そんな噂話を聞いて、さすが社長の息子ともなると一般人とは違うのねと奈々は思った。と同時に、そんな人にどう話しかければいいのか少し戸惑う。
気負うことなく普通でいいのだろう。
そう思っても何だか緊張してしまう。

事務連絡をするために声をかけると、

「何だ?」

とぶっきらぼうに面倒くさそうな返事が返ってきて、奈々は思わずムッとした。


顔はいいくせに愛想がない。
むしろ態度が悪い。
こんなのが将来の社長とか大丈夫なのかしらと喉元まで出かかったのを抑えて、奈々はこれも仕事だと自分に言い聞かせて努めて冷静に対応する。

「倉瀬さん、庶務の西村といいます。この書類に必要事項を記入して、明後日までに私にくださいね。」

奈々は準備していた異動者の申請書類を丁寧に倉瀬のデスクに置いた。
名前や課名、パソコン番号などを書いて上長のサインをもらわなければいけない。
倉瀬はその書類をチラリと見ただけで、また面倒くさそうな口調で突き返した。

「それくらいそっちでやっといてくれ。」

その態度に、奈々はムッとして言い返す。

「ダメです!ここに本人の署名とハンコもいるし、面倒くさがらずちゃんと自分でやってください!」

ピシャリと言い放つと、書類をしっかり倉瀬のデスクに置いて逃げるように自席に戻った。

堂々とした態度を取っておきながら、奈々の心臓はバクバクしている。
社長の息子にあんなたてつくようなことをしてよかっただろうか。
そんな思いが頭を過るが、いや、仕事は誠実にやらなければいけないという奈々の責任感が少しばかり上回った結果だ。


自席に戻ると隣の席の同僚、朋子(ともこ)がこそっと耳打ちしてくる。

「さすが奈々。社長の息子でも容赦ないね。私なら言えないわ。」

と、感心したように笑った。

社長の息子だから何だというのだ。
仮にも今は勉強中の身だと聞いている。
偉そうな態度を取るなら社長になってからにしなさい、と奈々は心の中で憤った。