渉が今あるすべての在庫を調べている。今日の午前中までに業務に必要なホイップやプラスティックカップなどを発注しないと明後日の業務に支障が出てしまう。バインダーの上にある紙に数量を書く。
 今日は仕事終わりに友達と夕食を食べに行くからとてもワクワクしている。渉の数少ない友達。少なくてもいいと思っている。狭くてもいい関係が築いていられたら。久しぶりに会う大学の時の友達だから話が弾みそう。
「最近大学の子に会ってる?」
「あの子、結婚したらしいよ」
 そんな話ができる友達がいるから渉は恵まれていると思った。
 ペンをゆるやかに滑らせる。慣れたもので作業がスムーズだ。次にパソコンの発注画面に数量を入力していると、渉のカバンにあるスマホが揺れているのが分かった。でも仕事中だから出ないでおこうと思って作業に集中する。バインダーを見つめて数量を確認する。大事な作業だから丁寧に。まだカバンが揺れている。ずいぶん長い着信だなと思った。そんなに渉に連絡を取りたい人って両親か誰かか。揺れが収まる。もしかしたら、親が倒れたのかと思った。そのままにしてスタッツルームを出ようと思ったけど、なんか気になってスマホを見た。知らない番号だった。そしたらまたスマホが渉の手を揺らす。少し怖くなってきた。変な電話かもしれない。でもまた着信が長い。諦めの悪いどこかのセールスマンか誰かがかけてるんだろうか。でも気になるから思い切って応答をスライドさせた。
「もしもし」
「もしもし。中村渉様の携帯電話でよろしいでしょうか?」
「はい」
 フルネームで呼ばれた。ドキッとした。『特に悪いことをした覚えはない』と心の中で、瞬時に反芻した。
「私、光明出版の田辺と申します」
「こんにちは……」
 わざわざ電話をかけてきてくれた。期待が急速に膨らんでいく。
「こんにちは。以前にご応募頂いた中村様の作品に関することでご連絡を差し上げました」
「はい」
「心づくし」のことだった。応募締め切りギリギリで指定の応募フォームにアクセスした。
「この度、新人文学賞を受賞されましたのでご報告します。おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます……あの、本当ですか? おかけ間違いとかではなく……」
 疑い深いわけではないが確認を入れる。そんなうまい話があるわけがない。初めて応募した作品が大賞なんて。でも万が一違っていたら、渉のショックは計り知れない。上げて下げることはして欲しくない。
「本当ですよ。一度ご本人確認のためと、中村様の作品の今後についてとか、その他もろもろのお話をさせて頂きたいと思いますので、弊社までご足労願えませんでしょうか?」
「はい」
 これからは基本的にメールでやり取りするからこまめにチェックしてほしいと言われた。本社が田町にあるから日程を決めたいそうだ。また打ち合わせとは別に、来月、受賞の記者会見を開くということで参加可能かどうかも聞かれた。みんなの前に出ていくのは恥ずかしくてどうしようか迷ったけど、渉は作品の責任者として参加することを決めた。その時に受賞のコメントをすることになるから何を話すか考えてきてくださいと指示があった。記者会見出席に伴って、渉もいくつか相談したいことがあったから良い機会だと思った。
 静かに電話を切る。信じられない。まさかこんなことになるなんて。出版の話も出てきた。夢かもしれないって渉は思ったけど、これは現実だ。昔のテレビだったら自分の頬をつまんで夢かどうか確認したけど、渉はそうしない。嘘でもこの世界に居座りたい。自身の小説が大賞を受賞した。
 何の前触れもなく訪れた知らせ。渉の日常が静かに変わろうとしている。