はスマホを握りこんだ。
ぶっちゃけ、中国へ行く準備やバイト、曲を仕上げるのに夢中になり、返事をしていなかった。
「3日放置しただけで、勝手にキレんなよな。女ってホントめんどくせーな」
リーユーシェンは相変わらず笑顔で、二胡の手入れをしながら言った。
「女性はそういうものです。諦めましょう」
「お前の彼女は、頭よさそうだからいいよな」
「頭はいいですが、感情をコントロールできるかは別ですよ。女性は感情的な生き物ですから」
「悟ってんなぁ……」
理太郎は目を細め感心する。リーユーシェンが菩薩に見える。
中国へ経つ前日、12月20日。
今日は早めに公園での演奏を切り上げた。
ファミレスで理太郎たちが腹ごなしをしている間、ぷりんとクラーラがお金を計算してくれた。
「できた!」
「今日は2,536円!今までの合計で……」
「ドゥルルルルルル……」
隣でけにやんがドラム音を口で鳴らしている。
「ジャジャーン!」
「55,623円です!」
「おぉー!すげー!」
全員でパチパチと拍手をした。
発表したぷりんは、嬉しそうに計算したスマートフォンを眺めた。
「すっげー、俺のクソみたいな演奏でも、こんなになるんだな」
理太郎は目をキラキラさせ、ぷりんが記録してくれていた今までの金額を眺めた。
「みんな、理太郎を応援してるんだよ」
「こりゃ失敗できねーなぁ。プレッシャー……」
「明日何時の飛行機だっけ?」
「8時」
「早っ!起きれる?」
「がんばる」
ぷりんがかばんからごそごそ何かだした。
ごまたまごだった。
「これ、中国でリーユーシェンの友達に、いろいろ手伝ってもらうんでしょ?これ、お土産というかお礼!あとこれ、カメラね。撮って欲しい位置とか書いたの一緒にしてあるから!」
「サンキュー……」
理太郎がなんかソワソワし出した。
心なしか、顔が赤らんでいる気がする。
「……あ、ありがとな。俺の、行くの、手伝ってくれて……」
ボソボソした声だったが、なんとか聞こえたようだった。
みんな、くすっと吹き出しそうなのを堪え、顔を見合せた。
「手伝ってるの、楽しかったよ!演奏、楽しみにしてるから!」
「寝坊しないでね!!」