その夜は、ほとんど眠れなかった。

保坂の好色で下品な笑顔が脳裏に浮かび、悔しさと怒りで吐き気が込み上げた。

声をかけてくれた彼女のためにも、助けてくれたマスターのためにも、そして自分のためにも。
『執事のシャルール』を守らなければいけない。

――あの店は女性がナンパされるためにひとりで行くような店じゃないのだから。


保坂のことだけでなく噂のほうも、できることならなんとかしたい。

ただの噂だからと否定しないでいると、肯定したことになってしまうことがある。既に噂が営業まで伝わっているとなると、会社全体に行き渡っているかもしれない。

経理課の地味なアラサー女子の噂にみんなが関心を持つとは思えないが、噂を信じて行動を起こす人物が保坂だけとは限らない。
羽菜子が店にいなくても、他のひとりで来ている女の子をそんな目でみられた困る。


心配なことはひとつあった。
もしかしたら外泊した話になるかもしれないということだ。

――笹木くんには……。彼には知られたくない。巻き込みたくはない。
恥ずかしい噂が、どうか、どうか彼の耳には届きませんようにと願うばかりだった。


――とにかく、そのためにも早くなんとかしなきゃ!

強い決意をもって迎えた次の日の朝。

コーヒーをひと口飲んで気持ちを落ち着けたところで、小声で隣の席の加住先輩に話しかけた。