綾乃と美奈が一仕事終えた後のティータイムにつく。もちろん、いつものカフェのいつもの席で。偶然また渉のことを見かけるかもしれない。今なら渉に話しかけてもいいんだ。もう顔見知りだから。綾乃がいることで、渉のカフェの利用頻度も増えるかもしれない。そんな期待を描き出しながらカフェオレを一口飲んだ。
 でも小説を書く邪魔だけはしないでおこうと思っている。二作目は書くことはないけど。
 美奈は美奈で、どんな人か知りたいから率先してここに来ようって言ってきた。何も言わなくてもここに来ていたからそんなにうるさく言わなくてもいい。
「来るかな?」
 ドアの方を向いて美奈が体を揺らしている。
「分からない。仕事中かもね」
 綾乃はドリンクを飲むフリをして照れを隠す。でも以前よりずっと綾乃は余裕があるはずだ。
「連絡してみたら? 『今カトリーナにいますけど、渉さんは今日来ますか?』って」
 にやにやしながら綾乃を茶化した。
「えっ? むりむり! 絶対できないよ」
 あたふたし始めた綾乃は早口でそう言った。
「聞くぐらいいいじゃん」
 照れる綾乃を見て、美奈は楽しみながら、さらに茶化した。
「頻繁にしたら引かれちゃうかもしれないし」
「会える時に会っておかないと忘れられるよ」
 確かにそうだ。たまたま会うなんていう偶然は、そうあるわけではない。渉の記憶に綾乃が鮮明に刻み込まれている間に会っておくべきだろう。
「まぁ、そうなんだけどさ」
 綾乃は誰かに急かされて連絡を取ったり、会うのが苦手だった。これが綾乃がおくての原因だ。でも美奈が言うことにも一理ある。
 今は美奈がいるから、一人の時よりもリラックスして話せるかもしれない。話題がなくなった時に、美奈ならすぐに何か聞いてくれそうだから。本当にどこから話のネタが出てくるのか。美奈は頼りになる存在だ。
 ドアのカランコロンという音が鳴った。
 渉が入ってきた。今日は仕事帰りではないからいつもの服装だった。入った瞬間に目が合った綾乃と渉は、お互いに会釈をした。渉も綾乃が来ていることをなんとなく感じていたのか、迷わず綾乃の指定席を直視した。
 綾乃がペコっと頭を縦に動かしたのを見て美奈は後ろを振り返る。綾乃と同じく美奈も会釈をした。
「こんにちは。今日も来てたんですね」
 綾乃のそばで立ち止まり、気さくに話しかけてきた。一昨日会ったばかりだからすぐに気づけた。
 急いで渉に電話をしなくてもよくなったから、綾乃は溜まった息をふいて胸を撫で下ろした。
「はい」
 綾乃はさりげなく髪の毛を直しながら返事した。次の言葉が見つからず美奈と目を合わせると、綾乃は「私の同僚の子です」と紹介した。美奈は自分がだしに使われたって思っているかもしれない。
「こんにちは。笠原美奈です」
「こんにちは。中村渉です」
「ここ座りますか? それか、大きなテーブルに移動しましょうか?」
 美奈が隣の二名がけテーブルを見て言った。奥にも四名がけが空いているから移動ができる。なんとも自然な振る舞いで、綾乃は美奈のコミュニケーション力に舌を巻いた。
「ありがとうございます。移動させるのも悪いのでここで大丈夫です」
「あそこじゃなくていいですか?」
 渉の指定席であるカウンターを示して綾乃が言った。他の席だとなんか違和感がある。ただ見慣れていないだけだろう。
「大丈夫です。今日は綾乃さんもいるから」
 その言葉に綾乃は笑顔で応えた。美奈はそれを見ながらいつもならからかってきてるはずだけど、さすがにこの状況ではやらないみたいだ。
「綾乃から聞きましたよ。ここでお話ししたんですよね?」
綾乃は「聞きましたよ」という言葉に心臓を鷲掴みにされる。突然やめてほしいって思った。せめて前振りぐらい欲しかった。
「はい。遅い時間に来てもらって。楽しかったです」
 楽しいの言葉に安堵の気持ちが表情に溢れた綾乃。
「私もです。本のこと聞けたし、仕事もっと頑張ろうと思えるようになりました」
 何の話をしたのか美奈は気になってその先を待っている。でもその先がなかったので、「今日は新しいのを書くんですか?」目を輝かせて言った。男を落とす時の表情っぽくて、綾乃の警戒心が美奈の体のそばでまとわりついている。
「今日は……くつろぎに来ました」
 笑みを一生懸命作った渉。その影で何か表現しようのない気持ちがにじみ出ていた。
 次の作品のことを聞かれると後ろめたさを感じる。自分の才能の限界からなのか、綾乃と同じように急かされて書くのは本意ではないと思っているか。
「そうなんですね。ところで渉さん、イケメンですね。彼女いるんですか?」
 美奈がさらっと聞いた。
 一瞬空気を読まない美奈を恨んだ。でも綾乃に代わって代弁してくれたんだと、思い直して、次は渉に向かって視線を動かす。美奈の馴れ馴れしさよりも渉の答えのが重要だったから、じっと渉の答えを待った。
「いないですよ。イケメンじゃないし、結構奥手だから。いい人がいても告白とかできないです」
 胸を撫で下ろした綾乃。緊張の一瞬というのはこのことだと思った。「交際中』だったらどうしようって思ったけど、いたとしても何もできない。
 美奈が綾乃を見た。「いなくてよかったね」みたいな顔で綾乃をの目を見ている。気持ちがバレそうだからやめて欲しかった。目を逸らして渉を見つめる。
「私はかっこいいと思います。綾乃もそう思うよね?」
 無茶ぶりにも程がある。綾乃は瞬時にそう思った。
「えっ? はい」
 言わされた感があって、綾乃は少し小さくなってしまった。
「ありがとう……でも本当にそうじゃないんだ」
「どんな人がタイプなんですか?」
 綾乃が聞いた。美奈に便乗する形で。美奈の質問にヒヤヒヤしていたけど、その勢いに勇気をもらう形になった。でも反面、怖いなとも思った。
 美奈は「やるじゃん」みたいな顔してる。
「難しいな……特にないかもしれない。僕でいいって言ってくれる人なら」
「そうなんですね。価値観が合うとか趣味が合うとか、そういうのもないんですか?」
「ないかな。あまり話す方じゃないから話しかけてくれると楽だけど、相手にすごくそれを求めてるわけでもないですね」
 なんとも面白みのない答えって美奈は思った。その後の質問ができなかった。せっかくのイケメンが台無しになってるって心の奥底で呟いた。美奈はチラッと綾乃の顔を伺う。どう思ったのだろうか。
「話しかけてくれるって言ってましたけど、未砂、みたいな感じですか?」
「未砂?」
 美奈の知らない名前が出てきた。二人の様子を静観する。
「そうかもしれない。あんな子だったらいいね」
 図星だったようで渉は苦笑しながらそう言った。
「やっぱり」
「作ったつもりだったけど、自然に自分の好みの子を作り出してたかもね」
 渉は頭をポリポリかきながら私情の入ったキャラ作りを振り返った。好みのタイプの方が、思い描くのが容易なのかもしれない。
「そうなんですね。でも分かります。未砂いいですね、話すとすぐに明るくなれそうだから」
 綾乃のネガティブ思考も、一瞬にしてポジティブ思考に変化させてくれそう。綾乃にとっては美奈がそれに近い存在かもしれない。
「そうだね」
「そんな明るい子なんだ……すいません、読んでないのバレバレですね」
 手を合わせて美奈が渉を上目遣いで見つめた。一瞬、綾乃は美奈に渉をとられると思った。猜疑心は募る一方だ。
「全然いいですよ。読むか読まないかは読者が決めることだし」
 手を横に振って謝る美奈に声をかけた。
「周りには未砂みたいな子はいないんですか? それかいいなって思う人とか?」
 未砂の話題は綾乃に勇気と目の輝きを与える。質問がしやすい。
「いないですね。いても何もできないかな。連絡するのも緊張するしちゃうし」
「そうなんですね。綾乃とかどうですか?」
 綾乃の体に赤いものが燃えたぎる。美奈の不意打ち攻撃には参る。
「えっ?」
 渉は綾乃と目を合わせて笑った。まるでエレベーターで親しくない知り合いと目が合って見せる笑顔に見えた。
「ちょっと何言ってるの?」
 綾乃が美奈の腕を小さく手を仰ぎながら叩いた。
「だってなんかお似合いだと思うから」
「知り合ったばっかりなのに、渉さんもそんなこと言われても困るよ」
 綾乃が素早く変な空気をおさめようとする。
「僕はいいと思います。感じのいい方だし。さすが営業されてる方だなって。話題がなくなったら話題も振ってくれますしね」
 そんなことしたかなって、綾乃は一昨日の自分を客観視する。よく覚えていないだろう。綾乃自身は渉が言うような人間じゃないけど、心は自然に温まった。
「いいって言ってくれてるじゃん」
「恥ずかしい」
 そう言って顔を隠す綾乃。それを見て満足そうな表情を見せる美奈。
「今度、ご飯とか行きたいですね」
 渉がサラリと言ってのけた。
 脈ありと捉えていいのか。
 女性として意識されないてないから誘われたのか。
 本を褒めてくれるだけのただのいい人か。
 色々な憶測が駆け巡り、綾乃の頭は混乱している。
「いいんですか?」
「はい。綾乃さんが良ければ」
「全然大丈夫です」
「いいなー」
「美奈さんも是非ご一緒しますか?」
 マジで邪魔しないでって綾乃は思った。美奈なら渉を知らぬ間に懐に収めていそう。
「私は大丈夫です。綾乃と行ってきてください。なんか、お邪魔かなって」
 少しだけ首を横に寝かせて美奈は綾乃を見た。いやらしい笑みだなって綾乃は思っているだろう。
「どこか行きたいところありますか?」
 綾乃が予定の詳細を詰める。
「そうだなー」
「どこでもいいですよ」
「すぐに思いつかないから、またお伝えしてもいいですか?」
「はい」
「綾乃さんもどこかあれば、教えてくださいね」
 勢いって怖い。このぐらいしないと意中の人とは出かけられないかもしれない。

 渉が席を立ってお手洗いの前で順番待ちの最中。見慣れた後ろ姿を見つめる綾乃は、美奈に最高の笑顔を振る舞う。
「良かったね」
「マジでヒヤヒヤした。でも美奈はすごいよ」
 この七分程度で渉と出かける約束をとりつけてくれた。綾乃はこのスキルは絶対に仕事に生かしたほうがいいって思った。仕向けるのが抜群にうまかった。教育係代わってもらおうかと思った。
「でしょ? 渉さんのこととられるかもって警戒してたでしょ? 目がマジなんだもん」
 渉が来てからの綾乃を振り返った。美奈も面白がっていた。でも着地点が良ければそれでいい。
「だってなんかそんな感じだったから。狙ってるのかもって」
「彼氏できたからそんなことしないよ。ましてや、綾乃が狙ってる人をさ。警戒しすぎ」
「ありがとう、美奈」
 そう言われたら、素直にお礼を言うしかなくなった。
「いいよ。綾乃は同僚であり友達だから。私にできることがあったらやるよ」
「ありがとう……」
 涙腺がゆるんで綾乃の声が変化した。
「それでどこ行きたいの?」
「どこでもいい。渉さんとなら」
「ますます好きになってきた感じ?」
「……」
 何も言わず綾乃は縦に頭を動かした。言葉に出すのは恥ずかしすぎた。
「綾乃、マジだね」
 自分の膝を見つめる綾乃。この世界は現実か。急展開すぎて今についていけなかった。でもちゃんと追いつく。だから心配いらない。どんなにまぶしい光でも、ここにいるんだから。