「琴音ちゃん。結弦ってさ、そんな簡単に違う子を好きになるような人だと思う?」


 葵ちゃんがお箸で上手に持ち上げた里芋を、ひょいっと口に入れる。


「懐かしい幼馴染みと再会したくらいで、恋人を捨ててその子に走るような人?」

「ううん……」


 首を横に振ると、玉子焼きをひと切れ口に放り込む。

 わたしの家の味付けとは違い、天伽家の玉子焼きは甘かった。悲しいはずなのに、その甘くて優しい味わいに顔が綻ぶ。


「もし仮に結弦がそんな奴だとしたら、あたしは結弦を軽蔑するし、結弦もそれをわかってるわよ」


 またなにも言えなくなったわたしは、ごはんを海苔で巻いて無理やり口に詰め込んだ。お腹が膨れてくると、徐々に気持ちが上向いていくのを感じる。


「結弦に本当の理由を聞いてごらん。今ならまだ間に合うわよ」


 まるで結弦がなにか隠しているような言いぶりだ。

 わたしは里芋をお箸で突き刺し、口に放り込んで訊ねた。


「葵ちゃんは、なにか知ってるの?」


 大きな里芋に口をもごもごさせていると、葵ちゃんはずずっとお味噌汁をすすり、ほぅっとため息をつくように息を吐いた。


「直接知ってるわけじゃないわ。でも、わたしの考えが正しければ、おそらく今日の正午がリミットなんでしょうね……」


 葵ちゃんは黙々と朝ご飯を口に詰め込んでいく。もう一度お味噌汁に口をつけてお椀を置くと、わたしのほうへ体を向け直した。


「琴音っ!」

「はいっ!」


 突然強い口調で名前を呼ばれて、驚いて返事をする。


「結弦のところに行ってあげて。そしてもう一度、今度はちゃんと話を聞いて。この世界で彼の心を救ってあげられるのは、あなたしかいないの。もうあまり時間はないけど、今ならまだ間に合うわ」


 わたしを睨むように言い放つ葵ちゃん。その瞳はなにかを託すような鋭い眼光を覗かせている。


 でも……。


「そんなこと言ったって、わたしは結弦に振られたんだよ。これ以上未練たらしいことしたくない」


 葵ちゃんは首を垂れて、はあーっと大きなため息を吐いた。


「だ、か、ら! あなたほんとに結弦に振られたの?」

「え……?」

「あなたと別れたいとか、あなたのことが好きじゃなくなったとか、他に好きな子ができたとか、結弦は琴音にそんなことを言った?」


 結弦の言葉を思い返す。

 あのとき結弦は、なにがあっても生きる約束をわたしに求めた。それを約束する代わりに、わたしも結弦に生きてそばにいることを約束してほしかった。
 それを結弦は、できないと言った。


「そのときの結弦どんな顔してた? つらそうじゃなかった? それはあなたに別れを告げたから? そうじゃないとしたら、他になにか理由があった。そう思わない?」


 確かに結弦は決意の奥に、苦しい表情を見せていた。


「きっと今、一番つらいのはあなたじゃないわ」

「まさか……」


 一連のやりとりの不審な点に気がつくと、手に嫌な汗が滲んだ。


「もしかして結弦は、生きる約束ができなかったの? 今ならまだ間に合うって、そういうことなの?」


 声が震える。

 いつの間にか朝ごはんを食べ終えた葵ちゃんは、目を瞑ってお茶をすすっている。


「ねえ教えて。葵ちゃんはなにを知っているの?」

「葵でいいわよ……。そうね、こんなことをしでかした以上、もう結弦を救ってあげられるのは、あたしでも美輝ちゃんでも怜くんでもない。きっと、琴音だけなのよ。あなたさえ結弦を忘れなければ、きっと……」


 葵ちゃんは悲しそうに俯いている。
 その言葉を聞いたわたしは、荷物を抱えてすっくと立ち上がった。


「あーあ、こんなに残してくれちゃって」

「ごめん葵。でもわたし、行かなきゃ」


 葵はふうっとため息をつくと、少し嬉しそうに言った。


「いいわよ。その代わり次会ったら奢ってね。たとえあたしが忘れていたとしても、ね」

「もちろん! 朝ごはん残しちゃったけど、おいしかったよ。ありがとう」


 行け行けと言わんばかりにひらひらと手を振っている葵に、「また会いにくるね」と告げて、わたしは旅館へと元来た道を走った。