「………」
安易に答えてはいけない。肯定するのはもっとも避けなければならない。
何故朝間先生がいる? 隣の家……なのか? そう言えば咲桜が「ややさん」って呼んで――
「別に警戒しなくても、神宮さんがやっていること、学校でばらしたりしませんよ。在義兄さんの言いつけですから」
「………」
在義にいさん? 朝間先生は在義さんと親しいのか?
誰何するか刹那悩んだとき、ドアが勢いよく開いた。
「流夜くん!」
咲桜が満面の笑顔で飛び出して来た。
「いらっしゃ――夜々さん⁉」
俺と対峙する朝間先生を見て、素っ頓狂な声をあげた。そしてまた泡喰った顔になる。
「えっ、ど、どうしたの夜々さん――」
「神宮さんに、ご挨拶しなきゃと思って。咲桜ちゃんの母親代わりの一人としてね」
にっこり、朝間先生は微笑んだ。確か保健室の天使とか言われていたな……それと同じ笑顔だった。
と、とりあえず中に――と焦った咲桜に促されて、朝間先生も一緒に華取家へ入った。
「夜々さん、……」
玄関先で言葉に詰まる咲桜に、朝間先生は微笑んで見せた。
「別に咎めたりしないわ。あの日は母さんも加担していたみたいだしね。マナちゃんにも少し聞いたわ」
愛子とも知り合いかよ……。在義さんの元部下、だしな、あいつ。
「ただ――咲桜ちゃんの相手が神宮先生、てのは問題あると思って」
まあ、バレてるか。
俺は硬直した咲桜の肩に手を載せて、なだめるみたいなことをした。
「いつ、俺だと?」
咲桜が見上げてくるのがわかったが、俺の目は朝間先生に向いている。
咲桜が慕っている人な以上、隠し立てする理由は俺にはない。
「在義兄さんの言う『流夜くん』の存在は随分前から知ってました。でもまさか神宮先生とは。桜庭歴代主席と謳われた怜悧な優等生が、まさか藤城にいるなんて思わないですからね。なので、マナちゃんに訊いたら教えてくれましたよ」
「………」
愛子……!
久しぶりに愛子に殺意を覚えた。どんどん喋り過ぎだろ、お前。
……だが、見合いのそもそもの原因である愛子が出所ならば、猶更隠す意味がない。
「それはさておき。私は反対ですよ」
「反対されても変えないと言ったら?」
「神宮さんは私の敵になります」
……三回の応酬で、敵対関係が成立した。
なんだか、学校とは随分イメージが違うな。他人のこと言えねえが。
「誰であろうと、咲桜ちゃんを掻っ攫うような輩は私の敵です」
「………」
そっち?
朝間先生の目がガチだった。
なんか、咲桜と偽だけど婚約した、とバレたこととは違う方向に危ない気がする。
在義さんも大概娘バカだが、朝間先生は完全な親バカのようだ。
朝間先生はふうとため息を吐いた。
「在義兄さんの言いつけですからね、神宮先生が学外でしていることを学校で言いふらしたりはしません。婚約の話も口外しません。でも、私が反対していることはお忘れなく」
そう言って見せたのは、いつも学校で見せる微笑だった。
「度が過ぎたことをすれば薙刀持って乗り込みますから」
「夜々さん、私の言い分も聞いて」
咲桜が、真剣な響きで入って来た。
「マナさんからどこまで聞いてるかわからないけど、私だって本気です。冗談なんかで言いません。もし夜々さんが反対するなら、私が流夜くんを護ります」
「………」
凛然とした宣言に、抱きしめたくなる衝動を必死に押し殺した。本当にそういうとこ男らしいな……。でも、咲桜はどうしたって可愛い女の子だ。
「朝間先生。咲桜の害になることはしません。それは誓えます」
「……ですか」
ふと、咲桜の口癖を朝間先生の口から聞いた。
どうやらこれは、朝間先生から咲桜にうつったもののようだ。
「では、今日のところはお暇します。くれぐれも、ですよ、神宮さん」
ぺこりと頭を下げて、朝間先生は出て行った。
扉が閉まるのを見て、咲桜の膝から力が抜けた。
「咲桜っ?」
慌てて抱き留めると、咲桜は腕にしがみついてきた。
「ごめん、流夜くん……」
「いや、朝間先生がいたのは驚いたけど、……朝間先生の言うことはもっともだと思うよ」
「うん……。ごめん、夜々さんのこと、話してなくて」
咲桜の顔は蒼ざめていた。このまま歩けるのか心配になって、咲桜を抱きあげた。
「わっ?」
「暴れない」
姫抱きされた咲桜は瞳を白黒させて戸惑う。
「ちょ、流夜くんっ」
「大声出さない。朝間先生が来るぞ」
言われて、はっと両手で口を押えた。……来ない方がいいのか?
リビングのソファに下ろすと、なんとも言えない瞳で睨まれた。
怒っているのと恥ずかしいのと、なにすんだみたいな瞳だった。
「落ち着いたか?」
自分も隣に座ると、咲桜は口をへの字にして肯いた。抱き上げられた怒りと羞恥はまだ抜けないらしい。
「お隣――朝間先生の家なのか?」
「……うん。夜々さんが、師匠――お母さんと一緒に暮らしてる。生徒と個人的に親しいのはまずいかなってことで、みんなには言ってない。……それで、流夜くんにも言わなかった。ごめんなさい」
「それは構わない。教師には言わないよう言ったのは俺だよ」
そう言った時の、咲桜の弾かれたような反応を思い出す。
弥栄と親しいと知ったときは、弥栄に話したかったのかと思ったが、それは俺の勘ぐり過ぎだったみたいだ。
咲桜はしょげている。その様子に、また頭に手を乗せかけた。けれど、それより先に咲桜が口を開いた。
「……ここは父さんが育った場所で、夜々さんと父さん、年は離れてるけど幼馴染みたいなものなんだ」
「そんで『在義兄さん』って呼んでたのか」
行き場を失くした俺の手は、刹那、空で留まってから引いた。
「うん……。ただ、……」
「ただ?」
「……母さんが現れなかったら、たぶん父さんと結婚してた人」
「―――………」
それは、また……重い過去が出て来たもんだ。
「そんな、夜々さんはずっと優しい人なんだけど……私が一方的に、負い目があって……さっきはかなり緊張してたみたい。支えてくれてありがと」
言って、咲桜は頭を抱えて天井を振り仰いだ。
「あーもうだから私は私が嫌いなんだよ。夜々さんの幸せまで奪って。父さんも再婚だってなんだってしていいのに、未だに母さんに未練の残してるのか知んないけど、いい加減自分のために生きていいのに……」
「………」
俺の位置からは、咲桜の顔は手に覆われている。
ちょうど指先が目にかかっていたけど、そこからこぼれるものが確かに見えた。
先ほどは歯止めがかかった衝動が、今度は背中を押す。
咲桜の頭を抱えるように抱き寄せ、自分の胸辺りに顔を押し付けた。
「……流夜くん?」
咲桜の心の声を聞いたのは何度目だろう。
聞くたびに咲桜の抱えるものを知って、放っておけなくなる。
過去にあった自分に近いからかもしれない。
俺自身、奪われてきたものは計り知れない。
手の中にあったはずのものも、ないものとして生きなければならなかった。
その辛さも淋しさも、咲桜に近い位置でわかると思う。
だから、自分の腕の中に置いておきたくなる。
大丈夫だって。ここにいていい、って。……ここにいてほしい、って。俺がそう望むんだ、て。
「咲桜、今のは駄目だ。どうしても」
「……どれ?」
「自分を嫌いって言ったのは、俺がゆるさない」
「……きらいなんだもん」
子供っぽい喋り方。
「だーめ」
「だって……どうしようもないじゃん……。私がたくさんの人の幸せ、壊してるのは本当なんだから」
在義父さんの幸せを、夜々さんの幸せを、桃子母さんの幸せを――。
そう、呟く咲桜。
……咲桜は、壊したと思っているのか。その上でいつも、あんな笑顔を振りまいて……。
「それも、責任か?」
「……うん。でも、こればっかりはどうすれば責任とれるか、わかんない……」
そういうところに引け目を、負い目を感じているのか。
「なら咲桜、俺に対しての責任もとってもらおうか」
「また⁉ 私、流夜くんにほんとなにしたの⁉」
「あ、いや。昨日のは責任取るのは俺の方だから。そこは混同しなくていい」
「流夜くんはなにしたの⁉」
「うん、だからそのうちまたしてやるから」
「今してよ! じゃないと考え込んで眠れないよ!」
「あー、今は無理だなー。朝間先生の瞳が光ってる」
「なんで夜々さん⁉ てか――今度は私なにした⁉」
「俺を幸せにした」