母は『ありきたりかと思って、漢字にこだわったのよ』と言うけれど、声に出せばハナコはハナコでしかない。

病院で『タナカハナコさん』と呼ばれて席を立った時の、ああ、そんな感じの人って言っていそうな周りの雰囲気とか、『お前の名前って、なんかジミだよな』って、地味の意味もまだわかっていない子供の頃、男の子にからかわれたりしたこととか、自分でも妙に納得してしまう。

――笹木くんの名前もそう。

遊ぶと書いてユウ。いかにも自由な彼らしい名前だ。



「えー、行こうよ、行こうよ」
「でも叶野さん来ないんでしょう?」
「またぁ、そんなこと言ってないで」

話の内容から飲み会の相談らしい。叶野さんというのは海外事業部のイケメンなので、社内の独身男女で飲み会でもあるのだろう。

「笹木さん誘おうよ」
「ええ? でもこの前も断られちゃったからなぁ」
「きっと彼女がいるんでしょ、私も何度か誘ったけど迷惑そうに断られちゃったし」
「えー、そうなんだぁ」

ここが職場であることを忘れそうになる会話を、羽菜子は意識的にシャットアウトした。

背中を向けたまま、ただコーヒーが完全にカップに落ちるのをじっと待つ。

気が遠くなるほど長い数十秒に耐え、ほっとしながらコーヒーカップを持ってその場を離れながら、なんとなく、まだ新人と言われていた頃の自分を思い出してみた。