「ん?どこだ?ここ」
リーユーシェンが車を停めたのは、とある飲食店の駐車場だった。
「理太郎の歓迎会です。私の音大友達が理太郎に会いたいそうです」
ザ・中華という店構えだった。
店内も赤や暖色を基調に、高そうなシャンデリアや龍の絵、ツボや花が飾られている。
店内の奥にはすでに、10数人の学生が集まっていた。
リュウシィンイーの姿もある。
リーユーシェンたちに気づくと、こっちに手を振ってくれた。
「理太郎、僕の音大友達です」
「わぁ!日本人だ!」
みんな笑顔で出迎えてくれた。
自分と似たような顔つき、年齢。
しかし、富裕層そうっぽい育ちのよさそうな雰囲気がよくわかった。
「わざわざ、歓迎会、ありがとう。福原理太郎です」
なぜだか、少し緊張してたどたどしい中国語になってしまった。
まわりで聞いていた友達たちはうん、うんとうなづいてくれたので、なんとか通じたようだった。
「うちの親が経営する店で、今日は貸し切りだから、思いっきり飲もう!」
その声をきっかけにたくさんの中華料理やお酒が運ばれてきた。
リーユーシェンが段ボール箱をテーブルに置いた。
ぷりんが中国といえば、ぱんだ。ぱんだならさくさくぱんだがいいのではと大袋をドン・キホーテで大量に買ってきてくれていた。ぱんだの顔したクッキーだ。
「これ、日本の友人たちがお土産をくれたんです!」
「きゃー!かわいいー!」
女子学生たちはこぞって袋を開けると、スマートフォンで写真を撮り始めた。
「福原さん、何飲みますか?」
「え、あーじゃあ、紹興酒」
「福原さん、焼売食べる?」
「うん」
瞬く間に理太郎の周りにお酒と料理が並び、人が集まってきた。
リーユーシェンはちゃっかり彼女と別のテーブルに座り、ゆっくり食事を始めていた。
「ねぇ、ねぇ、日本の音大って入るの難しい?」
「一日どのくらい練習してる?」
「先生たくさんいる?」
たくさんの中国語に、理太郎は答えていく。
日本の音大のこと。日本の文化のこと。
日本に行ってみたいけど、おすすめは?
何を食べといたらいいかな?
たくさんの他愛のない話が尽きなかった。
リーユーシェンの友人たちだからなのか、みんな一様に穏やかな印象だった。
次第にそこかしこで、中国人の友人同士がしゃべりはじめ、理太郎の周りはやっと静かになった。
別に嫌だったわけではないが、少しほっとしながら、もう一度、箸をとった。
一人の女の子が近づいてきたかと思うと、少し、恥ずかしそうに、ゆっくり話始めた。
「リタロサン、ワタシ、ニホンゴ、ベンキョウしてます。イッパイ、話したい、デス」
目を見て、健気に日本語をしゃべろうとしている様子が可愛かった。
小柄で、ボブくらいの長さの黒髪。地味な雰囲気だけど、色白で可愛い系だった。
理太郎もゆっくり、日本語で質問した。
「日本語、上手だね。名前は?」
「閆 依依(ヤン イーイー)です」
「可愛い音だね」
中国語の発音は、なんか可愛い。
イーイーは少し照れながら笑った。
「……アリガトウゴザイマス」
「日本語、どうやって勉強してるの?」
「えっと、アニメや漫画デス」
「あははっ。何が好きなの?」
「今ハマってるノハ、『鬼滅の刃』デス」
理太郎の目がキラっと輝いた。声が大きくなる。
「マジ?アニメ見た?オープニングもいいけど、効果音がめちゃくちゃいいんだよ、あれ!」
「デスヨネ!最高デス!」
理太郎は日常的にアニメを見るほどオタクではなかったが、日本の音大友達から「鬼滅の刃、おもしろい。効果音めっちゃいい」と勧められ、飽きっぽい性格のわりに、アニメを視聴していた。
思いがけない理太郎の反応にヤンイーイーも目を輝せる。
「那田蜘蛛山(なたぐもやま)で、富岡義勇(とみおか ぎゆう)が父蜘蛛を切ったあとの、静かなオーボエがめちゃくちゃよかった!戦闘シーンだから、もっと激しい効果音になりがちなのに、そーゆー表現の仕方があんのかってマジ、ビビった」
「あそこ、イイデスヨネ!」
「あと、やっぱ、炭次郎(たんじろう)と累(るい)の戦ってるとこ!優しい系の、しかも、声の入った曲入れるとは……マジびっくりした」
「あのシーン、泣きマシタ」
「うん。俺も久々になんかぐっときた。さすが梶浦由記さんと椎名豪さんだわ」
「音楽担当している人ですか?」
「うん。梶浦さんの作曲したので、他にも好きなのいっぱいあって……」
「例えば」と言おうとしたところで、後ろにリーユーシェンとリュウシィンイーがやってきた。
「理太郎、アニオタだったんですか?」
「いや、別にオタクってほどじゃねーけど」
理太郎は、リーユーシェンのグラスが烏龍茶なのに気づいた。
「お前、飲まねーの?」
「あはは……。俺、禁酒中だから……」
「なんで?」
隣のシィンイーが大きくため息をついた。
「ユーシェン、酒癖、すっごい悪いの。叫ぶわ、暴れるわで、次大きなコンクールで優勝するまでおあずけ」
「へー。意外」
なぜか、この話になり、周りに人が集まり始めた。
一人の男子学生が思い出し笑いを始めた。
「こないだなんか、路上で全裸になって、看板に話しかけてたよ」
「あった!あった!」
「お店で突然犬の真似始めたとき、もうどうしようかと思って……」
「あれね。もう言葉も通じないし、置いて帰ろうとしたよね」
リーユーシェンは頭を抱えて俯いていた。
みんなもそれぞれ思い出し、爆笑している。
「じゃあ、これ、リーユーシェン以外で飲もう!」
どんとテーブルに酒瓶が置かれた。中にヘビがいる。
「うえぇぇ……」
理太郎は素直に気持ち悪がった。
「飲んでみ!精力つくよ!」
「いや、ついても、相手がいないんだよ……」
小さなグラスに数センチ、蛇酒が注がれた。
理太郎が嫌な顔してグラスを見ていると、すっと、冷たい手が理太郎からグラスを奪い取った。
「じゃ、私が飲む」
理太郎に妖艶に微笑む女性。
赤いワンピースに、豊満なバストとヒップ、化粧も濃く、やや派手な身なりだった。
グラスを傾け、少し飲んだ。
「んー!まずい!!はい、次は君の番」
まだ数ミリお酒の残されたグラスを理太郎に差し出した。
グラスには、リップの後が軽く残っている。それに気づいた女性は声に出して笑った。
「あはっ。これだと間接キスになっちゃうね」
理太郎はグラスを持つ女性の手ごと、掴むと、ぐびっと飲んだ。
「ぐほぉ……!!」
「えー、そこまでまずい?」
「……かーっ!まずいっつーか、すっげー強いな、この酒」
喉がカッカッと熱くなったかと思うと、全身がどんどん熱くなる。
女性は顔の高さまで瓶を持ち上げ、傾けるようにしてラベルを眺めた。
「45度だって」
「うわ……!」
「じゃあ、お口直し。美味しいお酒、飲も」
女性は別の酒瓶を理太郎のグラスにとくとく注いだ。
「おいおい、曹 妮(ツァオ ニー)、あんま強いのばっか飲ませるなよ」
後ろから、男子学生が声をかけるが、ツァオニーと呼ばれた女性はクスリと笑うだけだった。
「はい」
「サンキュー」
理太郎は注がれた酒を半分ほど飲んだ。
「あ、うまっ」
ツァオニーが、理太郎の耳元で囁いた。
「ね、今晩うちに泊まりに来ない?あの二人のとこじゃ気まずいでしょ?」
「……マジ?んー、でも朝早くから、また先生のとこに練習みてもらいに行くしなぁ……」
「私が起こしてあげる」
香水の匂いが香り、もう一度、理太郎は隣の女性を眺めた。
全く、何の楽器を演奏しているのか検討がつかない。
今、演奏家として音大で学んでいるわけではないのかもしれないが、それでも、昔ピアノを弾いていたとか何かしらやっているのが、音大生だ。
そして、それは案外雰囲気でわかる。
しかし、目の前のスタイル抜群の女性は、ちょっと別世界の人に見えるというか、独自の雰囲気を持っていた。
ツァオニーはもっと理太郎に近づき、体を寄せる。
「ねぇ、福原くん。うちおいでよ」
それって、そーゆーことだよな?
でも、ぶっちゃけ疲れたし、眠いし、腹いっぱいだし。
若干、胃もたれもしかけてる。
油っこい料理ばっかり。
理太郎が突然立ち上がった。
勢いで、椅子がバーンと倒れ、音を立てた。
「理太郎、大丈夫?」
驚いた顔でリーユーシェンが理太郎の肩に手を載せた。
周りも物音で注目していた。
「りた……」
顔を覗きこもうとしたとき、どんと押され、理太郎はそのままどかどかと歩き、店の外へ出た。
「理太郎?」
店を出てすぐの道端の側溝にうずくまった。
「おえええええええええ!!!」
「吐いてる!」
リーユーシェンが青ざめ、理太郎の背中をさする。
様子を見に来た友人たちに叫んだ。
「シィンイー!水!」
友人たちが、バタバタと動きだした。


目を覚ますと、ベッドの上だった。
だんだんと、目が慣れてくると、リュウシィンイーの家だということがわかった。
なんでここにいんだ……?
どうやってきた?
全く覚えていない。
時計と見ると、夜中の3時24分。
「いってぇ……!」
頭がズキズキする。
久々に飲みすぎてしまった。
ハッと部屋の中をキョロキョロする。
ベットの足元に二胡のケースが置いてあった。
急いで、二胡のケースを開け、中身を確認する。
自分が手入れをして、しまった状態から変わっていなかった。
サイドテーブルには、スマートフォンと財布が置いてあった。
財布の中身を確認する。
なけなしの1万円札は入ったままだ。
運転免許証も、健康保険証もいつもの位置にきちんと入っている。
「っはぁー……」
安堵と同時に、ぽいっと財布をベッドの上に放り投げた。
そのままベットに仰向けで倒れる。
あほくさ。
変な心配しすぎた自分に、小さく息を吐きながら笑った。
「のど、湧いたな……」
理太郎は部屋を出ると、キッチンへ向かった。
静かだ。リーユーシェンもリュウシィンイーも寝ているのだろうか。
なるべく静かに、廊下を歩く。
「ぁ……ん……」
女性の、吐息のような声が聞こえる。
反射的に、理太郎は呼吸を含むすべての動きを止めた。
「ん……ん……」
明かりのついたキッチンから、2つの影が動いているのが見えた。
「シィンイー……」
「……ユーシェン」
これはもしかしなくとも、あれ中だ。
まずい。
理太郎は細心の注意を払い、物音一つ立てないように、引き返した。
ドン!
棚に体が当たり、上に飾られていた変な顔のアヒルの置物が落ちた。
今まで生きてきた中で一番の反射神経を使い、床にダイブし、落ちるギリギリでキャッチした。
耳を澄ませる。
「えー、もう、またぁ?」
「久しぶりだから」
どうやら、理太郎には気づいていないようだ。
安堵ではぁぁぁと大きく息を吐く。
なんで、キッチンでヤってんだよ。
お前らの部屋もダブルベッドもあるっつってたじゃん。
床の冷たさが、焦った体に心地よかった。


朝。
廊下の床で、理太郎がアヒルを抱えて寝ていた。
「なんで理太郎、こんなとこで寝てるんですか?」
「酔っ払いすぎ、あはは」
リュウシィンイーも笑っていた。
「ん、……あ?」
その声に理太郎も目を覚ます。
体が痛い。
「大丈夫ですか?酔っ払いすぎですよ」
リーユーシェンとリュウシィンイーが笑っている。
「朝ごはん食べに行きますよ」
「お、おぉ……」
中国では、出かけるついでに屋台で朝ご飯を食べるのが定番だった。
二人はすでに出かける用意ができているようだった。
「その前にシャワー、浴びていい?」

中国の屋台は本当に充実していた。
初めてくると、目移りて、何を食べようかなかなか決まらなさそうだったが、時間もないため、リーユーシェンに勧められた店を選んだ。
肉まんを頬張りながら、理太郎が気まずそうな顔で聞いた。
「俺、どーやって、家まで帰った?」
ユーシェンとシィンイーはくくくっと笑いを堪えた。
「俺と、友達で車に引きずって乗せて、車からマンションへも引きずって来たよ」
「どーりで、シャワー浴びたときに、痣だらけだと思ったわ」
「福原くん、背高いからね」
「全裸になったり、犬になったりはしてないよな?」
「ふふっ。してないよ」
「やっちまったなぁ……」
「大丈夫だよ。あの子たち、ユーシェンの奇行で慣れてるから。福原くんの嘔吐くらいじゃ誰も驚かないよ」
「シィンイー」
リーユーシェンが涙目でシィンイーを見つめた。


その日も午前中から、先生のところで指導を受けた。
高齢ということもあり、何時間もみっちり理太郎を指導できず、途中休憩を挟み、夕方前には帰った。
それでも、理太郎は、リュウシィンイーの家に着くと、部屋を借り、また二胡の練習を始めた。


部屋をノックする音がすると、ドアが開き、リーユーシェンが顔を出した。
「理太郎、そろそろごはん食べに行く?」
「あー、今、大丈夫。弾いてたい」
理太郎はほとんど楽譜から顔を離さず、二胡を抱えたまま言った。
「彼女と二人で行ってこいよ。帰りに、なんか買ってきて」
「うん。わかった。リビングのテーブルに乗ってる月餅食べていいから」
「サンキュー」
リーユーシェンは静かにドアを閉めようとした瞬間、「あ!」と理太郎の声が聞こえてきた。
何事かと、ドアを開けると、目を丸くした理太郎がこっちを見ていた。
「コンクール、応募しとくの忘れてたわ」
「え!?大丈夫なんですか!?」
「わからん。クソ怒られそー……。まぁ、過ぎたことはしょーがねーか」
理太郎は、あっさり自己完結すると、また二胡の練習を始めた。
リーユーシェンは小さく笑いながら、静かにドアを閉めた。
玄関の近くでは、すでに出かける用意をしたシィンイーが待っていた。
今日は青いワンピースだった。
「理太郎、練習してるって」
「すごいがんばってるね」
「ピアノのコンクール応募し忘れるほどね(笑)」
「えー、大丈夫なの?」
「いいみたい。俺も負けられないよ」
リーユーシェンの顔を見て、彼女は嬉しそうに笑った。


あっという間に予定していた3日が過ぎた。
日本に帰るとき、空港まで、リーユーシェンの友達たちが見送りに来てくれた。
理太郎は罰の悪い顔で、まず始めに謝った。
「こないだは大惨事になって、悪かったな」
「あははっ!リーユーシェンに比べたらかわいいもんだよ」
「そうそう!」
ここまでネタにされてるのを見ると、怖いもの見たさで、酔った彼を見てみたくなった。
「これ、お土産だよ!日本の友達にもあげて!」
大きな紙袋を渡してくれた。
中には、不細工な顔したコアラのマーチっぽいお菓子やたけのこの里が入っていた。
「サンキュー!こんなにいいのか!?」
「うん!また中国来てね!」
「てゆーか、今度は日本に行ってもいい?」
「おう。案内してやるよ」
ヤンイーイーが、理太郎を見上げ、キラキラした顔でみつめた。
「カラオケ、連れてってください!」
「行こう」
「私、回転寿司行きたい!」
「回転寿司か。生魚食べれんの?」
「食べれない!」
あははっと笑いが起こる。
「リーユーシェンは?」
「あっち」
少し離れたところで、ユーシェンとシィンイーが立っていた。
彼女はうつむき、唇を噛んでいた。
なぜか理太郎まで、少し胸が痛んだ。
「ごめんね。またすぐ会いに行くから」
「……ちゃんと勉強してきてね」
「はい!」
大きな声で返事すると、やっと離れた。
理太郎たちは中国の友人たちに手を振ると、搭乗口に向かった。
飛行機の中で、自分の左の指をぼーっとみつめた。
人差し指と親指、こすり合わせてみる。
弦を押さえる手の皮が、少し厚くなった気がする。
「ピアノ弾くとき、違和感ありそーだな」