リーユーシェンの運転で、二胡の先生のところへ向かった。
車内のいたるところにVとWのロゴマークがある。フォルクスワーゲンだ。
これもなかなか高そうな車だった。
助手席の皮のシートで寛ぎながら、理太郎がつぶやいた。
「彼女、ツンデレ系かぁー。いーなー」
「ツンデレってなんですか?」
リーユーシェンがハンドルを握りながら、聞き返す。
「んー、ツンツンしてるのに、たまにデレるみたいな?」
「よくわかりませんが……」
「かわいいよな」
「は?」
普段の彼からは考えられないようなキツイは?が返ってきた。怖くて見れないが多分睨んでる。ヤバイ。焦る。
「いや、別に、狙ってるとかそういうんじゃなくて、いい子だなって単純に思っただけ。褒めたんだよ!」
「そうなんですよぉ。いい子なんですよ。シィンイー」
またノロケた顔に戻った。
ほっと安心すると、慌てて話題を代える。
「これ、お前の車?」
「違いますよ。彼女のです」
「彼女って、大学生なのか?」
「はい。そうですけど、株とかやる投資家でもあります。この車もマンションも、親に買ってもらったんじゃなくて、自分で稼いだお金です」
「すっげー。じゃあ、結婚しても、お前が稼がなくてもいんじゃね?」
「まぁ、そーなんですけどね。カッコつかないじゃないですか」
「まぁな」
男なら、妻に養われ、自分は好きなことしてるなんて、カッコ悪いと思うのは、理太郎も男なのでよくわかった。
リーユーシェンがチラリと時計を見た。
「少し飛ばします」
さっきから、飛ばしていると思ったが、またさらにスピードが上がった。
リーユーシェンの穏やかな性格から予想できない運転に少し、ヒヤリとしたものを感じた。
郊外から外れ、30分ほどで、少し田舎っぽい雰囲気の場所にきた。
たまに民家、たまに畑というような景色だ。
やがて、バカでかい庭にぽつんと一軒家が建っていた。
築50年くらいは経っているだろうか。
庭を5匹の犬が走り回っている。
目につくだけで、猫が7匹、日向ぼっこしていた。
鶏が一羽走りまわっている。
庭の外れには時期外れになるきゅうりが植えられて、干からびていた。
竹馬や縄跳び、キックボードやボールなど子どもの遊び道具が、小屋の下置かれている。
リーユーシェンは車を庭の適当なところに停めた。
すぐに10歳くらいの子どもが数人、走ってきた。
「にーに!」
「リーユーシェン!」
車を降りたリーユーシェンの腰に抱きつく。
「お土産は?コアラのマーチ!」
「はい」
理太郎が日本のゲームセンターのUFOキャッチャーで取ったバカでかいコアラのマーチの箱を車から出した。
その大きさに子どもたちは大興奮する。
「ぎゃーーー!!!」
子どもたちは絶叫し、コアラのマーチの箱をぶんどると、家のほうへ走っていった。
一人だけ、女の子が立ち止まると、振り返った。
「謝謝!」
それだけ叫ぶと、コアラのマーチへ走って行った。
「元気いいなぁ」
「お前の弟?」
「まさか!先生になついてる子どもたちですよ」
「へー」
リーユーシェンと共に、二胡のケースを手に取ると、家へ歩き出した。
「このへんは、貧しい家もあって、遅くまで共働きで、子どもが寂しい思いしてるので、先生の家が遊び場になってるんです」
家の中からは子どもたちの楽しそうな声が響いてくる。
「先生は動物好きで、子どもが好きで、二胡がめちゃくちゃうまいんです!」
先生の話をするリーユーシェンの顔は嬉しそうだった。
部屋の中も古民家風といった感じだった。
しかし、汚さは感じず、大切に使われてのがわかった。
入り口入ってすぐには、理太郎の腰ほどの高さのある、やたら装飾が細かいツボが置かれていた。
子どもがぶつかったのか、一部が割れてなくなっている。
一人のふくよかな婦人が出迎えた。
この人も優しそうな雰囲気だった。
「おかえり。リーユーシェン」
「ただいま。王 媛(ワン イェン)さん。日本でできた友人、連れてきましたよ。」
リーユーシェンが理太郎を示した。
「どうも。お邪魔します」
「どうぞ」
婦人が中へと案内してくれた。
中から子どもたちの歓声が聞こえた。
「いっぱい!」
「先生!コアラのマーチ!」
「おいしい?おいしい?」
「リーユーシェンが持ってきてくれたの!」
リビングのような部屋には、コアラのマーチを嬉しそうに食べている子どもたちがいた。
二胡、琴、笛、ピアノなど、様々な楽器や楽譜、ドラえもんらしきキャラクターのぬいぐるみが置かれていた。
理太郎のよく知るドラえもんより、鼻の下が長い気がする。
部屋の奥のイスに、一人のおじいさんが座っていた。
あごから伸びた白い髭は胸まで伸びている。
理太郎が思わず呟いた。
「仙人……」
もぐもぐと口が動いている。
近くに立っていた女の子が仙人の口に、コアラのマーチを運んだ。
あーむ、と食べた。
「中国に2年いたが、仙人に会うのは初めてだ……」
「人ですよ」
リーユーシェンが笑った。
「年齢不明、二胡の達人、王鵬芳(ワン フォンファン)先生です!」
先生は表情一つ変えず、コアラのマーチをもぐもぐ、ゆっくりと咀嚼していた。
一見、無表情で何を考えてるのかわからず怖い印象だ。
しかし、子どもたちは、先生に何か言いに行っては、またバタバタ走りだし、慕われているようだった。
不思議な人だ。
でも、ただならぬオーラを同じ音楽家として、理太郎は感じ取っていた。
姿勢を正し、仙人をしっかり見つめた。
「福原理太郎です!二胡を教えてください!」
仙人は微動だにせず、理太郎を見つめ続けた。
「…………」
それに、理太郎は焦る。
しばらく、理太郎と仙人の間に沈黙が流れたのち、リーユーシェンあっ!と声を出した。
「理太郎の発音が下手で聞き取れないようです」
「ンなんだよっ……!」
リーユーシェンが理太郎の言ったことを綺麗な中国語で訳すと、仙人はうんと大きくうなずいた。
ゆっくり、理太郎を見た。
「聞かせておくれ」
「はいっ!」
柄にもなく、大きな声で返事をしてしまった。
仙人から少し離れたところに椅子を置き、座る。
ケースから二胡を出し、体に乗せた。
周りの子どもたちは、不思議と静かになり、理太郎を見つめた。
軽く音を出し、チューニングをする。
汗がじわりと額に滲んだ。
手が強ばる。
久々に緊張していた。
けどこの緊張感、嫌いじゃない。
仙人に、目でチューニングが終わったことを告げる。大きく頷き返してくれた。
理太郎はすぅーと息を大きく吐くと、左指で弦押し、右腕で弓を引いた。
一音の美しい音が響く。
『雨碎江南』
南の方で、優しい雨が降っているという意味だ。
今、外は晴れているけれど、この仙人先生の家の優しい雰囲気から、自然とこの曲を弾いてみたいと思った。
曲が終わった。
理太郎は恐る恐る仙人を見た。
目を閉じ、耳を傾けていた仙人はゆっくりと目を開けた。
口元は髭であまりよく見えないが、目を細め、笑っているようだ。
「青い林檎」
「ん?」
仙人の言ってる意味がわからず、理太郎はリーユーシェンの顔を見た。
リーユーシェンも少し悩みながら答えた。
「100点満点中60点くらい……ってことですかね?」
「お、おー?褒められてる!?」
「はい!どちらかといえば!」
仙人は、低い声でゆっくりとしゃべり出した。
「実に優しい、愛のこもった演奏だった。これから何色にも代わる不思議な木の実だ」
「あざっす!あの!俺に二胡を教えていただけないですか!?」
「いいだろう」
「よっしゃ!」
理太郎は大きくガッツポーズをした。
仙人は部屋の棚に置かれていた自らの二胡を取った。
「着いてきなさい」
奥の部屋へと入っていく。
リーユーシェンと子どもたちは笑って、理太郎を見送った。


「休憩、どうですかー?」
婦人がお茶を入れ、奥の部屋の扉を叩いた。
仙人が出てきて続いて理太郎も出てきた。
妙に真剣な顔つきで、先ほど教えられたことを頭に記憶しようとしているようだった。
「理太郎、お茶」
「あぁ、サンキュー」
リーユーシェンがお茶とお皿に乗った桃まんをくれた。
仙人が席に着くと、子どもたちがわらわらとその周りにあつまり、おしゃべりが始まった。
リーユーシェンが理太郎の隣にそっと座った。
「どうでした?」
「……すげー。勉強になる」
「ね、目からウコロですよね!」
「つーか、先生の演奏がすげーわ。なんつーか。二胡が魔道具みてー。音色聞くと、なんか魔法がかかったみたいになる」
「ですよね!不思議ですよね!」
しゃべる理太郎たちの周りに、子どもたちが集まってきた。
坊主頭の少年が理太郎の顔を見た、
「ねー、ねー、お前、どこから来たの!?」
「日本」
「遠いな!」
「泳いできた」
「嘘だろー」
「嘘だよ」
あははっと笑いが起きる。
「お前、中国語下手だな!」
「何言ってるのか、たまにわかんない!」
飛行機乗ったあたりから薄々感じていたが、上海の人には理太郎の中国語は発音が下手かつ、ものすごい訛って聞こえるらしい。
リーユーシェンは優しいので今まで一生懸命聞いてくれていたようだった。
「うっせーな。クソガキ。俺の言うことわかんないかもしんねーけど、お前らの言ってること、ほぼほぼ俺わかってるからな」
理太郎は口の悪い少年の頭をぐりぐりの撫でた。
「なんて?なんて?」
「広州訛り?」
今まで静かに桃まんを食べていた先生が口を開いた。
騒がしくしていた子どもたちが一斉に静かになる。
「ちゃんと聞いてあげなさい。そしたらなんて言ってるかわかるだろう?私も、お前たちの演奏がどんなにへたくそでも最後まで聞くよ」
「はい!」
子どもがもう一度、理太郎のところへ集まってきた。
「もう一度言え!」
理太郎はくすりと笑った。
チラリと転がっているドラえもんを見て、ゆっくり話した。
「どらえもん好きか?」
「もう一度!」
「どらえもん、好き?」
「嫌いだ!あんなの!」
理太郎は思わず噴き出した。
「あんな便利な道具、あるわけないもん!」
「そうだな。別に俺も好きになった記憶はねーし。のび太見てるとムカつくよな」
「それより、NARUTOだろ!」
NARUTOに日本の忍者アニメだ。
子どもたちは手で、術を出す動きをしてお互い遊び始めた。
「くらえ!螺旋丸(らせんがん)の術!」
「ぐはぁ……」
なぜか術をかけられたリーユーシェンは一瞬机につっぷしたが、すぐに起き上がり、桃まんを食べ始めた。
「くらえ!千鳥!」
「あだっ!」
今度は理太郎によくわからない術がかけられた。


先生に師事する時間はあっという間に終わり、またリーユーシェンの車で帰った。
助手席に座る理太郎は、めずらしく、にこにこしていた。
「どうでしたか?」
「楽しかった、かな」
「それは、よかったです」
「なんか先生のイメージ違った。
楽器教えてる先生って、その楽器のことしか頭になくて、厳しくてって感じのやつしか知らなかったけど……」
理太郎は、幼いころから音楽の英才教育を受けたわけではなかった。
ただ、親が音楽をやっていたから、楽器に触れ、
たまたまピアノはちょうどいい伴奏になるし、楽譜を読めるようになるのにちょうどいい楽器だから、暇潰し感覚で長年習っていただけだった。
しかし、音大には、親に、先生に、遊ぶ時間を奪われ、厳しく教え続けられている学生がごまんといた。
リーユーシェンも、おそらく、その中の一人なんだろう。
その生活を聞くたびに、そんなクソみたいな境遇に生まれなくてよかったと心底安堵していた。
それと引き換えに、今の理太郎にあるのは、中途半端な音楽の知識と、技術と、執着心だけだった。
リーユーシェンも満足そうに笑った。
「先生の教え方すごくいいですよね?私は目からウロコでした。
小さい頃から二胡弾いてて、何度もやめたい思ったけど、先生に出会って、また二胡が楽しくなりました」
「おぅ。なんつーか、プレッシャーとか感じず、単純に二胡楽しめる時間だった」
「明日も行けますよ」
「楽しみだ。また、あのガキにお菓子でも買ってくか」
「そうしましょう」